和歌山県のイルカ漁を撮影した映画"The Cove"がアカデミー賞を受賞した。私はその映画を見ていないが、受賞の言葉で「日本人はイルカを食うべきではない」などと語っているのを見ると、その政治的意図は明らかだ。この種の過激派は、グリーンピースやシーシェパードなどよくあるが、アカデミー賞を受けたとなると、その影響は無視できない。
イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。
ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。
これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。
ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。
いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。
イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。
ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。
これが昂じると、「地球を守れ」という倒錯したキャンペーンになる。冷静に考えればわかるように、人間が自然の中心として地球を守るという思想は、天動説にも等しい。地球上の生物の圧倒的多数はバクテリアであり、人類が死滅しても地球上の生態系にはほとんど影響しない。太古のままの地球を守ることが環境保護だとすれば、そんな自然はすでにほとんど存在しないし、それを守ること自体には何の意味もない。環境保護は、あくまでも人間の問題なのである。
ホルクハイマー=アドルノも指摘するように、自然を支配の対象と考える啓蒙的な合理主義が自然破壊をもたらしたが、それによって近代社会は歴史上、類のない豊かさを実現した。啓蒙が反自然的だという批判は正しいが、それを否定するなら、自然を搾取する産業社会を捨て、すべての動物の肉を食うのをやめ、化石燃料をやめて山の中で隠遁生活をするしかない。
いいかえれば、無数の生命を虐殺し、自然を破壊することは近代人の原罪であり、この罪から無縁な人間はいないのだ。それを認識しないで、CO2の削減が「文明の転換」だなどという経済学者は、西洋文明への無知をさらしている。欧米人が彼らの自民族中心主義を信じるのは自由だが、そういう偽善を無批判に輸入して「地球のいのちを守れ」と施政方針演説で語る首相は、日本の恥である。
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コメント一覧
キリスト教の布教が終わったと思ったら、今度は「人権」や「環境保護」の布教が始まったようです。植民地政策の時に叫ばれた「白人の責務」と全く同じことですが、根っこが宗教だから、また100年くらいは気付かないんだろうな。
人類を救いたいという願望は、それを支配したいという衝動の、まやかしの隠れ蓑である。
――H.L.メンケン
「殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。」
全くその通りだと思う。
「殺してはならないものの境界」は"資源管理の制約"と換言できる。
エコロジー(環境)問題は人類の持続的な発展のための資源管理における制約の問題だ。
それは資源の生産と消費とそのサイクルによって定まる。普遍的な答えなど有るわけがない。管理上の要素である生産も消費もサイクルも時代(生活様式・技術)によって変わるからだ。
人類は既に先進国が消費主体の経済に限界をみた。今、消費主体を資源国へ移行しているが、それもいずれは限界をみる。その時の世界のニーズを踏まえた資源管理を磨く必要がある。生活の質を落とすことはできない。戦争を回避する資源管理が必要になる。
未来の日本は、武器を売らずに、資源管理を売ることができるのか、環境問題とはそうした問題だと理解している。
農業が工業化したように各種産業はサービス産業への転換が必要だ。環境問題は各市民が主体的に考え仕事をする機会(理解や発想の転換)を提供できる問題だが、残念ながら地球温暖化の問題だとミスリードされている。
現在から未来へ、効果的な制約を示すことが政府の仕事である。
高等教育を見直すべき。
地学だの生物だの・・・物理、政経、数学、現文・・基本的なことをどれだけ教えても、「迷信」に簡単にとりつかれる。大学で統計の見方や論理的考察力を学んでもだ。
血液型診断は一般庶民で流行っているらしいが、知的な階層でも似たようなケースはあり余るほどある。偏執症というかトンネル化(Talb風)症というか、そういう人間が政界にも多い。
週刊文春で福岡伸一氏は「遺伝子組み換え」に懐疑的だが、「遺伝子組み換え」も一種の「人間中心主義」だろうか。自然界にはフリーランチはないという事を考えるとおそろしくなるが・・・・
