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プロフィール


村西とおる監督
生年月日:1948年
血液型:AB型
出身地:福島県
趣味:妄想
特技:駅弁

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モンテンルパ、長嶋一茂、二谷友里恵、倉木麻衣のことなど・・・

2009年07月13日


フィリピン・マニラから高速道路を通って

車で2時間ばかり走りますと、

なだらかな丘陵地帯に着きます。

その丘の上に彼の地で名高い

「ニュービリビット刑務所」があります。


この場所は太平洋戦争終結後、

あの山下将軍以下の「日本人戦犯」が

収容されていた旧名「モンテンルパ収容所」として知られるところでございます。


この地で無実の罪に問われた「B級C級」戦犯14名が「銃殺刑」に

処されております。


14名の「英霊」の「悲劇」の一部始終はその処刑されるまで教誨師

として「処刑執行」に立ち会った高野山僧侶加賀尾秀忍師によって

「モンテンルパに祈る」「図書刊行会五十七年刊」の本に記されております。


感動的な読本でございます。機会がございましたら皆さまに

是非ご一読されることをお勧めします。日本人としての

立ち位置を覚醒させられる、実に感銘深い本でございます。


「英霊」の「御霊」を祭った「墓碑」が、刑務所近くに建てられております。

「モンテンルパ世界平和記念公園」あたりは時折訪れる日本人によって

たむけられた線香の臭いがいたしております。


その線香の臭いが安らぎを与えてくれ、何か救われるような気がいたします。


「墓碑」周辺は、フィリピンの有志によって年中雑草が刈りとられ、

花が植えられてあり「聖地」にふさわしい美しいたたずまい

となっております。


この地より遠い夜空に輝く南十字星を見つめながら、妻や子や親兄弟に

思いを馳せ、万感の思いを抱いて死んでいったであろう「英霊」たちの

「無念」を思うとき、涙を禁じえないのでございます。


旧「モンテンルパ収容所」、現在は「ニュービリビット刑務所」には、

死刑囚や無期懲役囚といった、おもに「重犯罪」を犯した「長期受刑者」

が四千人ほど収容されております。


数十人の罪のない民間人を爆殺したテロリストから連続殺人犯、

銀行強盗から強姦魔、誘拐殺人犯と、フィリピン中から集められた

名だたる悪漢どもが収容されておるのでございます。


私が最初にこの場所を訪れたのは25年ほど前のことでございます。

当時この「刑務所」に一人の日本人が収容されていたのでございます。


彼の立場は「死刑囚」でした。拳銃の不法所持、麻薬、殺人の容疑で

逮捕され「死刑」の判決を受けていたのでございます。

彼の名前はOといいました。


彼の存在はマニラに撮影に訪れたとき、ガイドの日本人通訳に

「日本人で死刑囚になっている人間いる」との話をきき知りました。


その頃は私自身がハワイで懲役370年の求刑をされて10ヶ月に及ぶ

裁判の果てに日本人への「帰還」を果たしてまもなくの頃でございました。

場所はハワイとフィリピンと違っていても、同じ異国で「囚われ人」に

なっている彼に興味を持ちました。


ガイド氏によれば彼は「無実」を叫んでいる、という「噂」だ、

とのことでございました。ハワイでの我が身のことを思い、

とりあえず彼に会って話しを聞いてみようと考え、

この「ニュービリビット刑務所」を訪れたのが最初でした。


Oは私と同じ年でした。会うと自分は無実である、こんな場所で

死にたくない、助けて欲しいとOは必死で懇願するのでした。

地獄に仏、の心境であったのでしょう。


彼の真摯な態度に、自分のハワイの拘置所での過酷な体験がよみがえり

心が動きました。


それから4、5ヶ月の間に7、8回ほど彼のもとを訪れ、お金や食料品などを

差し入れしながらフィリピンで逮捕されるまでのOのそれまでの人生を

インタビューしました。そしてそれを「俺は死刑囚だ」という一冊の

本にまとめて日本で出版しました。


それから色々あって、無事Oは「釈放」されることとなり、日本への帰還

を果たしたのでありますが、本稿はそのことが「主題」ではありません

ので、ことのあらましを書くのは別の機会にしたいと思います。


何度かの「ニュービリビット刑務所」の訪問で強く感じたのは

「警備」体制のことでございます。


なまじ日本や米国での厳重な警備下での「鉄格子」生活の経験が

ございましたので、彼の刑務所の「警備」体制の希薄さに驚かされた

のでございます。


フィリピンの中の「我れこそは極悪人なり、人殺しなど朝飯まえ」の

極悪人を四千人も収容しておりながら、刑務所の面会者の出入り口は

別として、その他のほとんどの場所に看守の姿を見ることができない

のでございました。


5、6mの高い塀の四隅には「監視塔」が設けられていて、その中に

ライフルを持った看守の姿を見かけることができるのですが、それ以外

には看守の姿が見えないのでございます。


国家予算が少ないために看守の数が少ないだ、がガイド氏が質問した際の

看守の答えでした。「懲役」などといいましても、彼の国の「刑務所」では

労役がありません。


「労役」がない変わりに満足に三食の食事を支給されることもないの

であります。囚人たちはそれぞれが外部の家族から差し入れしてもらった

お金で食料品を買って生活することが求められているのでございました。


国が貧しいので、悪いことをして捕まった人間に使う税金は無い、

という非情な論理でございました。


刑務所内にはその為の売店がいくつも設けられてありました。

それらの売店は外部の刑務所御用達の出入り業者が経営している店もあれば、

小金持ちの囚人自からが経営している店もあります。


魚屋、肉屋、雑貨屋と多種多様な店がありましたが、新鮮な野菜を求める

囚人たちのなかには刑務所内に自給自足の為の畑をつくっている者も

いました。昼中は女子供たちの姿も見うけられます。面会に来た

囚人たちの家族でございます。和気あいあいと談笑しながら食事を囲む

家族団らんの姿があちらこちらに見ることができるのでございました。


まるでフィリピンの地方都市のどこにでも見られるような田舎の

小さな集落の、のどかな風景がそこにありました。また中に

オカマや若い女性たちの姿も見ることができました。売春婦たち、

でございいます。


彼等の入退出は面会時間内であれば「黙認」されているのでございました。

金さえあれば「天国に一番近くはないが、まったく遠くでもない」

恵まれた環境でございました。


が面会に行く度に見せるOの表情はいつも険しいものがありました。

その眼にはいつもランランと輝き、あたりを警戒して油断する

ことのない用心深さがありました。


彼はこの場所で四、五年過ごしていました。彼は彼を兄貴分、

として慕う四、五人の弟分の男たちを従えていました。

彼等はいつもOの周りを守るかのように取り囲んでいました。


Oにインタビューしている間、男たちはOと私をガードするかの

ように周囲に厳しい目を配り、スキを見せることがありませんでした。


まったりと時間が過ぎてゆくのどかさのなかで暮していながら、

どうしてこんなに彼等は緊張を解くことがないのだろう、と不思議な

気がしていました。ある時そのことをOに質問してみました。


そしてOの返答で、この刑務所の警備体制が希薄であっても充分に

とどこおりなく「管理」できている「秘密」を知ることができました。

Oの話とは次のような内容でした。


「フィリピンには大きく分けて五つの犯罪組織があります。

フィリピンの犯罪者というのは、どこかそれらの犯罪組織に必ず所属

しているものです。たとえそうした組織に所属していたことが

なくとも、この刑務所に入ればどこかの組織に入ることになります。

何故ならどこかの組織に所属してそのグループの一員にならなければ

身を守って安全に生きていけないからです。この刑務所の中では

小さい大きいの多少の差はありますが、5つの組織が互いに力を誇示し、

外での縄張り争いを引きずりながら対峙して一触即発の状態にあります。

毎週のように小さな小ぜり合いがこの広い(東京ドーム二個分位)

