Vol.7:平忠彦と映画”汚れた英雄”
(5月26日訂正)


 
映画”汚れた英雄”は1982年か83年公開だったと思います。

 この頃、すでに小型二輪の免許を持っていた私は、当時、発売されたホンダVT250に乗りたくて、中型二輪の免許を取得し、念願のVT250を新車で買い、うれしくてツーリングばかり行っていました。

 映画は小学生の頃から好きで、小さい頃は、ゴジラ映画や東映漫画(安寿と厨子王、白蛇伝、猿飛佐助、等々昭和30−40年代です。)を見に行き、この”汚れた英雄”を見た頃は”スターウォーズ ジェダイの復讐”が公開された頃でしょうか。(今年7月にはスターウォーズの4作目が公開されるそうですが)当時は月に1回は、映画を見に行っていました。

 そのバイクと映画が私の中で結びついた頃、この映画に出会いました。

 
たしか、この”汚れた英雄”は、真田広之主演の”伊賀忍法帖”との併映だったような気がします。どちらも角川映画で、面白い映画を2本もいっしょに見れて、得した気分になっていました。
 映画”汚れた英雄”は主人公の”北野晶夫”に草刈正雄、共演は、浅野温子、木の実ナナ、かとうかずこ(じゃなかったかな?)、それから名前は忘れましたが、昔のグループサウンズの、たしかテンプターズかワイルドワンズのメンバーだった人がメカニックの役をしていました。
 でも、草刈正雄さん。もう少し、おなかと腰の周りの贅肉を落としてほしかったなあ。
 プールで泳ぐシーンと、レース前日にサーキットをジョギングする時の太目の体が少し気になりました。レーシング・スーツ姿と普通のスーツ姿はとてもかっこいいのですから。

 この物語は大藪春彦原作ですが、原作と映画とは、主人公の名前が同じ事と、オートバイロードレースが舞台である事と、女性が絡んでくる事(主人公はいわゆるプレイボーイなのです。)が同じなだけで、時代が違うし、よって使われるマシーン(バイク)も違うし、他の登場人物もまったく違っていました。

 でも、この映画は私をWGPのファンにして行くきっかけとするには充分な映画でした。
 とにかく、映画の中でのレースシーンは迫力がありました。撮影時のマシーンの速度は、実際のレースより遅い速度ですが、カメラワ−クで、迫力や緊張感を出していました。

 静かな真っ暗なモーターホームの中でコンセントレーションを高める”北野晶夫”の、椅子に座った姿。右手が動き、レーシング・スーツの少し開いていた胸のジッパーを上まで締めます。静かな場面にジッパーの”ジジーッ”という音だけが響きます。椅子から立ち上がり、グローブを持ち、ヘルメットを脇に抱えてモーターホームのドアを開けます。その瞬間、サーキット会場のやかましい程の歓声とマシーンのエンジン音。

 こんなシーンから映画は始まります。

 私にとって、よほど、この場面が印象的だったのか、鮮明に覚えています。
 映画の舞台は全日本GP500ccで、サーキットは筑波(菅生の間違いでした)サーキットが使われていました。映画でのレースは2レース。映画のパンフレットにはケニーの筑波(これも菅生です)サーキットの感想が書いていました。テクニカルで難しいサーキットだと書いてあったと思いますが、好きか嫌いか、どう言っていたか、よく覚えていません。

 そして、(前置きが長くなりましたが)この主人公”北野晶夫”のレースシーンのスタントをしたのが、平忠彦でした。
 当時の映画のパンフレットは、もう私の手元にはありませんが、平忠彦の写真が1枚だけ載っていたと思います。たしか、ヘルメットを片手に持ってサーキットを歩いている全身がシルエットのような感じで小さく載っていたと記憶しています。

 マシーンはヤマハYZR500(YZRではなくインライン4のTZ500だそうです。マシーンナンバーは62。これは1982年の全日本GPで平忠彦が実際に使っていたマシーンです。マシーンナンバー62も使っていたそのままです。
 レーシングスーツとヘルメットまで平忠彦と北野晶夫は同じカラーリングでした。ただ、このカラーリングが、平忠彦が先か、映画が先かは、よく知りません。
 そして、平忠彦はYZR500で、実際に1983年全日本GP500ccでは、年間チャンピオンになり、それから3年連続チャンピオンになりました。映画を地で行くシーズンでした。

