標題はあおりや冗談ではない。至って真剣である。
報道されているように、3月10日に橋下は朝鮮学校を「視察」する際、「政治と教育が区分けされているか確認する」「朝鮮総連との今後のかかわりについて宣誓書をとるのかもポイント」「不法な国家体制とつきあいがあるなら、僕は子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる。そうしないと朝鮮の皆さんに対する根深い差別意識が大阪府からなくならない」云々と語ったという(『朝日』web版、3月10日付)。 橋下の発言はもはや高校「無償化」云々の話をとっくに通り越している。朝鮮総連との関係を絶つと「宣誓書」を出すならば「無償化」してやる、とは、もはや朝鮮学校が高校課程相当かどうかはもちろんのこと、教育「内容」をすらも踏み越えて、特定の民族団体との関係を持つことそのものを自治体の長が禁止するものであって、公然たる民族自決権の侵害である。 この橋下の発言に私は心底寒気を覚える。なぜならこの橋下の「論理」は、朝鮮解放直後に各地に叢生した数百の朝鮮学校を閉鎖に追い込んだ1948-49年の日本政府による民族教育弾圧と、全く同様の理屈に基づいているからである。単純に民族教育を認めないという点が似ているのではない、基本的な発想から論理の展開にいたるまで、一切合財がうり二つなのである。 この間いくつかの新聞が報じているように、現在の朝鮮学校は朝鮮解放後に各地で在日朝鮮人が建設した諸種の民族教育機関をその起源にしている。だが、現存する多くの朝鮮学校の直接の起源は、1945-1947年の間に建てられた民族教育機関ではない。なぜならば、日本政府とGHQは1948-49年に当時500校以上を数えたこれらの民族教育機関に一斉に閉鎖命令を出し、ことごとくそれを粉砕してしまったからである。多くの朝鮮学校は、この大弾圧をくぐりぬけ、1950年代中盤以降に再び再建された学校に直接の起源を置いている(もちろん、これらは解放直後の民族教育との連続関係が強いので、解放直後の朝鮮学校が「起源」であるとする説明が間違いと言いたいわけではない)。 問題は1948-49年の学校閉鎖命令の論理である。弾圧の波は大きく二度あった。一度目は1948年である。発端となったのは、教育基本法・学校教育法制定後に文部省学校教育長が1948年1月24日に出した通達「朝鮮人学校の取扱について」である。ここで文部省は、①在日朝鮮人は日本の法令に服さねばならない、②学令児童は日本人同様市町村立・私立の小学校又は中学校に就学させなければならない、③私立小学校・中学校は学校教育法により都道府県監督庁の認可を受けねばならない、④学令児童・生徒の教育について各種学校の設置は認めない、⑤私立小学校・中学校には教育基本法第八条が適用され、教科書・教科内容については学校教育法が適用される、⑥朝鮮語等の教育を課外で行うことは差支えない、の六点を指示する。また、直後の48年1月26日には「朝鮮人の学校の教職員の資格審査について」という通達を出して、朝鮮学校の教職員の資格審査を命じた。教員の資格審査はそもそも軍国主義教員のパージのためのものだったが、文部省はそれを朝鮮学校弾圧に転用したのである。 ポイントは①と②である。この時点で日本政府は朝鮮はいまだ独立しておらず、朝鮮人児童は「日本人」であるとの建前に立っていた。文部省はこの建前に立ち、日本学校に「日本人」=朝鮮人学令児童を収容せよ、と命じ、一方では朝鮮学校の設置を認めず、その閉鎖を各自治体に命じたのである。当時の在日朝鮮人は閉鎖命令に抵抗したが、日本は強硬手段にでて、神戸では米軍が非常事態宣言を発令して約二千人(!!!)もの朝鮮人を検束し、軍・警動員のもとで閉鎖を強行した。また、大阪での学校閉鎖反対デモに当局は放水と射撃で応じ、朝鮮人青年一名が射殺されている。 それでも、この第一波の時は朝鮮学校側は何とか粘った。教育基本法・学校教育法に従うこと、私立学校としての自主性が認められる範囲内で朝鮮人独自の教育を行うことを前提に私立学校の申請をする、というラインで文部省と当時朝鮮学校を運営していた在日本朝鮮人連盟(朝連)は覚書を交わし、多くの学校が閉鎖され、教育内容についても大幅な後退を余儀なくされつつも、それでも朝鮮学校の全滅は回避したのである。 