ロシアの食生活シリーズ2


       


 ウオッカ


ウオッカの原料は麦。活性炭で濾過してあるので無色、無臭。多少の甘味が
ある。日本の焼酎、沖縄の泡盛よりもアルコール濃度が低く、40度ちょうど。
クセがないので世界中でカクテルベースとして使われている。マイナス15
度ぐらいに冷やしてトロミを帯びてきたものをストレートで飲むのが一番お
勧め。メキシコのテキーラ、中国の紹興酒、欧米のジン、北欧のアカヴィッ
トなどと並んで世界を代表する酒。

種類は驚くほど多い。輸出用のストリチナヤ、ラスプーチン、アブソルート。
その他、モスコフスカヤ、オーソバヤ、プシェニーチナヤ、ルスカヤなどが
有名なところ。私の住んでいる町には、町の名前にちなんだニジニノブゴロ
ドという全国的に有名なウオッカがある。外国や日本へ土産に持って帰って
飲んでもらったところ、非常に評判がよかった。

変わったところでは、政治家の名前から取ったゴルバチョフ、エリツィン、
ジリノフカ(自由民主党党首ジリノフスキー)など。エリツィン、ジリノフ
スキーなどは毒かメチルでも入っていそうなネーミングで、いかにも不味く
て悪酔いしそうで無気味。ロシア人でなくとも飲む前からゲロを吐きたくな
ると思うのだが、店頭から姿を消さないところをみると結構売れているのだ
ろう。筆者はロシアでまずいウオッカに行き当たったことはまだ一度もない。

3、4年前、安い密造のウオッカがロシア中のキオスクなどに出回り、それ
を飲んだ人が中毒症状を起こしたり、肝臓障害を起こして亡くなったりした
ことがあった。それ以来ウオッカなど密造の簡単な強い酒は簡易店舗のキオ
スクでの販売が禁止され、マガジンという大きな店舗以外では手に入らなく
なっている。

世界一のウオッカ産出国はロシアではなくて実はアメリカ。ペレストロイカ
以降のロシア経済の凋落で、ロシア国内市場でもウオッカは外国勢に押され
気味。ここ数年はフィンランドやアメリカ産のものがロシア製を圧倒してい
た。しかし、98年の経済危機におけるルーブルの切り下げで輸入品が相対的
に割高になり、ロシア製が息を吹き返し始めている。ロシア製の値段はは1
ビン2ドルから10ドルぐらい。輸入品はこの数倍から数十倍。

ウオッカにかける彼らの意気込みは、感心を通り越して驚嘆さえする。手ご
ろな値段と国中の愛飲家とアル中らのメチャクチャに強い支持もあって、ウ
オッカはロシア人の生活の中心に居座っている。このウオッカへの熱意やこ
だわりを仕事に回してくれると、ロシアの経済危機などいっぺんにふっ飛ぶ
と思うぐらいマジで作り、気合いを入れて飲む。それも浴びるほど。ロシア
の成人男性の3分の1がアル中という報告もある。私の見聞きした範囲から
も、ロシアのアル中率はそのくらいは優にあると思われる。共産政権であろ
うが、ペレストロイカであろうが、経済危機が起ころうが、何が起ころうが
国民総アル中・アル中予備軍のロシア人が常にロシアのアルコール産業を強
力に支えている。アルコール産業だけはいつも不況知らず。

多くの一流の生化学者や農学者らがうまい酒飲みたさに必死で研究し尽くし
た結果、ウオッカのアルコール濃度は40度が一番おいしいということに落
ち着いたのだそうだ。最初の発見者はメンデレーエフという生化学者らしい。
こんなうまいものをカクテルのベースに使うなどということは邪道だと言い
ながら、彼らはストレートで一息に飲む。