もしイルカ漁を辞めろと言われれば、なんだかんだ言ってもやめると思いますよ。別の仕事くれるなら。
問題は、イルカを食べることが目的ではなく、イルカ漁で生計を立てている人をどうするかでしょう。そのために町長をはじめ警察も住民も怒りをあらわにしている。彼らは町の株主であり、納税者であり、銀行を介した地方債の債権者でもある。
クジラ漁をやめた漁師がマグロ漁に流れたことでマグロを取りすぎて次はマグロの禁猟、一方漁師そのものを辞めた人間は代わりに与えられた公共事業で飯を食っていたが、小泉改革ですっかり干されてしまう有様。彼らの生活保護費をナショナルジオグラフィック協会に請求してもお金は払ってもらえないでしょう。
人の営みも自然の一部であることを認識しなければイルカの代わりに別の生物が犠牲になること、そして人を飢え死にさせるかイルカが死ぬかというロジックがあることを白人たちに伝える必要があるのでは。
漫画では岩明均の「寄生獣」も似たようなこといってますよ。なかなか素敵な漫画だと思いました。
お馬鹿コメントで申し訳ないのですが、タイトルを見た瞬間「自民党」「族議員」の意味かと思ってしまい、「どうなるんだろう」と思いながら最後まで読んでやっと分かりました。
イルカやクジラのことは分かりませんが、石炭火力発電の依存度は日本よりアメリカのほうが大きいです。世界的に見ても、日本は石炭火力発電の依存度が小さい。ウランが枯渇し、プルトニウムが使い物にならないというときに、二酸化炭素を悪玉にして石炭火力発電所を建設しないという政策は本当に困る。本気で太陽光発電が代替手段になると思っているとしたら、気がふれているとしか言いようがない。
民主党以上に社民党に腹が立つ。原発に反対するなら、なぜ、石炭火力発電を推進しないのか。昔の社会党は、炭鉱の閉山に反対していたではないか。なぜ、石炭を見捨てるのだと言いたいです。世界一の技術力があるというのに。
エントリーで論じておられることはその通りなんですが、シーシェパードとかCOVEに対抗できるアクションが無いことが最大の問題ではないでしょうか。
英語とか他の外国語で主張を展開した本を出すとか、牛3500万頭の屠殺を延々と記録した映画を制作するとか、カンガルー350万頭の掃討状況のドキュメンタリー映画を作るとか、彼等に届く主張にしないと、単なる曳かれ者の小唄になっているように思います。
それを政府でやるのは、創造性の無い話でロクなものにならないと思うのですが、民間の費用でやろうと言う呼びかけをする元気は、この国の人にはないでしょうね。
この件も、「ごまめの歯軋り」で終わると思うとションボリです。
一国の総理大臣がこの程度の知的レベルなのだから、それ以下の愚民の脳みそのレベルは推して知るべしw
まさに「戦後亡国教育」の完成形が現れていますよ。
日本の未来は明るいですね(笑)
むかし「インディアンキラーがホエールイーターを批判するなんて」と怒っていた人もいました。映画「ノッティングヒルの恋人」には、“ベジタリアン”ならぬ“フルータリアン”が登場します。植物だって動物と同じだ、殺して食べるのは不可だ、しかし地に落ちた果実なら食べてもよい、とドライフルーツしか食べない主義です(コメディ映画)。
わたし自身はこの13年間、ヴィーガン(全ての動物性蛋白質を一切摂取しない菜食主義)なのですが、昨今の動物愛護運動の盛り上がりとヨガ&マクロビオティックのブームに違和感あります。「ベジタリアンを名乗るからには氷食症になれ!」とわたしは言いたい。10年ヴィーガンをやって、貧血が極悪化、氷食症(異食症)になり、製氷皿の氷にしか食欲を感じなくなった日々。1日中氷ガリガリガリガリ食べてました。
そういえば日本で有名なヴィーガンって、秋田昌美さんとか(爆。『日本変態研究往来』)、栄養以前に個性が強烈な人ばかり。「神よりも有名になってやる!」(マドンナも菜食主義者)ではないけど、自己表現と差別化のためにそこまでやるか!?という人が目立ちます。
「ヒンドゥー教徒にとっては、神聖な存在である牛を屠殺するあなたがたが「悪魔のような生き物」なのですよ」と言っても、理解できないんでしょうね。
>池田先生
を食べてるし、広東人などはテーブル以外の四つ足

なら何でも食べるのが当たり前です。

日本人はもともと肉食じゃないから、動物を殺して食べることに何となく負い目があるんじゃないでしょうか?生命を殺して食べる宿命は西洋人にとっては原罪の一つであり、日本人にとっては生臭ものを食べないという仏教の戒律違反であるかもしれません。
だけど中国では、キリストが原罪なんて言う何千年も前から肉
啓蒙が反自然的だと否定したところで、中国人が肉を食べるのを止める訳がありません。孔子だって(肉の)膾はいくら細く切ってあっても旨いなぁ・・・っていう国であり(ちゃんと論語に書いてあります)、それがキリストなんて人の生まれる500年以上前の話ですから、いまさらチマチマとしたこと言われても困ります。
中国人が唯一、イルカ殺しに関して言うなら、「イルカは不味いから殺すな」って事だけだと思います。日本人はホントにあんな不味そうなもの食べるんですか?
