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イタリアの“夢のような挑戦”―地域精神保健サービスの国際セミナー

三井マリ子2008/10/19
千葉県市川市で16日、国際セミナー「イタリアの精神科医療改革を知ろう!」が、精神疾患を持つ人々の社会復帰をめざすNPOの主催で行われた。セミナーでは、バザリア財団理事長のジャンニケッダさんとジャーナリストの大熊一夫さんからの報告の他、当事者や家族との意見交換の場も設けられ、活発なやりとりがあった。
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イタリアの“夢のような挑戦”―地域精神保健サービスの国際セミナー | トリエステの当事者組織が作った「近くで見れば正常な人なんていないよ」というロゴの描かれたTシャツ姿の大熊一夫さん(左)を紹介するマリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん(中央)
トリエステの当事者組織が作った「近くで見れば正常な人なんていないよ」というロゴの描かれたTシャツ姿の大熊一夫さん(左)を紹介するマリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん(中央)
 2008年10月16日、千葉県市川市において国際セミナー「イタリアの精神科医療改革を知ろう!」が開かれた。

 イタリアから来日したバザリア財団理事長マリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん(社会学者)とジャーナリスト大熊一夫さんの報告後、当時者や家族会の方との活発な意見交換があった。会場には終始熱心にメモをとる千葉県知事の堂本暁子さんもいた。

イタリアの“夢のような挑戦”―地域精神保健サービスの国際セミナー | 千葉県の地域精神保健サービスについて話しあう堂本暁子知事(中央)、伊藤順一郎医師(右)、マリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん
千葉県の地域精神保健サービスについて話しあう堂本暁子知事(中央)、伊藤順一郎医師(右)、マリア・グラッツィア・ジャンニケッダさん
 イタリアでは1978年、精神病院をなくして精神疾患をかかえる人たちを地域で支える新たな試みがスタートした。その土台となったのがイタリア精神保健法の180号法(バザリア法)だ。

 イタリアは、この法律によって精神病院を新たにつくることを禁止し、同時に既存精神病院への入院も段階的に禁止していった。さらには精神科医が行う強制治療にも厳しい歯止めを設けた。

 ジャンニケッダさんは、1970年代のトリエステで、イタリア精神保健改革の祖フランコ・バザリア(精神科医)のごく近くで働いていた経歴から、「バザリアの娘」のニックネームを持つ。イタリア精神保健改革の生き字引だ。現在はサルデーニャ州サッサリ大学の社会学教授で「法律と精神医学」を専門としている。セミナーでは、180号法の意味と法律のもたらした効果やイタリアの現状について話した。

 冒頭、元WHO事務局長のグロ・ハーレム・ブルントラントさん(ノルウェー元首相)の言葉「精神疾患を持つ人に対してのケアは、途上国だけではなく先進国でもまったく不十分である。法律には人権の擁護が定められているにもかかわらず、現実には人権のはく奪が世界中で行われている」を引用し、「社会から否定された市民denied citizens」の人権擁護にはたしたイタリアの“夢のような挑戦”を紹介した。

 「1950年から60年にかけて、欧米各国で、精神医療に費やされる国家予算の負担が問題になり始め、アメリカ、フランス、イギリスなどで金食い虫の精神病院の閉鎖が進められました。最大の難問は、精神病院閉鎖の後、精神疾患の人たちの新しい居場所をどうするか、でした。世界中で女性解放運動が巻き起こった時期でした。病院閉鎖によって家族介護、すなわち女性の手になる重い世話へ回帰することは、人道上許されない雰囲気でした」

 「選ぶべき道は一つ。病院に頼らずに地域で支える新システムをつくるしかないはずなのです。しかし、その方向に向かわなかった国アメリカでは、多くの人たちが路上に放り出され、ホームレスとなりました」

 イタリアはアメリカとは違って、徹底した地域保健サービスの道を選択した。その改革の先頭に立ったのがフランコ・バザリアだ。精神病院院長だった彼は、精神病院の実態を世に知らしめるため、写真集の発行や、テレビ放映や、本の出版という、いわゆる“内部告発”に知恵を絞った。精神病院という名の『収容所』に、患者という名の『囚人』たちが、隔離され、捨てられ、死んでいく、そんなおぞましい姿を白日の下にさらした。

 「こうして1960年代後半には、すでに地域保健サービス網をつくるための実践が動き出しました。1968年には旧来の精神保健法が部分的に改正されて、精神保健センターの設置が可能になりました。これが1978年の180号法の開花に道を開いたのです」

 そして次のような数字が紹介された。

 1971年には、9万4,800人もの患者がマニコミオ(精神病院)に入れられていた。180号法ができた1978年にはそれが6万4,752人に減り、20年後の1998年には7,704人に、そして20世紀の終わりにはゼロになった。今の精神科のベッド数は、総合病院の精神科と私立病院を合わせても1万床に届かない。

 「イタリアの人口は5,500万で、日本の半分です。その日本の精神病院は、いま実に35万床ですから、イタリアの改革がいかに徹底したものかがわかります」と大熊さんが補足説明する。

 また、病院に代わるサービス拠点の地域精神保健センターは、「週6日・1日12時間」以上の稼働のものがイタリア全土で707か所。うち24時間365日フル稼働のセンターは50だ。この「年中無休」こそが、地域精神保健サービスでは最も大事だ。しかし、「バザリア法ができて30年もたつというのに、まだ、たったの50ですよ」とジャンニケッダさんは自国の改革のスローテンポにいらだちを見せた。日本に比べれば、これでも夢のような数字なのだが。

 180号法によって、社会的危険性を理由にしての強制治療がなくなった。「180号法は、治安的性格を捨てた世界でも稀有な精神保健法なのです。そのうえ、私立の医療機関が強制治療をすることも禁じました」と大熊さんが付け加えた。

 だが、「現在のイタリア右派政権はこの強制治療を復活させる改悪法案を提出しようとしています」とジャンニケッダさんはいう。この動きに対して、家族会や当事者組織は猛反対をし、国会議員に働きかけ国会での審議に待ったをかけている。その運動の先頭にたっているのが家族会に属する女性たちで、次のようなスローガンを掲げている。

 「収容所回帰は許さない、もちろん、家庭を収容所にすることも許さない」

 なお本セミナーは、千葉県市川市で精神疾患を持つ人々の社会復帰をめざす「NPO法人リカバリーサポートセンターACTIPS」と「NPO法人NECST」の主催で行われた。
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