 映画の中で対戦するマシーンもヤマハYZR500(TZ500の間違いです)です。ライバルの名は大木恵司。マシンナンバー1。つまり前年度チャンピオンの設定です。そして、多分、間違いなく、このマシーンにスタントで乗っていたのは、前年度全日本GP500ccチャンピオンの木下恵司でしょう。
 お気づきでしょう。大木恵司と木下恵司。映画の後に全日本チャンピオン木下恵司の名前を知った時に、私は一人で笑ってしまいました。どのような意味で木下恵司の名前をもじった名前を登場させたのかは知りませんが、単なるユーモアと考えれば楽しい物です。
 もう1台映画の中にライバルが出てきます。マシーンはやはりYZR500(これもTZ500の間違いです)。マシーンナンバー(たしか)20。ライバルの名は・・・。忘れました。当時、このマシーンのスタントをしたライダーが誰か少し気になりましたが、判りませんでした。(このナンバー20のスタントしたライダーは上野真一だそうです)

1984年度全日本500ccクラスのスタートシーン
No.1が平忠彦+ヤマハYZR500
No.2が木下恵司+ホンダNS500


 映画の中でマシーンは2種類使われていました。
 映画の始めのレースシーンでは、ケニーが1978−80年に3年連続ワールドチャンピオンになった頃に乗っていたマシーンと同じタイプで、エンジンレイアウトがスクゥエア・フォーで、外観的にはチャンバーが右に3本、左に1本出ているマシーンを使っています。
 映画の最後のレースシーン(最終戦)では、1982年からヤマハが投入したV型4気筒(V型ではなくインライン4のようです)のマシーンで、外観的には、チャンバーは左右2本ずつ出ていました。

 何故、私がよく覚えているかと言うと、実は、ケニーがチャンピオンになった時のYZR500(スクゥエア・フォー)を作った事があるのです。と言ってもプラモデルです。タミヤ製の1/12スケールでハング・オンのライダー(もちろんケニー・ロバーツ)付きでした。先日、雑誌を見ていると、このプラモがタミヤからリバイバルで発売されるとの事。そして、この頃の平忠彦のYZR500のカラーリング(全日本のマシーンナンバー6の写真でした。)のモデル(もちろんライダー付きで)も出るとの事で、つい、買ってしまいそうです。以前、独身の頃に作り、長い間、宝物のように飾っていましたが、結婚して、子供ができて、子供のおもちゃになってしまい、ばらばらになって、ごみ箱行きになりました。ちょっと、切なかったですね。(ホンダNS500+フレディーやVT250も作りました。)

タミヤ製プラモ ケニー・ロバーツ+YZR500


 映画の中では、”最終戦に勝つために、新しいマシーンを投入するんだ。”という感じのセリフがあったと思います。

 あっ、正確には使われていたマシーンは3種類です。もう1台出ていました。これは映画公開当時の平忠彦のインタビューで言っていたと思いますが、最終戦のレースシーンで”北野晶夫”のYZRが転倒します。その転倒シーンのマシーンは250ccだったと言っていました。多分、当時ならTZ250でしょうか。

 映画では最終戦でトップ争いをしていた”北野晶夫”のマシーンのリアタイヤがすべり、マシーンが横滑りして行きます。幸いマシーンに大きなダメージはなく、”北野晶夫”はすぐさま、マシーンを起こし、レースに復帰し、その後、ごぼう抜きで、再び、トップ争いに加わります。

 そして、”北野晶夫”は最終戦を制し、全日本のチャンピオンになります。
 最後にテロップで、翌年、世界GPにて、何回か優勝の後、あるレースで転倒、死亡。
 
これで映画の終了でした。

 第二部でWGP参戦の”汚れた英雄”を見たいと思ったのは私だけだったでしょうか?

 映画の事だけで終わってしまいました。”平忠彦”については、この次にしましょう。


お詫び訂正のお知らせお礼(5/26)

 このページを5/23付けにて公開した所、間違いを指摘して頂きました。元の私の間違った文面を残したまま、訂正させて頂きました。特にこのページはデータがなくて記憶だけに頼ったものですから、間違いが多かった事をお詫びします。
 また、ご指摘頂きましたNAKADAさん、有難うございました。頼りない記憶なものですから、たいへん助かります。
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 もっと、充実したHPにしていきたいと思っています。