趙秋瑾
二度目のコメントすいません。
現状の「異文化にも理解を!」という主張は、「地球教」のドグマに対する対抗言論としては、非常に弱いと思います。
かつて欧州の平民たちも、貴族の理不尽な仕打ちに対して「どうか慈悲を!」というふうに、「相手の良心による自制」しか求められなかったのが、「人権」という概念が発明されることによって、理不尽な仕打ちをしてくる相手を、逆に攻撃することが可能になりました。
だから欧米人のオリエンタリズムの被害を受ける国々に必要なのは、「異文化理解」によって相手の良心に訴えかけることではなく、彼らの主張が侵害するものを、彼らの神聖視するものと結びつけた、新しい攻撃的な概念の発明だと思います。
大体は納得します。
ただ、日本人として忘れていけないことがあります。
水族館などで人気のアシカ。このアシカですが、かつては日本の沿岸にも生息していた事を知っていますか?
ラッコも大人気ですが、かつては北海道沿岸に常時生息していたと言います。
世界中にカワウソはいます。その中で日本カワウソは絶滅したらしい。
日本は自然が残り哺乳類も未だに多くいます。
そんな中で、アシカ、ラッコ、カワウソが日本から消えたのは何故でしょうか?
鳩山氏の掲げる「2020年までに1990年比でCO2の25%削減」これは達成できそうです。
なぜなら2020年までに日本の経済と財政は破綻して、
主な資本や若い人材は海外へ流出してしまうからです。
目を向けるとこはみぢかにできず、他をこそとゆうかたもいますね。
彼のくには自国にプリミティブなのがないだけに、しかたないでもあります。
頭脳を輸入してばかりで内的なものは見あたりません。残念。
ここにきてイルカをなんとかゆわんとされはじめたようですが、
皮相ばかりで悲壮なかたがたと、かなしくおもってます。
人類のあゆみをもって、あらためてかんがえなおされることを祈ります。
池田様の御指摘、ごもっともとおもい、ここにコメントもうしあげます。
>9. hiratayukai 2010年03月10日 11:07
一国の総理大臣がこの程度の知的レベルなのだから、それ以下の愚民の脳みそのレベルは推して知るべしw
起業マニアの商店街のおっちゃんとか渋谷のカリスマ店員とか、あるいはpastoralな生き方を選択している田舎者のほうが、「賢い」のかもしれませんよ 笑。人間の脳なんて他人には観測できないでしょう。自分が「愚民」じゃなければ、いいでしょうけどね。
toyota叩き、シーシェパード、イルカ漁映画の背後に共通する人物像は、人種差別主義者であり優生学主義者である。
ttp://quasimoto.exblog.jp/12278881/
オバマの科学顧問ジョンホルドレンが優生学主義者だからこのような政策が行われるのであろう。
彼は1977年の「Ecoscience」という政府教書の中で、環境問題やエネルギー問題等の解決に「断種政策」による人口削減を提唱しています。アメリカのジャーナリストによるとすでに「実際に」実行しているそうです。
"Ecoscience: Population, Resources, Environment"
こちらは教書をデジタル化したもの。
ttp://www.mediafire.com/?cnecy4gbvak
<概要版>
"John Holdren, Obama's Science Czar, says: Forced abortions and mass sterilization needed to save the planet"
