6月24日、イタリアのフランコ・バザリア財団(理事長、サッサリ大学教授マリア=グラツィア・ジャンニケッダ氏、事務局ヴェネチア県)は、ジャーナリストで元・大阪大学大学院教授の大熊一夫氏に、「イタリア精神保健改革の父」バザリアの名を冠した第1回バザリア学術賞を授与した。
賞金2万ユーロの小切手を受け取った大熊一夫氏(右)と、左からバザリア財団理事長、同副理事長、ベネチア県文化担当副知事。
授賞式と関連セミナーは、同日午後4時から7時半まで、ヴェネチア本島から船で10分ほどのサン・セルヴォロ島(San Servolo)にあるバザリア・ホールで行なわれた。
「バザリアの見通した人権と精神保健」と題する記念セミナーでは、ヴェネチア県知事、同市長、精神科医、患者などに加え、受賞者の大熊一夫氏が熱弁をふるった。
バザリア・ホールいっぱいの聴衆。
およそ200人の聴衆が熱心に耳を傾ける中、大熊一夫氏は、「イタリアと日本:民主主義国家における精神医療施設の夢と悪夢」と題する講演をイタリア語でおこなった。講演後、あるイタリア人は、「聞いていて涙が出てきました」と言って駆け寄ってきた。
フランコ・バザリア(1924年生まれ、1980年没)は、イタリアの精神保健改革の先駆者といわれる精神科医。「精神病院は治療に極めて不適格」と今から半世紀も前に主張した。彼の業績を記念したフランコ・バザリア財団(出資はバザリアの生まれ故郷ヴェネチア県)は、昨年「バザリア学術賞」を創設し、世界から受賞者を公募した。
この賞は、「申請者の国において申請者の国の言葉で出版する」ことを条件に、バザリアの業績についての調査研究を助成するのが目的。大熊一夫氏は、これに応募し、米国のイェール大学、バークレイ大学、オーストラリアのウオロンゴング大学等の研究チームと競って、単独応募で第1回の受賞者に選ばれた。賞金2万ユーロ(約350万円)が、この日の授賞式典でヴェネチア県から小切手で大熊氏に贈られた。
財団のイタリア人審査委員会は、大熊氏の申請書から先進国の中で日本だけが極端な精神病院中心主義なのを知って、イタリアの精神保健改革に関する本を日本で出版する意義は大きい、と判断した。同氏が38年前に書いた『ルポ・精神病棟』(朝日新聞社刊)が累積約30万部出版されたこと、過去20年間、幾度か改革の中心地トリエステなどを訪問して新聞や雑誌等に記事を書き、その記事がもとでトリエステを訪れた日本人が1,000人を超えたことなども勘案され、審査委員の全員一致で選ばれた。
大熊氏によると、イタリアは単科精神病院をなくした世界唯一の国とのこと。精神病院廃止を決めた180号法は「バザリア法」と呼ばれ、1978年5月に施行された。改革が始まって、今年でちょうど30年になる。
授賞式の行われたサン・セルヴォロ島も、改革前は精神病の人々を隔離収容する島だった。しかし、いま、病院は完全に消滅した。その建物は改装され、ヴェネチア国際大学と国際会議場の島に生まれ変わった。
サン・セルヴォロ島の精神病院博物館。
サン・セルヴォロ島の一角は、「精神病院博物館」として残されている。そこには、治療の名のもとに使われた器械、体を縛るさまざまな道具、さらには“研究”に使われた患者の脳や頭蓋骨などが保存・展示されている。
同島から1kmほど離れたサン・クレメンテ島も、精神病隔離の島として使われていたが、こちらは何と5つ星ホテルになった。これら2つの大収容所が消えた今日、これに代わる地域精神保健サービス網が、ヴェネチア県各地で展開されている。
かつて約12万人を収容した「マニコミオ」と呼ばれる公立単科精神病院は、1998年末でイタリアからなくなった。イタリアの人口は約5,600万で、日本のほぼ半分だから、日本に置き換えれば日本の精神病棟の24万床が日本社会から消えたことになる。因みに、現在の日本の精神病棟は約34万床だ。
大熊氏によると、イタリアの特色は、精神病院を廃止した後、治療する場の軸足が精神保健センターに移った点。診療・往診は当然のこと、人間関係の修復・住居の確保・就職斡旋・楽しみの開発など、「当事者の人生丸ごとを視野に入れた支援」だ。重い精神病の人々も病院を使わずに支える、というポリシーが見どころ。改革の中心はバザリアが働いていたトリエステだが、今世紀にはいって、改革はイタリア全土に広がる勢いだ。
大熊氏は、次のように述べて、記念講演を結んだ。「地域精神保健サービスは、自治体単位でなら欧米にみられます。しかし、改革が国単位で行われたのはイタリアだけです。WHO(世界保健機関)もイタリアの改革を高く評価しています。一方、日本はいまだに私立精神病院を中心とする収容主義です。この要塞を、どうやったら突き崩せるか。公的責任を土台にしたイタリア精神保健改革の成功例は、私たちを勇気づけてくれます。バザリアが火をつけたイタリアの精神保健改革に関する本を、日本において出版することは、私立精神病院中心主義への戦いのための、強力な武器になるでしょう」。
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