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東浩紀さんとのすれちがいについて 

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 一月からカナダのモントリオールのマッギル大学の東アジア学科で客員教授として教えている。今年は井筒俊彦の言語哲学、宗教思想研究を講義しているが講読やゼミに近い形式なので、日本のアニメなどの話もおりまぜている(英語圏、フランス語圏に関心のある和光生には、マッギルの東アジア学科で勉強するチャンスがなくはない)。
 こちらでは一コマが週に二回あったり、学生のレポート書きに面接しながら対応したり、職員も学部生代表も参加する学科会議があったりと、目が点になるほど日本の大学と異なる制度はとても勉強になる。自分のカナダでの講義の内容は四月からの和光での講義「日本文化に分け入る」と重なっている。

 こちらにいると、日本にいる元学生などが「センセ、またネットでこんなこと言われていますよ」というメールをくれることがある。「仮面ライダーSpirits」や「超人ロック」などマンガの新刊購入、テレビのアニメやライダーのDVD録画をオネガイしている連中からである(五年前、家のテレビを捨てたので、日本でも同じ状態)。

 一週間ほど前、批評家の東浩紀さん自身のTwitterや2ちゃんねるの東さんスレッドにぼくの名前が出ていると聞いたので、ちょっと覗いて見て吃驚した。
 ぼくにとっても、和光大学にとっても、あまり名誉にならない、しかも間違った事実が書かれているので、ここにコメントのつもりで書いてみる。世の中の評判でも、Wikipediaでの東さん部分、またぼくの部分でも、両者の関係は険悪ということになっており、これについてもこのさい説明しておこう。

 まずは2ちゃんねる、東スレッド「(僕は)東浩紀スレ359(ファシスト)」より引用。

786 :考える名無しさん:2010/03/08(月) 22:00:20 0
「まさか。信じられません。東浩紀のシンクロ率が400%を超えています。」
「やはり目覚めたのよ。あずまんが。。。」
「上野を、食ってる。。」
「S2機関を自ら取り込んでいるというの。東浩紀が。」
「拘束具が」
「こうそくぐ?」
「そうよ。あれは装甲板ではないの。あずまん本来の力を私たちが押さえ込む為の拘束部なの。その呪縛が今自らの力で解かれていく。私たちにはもうあずまんを止めることはできないの。」

   うーん、すごいね、どうも。と言っても、エヴァンゲリオンを知らない人には「何のこっちゃ」だろうけど。これはエヴァが暴走して敵である使徒を食っている有名なシーンの流用である。
 まあ、ぼくはどこに言っても「敵役/悪役」(ヒール)が自他ともに認める芸風なので、あずまん(東浩紀さんの愛称)に補食される使徒あつかいされるのは仕方ないだろう。
 十年くらい前、東さんのエヴァ論をはげしく批判したいきさつもあって(これは今も別に撤回する必要を感じない)、世間では「犬猿の仲」ということになっているし。まあ、食われるにしても「最強の使徒ゼルエル」になぞらえられるのはむしろ光栄と応じるべきなのかもしれない。

 しかし、次はちょっといただけないなあ。

823 :考える名無しさん:2010/03/08(月) 23:59:36 0
東浩紀「東京大学博士」「東京工業大学特認教授」「早稲田大学文学学術院客員教授」

上野俊哉 「偏差値35和光卒」「偏差値35和光教授」

 まず、ぼくが入学した時期の和光大学人文学科人間関係学科の偏差値は55くらいあったはず(代ゼミのデータ)。まあ、当時も今も偏差値なんかどうでもいいことだし、受験勉強はしたことがなく「推薦入学」で和光に入ったのだが・・・今の偏差値にしても35という数字ではない(予備校だか受験産業だか、業者によって数値は異なるにせよ)。この間まで入試実施委員だったので、よくおぼえている。
 東さんは四月から早稲田でも勤めるから、これでどちらも「W大教授」ということになる。昔から「都内の二つのW大」は冗談のネタだけれど、出身大学の偏差値の差で複数の批評家を値踏みするなんてネットにはずいぶん貧しい趣味のひとたちがいるものだ。
 まあ、勉強しないで成績はつねに低空飛行、ロックと読書にいれこんだ生意気だけの高校生だったのは事実だけれど、そんなのが大学教授になったり、海外で英語で教えたりするようになる巡り合わせもあるのが人生だ(人知れずこっそり努力はするけどね)。

