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更新:3月12日 11:32インターネット:最新ニュース

「市民メディア」の失敗をマスメディアは教訓にできるか

 「市民の市民による市民のためのメディア」を掲げたインターネット新聞「JanJan」が3月末で休刊する。「オーマイニュース日本版」「ツカサネット新聞」に続き、「市民メディア」の閉鎖が相次ぐ一方、ブログや「Twitter(ツイッター)」といったソーシャルメディアは存在感を増している。なぜ、「市民メディア」は失敗に終わったのか、既存マスメディアにも無関係ではない。(藤代裕之)

■「上から目線」「一方通行」の呪縛

 JanJanは、元朝日新聞編集委員で鎌倉市長時代に記者クラブを開放して「広報メディアセンター」を開設したことでも知られる竹内謙氏が中心となり2003年に創刊した老舗「市民メディア」だ。

 韓国のオーマイニュースを手本にし、ブログやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などに先駆けた取り組みとして約8000人が市民記者に登録した。アドバイザーには、前宮城県知事の浅野史郎氏、作家の堺屋太一氏、ジャーナリストの嶌信彦氏ら著名人が名を連ねている。単に投稿された記事を掲載するだけでなく、データベース化にも力を入れ、政治家の活動やマニフェストが確認できる「ザ・選挙」や政治資金収支報告書を紹介する「政治資金データベース」は評価も高かった。

休刊を決めたインターネット新聞「JanJan」のサイト画面

 ホームページに掲載された「休刊のお知らせ」(http://www.janjannews.jp/archives/2744447.html)によると要因は、(1)広告収入の低下、(2)ウェブサイトのシステムが技術的に時代遅れとなった、(3)所期の目的がひとまず達成されたため、の3点だ。3番目の理由には、「…官情報頼り、上から目線、一方通行型の既成のマスコミに刺激を与えるため、ごく普通の市民が記者になって ニュースを書くというインターネット時代にふさわしい市民メディアの創造に挑戦しましたが……」(一部抜粋)とある。

 ここに書かれている「上から目線」「一方通行」はネットでマスメディアが批判される際の典型的なフレーズだが、JanJanにも同様の批判が向けられている。例えば、「Wikipedia」の項目には、「記事の主観的意見だけが尊重され反論投稿の意見が抹殺される状態になる」との記述がある。一部ユーザーの声かもしれないが、コメント欄や休刊に言及したブログでも、記事の偏りや目線の高さが指摘されている。これは、既存のマスメディア出身者らが中心となったオーマイニュースも同様だった。

 新たなメディアを目指したはずが、なぜこのような事態になってしまうのだろうか。メディア環境の変化によって、「ニュース」や「ジャーナリズム」が変化したことが見逃せない。

■「市民メディア」とは何か

 休刊をきっかけに「市民メディア」の相次ぐ閉鎖を特集した3月9日付の朝日新聞は『「既成メディアが伝えないニュースを」という志は、採算性という現実をうちやぶれなかった』と書いているが、うちやぶれなかったのは自らの思い込み、常識だったのではないか。

 まず、気になるのが「市民メディア」という言葉の使い方だ。市民メディアの定義に確固としたものはないが、マスメディア(プロ)ではない人々が情報発信するとするならば、ブログやツイッターといったソーシャルメディアも含まれるはずだが、朝日の記事では含まれていない。

 ブログやツイッターといったソーシャルメディアは、市民メディアではないのだろうか。情報発信しているのは市民ではないのだろうか(新聞社やテレビ局の記者は市民ではないのか、という疑問もあるが……)。このシンプルな問いは、「市民メディア」関係者だけでなく、既存マスメディアや一部の研究者に通じないことがある。

 「市民メディア」は、既存マスメディアの対抗的な概念として位置づけられることが多い。「本来は既存マスメディアが伝えるべきであったニュースを伝える」と言ってしまったとたん、ニュースは既存マスメディアのものさしで測られることになる。

 だが、ソーシャルメディアの登場は、軽々とそのものさしを無効にしてしまった。ブログの登場時には、食べ歩き、本や映画の感想といった日記的なものはニュースではないと批判されていたが、それも誰かにとってはニュースかもしれない(新聞にだって書評や映画評はある)。

 最近では、研究者や医者、弁護士などの専門家やフリージャーナリストにブログの担い手が広がり、コンテンツの厚みが増している。評論や批判だけでなく、公開されている情報を利用した政策や経済状況の分析もネットで見られるようになっている。既存マスメディアが考えるものではないニュースに触れた読者に対して、「ニュース」を押し付けても意味はない。ニュースとは何か、ジャーナリズムとは何か、は読者が決める時代になったということだ。

 これは案外根深い問題だ。「自分たちは価値ある情報を持っている」「自分たちの情報には多くの人が関心を持っているはずだ」との思い込みがあるのは「市民メディア」だけではない。多様なニュースを知っている読者を満足させるだけの中身を見つめなおさなければ、有料化どころか、「市民メディア」同様に退場することになりかねない。

[2010年3月12日]

-筆者紹介-

藤代 裕之(ふじしろ ひろゆき)

ブロガー@ガ島通信

略歴

 1973年徳島県生まれ。立教大学21世紀社会デザイン研究科修了。広島大学文学部哲学科卒業後、徳島新聞社に入社。社会部で司法・警察、地方部で地方自治などを取材。文化部では、中高生向け紙面のリニューアルを担当し「若者の新聞離れ」対策に取り組む。徳島大学付属病院医療情報部助手を経て、マイネット・ジャパンアドバイザーなど。
2004年9月にブログ「ガ島通信」をスタート。メディアやジャーナリズムに関する議論から身辺雑記まで、幅広い内容を発信中。「ブログ・ジャーナリズム」(野良舎)、「メディア・イノベーションの衝撃」(日本評論社)。北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)サイエンスライティング担当。

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