刑務所内で起き、ケガ人や時には死人まで出ています。私もマニラで生活

していたときはそうした組織とは無関係でした。が自己防衛の為にいまは

この刑務所内での最大の派閥である「シゲシゲ団」なる組織に属しています。

刑務所側は組織対組織の抗争には一切関知してきません。見て見ないふり

をしています。死人が出ても「病死」や「突然死」として取り扱い、

人殺しをした犯人を割り出して捜査するなどといったことはしません。

たとえ捜査してもこれだけの数の犯罪者の群れから犯人を探し出すことは

不可能だからです。刑務所当局はそうした組織同士の緊張関係を

放置していた方が、互いの密告や監視によって暴動や脱獄を防ぐことが

できると考えているのです。ですからたった数十人の看守でも十分刑務所の

「管理」を運営ができているのです。」


このごろの我が国の政治状況を見るにつけ、あの時のOの話を思い出します。

麻生、惜敗を期してさまがいて、鳩ポッポ1号2号がいて、古賀悪代官がいて

小沢不動産蓄財屋にエロ猿東国原身の程知らずにも程があるセールスマンと、

面々の顔ぶれを見るにつけ、あの「ニュービリビット刑務所」の悪漢諸君の

悪相と比べても負けず及らずではないか、と思ったりしてございます。


只今の政局の行方を真面目に考え、焼きもきすることが馬鹿々しく感じられる

のでございます。看守たちはいつも余裕の薄ら笑いを浮かべていました。

ワルを退治するには争わせてサバイバルゲームをさせるのが1番、

とのお手並み拝見の気分だったのでしょう。


ここはあの刑務所の看守達に見習って高みの見物とすることが、余程自身の

健康の為には大切なことではないか、と得心しているのでございます。

読者の皆さまにも同じ看守となられた気分で、四隅の高き監視塔から

睥睨される余裕を持って政局を見られることをお勧めするのでございます。


それにつけても、でございます。あのモンテンルパの丘の上に祭られている

「英霊」たちは、天国からどんな思いを持って只今の日本の政治状況を

見られておるのでありましょうか。


長嶋茂雄と息子の一茂の間がこじれて裁判沙汰になりかかっている

ようであります。「成功者の失敗ほど人間の嫉妬心を満足させるものはない」

といいますが、脳梗塞で倒れたあと、女房に先だたれて、このたびの

「お家騒動」と「長嶋・命」の時代を生きてきた団塊の世代の一人としては、

「ミスター」がなんともまあお気の毒に思えてならないのでございます。


他の人さまの家のことでございますので、うかつに物は言えませんが、

一茂も一人前の「大人の男」なのですから、もう親離れをしていいかげん

「オヤジの米ビツ」に手を入れるようなことは一切止めにすべきでございます。


長嶋一茂などと申しましても「長嶋茂雄」あってのことでございます。

「ミスター」がいなければただの「ゴミ」ごとき無知無能の男でございます。


「ヴァギナ」があっての「小陰唇」なのだ、ということをよくよく承知

なされて自重されるがよろしいのです。「子孫に美田を残さず」とは

よく云ったものでございます。


昔、私の友人に北陸地方の有名な豪族の家に生まれた跡取り息子

がおりました。彼の身内は不幸にして早く亡くなられて、

年老いたジイちゃんと彼の二人だけの身内となっていました。


その彼が事業に手を出して資金繰りに追われるようになりました。

彼はそのつど国許に帰へり山や畑や田んぼを売り払って金に換え

事業資金にしていました。ほんの数年で北陸一といわれた財産の

ほとんどあらかたを売り払ってしまいました。


最後に大きな屋敷が残りました。彼はその家も売り払って金に換えよう

としました。「なんとかこの家だけは売らずに残してくれ」ジイさんが

家の権利書を持って出かけようとする彼の背後から飛びかかりました。


ジイさんにとっては家もさることながら、手塩にかけて育ててきた

庭の盆栽を失なうのは死ぬよりつらいことでした。


ジイさんは両腕を彼の首に廻してぶらさがり、その小さな体を子供が

だだをこねるようにゆらしながら孫に頼みました。

講釈士のように何故見てきたことのように書けるかと申しますと、

その現場に私がいたからです。


孫はジイさんの体を背負い投げするように畳の上にたたきつけました。

彼には黒帯の心得がありました。ジイさんは「ウムッ」と声を上げて

畳の上に大の字になってのびてしまいました。


「生前贈与だと思ってあきらめろよ」とうそぶいて家をあとにする彼の

後を追いながら、ジイさんが心配になって振り返りました。


両の手を畳の上に突っ張りながら起きあがろうともがいているジイさんの顔と

バッタリ眼が会いました。80にならんとする白髪のジイさんの憤怒の形相を

今も忘れることができません。


親の七光ならぬ「親の不幸と不遇」をバネにして見事大輪の花を咲かせた

二つの名花がおります。二谷友里恵と倉木麻衣でございます。


二谷友里恵はただいまはご存知のように全国展開して飛躍中の

「家庭教師のトライ」の代表取締役を務めております。彼女の父親は

往年の二枚目俳優として知られた「二谷英明」でございます。


この十年老いゆえの痴呆症を発症して、全く人前に姿を見せることが

なくなりました。愛妻白川由美の献身的介護による療養の日々を送っておる

のでございます。


かくのごとき晩年でありたい、と誰もがうらやましがるような二谷英明の

幸福な境遇でございます。その二谷英明にこの七月、これ以上の

プレゼントはない、と思われるステキなプレゼントが娘友里恵から

贈られました。


娘が社長を務める「家庭教師・トライ」のCM出演でございます。

無論痴呆となった現在の二谷英明ではございません。

30年前のテレビ番組「特捜最前線」に出演中の、二谷友里恵が

高校一年生だった頃の若かりし日の二谷英明でございます。


CMでは二谷英明が画面いっぱいに映り、話し走り叫ぶタフなシーンが

展開するのでございますが、それは「家庭教師・トライ」のCM

というよりも「このステキな男性が私の大好きなパパ」という娘友里恵

から闘病中の最愛のパパへの応援メッセージといえるものでございます。


公共の電波を使い、数億円の金を投じて「パパへのラブコール」を

贈ってくれる娘を持った父親の幸福は、ここに極まるのでございます。


それはなまじ人気者の娘として友里恵が芸能界で生きることをヨシ

としなかった、父親の見識の勝利であります。スターは運によって

スターになれるのだ。努力や実力がまったく反映されない「芸能」の世界に、

生きるべきではない、との父親の「進路指導」が勝ったのでございます。


山口百恵が現代にデビューしても、決してスターになることは出来ない、

スターや人気者とは「時代の申し子」なのだ、との洞察が娘を芸能界から

遠ざけ一流の経営者となる道を歩ませたのでございます。


宝クジ3億円を親子二代に渡って当てることができる家族など皆無

であるのに、何故か昨今は二世たちの芸能界デビューばやりでございます。


自からの芸能活動をかえりみて「運次第」のバクチ打ちがごとき「芸能界」

に進路をとらせるは、無責任のそしりはまぬがれないのでございます。

二谷友里恵のごとく、努力や実力が結実する実社会での堅実な道を歩むよう

導くことが、芸能バカならぬ真の親の愛というものでなないでしょうか。


倉木麻衣の父親の山前五十洋は私の友人でございます。山前氏は実に子煩悩な

男でございました。いつも幼なかった頃の子供たちの写真を胸に忍ばせて、

会う人ごとに「これが俺の子供なんだ、どうだ可愛いだろう」とお披露めして

一人悦に入っているのでした。


事業に失敗し借金取りに追われる身となって新大久保の古いアパートの一室に

身を潜めていました。アパートはビデオや編集機材がビッシリ収納された倉庫

として使われていた場所で寝る空間などはありませんでした。


そこのトイレとお風呂場のわずかな空間にダンボールを敷いて寝ドコと

しながら山前氏は何年もの長い間生活を送っていました。彼の職業は

「映画監督」といわれていましたが、特技はスカウトでございました。


少年時代は子役としてテレビ番組の主演を張り一世を風靡した経歴を持つ男

でございます。男前、でございます。人柄も決して悪くありません。

どちらかというとお人好し、といった部類の人物です。


押しの強さと鉄仮面が武器となって彼のスカウト力はなかなかなものが

ございました。高校生だった浅野温子も彼のスカウトによって芸能界デビュー

を果たした一人です。テレビ局の楽屋での演技指導に熱が入り浅野温子が

つい出してはイケナイ声を出してしまって騒動になった、といった逸話も

残されております。


スケベさが身を助け、スカウトの色気となって開花するのであれば

文句のつけようはないのでございます。浅野温子以外に山前氏が

スカウトして有名となった女優の例は少なくありません。


スカウトの世界は一見華やかな世界でございますが、労多くしてむくわれる

ことの少ない、下積みの世界であります。なかなか思うような収入を得る

ことはできませんでした。


それでも週末に女房ドノに渡すわずかな金を持ち子供たちへのプレゼントを

抱えて船橋の家へ帰へって、一家団らんの時間を過ごすことが唯一の楽しみでした。


ファミレスで食事をしながら家族たちの前で

「パパは必ずみんなを幸せにするように頑張る」が口グセでした。


彼は家族を心の底から愛していました。女房ドノも子供たちも彼を

信じてくれている、と彼は確信していました。


ある日女房ドノから彼に提案がありました。

(この女房ドノは満足に挨拶も出来ない人間、としてスコブル仲間内では

評判の悪い女でした。失礼・・・)


