アンポをつぶせ!ちょうちんデモ 700回記念集会、2/6
日時:2月6日(土) 午後1時30分〜
場所;武蔵野公会堂2階第2会議室
講演:明珍美紀(毎日新聞)
3ヶ月に一度ぐらいは参加しているちょうちんデモ、記念すべき集会ということで勇躍参加した。
2003年のイラク戦争以降、中央のデモに参加するようになったが、この地域で連綿と続いているデモにぜひ参加したいと思ってちょうちんデモに参加しはじめた。
どなたかが書いているが、”デモは学校である”と。まさにそんな気がする。
大体いつも十数人、多少の出入りはあるものの。谷島さん、川手さん、八代さん、平田さんはかならずいる。
そのデモの出発地点は武蔵野公会堂。そこで記念集会をやりたいと思って部屋をとったが、大きくなかったので、あまり宣伝しなかった、ビラも配らなかったというのが谷島さんの弁。
講演の明珍さんは私たちの従軍慰安婦支援チャリティーのい・ぢょんみコンサートではいつも紹介記事を書いてくだっていて、数年前は日比谷野音で新聞労連の委員長としての彼女の演説をよく聞いたものである。
明珍さん
今回講演ということだった彼女は、むしろコーディネーターをやりたいということで、一部では創成期にちょうちんデモを担った人々から貴重な経験を語ってもらい、二部では各地で市民運動をやっている方々の経験を伺って意見交流をはかるという構成で、集会を進行された。
とても貴重な話が多くて、大変勉強になった。
まず最初は飯塚さん、 第一回目から参加している方で、当時発行されていたニュースの3代目編集長。当時の貴重なニュースを持ってきておられた。
フォークゲリラより、という記事もある。
第一回は1967年7月15日におこなわれた。べ平連という新しい運動体に刺激されてつくられたというちょうちんデモであったが、そのベースには武蔵野の地域でつくられていた文化人・知識人を中心とした市民の色々な会の活動がすでにあったという。もののべさんの三鷹の会、牟礼平和の会もその一つ。
明珍さんの後ろにかかっているのはちょうちんデモの切り絵。
ベトナム反戦ゼッケン通勤で有名な金子徳好さんのおつれあいで切り絵作家の金子静江さんの作品。この絵は今は三鷹の”たべもの村”というところに飾ってある。
もののべさんが秋田の出身ということで、竿灯をみんなで作ってリヤカーの上にしつらえてひいたという。最初は100人以上の参加者だった。
そして1975年、ベトナム戦争終結と同時に、デモを続けるか否かで(大)激論があったそうだ。そして根本原因がアンポにあるのだからということで、今の名称になったが、参加者はかなり減った。75年は市民運動の第一期が終わった年である。
川手さんは当時大学生、バリケードにいて正月たまたま帰ってきた1970年1月15日にちょうちんデモに遭遇し、それから参加をしだしたという。
1970年代は第2機、当時ベトナム反戦の機運は大学生から高校生、中学生まで広がっていて、もののべさんの家は”梁山泊”、いつも誰か若者が泊まっていて、そこから各地の集会、デモに出陣していく、三里塚も、相模原も、という状態だった。彼は教員になったばかりだったが、授業の後に毎日相模原にかけつけたという。
1977年〜80年は冬の時代、最初の一年は川手さん一人だった。もののべさんが寝込むと、一人で先導車でデモやったという。辛いものだから、月1回にした。 そのうち八代さんがあらわれてきて、かれと二人、3年間ぐらいやった。
もののべさんが、”雨が降っても雪が降っても槍が降ってもやれ”でしたから。ながいちょうちんデモで1回だけやめた事がある。豪雨のときに成蹊大学のところで前の電柱に雷が落ちた。さすがに身の危険を感じてやめた。
反核運動で80年代は盛り上がって、また90年代が冬の時代。
谷島さんが代表になって、平田さんがそのころから加わって、4人という時代があった。最近は10数人。
川手さんは今もずっと毎月デモ申をだしている。
谷島さんは、映画の10フィート運動でもののべさんと知り合った。
もののべさんの最後の頃は、デモの前に病院によって”これからデモにいきます”と挨拶をしていた。
1996年の12月15日も病院に行ったら、手をさしだして”あとのことをお願いします”といって息が絶えてしまった。
そんなにデモが好きなわけじゃないけどもう逃げ出せなくなった。
反戦運動をやるにはつきあいが大事だから、いろいろなところのデモ、立川、座間など、に参加している。
市民が闘って勝ったというのは砂川闘争くらいしかない。
政府は拡張をあきらめた。国有地がまだ残っているが加藤さんというのがそこを耕作をして収穫祭というのをやっている。一度いくといい。安保闘争のときは今と違ってフェンスの中に入れて、授業を終えてからかけつけた。6月だったから寝袋で泊まれて、朝起きてから学校へかけつけるというようなことだった。