だがまもなく第二波がやってくる。1949年9月8日に日本政府は朝鮮学校の運営母体であった朝連に団体等規正令(後の破防法)を適用して解散指定し、全役員の公職追放と団体財産の接収を行った。詳細に書いていると長くなるので割愛するが、この朝連解散というのは今で言えば総連と民団、それとその他の在日朝鮮人団体を全部解散指定した上に不動産・動産・預貯金など財産の一切を奪い取るようなもので、本当に恐るべき朝鮮民族パージであった。そして文部省と法務省は直後の10月19日に「朝鮮人学校に対する処置について」という通達を出し、この解散指定を根拠に全朝鮮学校の閉鎖と改組を命じたのである。運営母体が団体等規正令で解散指定され消滅したのだから、朝鮮学校も閉鎖しろ、という話である。この後の一斉閉鎖強行により、朝鮮学校は48年の妥協の末の認可すらも全て取消され、ほぼ完全に粉砕されるに至ったのである。なお、このとき閉鎖されたのは朝連系学校に留まらない。 長々と記したが、私が特に注意を喚起したいのは、第一に今回橋下が言い放った「子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる」という論法が、48年の文部省通達と全く同様の論理であるということである。つまり、朝鮮人児童はそもそも「日本側の子ども」なのであり、朝鮮人の教育ではなく「正常な学校」で学ばせねばならない、という理屈である。これは橋下が「朝鮮学校に通っている子どもたちの学習権を侵害するつもりはない。府立高校でも私立高校でもきちんと受け入れをする」と、暗に朝鮮学校から朝鮮人児童を日本の高校に改めて「収容」させることを示唆する発言をしていることとも符合する(「47ニュース」3月10日付、*1)。 また、第二に橋下は朝鮮総連との関係を徹底的に断ち切らせる(「宣誓書」を出させる)とぶちあげているが、これは第二波の教育弾圧、すなわち1949年10月の学校閉鎖の論理と同型である。団体等規正令という治安法令(そもそもこれは軍国主義団体をパージするためのものだった)を根拠に、教育機関を閉鎖に追い込むという剥き出しの治安政策的発想に基いているからである。しかも現状では朝鮮総連との関係を断ち切った場合、朝鮮学校の運営は一気に困難に陥ることは確実である。それは別に朝鮮民主主義人民共和国から支援を受けているから云々ではない。教員の養成、生徒の募集、運営資金集め、教科書編纂、その他諸々の諸事務の一切合財を遂行することができなくなるからである。橋下の構想を実現することは、事実上の朝鮮学校の閉鎖・縮小につながるのである。 走り書きになってしまったが、結論から言って橋下発言はこうした歴史的経緯を知っている者にとっては、石原「三国人」発言に匹敵する、あるいはそれ以上の堂々たる妄言なのである。橋下はすべて朝鮮学校を強制閉鎖する際に過去の日本政府が使った論法をそのまま踏襲しているのである。このような人物に朝鮮学校を「視察」させては絶対にいけない。良心ある人々は橋下発言を徹底的に問題化するべきである。 *1 実は朝鮮学校排除の論理はこの「朝鮮人児童=日本人」という論法で今日に至っているわけではない。1952年のサンフランシスコ講和条約発効直前に、日本政府は在日朝鮮人の「日本国籍喪失措置」なるものを勝手に取ったため、以後は「朝鮮人児童≠日本人」であり、よって日本学校への「収容」もあくまで恩恵であるとの立場に転換した。いわば1948年の日本政府のむきだしの植民地主義の論理は1952年に若干の変容を遂げるわけだが、今般橋下がむしろこの1948年の論理に則って「子どもたちを取り戻し、ちゃんと正常な学校で学ばせる」と言い放ったことは、現代日本の在日朝鮮人認識の所在を示唆しているといえる。 by kscykscy | 2010-03-11 00:14
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