「あなたの借金もなかなか無くならないから、

子供達を借金取りから守るために偽装離婚をしたい」

との申し出でした。


山前氏は、それが子供たちのためなら、と快諾して離婚届けに判を

押しました。そして次の週の週末、また楽しい家族団らんのひとときを

過ごそうと船橋の家に帰へると家はもぬけの空となっていました。


子供を連れて女房ドノが大阪の長戸大幸のもとへ出奔したのでございます。

それからの山前氏の裏切りへの復讐騒動の顚末は、読者の皆様もよく

ご存知の通り、でございます。


最近の山前氏はようやく心の平和を取り戻し、おだやかな日々を過ごすことが

できるようになっています。娘がその命の終わりのときを迎えるときまでに、

父がどれほど彼女を愛していたか、を知ってくれることがあれば

それでありがたい、との大きな愛にめざめています。


倉木麻衣の神話に「トンデモナイ非道の父親に虐たげられた、可愛そうな麻衣」

の物語があります。そうした不幸にめげずに頑張るけなげな麻衣、

へとファンの喝采はいやさかとなっているのでございます。


娘孝行は「極道の親父であり続けること」の道を歩む一人の男ありけり、

でございます。


真夜中にふと目がさめてわけもなく、泣きたくなりて蒲団をかぶれる。「石川啄木」

投稿者 村西とおる:16:39 | コメント (2) | この記事をはてなブックマークに登録

小向美奈子、ほしのあき、大原麗子、杉本彩、鶴田浩二、岸恵子のことなど

2009年07月13日


小向美奈子さまの浅草ロック座のステージが無事終了しました。

執行猶予中の身でございましたのでストリップ本来の演目である

「ご開帳」はかなわなかったようでございますが、お客さまの評価は

上々だったのことでございます。延べ25日間の興行で一万人のお客さまの

ご来場があったのでございます。

最近のストリップ業界の低迷ぶりからみれば、それでもよく頑張った

との評価がございますが、あれほど話題となった「舞台」にしては

1日400人の観客数は少々淋しい数字ではなかったでしょうか。

昔のストリップの全盛期を知るものとしては、

ストリップの灯が「風前のともしび」であることを知らしめられたようで

誠に残念でございます。

ストリップ全盛期を物語るスターとして、その人気の凄さが

今日においても語りつがれている存在に「愛染恭子」がいます。

「愛染恭子」がストリップ業界に進出して活躍し始めた頃、

私は札幌にいました。テレビゲーム業界からエロ事師業界に軸足を

移しつつあったグラデージョンの日々でございました。

冬、おりしも札幌の雪まつりが開催されるという時期でした。

呼応するかのようにススキノのストリップ劇場で「愛染恭子ショー」

がスタートしたのでございます。

朝起きがけに降りしきる雪の空を見上げて「この同じ空の下にアノ

愛染恭子がいる」と思っただけで異常な興奮を覚えました。その日は

朝から愛染恭子のことばかりを考えて過ごしたものでございます。

我慢できずにススキノの劇場前に行きましたら満員御礼の

札が下げられていました。平日の昼下がり、まだ陽が高い時間なのに、

でございます。

外は零下15度、北海道でも一番厳しい寒さの季節でございました。

明日が最終日、という一日前、午前11時の開場の2時間前の9時に

劇場行きました。もう先客が5人ほど列をつくっていました。

10時に開場が開かれて最前列の一番上席に座ることができました。

愛染恭子のアノステージの感動を私は生涯忘れないと思います。

これが「本番」をしたアソコなんだ、「ご開帳」された「ご本尊さま」を

喰い入るように見つめました。「ご本尊さま」のビラビラの片一方が

バランスを崩してひねくれたようなヘンな開き方をしているのを

見とどけたとき、体の奥が震えるほどに興奮しました。

考えてみれば「本番」といっても自分のオフクロでもやっていること

でございます。「本番女優・本番女優」と大騒ぎすることの方がおかしい

のでございますが、思い込みというのは恐ろしいものでございます。

彼女だけがなにか神々しい別次元の「SEX」をして、人知れぬアソコ

を持っているかのように確信していたのでございます。

あの時代、私ばかりでなくみんながオマ○コを見ることに傾ける情熱が

ケタハズレに違っていました。今日のように舞台で踊り子さんが踊っている

のにもかかわらず雑誌や新聞を読んだり、コンビニ弁当をほおばったり、

メールに夢中だったりといった不埒な人間は誰れ一人おりませんでした。

みんな自分の出世の秘密を探る、かのような必死の形相をしていました。

それは力道山VSデストロイヤーの四の字がための戦い、アポロの月面着陸

を見とどける真剣さを越えていたと思います。懇意にしている町内会副会長の

酒屋の美人若奥様の、立ちションベンの瞬間を目撃するかのような真剣な眼差し

でございました。

その後「愛染恭子」が私のセンズリのネタのトップに踊り出ました。

いままで彼女で5000回は抜いたと思います。彼女の「本番映画」を見る

グァム島旅行のツアーにも参加したことがございました。

私も以前小向美奈子さまと同じく浅草ロック座で10日間のストリップ興行を

行なったことがございます。野郎がストリップの舞台の主演を努めるなどとは

前例のないことでございました。

勇気がいりましたが頑張りました。おかげさまで興行は大成功を

納めました。10日間で約8千人程のお客さまのご来場があった、

と記憶しております。

一日あたりのご来場者数としてはこのたびの小向美奈子さまの数字の

倍でございます。私に懐古趣味はございませんが、いままでも忘れられない

ステージがあります。

関西のエロスの殿堂、スケベの総本山ともいわれる十三ミュージックホール

でお仕事をいただいたときのことでございます。

出演者は私以外に黒木香、卑弥呼、松坂季実子、桜樹ルイ、乃木真梨子、

小鳩美愛といった当時のAV界の人気者のベストNo.1〜No.5を

ズラリと揃えた豪華メンバーでございました。

ただいまでいえば高島彩、中野美奈子、青木裕子のアナドル、小倉優子、

ほしのあきを加えたようなラインナップでございます。

「オーバーな」との疑念を持たれる読者もいらっしゃいましょうが、

事実あの頃のAVトップ女優の人気にはすさまじいものがあったので

ございます。

入場料は一万二千円でした。破格でございます。

当時の一般的ストリップの入場料の3倍の値段でございます。

いまの金額では3万円近くの高額なものでございました。

が、ありがたいことにお客さまがドッと押し寄せて連日の満員

となりました。

劇場は立ち見を入れて100人もお客さまが入れば「超満員」

となるキャパでございましたが、劇場主側は消防法もなんのその、

ここぞとばかりにお客さまを入れるだけ入れたものでございます。

劇場の商売、というよりも関西地区はおろか、近畿、四国、中国地区

からやって来て朝早くから劇場前に長い列をつくられるお客さまを

劇場内に一人でも多く招き入れたい、との感謝の気持ちからでもあった

のでございます。

10日間で約1万三千人を越えるお客さまにご来場いただきました。

一日平均1300人のお客さまでございます。

入れ替え制を取りませんでしたので常時5百人程のお客さまが劇場に

入っておられたものでございます。消防法で許されている収容定員の

5倍近い数でございました。

100人が定員のスペースに5倍のお客さまが入るとどうなるか

と申しますと、まず身動きが全くとれなくなります。外の温度と比べて

7、8度確実に室内は高温となって満員電車の中のムシ風呂状態となります。

ステージではいましもあの時代の高島彩、中野美奈子、青木優子さまの

犬も恥しがるような思い切りバックのご開帳シーンが、次から次へと

くりひろげられておるのでありました。

ああ、やっぱり来てよかった。満足度はマックスに到達しています。

気がつけば呼吸がスムーズにいきません。

劇場内の空気が足りなくなってしまっているのです。

過呼吸となって頭がクラクラしてまいります。余裕がなくなり

判断力がおとろえはじめています。あれほど気になっていた隣のオヤジ

のワキガと歯槽膿漏の臭いが、ラベンダーの香りにさえ感じています。

不思議なことにギュウギュウ詰めとなった極限の状況におかれながらも、

お客さま同士が剣呑な雰囲気となってトラブルを起こすことは一切

ありませんでした。

お客さま同士、呉越同舟の不思議な一体感に包まれていました。

ここにいる人全員が皆「宝クジ当選」のような優越感に満たされて

「幸福」な顔をしていました。

あの時のボッキした男同士の密着度係数は人類史上最高の数字を

たたき出していたのではなかったでしょうか。

毎日のように救急車がやって来ました。トータル10人以上の「幸福者」

が運ばれて行ったと思います。

(ちなみに私どものギャラは3000万円でした。

「おいしい時代」でございました。)

小向美奈子さまはこれからマカオでのストリップ興行を計画されている

とのことでございます。中国での「日本女性」の人気はたいへんなもの

がございます。

トヨヤやパナソニック、ソニーやニンテンドーをしのいで「日本女性」

が一番のアコガレの存在といっても過言ではございません。

「ストリップ」裸踊り、とは天照大神(あまてらすおおみのかみ)