ttp://zombietime.com/john_holdren/
アレックス・ジョーンズ氏によると水や食品、ワクチンなど不妊化剤をいれる等すでに人口削減・抑制政策が行われているようです。
港町で買った弁当にイルカが入ってましたが、たしかにまっずいですね(笑)イルカと聞いたとたん嫌な顔して口にしなかった人もいました。東京でもイルカを食べたと話すと皆、怪訝な顔をします。
弁当屋の人の話では、売れる魚が食べられてしまうため、仕方なく捕っているという側面もあると聞きました。打ち上げられることもあるそうです。
私は、その地域の漁師が責任とって食べているんだと考えています。誰からも批判される筋合いはありませんし、むしろ尊い行為だと思います。
要するに、イルカ漁に関しても、CO2の排出に関しても、現状のままでいいじゃないか、ということですか。
フランクフルト学派の批判精神に対して批判的になった結果が、単なる現状の肯定だとしたら、浅薄極まりないように思いますが。
それとも、そうではないのでしょうか。
現状にはやはり問題があって、池田さんが批判されているのはあくまで環境保護運動の背後にある「キリスト教文化」に対してのみ。運動それ自体には一定の意義を認めている、ということでしょうか。
でしたら、キリスト教文化圏からは外れる我々日本人独自の、環境保護運動を進める思想的背景などをご披露していただきたいです。
池田さん
最後のそれを認識しないで、CO2の削減が・・・以降は、それまでの議論と内容が剥離しすぎじゃないでしょうか?
白人が自分以外は全て奴隷で黒人、黄色人種は鯨・イルカ並(以下?)と考えているのとは別に、日本の考えは隠遁生活で自然と共存にあるんだと思います。
思想の違いの議論に経済を持ち込まない方がいいですよ。
jestemnekoさんへ
この記事で石炭の議論は不毛です。
感情的になってるようなので、次の3点を数日間ちょっと考えてみてください。
(1)石油・ウランが枯渇したら、石炭になるでしょう。
ではその後に石炭が枯渇したら、次のエネルギー源は
何になるんですか?
(2)石炭火力発電所は世界一でしょう。
国内での昔の石炭発掘時には粉塵による気管障害、
人身事故もありました。これらのリスクも加わり閉山した
と聞いてます。(昔、夕張炭坑で聞いたことです)
(3)太陽光や風力は、砂漠のど真ん中でも使えます。
火力発電は蒸気エネルギーを使う以上、水が不可欠なため
建設場所は限定的です。
私も映画は見ていないですが、イルカは漁師にとっては害獣なのだそうです。そもそも他の食材と比べて食味で劣るわけですから、害獣駆除的な意味合いが強いのではないかと想像しています。そもそも日本人のほとんどはイルカを食材として口にすることもないわけですから、この映画に対して日本人が悪意を感じても仕方ないですね。
>こういうの見ると、米国人ってバカだなとつくづく思う。イルカを年2万頭殺すのが残虐なら、牛を年に3500万頭も殺すお前らは残虐じゃないのか
フジのニュースを観てて「仕返しに日本もアメリカの虐殺を見せつけろ!オスカーは獲得できませんけどね」みたいな事を言っていました(うろ覚えですが)。しかし「The Cove」と同列にノミネートされたのは「Food Inc.」です。逐一人種差別と捉えるのではなく、社会の問題を指摘してる、と素直に捉えるのが適当だと思います。この文面の理論だと女子差別撤廃条約なども自民族中心主義として吐き捨てられるのでしょうか。
もちろんシーシェパードet al.のやり方には大反対です。ただそのやり方の否定が欧米+環境保護の瑣末化まで飛躍させるのは暴論だと思います。