   なぜ、こんなふうなスレッド書き込みが出たかと言えば、twitterで東さんが三月のあたまに東工大で行なわれた「クールジャパン」か何かについてのシンポジウムについて発言していて、そこになぜかぼくの名前が出てくるのである。どうも『カルチュラル・スタディーズ入門』を共著で書いた毛利嘉孝さん(東京藝大准教授)がシンポで東さんに批判的だったらしく、そのことに腹を立て、カルスタもろともということでぼくも槍玉にあがったらしい。

   入門書を共著で書いておいてこんなことを言うのはナンだが、ぼくは今の日本の「カルチュラル・スタディーズ」(文化研究派)にははなはだ疑問をもっており、人脈的にも学問的にもこの潮流から離れて、もうすでに数年がたつ。ぼくがちらほら本やエッセイに書いたことなどろくに読まれていないにせよ、「カルスタ」批判に関してはぼくも人後におちないつもりである。
 自分が出てもいないシンポジウムについては、ここで何も言うことはない。逆になぜ出てもいない自分が毛利さんと糞味噌ゴッチャにされて批判され、偏差値まであげつらってバカにされるのか、いやはや「日本語環境」のネットの世界とはスゴいものらしい。

 東さんのtwitterにぼくの名前が出てくるので、引用する。文脈は、こうだ。東さんは「文化研究」(カルスタ)派に批判的だが、仕事や問題によっては意見が重なるとこともある。むしろ、人脈的には近かった。にもかかわらず、「文化研究」人脈は自分に批判的で、その筆頭は上野である、という大体そんな文脈か。

「ぼくはあまり語ったことがないけど、20代のときに、上野俊哉主宰の研究会で、小熊さんとか鵜飼さんと一緒に合宿までしているのです。そのときにカルスタ系の有名人にはほとんど会っている。そしてそのひとたちは、ずっとぼくをdisっている。でもぼくはいままで反応していない。
11:35 AM Mar 5th via web」

   まず事実関係から。当該の「歴史批判研究会」において、ぼくは発足の言い出しっぺの一人ではあったが、主宰でも何でもなかった。この研究会はまだ仕事もなくて食えない二〇代から三〇代の研究者や院生、ライターのタマゴの集まりで、ぼくの他には小熊英二、澤野雅樹、岩崎稔、田崎英明・・・などがいた。このうちのちのカルスタに関わりをもつのはぼくと岩崎稔のみで、研究会が「カルスタ系」だったわけではない(ここにすでに東さんの一方的な「ラベリング/レッテル貼り」があるのだが、それはこのさい気にしない)。鵜飼哲さん(デリダの弟子で、のちに東さんの博士論文の審査をする)が参加していたのはたまたま夏の河口湖での合宿の数日間のことで、彼はメンバーではなかったし、まして「カルスタ」派でもない。

   その後、アニメ論『紅のメタルスーツ』(紀伊国屋書店)でぼくは東さんの批評や考え方の基本姿勢を「世代論」「時代論」であると批判した。けれどディスったとしたらぼくだけで、ぼくの知るかぎり、あの研究会に参加していた他の誰も、その後の東さんを批判してないはずだ。それどころか最近の東さんの仕事を読んでいるかどうかすらあやしい。それほど領域も専門もいろいろな人たちで、今も昔も個々の姿勢は一枚岩ではない。
 実際、ぼくもあの研究会の人たちとは鵜飼さんをのぞいて十年近く会っていない。別段、そのなかの誰一人、今はともだちではない。「派閥」でも「グループ」でも「一派」でもないものを「そのひとたち」と呼ぶのは、東さんもいささか党派根性が過剰ではないか。
 それよりも、彼らを「カルスタ系の有名人」と名指すのも、あまり本を読まないでネットばかり見ている人たちにあやまった知識を広めることにもなりかねないので、くだくだと書いた。なぜなら、ほとんどのメンバーは当時もその後も「カルスタ」とは関わりがないのだから。