の古来より、「芸能」の「真髄」でございます。「真髄」とは

「おもてなしの心」でございます。

「おもてなしの心」とは「一期一会」の哲学と「人生は喜ばせごっこ」

の理念によってもたらされるものでございます。

この広い世界で縁あって出会った人間同士が、二度と再び会うことはない

であろう運命の刻を、それぞれが持てる芸と才を披露し交歓して生きる喜び

を分かちあう、そのことの意味が「芸能」なのでございます。

裸踊りをする者こそ(宴会部長もしかりでございます)人生を深く深索し、

友を愛しえる者でございます。

小向美奈子さまには日本代表の気概を持たれまして「人生は喜ばしごっこ」の

おもてなしの心の発露で中国人民の皆さまと触れ合い日中親善に寄与される

ことを期待するものでございます。

小向美奈子さまに「東洋一の裸天使」の座をめざしていただきたい

のでございます。

薬に手を出して逮捕されてストリッパーとなった、はすべて運命でございます。

山を登りきることが重要なのではない、登るべき山を知ることこそが

大切なのだ、という言葉がございます。登るべき山を知った者の

強靭さを、エベレストの頂上のように鋭く突き立てたそのピンクの

クリトリスとともにそう遠くない日に披瀝いただけることを信じて

お待ち申し上げる次第でございます。

かく言う私めは一足お先に中国でストリップの興行の経験をしました。

昨年の七月でございます。場所は上海の国際展示場でございました。

中国政府のご招待で行ったのでございます。中国は世界の生産量の

90%を占める「オトナのおもちゃ大国」でございます。

年に三回ほど北京、上海、広州でその国際展示会が開かれる

のでございます。その会場内の催し物の来賓としてご招待を受け

参加したのでございます。

ストリップと申しましても勿論、お国柄の事情がございます。

出席した5人の女優さんはそれぞれになんでもこなせる「能力」を

持ってございましたが、このたびは水着を着てのストリップポーズ

のダンスパフォーマンスとなりました。観客の皆さまには熱狂的な喝采を

いただきました。

私どものダンスパフォーマンスが始まりますと東京ドームのような

広い会場内のお客さまのほとんどがステージに集まられました。警備担当の

警察官まで仕事そっちのけで数十人も集まり大変な混雑となりました。

国際展示会場全体が揺れるような、万雷の拍手と歓声をいただきました。

中国の皆さまも中国国民に生まれてよかったと、

あのときほど実感なされたことはなかったのではないでしょうか。

「毛沢東バンザイ」と心から叫べた瞬間であったと思うのでございます。

日中国交回復以来、私たちほど中国人民の心からの歓迎を受けた存在は

なかったのでは、と自負致しております。

困ったのはダンスパフォーマンスを見ながらズボンの中に手を入れて

「センズリ」をかく人たちの姿が少なからず見うけられたことです。

生まれてこの方ああしたイベントを初めて見たのでありましょう。

頭がパニクってしまって知らず知らずのうちに手がズボンの中に入り

動いてしまっていたのだと思います。

隣の人間とトラブルにならなければいいが、と少し心配しました。

イベント当日から中国のインターネット上では大変な騒ぎになりました。

日本は今度は裸で中国を侵略している、という書きこみが沢山なされました。

この件で掲示板には約200万のアクセスがされたそうでございます。

賛否は半分半分であった、と中国の友人が教えてくれました。

日本のすぐれた文化、中国人を楽しませようという心意気に

我々も学ぶべきだ、との是定的意見が半分を占めていたことを知らされ、

ずい分励まされました。

中国の男性に限らず韓国やASEANの国の男性諸君に何故日本女がモテる

かといいますと、その「秘密」は彼女たちの「笑顔」であります。

あの踊りながらも観衆の誰れ彼にでなく見せる、愛くるしく優しい笑顔

が彼等を魅了するのでございます。

韓国は儒教の教えがいまなお色濃く根付いている国でございます。

女性は男性を立て一歩も二歩もさがって生きることが好ましい

とされております。

見ず知らずの異性に不容易に笑顔を見せることは「下劣」とされています。

男性に交際を申し込まれても一度で承諾することはプライドの無い人間

の所作である、と批判の対象になります。またいたずらに笑顔を見せると

ヘンな誤解を受け「強姦」されたりすることになりかねない危険があります。

韓国は日本社会より何倍も「強姦」事件の多い国でもあります。

五度六度と断わって、そのあげくようやく承諾することが女性の美徳

とされているのでございます。ですから自分の夫、あるいは恋人以外の男性に

「笑顔」を見せるという習慣がないのでございます。

日本では誰れであれまず笑顔をもって接するのがマナーであり常識

とされている価値観があります。笑顔がステキな女性ほど内面が豊か

で深い人格を持っている、との評価があるのでございます。

中国においても女性が他人の異性に向かって笑顔を見せることはありません。

儒教の教え、というよりも長く共産主義国家の人民であったせい

でございます。

働かなくても働いても同じく一様に給料を貰える時代が続いてきました。

サービスという概念をよく理解できないのでございます。

少し前までは空港で物を買って釣り銭をもらうとき、売り子の女性が

金を投げてよこして喧嘩となったことがりました。

ようやく改革開放が進み、資本主義的経済の導入の成果で競争の原理を

理解できるようになり、レストランやおみやけ屋さんで笑顔で接客する

従業員の姿を見かけられるようになりました。

しかし社会資本の充実はまだまだでございます。日本と比べて国民皆保健

のような保険制度や生活保護の福祉制度はたち遅れております。

人々は自分のことは自分で守る、家族や親族単位で結束する、

という風潮が強く、国や社会に対する「信頼」というものが

極めて薄いのでございます。

他者に対してはいつも油断することなく構えて緊張して対応する、

という生き方なのでございます。だから「他人」に対して不要意に

笑顔を見せる、ということがないのでございます。

ゆえに愛くるしく優しい笑顔を見せる日本女性に溺れるのでございます。

日本のAVが中国や韓国、ASEAN諸国を席巻しているのも、

AVのパッケージで見せる日本の女性のあの「モナリザのほほえみ」

のごとき魅力のせいでございます。

日本女性の凄いのは誰れかれでなく、自然とおおかたの女性がその微笑

を練習や努力することなく自然と見せることができるところにございます。

日本文化の成熟を現すものとして、街角に溢れる日本女性の笑顔に

すぐるものはないのでは、と考えてございます。

ストリップや一般の社会に限らず芸能界においても立身出世を願い、

有名になることを望む女優にとっては「愛くるしく優しい笑顔」は

必修のアイテムでございます。加えて「おもてなしの心」の精神の

発露が求められるのでございます。ただやみくもに新興宗教の信徒

になったごとく「有名になりたい」「人気者になりたい」と狂奔する

だけでは、スターの座をつかむことはできないのでございます。

「おもてなしの心」などと申しますとなにやら韓国で起きた

人気女優の「強制SEX接待自殺事件」を思い浮かべますが、

そうした「無理矢理」の「おもてなし」は決して良い結果を生む

ことはないのでございます。

女優やタレント自からのやむにやまれぬ「おもてなしの心」の自発的発露

があってこそ、ようやく望まれる成果を獲得できるものなのでございます。

ほしのあきが鳴かず飛ばずの歳月をこの「おもてなしの心」で

一人雑誌社廻りをして今日の成功をつかんだことは、よく知られるところ

でございます。

数十人足らずの雑誌編集者やカメラマンをたらしこめずして「アイドル」

の座に上りつめることなどかなわないのでございます。

「おもてなしの心」は時として値段がつくことがございます。

ダンスで人気をものにする以前の不遇の時代の杉本彩嬢の

「おもてなしの心」料は二百万円との「噂」がございました。

ことの「真雁」はわかりませんが、今日の彼女の「妖艶」ぶり

を見るにつけ、「札を入れておくべきであった」とつくづく後悔して

ございます。

「おもてなしの心」の発露によって最も高額なものを手に入れた、

と噂される女優に「大原麗子」がおります。

相手は堤清二、西武の御曹司の一人でございます。

彼女の現在の住居である時価5億円といわれる「豪邸」は、

その喜ばせごっこのお礼に堤清二氏より頂戴したものである、

との「噂」でございます。

このところの彼女は「心神破たん状態」のようでございます。

口さがないスズメたちは、あれは取って変わられた「大空真弓の呪い」

のせいだ、というのでございます。

道で転んでドブに落ちてもなおも許されず上から棒で叩かれる、

よくよく人気商売の女優稼業というものは因果な商売でございます。

日本の芸能界で正真正銘に、「おもてなしの心」が一番であった、

と語られている伝説的に有名な「おもてなし」がございます。

おもてなしの主人は、あの鶴田浩二でございます。

ある夕のことでございます。京都の料亭に親しい新聞記者を三人集めて、

鶴田浩二は「接遇の宴」をはったのでございました。

宴もたけなわとなったころ、鶴田浩二が三人の記者に向かって言った

のでございます。「日頃諸君には大層世話になっている、

よって感謝の印にこれから特別なおもてなしをしたい。

しかしどんなおもてなしを受けたかは他言無用、よろしいか」

三人の記者はウムもなく首をタテに振ったのでございました。

鶴田浩二は記者を別室に招き入れました。

そこにはマクラが二つ並んだ布団が敷かれてありました。

「隣の室で電気を消して静かに待つように」と鶴田浩二に指示されて

三人の男たちは息をひそめて待機しました。

何が起きるか知らん、と期待に胸がふくらみました。と突然隣の室の

フス間が荒々しく開く音がしました。こちらのフス間をソッと

開けて見ると、鶴田浩二と岸恵子の二人の姿がありました。

二人はすでに布団の上でくんずほぐれつ状態に入っておりましす。

記者たちは息が止まるほどに驚きました。

当時の鶴田浩二と岸恵子といえば、只今のキムタクと上戸彩のような

人気絶頂の二人でございます。

その二人が指呼の距離で電気を消しもせず「白黒ショー」に突入して

見せてくれているのでございます。鶴田浩二のモノは並の男の

二倍はある立派なものであった、とはその時現場にいた記者の証言

であります。

岸恵子の騎上位の腰ずかいのアデやかさは、いまも目の裏に焼き付いて

忘れられない、との証言もしました。二人は一時間半余りの「交歓」

を終えた後、何事もなかったように室外に消えたのでありました。

記者はその間二人は23の体位を見せた、との証言をしております。

そうした状況下においても体位の数を指折り数えていたとは、

立派な記者魂でございます。

ほんの少し前の昔は「おもてなしの心」「人生は喜ばせごっこだ」を

身をもって証明した「豪僯」がいたのでございます。

ここのところの日本人はすべてが自分本位になり、「おもてなしの心」

を取り違えた痴れ者が見うけられるのでございます。

トンテモナイ取り違え野郎がおりました。

その男は元ヤクザで土建屋の「会長」の立場にいる男でした。

人のアゲ足取りの名人で最悪の評判の男でした。

友人がその男に金銭的なお世話になっておりました関係で

私も不承不承最低限のお付き合いをしておりました。

ある日、その「会長」から電話がかかってまいりました。

今度ビデオプロジェクターなるものを買って家に取り付けたので

家族や友人を集めてそのお披露目をかねて「おもてなし」

をしたい、ついてはどんな映像をその時流したらいいか是非

監督にご推選いただきたい、というものでした。

家族や友人で見るなら丁度いいだろうと思い、今話題の人となっている

ライアン・オニール主演の「ある愛の詩」のビデオを買って送りました。

早速会長からお礼の電話がかかってきました。

「さすが監督、いい映画のビデオを送ってくれた、ありがとう」

とお誉めの言葉をいただきました。

そのまま黙って電話を切ればいいものを、いつになく「会長」から

お誉めの言葉をいただき、つい調子ずいて言わなくてもいい言葉を

言ってしまいました。

「会長その映画は実に素晴らしい映画ですよ、感動してポロリと

真珠の涙が出てしまいますよ」

会長は「ホント、真珠の涙が」と聞いてきました。

私は語気を強めて更に「本当ですよ、真珠の涙が沢山でます」

と答えたものでございました。この言葉が命とりとなりその後

大騒動をまき起こすとは、そのときは露ほど思っておりませんでした。

翌日の夜、あの「会長」から再び電話がかかってきました。

