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『1000の風』と『千の風になって』 1

2009.11.11 Wednesday

ぼくは5人兄弟の末っ子だ。それもすごく年の離れた末っ子なので、物心がついた頃には父も母もおじいさんおばあさんに見えた。
だから両親を亡くしたのも早かった。
80年代にまず母が他界し、数年後に父も他界した。
ぼくはまだ30歳代だった。「お前は末っ子で両親と過ごした時間が短いのが可哀想だな」と兄に言われた。ぼくもそう思った。
父の死についてはこのブログにも書いたことがある。母の死についてもいつかは書いておきたい。

親が生きている間は親が「壁」になってくれているので「死」に向き合わなくすむ、と言われる。ぼくの場合は30歳代で「壁」がなくなってしまった。

"A THOUSAND WINDS"という作者不明の美しい詩に出会ったのは、両親を亡くして間もないころだった。そして95年には『1000の風』という本を作った。

この何年間か『千の風になって』という歌や本で日本中大騒ぎが起きていたが、ぼくは関わらないようにしてきたし、公の場では発言しないようにしてきた。新井満さんが引き起こしている騒動に巻き込まれたくなかったからだ。

このところいくらか騒ぎも沈静化してきた様子なので、そろそろぼくも書いておこう。"A THOUSAND WINDS"との出会いについて。新井満さんについても。
長い話になりそうなので、連載日記になる。

    

これは父と母と長男、長女の写真。もちろん戦前の写真だ。
この下に次男三男が生まれ、四男のぼくだけが戦後に生まれた。
海軍大佐だった父は戦後公職追放になり、ぼくが生まれたのはその頃だった。
あの大きな戦争が終わって、戦地から帰ってきたお父さんたちが「戦争はもうコリゴリだ」という思いで作った子どもたちが世界中でたくさん生まれた。
ぼくはそういう「ベビーブーマーズ」世代に属している。


                        (続く)




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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年に上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。4年間の滞在を経て帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、フライ・コミュニケーションズを設立。
数多くの書籍を企画、編集、執筆し、言葉と映像の新しいコラボレーションを探ってきた。
現在は横浜の小さな森の中で自然とともに暮らしている。
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