今朝の産経は3面で、《戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした…》という記事を掲載しています。
これは、外務省が今から半世紀以上前の昭和34年7月11日付の記事資料として報道発表していたものです。ネット上では当時の朝日新聞の記事が流通していて、以前から高市氏は外務省に「この資料を出してくれ」と要請していたそうです。外務省は当初は「そんなに古い資料はもうない」と言っていたそうですが、このほど「昭和35年2月発行の『外務省発表集10号』の中にありました」と提出してきました。記事資料とは、「外務省としての正式発表のうち、外務報道官としての公式見解などを表明するもの」という位置づけだそうです。
これを受けて高市氏は昨日の衆院外務委員会で、永住外国人への地方参政権付与法案の所管大臣である原口一博総務相が1月14日の講演で「自分の意思に反して(日本に)連れてこられた人が、地方で投票の権利を持つのは日本の国家として大事なことだ」と述べたことなどを取り上げ、その論拠の薄弱さと矛盾を突きました。また、岡田克也外相に「この資料は今も有効か」と質問したのですが、岡田氏は「分からない。調べる」と即答を避けました。
そこで本日は、この資料の関係箇所の全文を掲載し、訪問者のみなさんの参考に資したいと思います。打ち込むのにけっこう時間がかかりました。それにしても「現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する」「現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もない」などと、当時の政府発表は明快ですね。今は何でもオブラートに包んで穏便に、悪く言えばごまかそうとしている印象がありますが。
《一、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがってまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。実情は次のとおりである。
一九三九年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約一○○万人であったが、一九四五年終戦直前にはその数は約二○○万人に達していた。そして、この間に増加した約一○○万人のうち、約七○万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの三○万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労働者の数はごく少部分である。しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であった)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに一九三九年七月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく一九四四年九月に至って、はじめて、朝鮮から内地に送り出される労務者について実施された。かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは一九四四年九月から一九四五年三月(一九四五年三月以後は関釜間の通常運航が途絶したためその導入は事実上困難になった)までの短期間であった。
二、終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引き揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
①まず一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、約九○万人、個別引き揚げで約五○万人合計約一四○万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたっては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
②ついで日本政府は連合国軍最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五○万人ということであったが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約一六%、約八万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途を選んだ。
③なお、一九四六年三月の米ソ協定に基づき、一九四七年三月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約一万人が申し込んだが、実際に北鮮に帰還したものは三五○人にすぎなかった。
④朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかったが、休戦成立後南鮮には常時船便があるようになったので、一九五八年末までに数千人が南鮮に引揚げた。北鮮へは直接の船便は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、船便を見つけて、北鮮に引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残ったものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であった。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残ったものは極めて少数である。
三、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約六一万人であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち、戦時中に徴用労務者としてきたものは二四五人にすぎないことが明らかになった。そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であって、現在日本に居住している者は、前記二四五人を含みみな自分の自由意思によって日本に留まった者また日本生まれのものである。したがって現在日本政府が本人の意思に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない。
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登録在日朝鮮人総数 六一一,○八五
内訳
(1)所在不明のもの(一九五六年八月一日以降登録未切替) 一三,八九八
(2)居住地の明かなもの 五九七,一八七
(2)の内訳
(A)終戦前からの在留者 三八八,三五九(六五・○%)
(イ)一九三九年八月以前に来住したもの 一○七,九九六(一八・一%)
(ロ)一九三九年九月一日から一九四五年八月十五日までの間に来住したもの
三五,○一六(五・八%)
(ハ)来住時不明のもの 七二,○三六(一二・一%)
(ニ)終戦前の日本生まれ 一七三,三一一(二九・0%)
(B)終戦後の日本生まれおよび入国者 二○八,八二八(三五・○%)》
…今朝の紙面では、この記事のほか、朝鮮学校の教科書の偏向ぶりを書いた記事やロシアがビザなし交流で入港税を要求している問題に関する記事などを官邸クラブから出したのですが、何せ紙面が狭くてどれも書き足りない思いが残りました。もっと内容を盛り込んで読者に伝えたいのですが、物理的スペースの問題はいかんともし難く…。
by maikee
昭和34年外務省発表「戦時徴…