「監督、今これからアンタが送ってくれたアノ映画を見ようと思うんだけど、

本当に真珠の涙が流れ出るんだろうか」

「・・・・」

昨日の電話の声と違って「会長」の声にはドスがきいています。

「監督、黙ってないでなんとか言えよ、本当なんだな」

と電話の向こうでワメキ声が聴こえます。

「本当です」と答えました。

「よかったよ監督、本当で、俺もアンタも大嘘つきになるところだった。

今ここに宝石鑑定の偉い先生に来てもらっているんだよ。

これから俺が映画を見て真珠の涙を流すから、それを鑑定してもらおうと

思ってワザワザ京都から来てもらったんだよ」

私は電話を一方的に切りました。電話は着信拒否とするまで

1時間鳴り続けました。それからの「騒動」は

思い出すにも腹立たしく、今でもここに書く気にさえなりません。

芸能人であれ一般の人々であれ真の「おもてなしの心」を

忘れることなく、生きる喜びを分かちあってまいりたいと願うもので

ございます。

「おもてなしの心」とは「喜ばせごっこ」でございます。

SEXを学習するということは「おもてなしの心」を耕すこと

でございます。

投稿者 村西とおる:16:38 | コメント (0) | この記事をはてなブックマークに登録

セブンイレブン・東国原・叶姉妹・武井保雄・清原のことなど

2009年07月13日


外国人が日本に来て一様に驚くのは、日本の男の

「チンポの大きさ」ではありません。日本女性の

「潮吹き」でもないのでございます


街中のいたるところに設置してある飲料水等の自動販売機でございます。

只今の自動販売機では米、カサ、単行本、ウドン、そばとあらゆるもの

が売られておるのでございますが、そうしたお金と品物を満タンにした

自動販売機を人里離れた山奥のキツネ、タヌキの棲み家の前に24時間

放置しておいても、壊されたり持ち去られたりすることがないことに驚く

のでございます。


そんな国は世界のどこを捜してもないからでございます。

日本を訪れた世界の人々は自動販売機に象徴される日本社会の

「モラル」と「安全」に感嘆するのでございます。


「安全」は国の経済の「繁栄」と国民の「道徳心」の象徴であります。

世界同時不況となってマイナス思考ばやりでございますが、

世界的に著名な社会学者は、今後数十年を経ても日本以外に

「お金と品物を入れた箱」を路上に放置しておいても「安全な社会」

は出現しえないだろう、と観測しているのでございます。


人類最高峰の「公徳心豊かな社会」を築いた私たち日本社会をもっと

誇りと思うべきでございます。こうした「自動販売機ビジネス」が成立する

現在日本国内の自動販売機の数は約560万台、全国4万件のコンビニの

売り上げと拮抗する7兆円の売り上げを誇ってございます。


この一大産業というべき「自動販売機ビジネス」はまた、世界に冠たる

日本の「技術力」によって支えられているのでございます。


外国人が自動販売機に向かってとまどいを見せるのは、果たしてお金を

入れたら本当に指定する商品とお釣りが出てくるか、不安を抱くからで

ございます。


しかし我が日本の自動販売機は何十何百何千回使うとも故障することなく

正確に、商品を出し釣り銭も間違うことがないのであります。


北は北海道南は沖縄まで、雨の日も晴れの日も雪の日も嵐の日も、

きびしい寒暖の差があろうとも、狂うことなく正確に動き続けている

のでございます。


機械ですから壊れること皆無とはいえません。イタズラでたまさか

瞬間接着剤や異物をコインの入り口に差し込まれることもあります。

売れ筋商品が売り切れてしまうことだってあるのです。


しかし、街で見かけることごとくの自動販売機は朝も昼も夜もなにごとも

なかったように商品を欠くことなく灯をともし、動き続けている

のでございます。


日本の極めて高度な技術力と人海戦術による完璧なメンテナンス力によって、

自動販売機ビジネスが構築されているのでございます。


セブンイレブンの賞味期限切れの弁当などの「安売り」問題が話題となって

おります。初めから無駄を承知でビジネスモデルが確立されている商売、

でございますのでセブンイレブン本部の主張はよく理解できるのでございます。


無駄を排除して効率を重視する、はビジネスの鉄則であっても、現実の商売

ではそれをいったら成り立たなくなるケースが少なくないのでございます。

自動販売機ビジネスがそうでございます。


七兆円という全コンビニに匹敵するような巨額はビジネスも数千億の

「無駄」なくては成立しえないビジネスなのでございます。


飲料水の賞味期限のことではございません。

電気代、のことでございます。最近の自動販売機はおおむね

「温冷共用」のものとなっております。


それらはまた省エネ仕様となっていますが、それでも商品を常時

24時間暖め冷やしておくためには一ヶ月で高額な電気代を消費しております。

500万台以上となれば「莫大な電気料」でございます。


どこからがムダでどこからが有用と線引きすることは困難でございますが、

数千億円の「ムダ」な電気の消費があって成立しているのが「自動販売機

ビジネス」なのでございます。自動販売機のビジネスモデルは数千億円の

電気代をドブに捨てることで成り立っているのでございます。

それに比べて五、六百億円のセブンイレブンの「廃棄物」問題など

小さな問題と思えるのですが、そうはならないのでございます。


なぜなら人は見えないものに想像をたくましくして怒ったり泣いたり

することは不得手だからでございます。見えるものに刺激を受け

激しく反応します。


だから「電気」は見えないので10倍もの「捨てている」無駄をしていても

自動販売機ビジネスは問題となることなく助かっているのでございます。


弁当は目に見えてしまっているのです。目に見えているものは恐ろしい

ほどの影響をもたらします。一人歩きをするのです。五倍にも10倍

にもなって効果を発揮するのでございます。


食糧自給率が叫ばれるご時世にあっては、それを「捨てる」ことを

目撃する大衆の心は痛むのでございます。日本人の生活習慣である

「節約指向」からもなじまず、受け入れることができないのでございます。

早晩問題となることは分かっていたのであります。もはや民意は

本部にあるのではなく加盟店にあるのでございます。5、6百億円の

「弁当」を「もったいない」を無視し、「効率」のみを追求して「廃棄」する

ビジネルモデルは、社会が許さないのだ、ということを

セブンイレブン本部は認識すべきでございます。


ジタバタと記者会見をして、百億円は本部が負担しますなどと言う

ことは見苦しすぎでございます。


私どもAV業界にあっても今日では撮影現場で「生」で行なうことは

ありません。おいしいのは「生はキャラメル、SEXはコンドーム」が

合い言葉となっております。


AIDS撲滅の社会運動が社会現象となっているなかでは、いかに

「芸術」を「標謗」しようとも「生」で行なうことは「御法度」

となっているのでございます。


これが俺流のヤリ方、独自のビジネスモデル、は通用しない

のでございます。あくまでも「生にこだわりノーコンドームでイク」

などとほざいて民意に反旗をひるがえすものは社会から退場を

命じられるのでございます。


セブンイレブンといえども明日のGMにならない保証はどこにもない

のでございます。帝国は巨大な敵によって滅ぶのでなく、些細な

小さな蟻の一穴によって滅ぶのだ、ということを歴史は教えてくれて

おります。


いま問われるのはローソンやファミリーマートがどうだではなく、

トップランナーであるセブンイレブンの民意に対する「適応能力」

なのでございます。


古賀誠、自民党の選対本部長でございます。この男が選対本部長の任

についたときから自民党はもう駄目だろう、と思っていました。

何故ならこの男に選挙に対する実績などまったく見られるものが

なかったからです。


前座歌手に「組長」ズラのド音痴をもってきて、観衆をア然とさせる

ような間違いを自民党は犯しました。派閥の力学だけで柳原可奈子をヤセ薬

の広報担当に選んだようなものでございます。あんの定、この期に及んで

「組長」は自分の進む道を失い、東国原に突然のクリンチをしております。


以前から東国原に狙いを定めていた、のでありましょうか。いずれにせよ

この二人のテレビの2ショットを見てガク然としました。江原と美輪明宏

の2ショットよりもっと「おぞましい」ものに見えました。


古賀誠、道路族のドン、オヤジが太平洋戦争で死んだのが売り物で日本

遺族会の会長をつとめています。


太平洋戦争で肉親が死んだことが「売り物」になるなら、ウチのオヤジ

だって弟3人戦死させています。オフクロも最愛の弟を失くしております。

それでも生涯極貧をつらぬいて死にました。


「売り物」にしているとは、20万の戦死者を出した「沖縄戦没者慰霊祭」

を欠席して東国原に抱きつきに行くことを優先したからです。

最も大切にするべき「鎮魂の日」を無視して、現実の「打算」を優先すれば

お前の「真実はどこにある」と問われて当然であります。


なにがあっても親の慰霊の日にはかけつける、そうした浮世とは断絶した

ひたむきな報恩の姿勢があってこそ民草の信頼を得るのでございます。

古賀誠の本性は「卑しい男」だと「確信」したテレビのシーンの記憶

があります。


料亭に入る野中の後ろに小判鮫のようにつき従いながら「私は野中先生に

総理になっていただくのが一番良いと思っています」と古賀が言った

のであります。そのときのお追従笑いの下品だったこと、野中のウンチ

の付いたケツの穴さえ舐めかけない隷属ぶりでした。こんなゲスが

日本の政治を左右しているのかと暗然としたものでございます。


そしてこのたびの東国原への「ラブコール」でございます。


古賀を見ていると、いくぶんアノ小沢の方がマシに見えるから不思議なもの

でございます。民主党は今後「古賀」を大切にしていけば、必勝は確実

なものとなるのではないでしょうか。


「必勝を期して」をまたしても「惜敗を期して」と言い放った麻生さま

の存在があるのでございますから、民主党はもはや「両手に花」状態で

ございます。


東国原は宮崎のセールスマンだそうでございます。セールスマン

であればあれくらいの働きはあたり前でございます。


あの程度のセールスマンぶりで喝采をいただいたら、町の商店街の

八百屋や魚屋、肉屋のオヤジさんに怒られましょう。

「馬鹿いってんじゃないよ、俺たちは朝早くから夜遅くまで一日

16時間立ちっぱなしで何十年も商売しているんだ」よと。

それで喰うや喰わず、なのでございますから・・・。


大仁田厚が20年前、キューティー鈴木のトレーナー役で私の会社の

プロモの仕事をしにきていた頃は、借金まみれでヤクザに追われて

無一文状態でした。


それから政治家となっていまでは五反田に自社ビルをかまえ、

悠々自適の生活を送るまでになっております。プロレスラーを

やっていたらいままでも貧乏交響曲を焼鉄板の上で裸足で踊り続け

ているような状態であったでありましょう。


政治家とは儲かる商売、のようであります。


東国原の東京の風俗界での評判は「最悪」であります。あんな

「汚い客はいなかった」と彼を客として迎えたことのある

風俗関係者は今でも思い出すにもおぞましいと、顔をしかめて言います。

余程風俗嬢たちに対してヒドイ仕打ちをした男だったのでありましょう。


別かれた女房ドノも黙して語ることがありませんが、多分胸の内は

「反吐が出る思い」の経験をしたのでありましょう。

「品性下劣」がいまだにその猿顔に「目に見えすき」が致命的でございます。


人間の品性はそう簡単に変わるものではありません

(私自身のことでもあります)


東国原は小向美奈子であります。もうしばらくは直接支持者と触れあうこと

に精進されるがよろしいのではないでしょうか。いまがチャンスだ、

なんて乗っこみすぎずに、あと数年は宮崎でリハビリの日々をおくり、

捲土重来を機されるのがよろしいのではと思えるのでございます。


「学者を褒めるなら豆腐屋も褒めろ」福澤諭吉の言葉であります。

明治政府の役人がある日、福澤諭吉の功績を顕彰したい、

と訪問して来ました。


それに対して福澤諭吉は自説をこう展開しました「褒めるの褒められぬのと、

全体そりゃ何の事だ。人間が人間当たり前の仕事をしているのに

何も不思議はない。車屋は車をひき豆腐屋は豆腐をこしらえて、

書生は書を読むというのは人間当たり前の仕事をしているのだ。

その仕事をしているのを政府が褒めるというなら、まず隣の豆腐屋から

褒めてもらわなければならぬ、そんなことは一切よしなさい」こう言って

断ったのでありました。(福翁自伝:PHP研究所刊)