ものべさんとは(原爆)映画の上映で知り合って、一緒に上映して回った。もののべさんはおそろしく短気で、交差点の発進でも一番にならないと気がすまない、ずいぶん怖い思いをした。そんな性格だから、すいぶん人とも衝突してたいへんだった。 川手さんなんか何度も”お前なんかもうこなくていい”なんて言われて。
八代さん、最近はいつも自転車をひいて参加されているもの静かな方である。
1975年頃に友人に誘われて参加しはじめた。
三無主義の世代という。同じような世代が幾人かはいて、少なかったけれども川手さんほど孤立した感じはもっていなかった。
ずっとアンポを考えてくると、アメリカの戦争への金の使い方が判る。火をつけて火を消すというマッチポンプのようなもの。
ひとりでもやらなきゃならないときはやる。
一度引いたらずるずるといってしまうから。
基本は面白いからやっているということ。おもしろくなきゃ駄目です。
一人でデモやっている人は結構色んなところにいるんです。
ものべさんは怖かったけれども、いつも怖いわけじゃない。
ただ、権力を相手にする時は厳格だった。譲れないものは、ゆずれないと。
彼は戦前に治安維持法で獄に入っている。だから、若い者がはがゆかったのかもしれない。
戦前に投獄されていることそれが彼の平和運動の原点かもしれない。
以下、再び川手さん
もののべさんは頑固だったけれども、それがちょうちんデモの原点。
駄目なものは駄目。絶対に妥協しない。
だから一緒に行動すると大変。いたるところに権利の侵害があるでしょう。
三里塚で集会があって、車でいきますが途中で検問がある。絶対に(免許証を)見せない。
むこうは”ご協力願います”。”協力しない。 捜査令状もってるか。憲法になんてかいてあるか知っているか?”、これをずっとやる、何時間でもやる。 で集会に参加できないんです。でも絶対に妥協しない。
飛行機で北海道に行った時もそうでした。 空港でも”捜査令状もってるか?”
これはそのとおりなんです。一人でもおかしいとおもったら言い続ける。
そうでないと民主主義は成立しない。
小田実との論争も有名。
ベ平連の会議にいく。小田はめったにでてこない。でも”小田がこういっている”ということで決まりそうになる。”ちょっとまて、小田はどこにいるか、でていない? そんな会議があるか!”となる。 まわりは”まあまあ・・・”と。
平田さん、宣伝カー運転、シュプレヒコール担当。非常にユニークなコールをする。
”思いやり予算はうちの年寄りと子供のために使え” ”普天間は原っぱにしろ””従軍慰安婦のおばあちゃんは怒っているぞ””戦争のために金をつかうな”
労働運動が弱くなり、それからちょうちんデモに参加するようになった。
コールは言い回しが大事、長くやってもみむきもしない。
1997年の沖縄の小学生レイプ事件以来、”アンポをつぶせ”といっても目を向けるようになった。今は連日報道されているから、アンポ、基地といってわかってくれる。
楽しいなっというデモはなかなかない。
基地のない町で”アンポをつぶせ”というのと、座間、横須賀でいうのはだいぶ違う。ない町でどうわかってもらえるかというのも大切。
++++連帯の言葉++++
各地で運動をしている人達たち
”バスストップから基地ストップの会”のIさん
初めて沖縄辺野古にいった時に、”座間から来ました”といったら、”大変ですね”といわれた。 そのとき座間にいながら座間基地に対して何もしていないことに気づかされた。 それから”バスストップから基地ストップの会”をつくりバス停で座り込みを始めた。月一回のデモを始めて4年目。
同い年の3人で”キャンディーズ”とかいわれている。
”ブライアンと仲間たち”という映画で新人賞をとった早川由美子さん
メディアの勉強にイギリスに行って、ビッグベンの前にテントを張って8年間イラク戦争に反対しているブライアンにであう。楽しげにやっていて、すっとはいっていけた。日本の人にぜひ見てもらいたいと思ってこの映画をつくった。
新宿駅西口地下広場反戦スタンディングの大木さん
スタンディングというのは実は自分と向き合っている時間。
確実に個が強くなる。イラク戦争の一月前からはじめた地下広場反戦Standingはいよいよ8年目に入った。今日もこの集会のあとStandingにいきます。
ピースサイクルの方、最近は自転車をひいて参加されている。
ビヨンドネットで野宿者支援をされているYさん、昔のちょうちんデモの常連さん
”うちなんちゅうの怒りとともに”のFさん、ご夫婦でよく集会にいるのを見かける。
いつもデモのしんがりを歩いているかた。
アフガン支援、浅草ウオーク、三鷹九条のNさん
メンバー4人、彼らがいなかったらちょうちんデモはなりたたない
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おわって たべ物村 で交流会
豪快なのみっぷり、いいなあ
さて、2・15が楽しみだ。
何人と一緒にちょうちんデモを歩けるだろう。
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