次も東さんのtwitterからの引用である。

「ま、こういうひとたちが多数いるということを、ぼくのフォロアーにわかってもらえればと。ちなみに上野俊哉氏は、某美術評論家の結婚式でぼくに「おまえ評論止めろ! 氏ね!」と怒鳴ったことで有名なんだけど、そんなひとの言うことよく信じるね。
3:46 AM Mar 8th via Echofon」

 たしかに椹木野衣さん(多摩美術大学教授)の結婚披露宴の二次会にどこかの居酒屋で「きみ、もう批評家やめた方がいいぜ」と言った覚えがある。怒鳴ったとか、ましてや「死ね」と言った記憶はない(言ったのかなあ・・・でもその頃はまだアイウ゛ィだったから似合わない台詞のはず)。まあ、一〇年以上も前のことなのでよく覚えていないが、そのとき東さんにとても怒っていたのは本当のことだ。
 理由は一つ。彼がある座談会に参加して、発言もして、写真も撮られていながら掲載前に自分の所在と発言を引き上げたことだ。これは角川書店から出ていたNewtype Mark-IIという一号か二号で消えたアニメ雑誌で、座談会は「架空のアニメ企画会議」みたいなものだった。編集部に頼まれてぼくは司会をしていた。
 批評家として座談会の仕事を引き受けて発言もしながら、発行前に東さんが「降りた」身勝手さにぼくはひどく腹を立てていた。入試の忙しい時期に海外の大学に出張するわがままやり放題の人間が全くもって言えた義理ではないが、そのときは「プロのもの書き」として仁義破りすぎるのではないか、と怒っていたので、「批評家やめろよ」発言になって出たのだった(まあ、職もなかったし、フリーランサーなりの矜持から来る怒りでもあった)。
 この怒りについては、のちに大塚英志さんに「そんなことはこの業界でよくあることじゃん。きみはやったことないの?」と一笑のもとに諭されて、ぼくの方でもいつの間にか忘れてしまっていたのだが、一〇年以上もたってネットのあちこちで文脈なしにこの「発話」が一人歩きしているのでリプライしている。

 ちなみに東さんまわりの茶坊主ライターのなかには、相当、年長世代に無用なルサンチマン(怨恨)のある人もいるらしく、当時「上野俊哉が角川書店のアニメ関係の評論で「重用」されていたのが問題だ」とtwitterに書いている御仁もいるらしい。ずいぶんな妄想である。「重用」どころか、当該の座談会の載った雑誌を一冊もらったきり、あのときは司会や発言のギャラももらってなかったと思う。たしかにアニメ雑誌Newtypeの方ではカトキハジメさんの描いたモビルスーツの絵にはコラムを書いていて、ちゃんと原稿料ももらっていたけれど、角川書店がぼくを「重用」なんて事実は金輪際なかった。Twitterというのはもしかして脳内妄想を垂れ流すメディアなのだろうか? 

   むしろあれって現代の「連句/連歌」として有効利用するような、もっとしなやかなセンス、「日本ならでは」のメディアとして貧乏くさくない使い方があるのではないかしらん(和光のセンセにも何人かtwitterしてる人たちがいるから、見ておくとセンセたちの行動範囲、趣味嗜好が読めますよ、和光生!)。

 さて、その後も何度か書籍や雑誌で東さんの議論を批判したけれど、東さんとの「邂逅」はほぼそれっきりである。もちろん、オタク文化やアニメ、マンガなどについて和光やマッギルで講義するときに東さんの仕事には批判的に参照する。しかし、何のために文化を論じ、考えるのか、という根本の点に関して東さんとぼくの間にはもはや何の接点もないし、またことさら批判する必要も今では感じていない。  ちょうどテクノのDJがJポップの人気歌手の悪口をやたらと言ったりしないのと同じことだ(まあ、この先、英語ではもうすこし批判を書くかもしれないけど)。