簡単にリベンジを果たした者は世の中を甘く考え貧欲になり、いつか必ず

破滅するものでございます。ミッキー・ロークは6万円のアパートに13年

の臥薪嘗胆を経て再起しました。私などはもう十八年も艱難辛苦の日々を過ごしておる

のでございます。


作家の本橋信宏氏と久しぶりに会いましたら氏に「ずい分と過激なことを

書いていますね」と云われました。氏は外見はヤサ男でございます。


書くものもおもにエロ関係を「主戦場」としております。

が内実は「反骨のルポライター」故竹中労を師と仰ぐアナーキーな

「硬派」でございます。


その本橋氏から「過激なことを書いている」との指摘をうけた

のでございましたので、いささかとまどいました。


私から見ますと世間の「流儀」の方が、表現の自由の結社を装いながら

その実像は己の損徳の利害でがんじがらめの「死に体」になっている

ように思えるのでございます。


雑誌メディアは東販、日販、コンビニ、JR、のマイナスになること

は書きません。テレビはバーニング、ジャニーズ、吉本興業、電通、

の不都合な真実は報道しないのであります。


新聞は3割といわれる自からの「押し紙」「詐欺商法」のことには

一切触れません。自由な報道機関とは名ばかりの「北朝鮮報道機関」

のごときご都合主義のマスコミ揃いでございます。


「疑体」することなく自からは何者であるかを明らかにして

いただきたいものでございます。社章の上に金正日バッチをつけられて

同じ穴の「ムジナ」であることを宣言いただきたいので

ございます。


本当のことを書くことが「過激」と云うのなら、その評価を甘んじて

受けたいと思います。オマ○コ屋はオマ○コのことだけを考えてろ、

との「ご指導」がございます。


が、手前ども「エロ事師」が生きていくためには、世の中の

「豊かさ、安心、安全」が担保されている必要があるのでございます。


貧困や戦争、人々の憎しみが増幅される社会にあっては「エロ事師稼業」

は存在しえないのでございます。戦争や紛争や貧困を一番憎む集団は

アムネスティに負けずおとらずに私ども「SEX産業従事者」なの

でございます。


スキャンダルや事件をメシの種としているマスコミとは真逆の立場にある

のでございます。


あるべき健全な社会のために、誰れであれ市民は自から立ち位置から

発信し続ける「義務」を負うています。たとえ一人になっても吠え続ける

覚悟を知らしめることで、ようやく権力は覚醒するのでございます。


今日ではインターネット上でのブログが市民の「言論機関」として

その役割を担っているのでございますが、スキャンダリズムに堕ち入る

ことなく事実のみを書く自制心が求められます。


権力は「名誉毀損」をタテに言論の封殺のチャンスを常にうかがっている

からでございます。


私の場合は自分が体験したことを書く、ことを第一義にしております。

また他人から聞いたことでも、その話が事実と思える話しであってもその

情報をもたらした人間が信用出来ないときは書くことを止めにしていいます。


「信用出来ない」とは、万が一「名誉毀損」の裁判となったとき、

私にその情報をもたらした人間が私側の証人として出廷し、話した事実

をありのままに証言してくれることを「確信」できないこと

でございます。


こんなことがございました。私の20年来の友人に政財界に深い

パイプを持って「仕事」をしている男がいます。その男がある時

総理経験者一行と連れだって時の台湾の李登輝総統に会いに

行ったことがありました。


帰国した彼と一夕卓をかこみ、台湾旅行の思い出話をしている席で

「総理経験者が李登輝からオミヤゲに百万$の米国ドルを新札で

貰った」との話が出ました。


意味もなく嘘をつく男ではありません。一緒に「同行者」として行動

していた彼の話ですから「目撃」したことも「事実」でありましょう。

しかし私は彼の「その話」を聞き流しました。何も聞かなかったかの

ように「その話」を一切無視して別の話題に移りました。


私がマスコミに少なからずの知人友人がいることを彼は知っています。

私自身もいくつかのマスコミ媒体で「連載」していることも彼は

承知です。その上での彼の「目撃談」でございました。


私には彼がどんな思わくでその話を私にしたのか「真意」

がつかめませんでした。もしそのことをマスコミに公表すれば「政権」

を揺るがしかねない一大スキャンダルになることは必至です。


そんなキケンを犯してまで彼が何故その話を私にしたのか

私には腑に落ちませんでした。だから私は彼の話を「封印」したのです。

もしその話を公にして渦中の人となったとき、身の危険を変えりみず彼が

マスコミや法廷に出て「証言」するなどとは考えられたかったからです。


仮に「証言台」に立ったとしても平気で前言をひる返して

「そんなことを言った覚えがない」と言うに違いないと思ったのです。


30年、エロ事師稼業をして7000人近くの女性と接してまいりましたら、

その義兄弟の輪は東京ドーム満杯になるほどにふくれあがって

ございます。


鳩ポッポでなくとも友達の友達はアルカイダだ、といった連ながりが

自然とできてしまっています。


「耳よりな話」を聞くことがあります。それこそ

「世の中がひっくりかねない」ほどの破壊力を秘めた話にも

出喰わすことも珍しくありません。


しかし書いたり話題にするときは、いつも頭の中に裁判の法廷での証言席を

イメージします。情報をもたらしてくれた人間がいざというときその

証言台に立って本当に「証言」してくれるか、そのことを確信

できなければたとえ「噂」話としても書くことを致しません。


私の場合「噂」話として書くときも、裏付けのとれた「事実」のみを

書くことにしております。「噂」話をするのは話しの信憑性に自信が

ないからでございません。


本人の名誉をおもんばかって、いわば惻隠の情からでございます。

以前横井英樹氏のことで次のようなことを書いたことがございます。


「彼の遺産というべき存在にK姉妹がおります。初めての出会いは

帝国ホテル、ロビーにたたずむ横井の傍に、当時は三姉妹であった

三人の女が近づき名刺を差し出します。


「先生に株の指南をお願いしたいんです」ギラリと光る横井の目、

これから先のキツネとタヌキの化かし合いはピカレスクロマンの

趣きでございますが、時間がよろしいようでまたの機会に」

K姉妹とは叶姉妹のことでございます。


これを書いた当時は叶姉妹の世評はあまりかんばしいものでは

ありませんでしたのでK姉妹と致しました。獲物をねらい定めたら

その美しい体を武器にしてモノにして成り上がっていく、

そのたくましい行動力と生命力に好感を持ちました。


悪意から書いたのではありませんでした。しかし、「訴え癖」のある

叶姉妹のこと、この文章を目にとめて「これから先のキツネとタヌキ

の化かし合い」の部分を問題にしてくるかも知れませんよ、

とアドバイスをしてくれた編集者がいました。


「男と女」のことは所詮タヌキとキツネの化かし合い、といった景色が

加味されてあるのは「当然」でございます。なにも「問題」になる筈が

無いと思いました。


更に言えば「キツネとタヌキの化かし合い」の具体的内容をもっと多く

私は知っていました。(たとえば横井英樹がヨーロッパに所有していた

お城をプレゼントしたり、その他の財界人の人脈を紹介したこと等々

色々なコト・・・)