グラスも一息で飲めるような特別の小型のグラスを使う。普通のグラスを出
したり、私のようにコーヒー茶碗で間に合わせようとすると、初対面でも露
骨に嫌な顔をされる。酒はいつでもどこでも誰でも気分で飲むものだが、ロ
シア人は特に雰囲気や話題を大切にする。「人前では絶対ウオッカをチビチビ
飲むな。品性や人格まで疑われるぞ」。「ウオッカと一緒にキュウリの漬物を
食べると悪酔いしない」。「ウオッカを一息で飲んだ後、炭酸水をコップ半分
飲むのが一番いい」と、ロシア人の世話好きがここにも出てきて、飲み方の
注文まで厳しい。

40度という濃度は傷の消毒にもちょうどよい。病院などでは消毒薬代わり
にウオッカをよく使う。ロシアの医者にアル中が多いのは、病院には消毒薬
代わりにウオッカがたくさん置いてあるからだと言われている。内蔵を手術
した患者には、術後の殺菌のために医者がウオッカを飲ませることがある。
子供が風邪を引いたときには、母親が子供の体中にウオッカを擦り込んでや
る。マッサージ効果とウオッカの成分やアルコールが皮膚から浸透して風邪
が早く治るのだそうだ。ウオッカをガーゼに染み込ませて喉や背中の風邪の
ツボに湿布する方法もある。洗面器の湯の中に薬草とコショウとウオッカを
入れて、足を1時間ほど浸して温めることもある。ウオッカは美容にも効果
がある。東欧やロシアの女優はウオッカで毎朝洗顔をしたり、入浴の時にウ
オッカを浴槽に入れることもある。膚の新陳代謝がよくなり、皮膚がスベス
ベになる。筆者も試してみたが、確かに皮膚に潤いが出てきてツルツルして
きた。

アルコール濃度40度では迫力が足りないという人には、コショウを入れて
飲むガリオカという方法がある。体が冷え切っているときなどに早く体を温
め、早く酔っ払える。メキシコでもテキーラにコショウやトウガラシを入れ
て飲むことがある。ロシアの学生は安上がりに早く酔うために、ビールによ
くウオッカを混ぜて一気に飲む。

40度が強すぎる人には、ウオッカにレモン汁を混ぜると口当たりがよくな
る。ロシアでもよくウオッカに果物やフルーツジュースを混ぜてカクテルを
作る。世界中暑い所も寒い所も、酒飲みの知恵はだいたい同じようなところ
に落ち着くようである。

20年ほど前、筆者は日本人の友人と一緒に東京のロシア料理店で初めてウ
オッカ飲んだ。これが私の将来進むべき道を変えてしまったかも、と少し後
悔している。マイナス15度まで冷やして、ドライアイスのような霞がビン
の周りを漂いながら降りていて、霜がギッチリ付いているロシア直送のもの
を、体格のよい口ヒゲをたくわえたロシア人のような日本人ウェーターが、
テーブルの上にグラスと一緒にデンと置いていった。初めてウオッカと対面
して「すごい飲み方をする酒だ」と思った。飲んでみたらメチャクチャうま
かった。たちまち2人で1本を空けてしまった。

飲んでから無茶をしたと後悔したが、不思議に悪酔いも二日酔いもしなかっ
た。ただ足に来た。意識ははっきりしていたが、腰から下に力が入らず、タ
コの足のようにグニャングニャン。腰が抜けたようになった。ビールは頭に
来るが、ウオッカは足に来る。「不思議な酒だ」と飲んでから思った。私がロ
シアに来る決心をしたのは、どうもこの時のウオッカの味と強烈な酔い方が
頭にこびり付いていたためではないかという気がしている。良きにつけ悪し
きにつけ、強い印象は人を引きつける。人間何が運命を左右するかわからな
い。

        