100312_02.jpg  最後に、その接点のなさの理由を書いておく。

 東さんは『東京から考える』という対談本の前書きで、「自分はポテチを食べながらデスクトップにぬるぬると向かい、コンビニがあれば用が足り、他は事実上いらないと考える人間であり、同じタイプの人に共感し、そのために書く」「郊外の国道沿いブックオフ文化の現実しか、もはやあり得ないことを肯定し、そこに置かれてもぴったり合う本を書く」といったことを述べている。

 ここがまるで接点のない理由である。ぼくはなるべく美味しいもの、身体にいいものを、自分で作って食べるのがすきだし、コンビニは便利だがあそこにおいてあるモノは基本的に人間を貧しくすると思っている(経済的にではなく、感覚的にね)。おまけに「ブックオフ」という空間には入ったことすらない。本買い/読みのジャンキーなので、かえって「掘り出し物」が多そうで怖くて入れないのである。
 郊外型の書店やコンビニ、アウトレット/ショッピング・モール、「日本語環境」に特化したネット文化が、どうも人々のリテラシーや教養、思考力をダメにしているように考えている人間なので、「郊外の国道沿い」の店で売っているモノとつきあわないように生きているし、若い学生たちにもそう薦めている。

   東さんは「適当にぬるぬる消費者をやって、小さくハッピーに生きる」道を推奨し、これが逃れられない「動物化するポストモダン」であるという主張をしている。だが、これはぼくの用語だと「家畜化するプレ/エクスモダン(前近代/近代の外)」ということで、「おい、そんな家畜でいいのかよ。もっと世界には楽しい/ヤバい/エグいこともあるかもよ」と学生たちにはよく言っている。
 でも東さんがどう思おうと、どのように彼の評論で述べようと、もはや批判するとか、非難する気は全然ない(講義では批判的にふれることもあるだろうが)。端的にお互いに無関係な存在と思うのみである。

 彼は自分の世代の論者たちについて言う。「何が政治で何が政治じゃないのか、何がアクチュアルで何がアクチュアルじゃないのか、それが分からない」のだ、と。つまり、もはやイデオロギーも物語もない、右翼も左翼もない、というわけだ。半分くらい、わかるような気もするが、やはり所詮こちらはオールドタイプのせいか何がアクチュアルで政治的かがわからない、そういうことが思考の動機にない、という気分が全くわからない。「イデオロギー/物語は終った」という言いかたこそ「イデオロギー/物語」のような気がする。
 しかし、その「わからないアクチュアリティ」に向かうことが「考えること」「批評すること」のはじまりであるような気はする。

 ずいぶん長く書いたが、これが過去十五年近くにわたる東浩紀さんとぼくのすれちがいの模様である。険悪な関係も何も、近い業界にはいるけれど、単に互いに全く無関係な情動と思考で生きている。険悪というより、お互いにエイリアンみたいなものだ。

 そのことがよくわかる例を一つ。いささか暴露話めくが、ずいぶんtwitterやラジオ番組などで東さんもぼくの名前を出しているらしいので、これぐらいは許されるだろう。

 今から一五年以上前の東さんがtwitterでふれていた研究会の夏合宿、夕方に台所でぼくはその晩の飲み会のつまみの仕度をしていた。いろいろ素材を仕込みながら、ぼくは近くにいた東さんに言った。「ねえ、きみ、そのニンニク一カケとってくれる?」と。
 東さんは「一カケってこれですか?」とまるごと皮のついたニンニクをよこしたのである。
 「きみのニンニク一カケってこれなのかよ!」呆れるやら、怒るやらでつい大きい声を出したかもしれない。「二十歳すぎて料理もしたことないのかよ」とまで言ったかなあ。
 ぼくは料理(家事)のできない人間、男、とりわけ研究者やもの書きのことを基本的に信用しない。無茶苦茶に狭隘な視点だけれど、これも世界や宇宙に対する関わり方の一つだ。そう、あの日から、ぼくは東さんとすっかりすれちがっていたのだろう。
 
 
 



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