本来ならば当事者同士意外に知るよしもない帝国ホテルの、

ロビーでの叶姉妹の「声かけ」を何故私が書きえたのでしょうか。

それはその帝国ホテルの現場に、横井英樹と叶三姉妹以外にいた

もう一人の人物から直接その事実を私が聞くことが出来たから

でございます。


その人物とは十数年に及んで横井英樹の秘書をつとめた「女性」で

ございます。その女性とは私は家族ぐるみの付き合いをしている

親しい間柄でございます。


何があっても彼女が私を裏切ることはない、と絶対の信頼を持ちえた

からこそ書きえた文章でした。


女性が男性社会を向こうにまわして「育ちと運にたよらず」身一つでノシ上がっていく姿

に魅せられます。嘘かくしのない成り上がりの強欲さが、好きでございます。

人間味に溢れています。


男は金銭欲が満たされますと、すぐ名誉が欲しくなりボランティア活動

に精を出したりするのであります。女の成り上がり、でそんな見栄を張る者

は一人もおりません。ボランティアなどに限られた時間を使いません。

強欲を押し通しすべての時間は自分を美しくするためだけに使います。

自分が美しくなることだけに感心が向けられます。


幾百万幾千万円の高価な宝石やブランド品に惜しげもなく金を使うことに

専念するのです。整形だってありとあらゆる場所にメスを入れて平気

であります。若さを手に入れるためには金に糸目をつけません。


狂ったように、美しくなるためだけに、美しくあるためだけに金を使い

続けるのでございます。同姓の女性たちはそんな彼女たちをエゲツナイ

とは少しも思わないのでございます。いつか私もああなりたい、

と自分たちの夢を実現して、贅の限りを尽くして生きる姿に憧れ喝采を

贈るのでございます。


女性とはそういう「生きもの」なのでございます。


叶姉妹と対極にあるような、男に影のように寄り添い

「山内一豊の妻」の道を歩むことで男を日本一の大金持ちにのしあげた

「賢妻」がいます。


夫の名前は武井保雄氏、サラ金の武富士の創業者であります。その昔、

前出の本橋氏と「スクランブル」という写真誌を発行していた頃の話

でございます。編集部員がどこからか一葉の写真を手に入れてきました。


写真を見るとテーブルの上に女が横たわり、その女の全身の体の上に

ビッシリと一万円札が敷きつめられた姿が写っていました。この女は誰れ、

と聞くと今流行のサラ金の武富士の社長武井保雄氏の女房だ、という

答えであります。「あの武井の女房?」と改めて写真を見なおしました。


女は若くありませんでした。ご面相も「並」でございます。体のライン

も推察するに「お粗末」のレベルでございます。何故このレベルの自分の

女房を使ってこんな写真を撮ったんだろう、疑問に思いました。


編集部員によれば「この写真を撮った頃の武富士はまだかけ出しの時代で、

モデル代をケチった武井社長が自分の女房をモデルにした」とのことでした。


見上げた女房だ、と思いました。亭主の仕事のためならと裸になって

一万円札を体の上に貼りつけて写真に写る、などとは並の女房で

できる芸当ではありません。改めて写真を見ると女房どのは

カメラ目線で笑顔を見せていました。


実に屈託のないいい笑顔をしていました。どこかの田舎の出身

なのでしょうか、素朴さが目元に宿っていました。


その後武井保雄氏が「立志伝」中の人物として「富豪」の仲間入りし、

華々しく宣伝される付度にあの女房ドノの「笑顔」を思い出しました。

晩年の武井氏はスキャンダルにまみれて生涯を閉じました。


しかし氏の誉れは、数千億の財産よりも夫の「立身出世」のためなら

体に一万円札を貼りつけて世間に身をさらすことも厭わなかった

「曹糖の妻」を得たことではなかったでしょうか。

見事な「女道」でございます。


その写真は結果的には「スクランブル」誌の紙面を飾ることは

ありませんでした。右翼の男が持ち込んできた年間広告掲載前払金

5000万円の条件を飲んで写真をボツにしたからです。


経営の台所は火の車でした。ノドから手が出る程金が欲しかったのです。

金と引き換えに記事をボツにするなどまさに「アカ新聞」のヤリ口でした。


背に腹は換えられずの論理が先行したというよりも、巨悪に吠え続ける

ために、小悪の玩具となることヨシとして腹をくくったのだ、とは

美しすぎる言い分けでしょうか。実際またその頃の武富士や武井保雄氏は、

それほどメジャーではありませんでした。


時流に乗って大成功を治めフォーブスの世界長者番付の常連となって

「権力」に登りつめるのはそれから10年後のことでございます。

写真の掲載をボツにする過程で一つ驚いたことがあります。


蛇の道はヘビ、というのでしょうか、武井保雄氏の周辺にいた

フットワークのいい「闇の世界」の住人たちの存在でございます。

彼等は右翼を名乗っていましたが単に代理人、というのではなく、

武井氏から信頼されかなりの決済権を持っていました。


交渉人の右翼の男は五千万の「云い値」をその場で即決で承諾し、

二時間後にピン札の一万円札で五千万円をキッチリ揃えて持って

きました。30年前の5千万円でございます。いまなら3億といったところ

ではないでしょうか。武井保雄氏は生前「右翼は暴力団に弱い、暴力団は警察

に弱い、警察は右翼に弱い、この三つをうまく使って物事を納めろ」

を口癖としていたそうであります。そんな彼の信念をかい間みた

出来事でした。


世間に「女道」をアッパレに生き抜く女性たちの姿があります。


果たして男たちはどうでありましょうか。「男道」なる本を出した

清原がいます。この男の「男道」とは恋女房のタレント生命を奪い、

子供たちを悲しませることのようでございます。


この男のズルイところは何かスキャンダルを起こすと女房、子供を

ダシにして逃げをうつことでございます。


数年前週刊ポストに風俗通いを書かれて(名誉毀損)の裁判を起こした

ときのセリフがそうでした。「女房、子供のための名誉に命をかけて闘う」

大の大人の男が風俗通いの身の潔白を主張するのに、女房子供の名誉を

かけることないだろうと、笑わされたものでございます。


名誉にかけたご利やくがあったのでしょうか、このときは600万円の

金を出版社側からせしめることに「成功」しております。

そしてこのたびのモナコ不倫旅行でございます。


週刊誌の記者に対して「俺は子どもに背中を見せられる」ワメいた

のでありました。「女房、子供の名誉のために命をかけて闘う」が

口癖の男が、不倫旅行をしてどんな背中を子供に見せるというので

ありましょうか。支離滅裂でございます。これから彼は指導者や解説者の

道を歩かれるのでございます。


もう少しマシな言葉を云えるようにならなければなりません。

こんな見当違いな「セリフ」を吐いていたのでは「仕事」にならない

のではないでしょう。


人に感動や勇気を伝える為には、それを伝える表現力を涵養しなければ

なりません。表現力とは心であり言葉であります。親友である!?

と云っている桑田にみならって大学にでも入り、心をみがき言葉を

きたえる努力をされるべきでございます。


語るべき言葉を持たない、ただ薄笑いを浮かべているだけのノータリン

の元有名選手は、旅人、中田英寿一人で沢山であります。

東国原に限らず、誰れとて人気者などといっても、それは人々の誤解

や思い込みによって得ている喝采でございます。


利用価値があるから人は寄ってくるのです。寄ってきてもらっている

うちが「華」でございます。価値などなければ「岸和田弁の中年の

乱暴者のビアス野郎」など誰れが相手にするものですか。


「笑わせる男」清原のイチャモン「男道」に喝!!

でございます。

投稿者 村西とおる:16:35 | コメント (0) | この記事をはてなブックマークに登録

ジャイアント馬場、三沢選手、テリー伊藤、鳩山、死刑囚の「K」のことなど

2009年06月17日


ジャイアント馬場は、興行のときゆっくり控え室でくつろぐ姿
を見せることはありませんでした。

会場に入るといつも入口に設けられたグッツ売り場にその大きな姿を現わし、
中央にドンと陣取ることを習慣にしていました。

試合開始までの一時間は必ずそこにいて、グッツを買ったファンのサインや
写真撮影の求めに気安く応じていました。
ジャイアント馬場がグッツ売り場に居ると居ないでは売り上げが10倍違いました。

グッツ売り場でのジャイアント馬場の傍には、大きな声で客寄せをする愛妻の
元子さん姿がありました。グッツの売り上げの収益は全日本プロレスとは別の
会社の勘定になっていました。利益は全部元子さんが代表をつとめる会社のもの
となる構図になっていたのです。

ジャイアント馬場が必ずグッツ売り場で試合前の一時間をファンサービスに
つとめたのは、元子さんの差しがねによるものでした。

「賢妻」元子さんの「商売上手」によって、ハワイや日本の豪華な別荘、
その他の沢山の不動産と巨額なキャッシュのジャイアント馬場の大いなる「遺産」
が築かれたのでございます。

三沢選手の不幸はそうした元子さんのような「内助の功」の不在にありました。

そしてもう一つ、時代に愛されなくなった者、の悲劇であります。
プロレス興行がチケット販売の売り上げのみで成り立っていたのは、
遠い昔の話でございます。

現代の若い男たちにとって裸で体を張っての勝負する姿など、
コッケイにしか見えないのでございます。

吉本に入って軽薄に破廉恥に、羞恥心を捨ててヒョウキンな振舞いをして
人気者になり、億の金を稼いでいい女を抱ける方が、よほど男らしく賢く見える
のでございます。

そうした逆風にある時代の風潮下で、老舗の新日本プロレスといえども
ゲームメーカーの傘下に入って資金援助を受け、テレビ朝日の年間3億円といわれる
「放送権料」をプラスして、ようやく経営を成り立たせている有り様なのであります。

話題の「戦極」であっても、年間30億の予算を冠スポンサーである
ドン・キホーテに支援をあおいでいればこそ、でございます。
それであっても台所事情は決して「潤沢」でない現実があります。

本年春、ノアが日本テレビの2億数千萬といわれた放映権料がうち切られたことは
「死ね」と「死刑宣告」を受けたことと同じでした。三沢選手は「獄死」した
のであります。しかし日本テレビを恨むのは逆恨み、でございます。

「格闘技」を愛することがなくなった「時代」によって三沢選手は
「刑を執行」されたのでございます。

果たして三沢選手の「死」は「犬死に」なのでありましょうか。
彼の死を「希望」とするのか「犬死に」とするかは、その「魂」をつぐ
プロレスの戦士たちの心がけ次第にかかってございます。

プロレス界にとって三沢選手の「死」は「絶望」でなく「救い」でございます。
プロレスという「格闘技」は「命をかけて戦っている戦士」たちの世界である
ことを、その死によってまぎれもなく世に知らしめてくれたからでございます。

その「救い」を「希望」につないでいくのは、あとに続くものたちの「使命」
であります。

命を賭けてその「使命」をまっとうし散った「男華」があれば、見苦しい
「アダ花」が咲き乱れてあるのが浮世の現実でございます。

前総務大臣鳩ポッポこと鳩山が「以前に麻生から西川氏に変わる社長候補の名前
を書いた手紙を貰ったことがある」とご開帳に及んで、最後ペのクサイ屁をかまして
おります。

政治家の正義や友情の相場など所詮この程度なのでございましょうが、
それにしても男同士の信義をいとも簡単に破って「暴露の挙」に出るとは、
まったくもってアキレ果てた男でございます。

以前、私もある有名スターAV女優に有名週刊誌上で「村西監督のチンポの大きさは
普通サイズで、SEXのテクニックも並だ」と「告白」されたことがございます。
「神話の崩壊」の危機、でございます。

しかしお前さんの方が大きすぎてカバカバだったせいだ、
とは私は言わないのでした。その後彼女はストリップに転進しました。
それから彼女はステージでのご開帳の折はきまって

「ここに村西監督のモノが入ったのよ、でも監督のあんなもんじゃ我慢
できない、あなたとシテるつもりでオナニーするから見ててネ」
の決めゼリフを云ってオナニーをするのを「売り」にしたのでございます。

彼女は引退するとき「これが最後の見おさめサヨナラ興行」を三年に渡って
行い日本三周した「豪僯」でございます。知り合いやファンの方から
「ここに監督のが入ったの、我慢できない」のステージをまたやっていたよ、
とよくご連絡をいただくことがございました。

それでも私は彼女のことで何も言うことがありませんでした。

「少年鑑別所出身で二回の堕胎経験あり、ソープ勤務五ヶ月実績、肌はサメ肌、
アソコはガマの大口、嘘言癖、万引癖有り、薬ならなんでも好きで現在は
シャブにはまって足の親指のつけ根に日に三回射つことを日課としております」

とは言わなかったのであります。三年、日本三周に渡る「神話崩壊」の危機に、
大人の人生をまっとうし、「私」は沈黙で耐えたのでございます。

「政事」をつかさどり天下人たらんとする「選良」が、エロ事師さえ守る
「仲間の契り」に殉じることができぬとは、政治家以前、
男として「人間失格」でございます。

鳩ポッポが度しがたいのは、平気で友を裏切ることにも増して、根拠のない正義を
振りかざして一人大騒ぎをすることでございます。

カンポの問題では「まず雇用を守ると」の国会の決議でありました。
そこで5000人近い雇用を継続的に維持してくれることを条件に買い手を捜したら、
最後は「オリックス」しか残らなかった、というのが真相であります。