素人の私でさえ、日本で飲んでもおいしいと断言できるロシア産ウオッカ。
いろいろな薬効も期待でき、強いわりにあまり悪酔いしない不思議な酒。し
かし、いくらおいしくても、いくら重宝でも何でロシア・イコール・ウオッ
カ、ロシア人・イコール・アル中になってしまったのだろうか。理由を考え
てみた。
1.寒い気候の中では強い酒で手っ取り早く体を温める必要がよくあるから。
露店を開いたり、道端で物を売っているおばさんたちも暖を取るために仕事
の合間によくウオッカを飲む。冬に表で仕事をしている人達の男はほとんど、
女性でも半分はアル中だと言われている。
2.寒いと食事で油っこいものを多く取る。この油っこさがウオッカなど強
い酒によく合う。
3.ロシア社会はどこを見ても問題だらけで、強い酒で酔っ払っていないと
やってられない。
4.政府の愚民政策の犠牲説。ソ連時代も新制ロシアになってからも、政府
は国民の不満をそらすために安くておいしい酒をふんだんに提供してきた。
そして国民が酒で体を徐々に痛めて50歳台後半あたりで死んでくれれば、
国民から税金を取るだけ取ったあと年金を支払わなくても済む。ロシアの男
性の平均寿命は現在実際に56歳ぐらい。政府のこれまでのやり方を見てい
ると、この説当たらずとも遠からずという気がしてくる。
5.ロシアの冬は長くて寒い。一冬中家の中に閉じ込められて何もすること
がない。

ロシアの暗くて寒くて長い冬。ロシアが世界に誇る文化や特徴的な習慣は、
冬に長い間家の中に閉じ込められるという前提で発展してきたものが多い。
クラシック音楽、バレー、オペラなどの芸術、サーカス、室内スポーツ、文
学、パーティー好き、客を大歓迎する、以外と種類が豊富で誰の口にも合う
ロシア料理、ピロシキなどの豊富な菓子類、お茶好き、誰とでもすぐに仲よ
くなる性格や習慣、おしゃべりで話好き、大勢の人の前で話をするのも好き、
ウィットのきいたアネクドート(小話)の持ちネタが多い、うまい下手は別
として誰も彼も歌うのが大好き、誰でも楽器の一つや二つは弾ける、性に寛
容、長電話、そしてこのウオッカの豊富さとアル中天国(地獄)。

今も昔もウオッカ天国、アル中獄のロシアだが、一時期ウオッカにも不遇時
代があった。ペレストロイカ時代のゴルバチョフの禁酒冷。厳密に言えば禁
酒令ではなくて、1985年に日中の節酒を呼びかけるキャンペーン程度で始め
た節酒令だった。それが点数稼ぎの官僚やウオッカへの憎悪で怒り狂った主
婦連らの全面的な協力もあって、度のはずれた禁酒運動へと発展し、しまい
には工業用アルコールやオーディコロンなどアルコールを含むものすべてが
店頭から姿を消してしまった。密造を防ぐためにアルコールを作る材料にな
る砂糖まで手に入らなくなった。ワインも目の仇にされ、コーカサス地方や
クリミヤの葡萄の木の大半が伐採された。

禁酒令の末路は1930年代のアメリカの禁酒令と同じで、密造酒と密売に絡む
犯罪の激増、そしてゴルバチョフに対する国民の憎悪と敵意。国民はウオッ
カ1本を買うのに、職場を抜け出して昼間から数時間も列に並ばなければな
らなくなった。ゴルバチョフは4年で節酒令を撤回せざるを得なくなった。
安い酒をふんだんに国民に提供するという歴代のソ連の指導者達の愚民政策
はダテじゃなかった。ソ連時代の伝統から、習慣から、政治から、経済から、
国民の相互の人間関係まで何もかも壊してしまったゴルバチョフ。若いエリ
ート官僚出身の彼は、国民と政府の間に保たれていた微妙なバランスとお互
いの駆け引きを理解できずに、これも一緒に壊してしまった。彼はロシア人
だが、ロシア人の心さえ理解していなかった。自由と酒のどちらを取るかと
言われたら、頭の中では「そりゃ〜、自由の方が大事だろ〜が」と思いつつ、
他人にも自由が先決と明言しながら、意志とは無関係に手がウオッカビンに
伸びてしまうロシア人の国民性を。そして、彼らがウオッカのビンを手放す
のは死ぬ時以外にないという彼らの気合の入った、筋金入りのウオッカ付け
の歴史、文化、習慣を。

以上

                
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