年間40、50億の赤字タレ流しの現状から黒字経営に至るまではニ、三百億の資金
が必要となる「事業」であります。買い取り金の百億を加えればざっと見積もって
四百億はドブに捨てる覚悟がなければ「勝負」できない案件でありました。

だから「オリックス」しか残らなかった、「オリックス」だって行きがかり上のことで、
いま頃は本心では安堵している筈でございます。

鳩ポッポはカンポの宿は国民の財産、2000億のものを100億でたたき売るとは
言語道断、の口上を十八番にしていたのでございますが、全くの無知、トンチンカン
の言説でございます。

新潟に苗場というスキー場があります。西武が経営する一大スキー場施設として
日本一の規模を誇る有名な場所でございます。

そのスキー場の道路を挟んだ向こうに側の住宅地に、三十階建てのリゾートマンション群
が五、六棟建ってございます。バブル時代には一室3LDKで三千万を超える金額で
売買された人気のリゾートマンション群でございます。

現在それらのマンションの中から数十室が、一室百万円の破格の値段で
売りに出されております。が、買い手がまったく見つかりません。

百萬円で買っても別途年間三十万の「管理費」が必要となるのであります。
五、六泊のスキー旅行で30万も出すのなら、向かいの1泊2食付きの
苗場プリンスホテルに宿泊した方が余程「徳」なのでございます。

元値の30分の1、40分の1でも売れない物件は全国にゴロゴロしています。
「現状価格」で物件を売ることは「不正義」でもなくでもない「適正な経済活動」
なのでございます。

それを不正義というなら180円だったガソリンを120円で売ることも、
2万8千円だった株を1万円で売ることも「全部」不正義であります。

もしカンポの宿の損失の責任を問われるのであれば、「犯人」はその負の精算の為に
こわれて任についた西川社長ではなく、カンポの宿の計画を立案、施行したオヒザモト
の郵政官僚、総務省の役人どもなのでございます。

奴等コッパ役人どもの「自爆テロ」にまどわされて間違った犯人捜しをするなどは、
菅谷さんの冤罪をデッチ上げた、警察官、検事、裁判官のごとき恥知らず
の悪業でございます。

閑話休題。このたびの鳩山総務大臣辞任問題ではテレビでテリー伊藤や黒鉄ヒロシが
「国民はバカじゃない、国民は鳩山さんを応援しています」とのコメントを言って
おりました。

笑止であります。自からの不勉強を国民をダシにして正当化するのはおやめになって
いただきたい。最近のテリー伊藤氏は目を治してサングラスをハズしたら、
逆に先が全く読めなくなったみたいで残念であります。

ラジオをはじめとする帯のレギュラー番組をいくつか持って、CMにも出演し、
豪邸を三軒も建てる「金満家」に成りあがったとたん、金の毒に犯されて
ヤキが廻り心が急に曇ってしまっているようで、お気の毒に思えてなりません。

まず、忙がしさにかまけて勉強不足すぎます。だから最近のコメントが陳腐すぎて
面白さに欠けボケをかまし続けているのでございます。こんな手抜きを続けていたら、
早晩賞味期限となるは必竟でございましょう。

資金ぐりに狂奔して激安王の佐藤太治のもとにかけこんだり、六本木ヒルズの馬主王
の関口のもとに日参していた当時のハングリーさを、是非取り戻していただきたい
ものでございます。

私のような立場にいる人間でさえ、マスコミに発信している自覚がありますれば
月に週刊誌を100冊月刊誌は20冊以上を読みこむことを「行」としているの
でございます。

溜めることなく発射することばかりを続けていれば、いずれ
スペルマとて枯渇するのでございます。

民主党の原口代議士にいたってはおかしなヨタを口走ってございました。
民間企業で、福利厚生施設に40、50億の金を注ぎこんでいるところがいくらでも
あるのに、なぜカンポの宿が許されないんだ、とホザいていたものでございます。

「阿呆!!」でございます。民間は自分の儲けでゼイタクをしているのでございます。
税金で極上ステーキは喰べてはいけない、そんな道理が分からぬ輩が民主党のホープ
とは、笑わし過ぎでございます。

こんな論理をも分からず思いつきの発言をする原口の正体とは、公労協の「犬」
なのでありましょうか。

鳩ポッポの鳩山を見ていると、自からは正義である、との思い込みを捨てきれず、
最後まで無罪を叫んで「死刑台」の露と消えた、一人の死刑囚の男を思い出します。

間違ったことを自分は正しいと思い込んで行動を起こすとこんな「悲劇」を招く
ことになるのだ、という実話でございます。

「死刑囚」の彼の実名は「K」といいました。
ここでは実名を上げることは止めにイニシャルの「K」とします。
彼は「死刑」という「刑」を「満期」でつとめ上げて天国に召され、
お父さまやお母さまのもとへ帰へったからでございます。

「死刑囚」の「K」と知りあった最初のきっかけは、彼が私あてに「拘置所」から
出した「手紙」を受けとったことがはじまりでした。私が手紙を貰った当時の「K」は、
連続婦女暴行殺人犯として「最高裁」から「死刑囚」の「確定判決」を受け「死刑」
の執行を待つ身でございました。

「K」の「手紙」の内容は「無実を訴える」ものでした。
殺人に関しては確に自分が犯人であることは間違いない、しかし
「強姦」に関しては自分はすべて「無実」である、というものでした。

「K」が「強姦」を「無実」という「根拠」は、彼が犯した被害者の女性たちは
ことごとくそのとき「濡れていた」あるいは「気の入れた声を出した」から、
あれは「強姦」ではなく「間違いなく和姦である」との主張でありました。

彼の主張はその昔流布した、女性の尻の下にハンカチ一枚敷いていれば
「強姦」ではなく「同意のもとにSEXをした」ことの証拠となり、
罪に問われることがない、とのガゼ話しの延長線上にあるものでした。

性知識や法知識が未成熟であった時、男に都合のいい非科学的なヨタ話が、
まことしやかに真実性をもって世にはびこっていた時代に、「K」はそのヨタ話を
真実と思い込んで「餌じき」となり「犯罪者」となったのでありました。

私は彼の手紙を受け取ってから、次のような文面の返事を書き彼に送りました。

「あなたは殺人を認めても、強姦に関しては無罪を主張されています。
が、それは誠に残念な思い違いでございます。人間という生き物は感覚受容体
でございます。「何か」を目と耳と鼻と口と皮膚の五感で、意識するしない
に関わらず自然と感じる生き物なのでございます。目の前で手をパチン
と叩かれれば驚いてマブタが閉じます。意識することなく体が自然に反応して
動くのです。ウメボシを見ると自然と口の中にダ液が溢れてきます。
五感が意識を超えて反応するのは人間の感覚受容体としての「防衛本能」の
なせるワザなのでございます。ダイバーが無酸素で50mの深海にもぐると
体の手や足の先がシビれる現象を体感します。「感覚受容体」である「体」の
防衛本能が働き、体内の血液が重要部分の胸や心臓を守るために、足や手の
血液が脳や心臓に集中します。その結果手や足がシビレる現象を引き起こす
のでございます。あなたが女性たちを犯したとき、あなたが主張する通り、
確に女性たちのヴァギナの中に満ちる「愛液」をあなたは確認したのでありましょう。
しかしそれは迎い入れる、許してSEXを楽しむための「同意のシグナル」として
の「液」ではなかったのであります。肉体を守る防御本能が愛液を抽出したのです。
ウメくような感じる声を出した、というのも事実でありましょう。それは
「感じている」から出した声ではなく、犯されてパニックにおり入り精神が破タン寸前
となった人間が、必死になって精神の回復と圴衡をはかるために出した心の「吐息」
なのであります。寒さを体感したとき、男の玉袋は保温のため小さく縮みます、
熱いときは熱を放出するために玉袋は大きく延びます。それと同じ「自衛の為の生体反応」
が被害女性におきたにすぎません。どうか人間の体と性に対する科学的知識を
深められて、罪を悔い被害女性のために祈りの時間をお過ごし下さい」

すぐ「K」から返事の手紙がきました。
そこには「K」の激しい思い込みの文章が綴られてありました。

「あんたはSEXのカリスマだ、というから私の無実を理解してくれるものと
信じていたのに・・・信じた俺が馬鹿だった。女たちは俺とSEXをしながら
本当に感じていた、そのことを俺の眼が体がペニスが一番よく知っている。
俺とSEXをしながら女たちは本当に感じたんだ。感じる声も出した、小さな
声じゃなかった。大きな声で、イイと言ってよがったんだ。イッた女もいる。
だから俺は強姦は絶対に無実だ。何人もの人間を殺したのだから死刑になるのは
仕方がない、でも強姦という無実の罪をきせられたまま死ぬのは我慢できない」

との彼の主張が便せん10枚余に綿々と書かれてありました。
その後二度ほど、私なりに彼の「覚醒」をうながす手紙を出しました。

しかし彼の返事はいつも10枚近くの便せんに「強姦」の「無罪」を訴える激烈
な文章で埋められているものでした。

しばらく時間を置いて、改めて彼との手紙をやりとりしょうと間をあけました。
その間彼の手紙が一方的に十通ほど届きましたが、封を開くことなく机の中に放置
していました。そんな矢先のことでした。彼の刑が「執行」されたことを
「新聞」で知りました。

恐らく彼は最後の最後まで、「無実」を訴え、刑の執行を受けたに違いありません。
刑場での「俺は無実だ」の雄叫びが聴こえてくるようでした。
縁あって手紙のやり取りをした私としては、
実に後味の悪いやりきれない思いでそれからの数日間を過ごしました。

彼は本心では「安らかな死」を迎えることを望み、その答えを捜すために
私に手紙を出してきたのではなかったのか、と考えました。
彼の心に「静寂」を取り戻させることができぬままに逝かせることとなった
「非力」な自分が、卑怯者に思え、せつなくありました。

人間は真実を思い込みによって思い違うと、死刑囚になる道を歩むことがある
のでございます。政治家の「思い込みの思い違い」が「死刑囚」のそれより
恐しいのは、それによって国をあやめ、幾百万の民草を死に追いやる事態
を引き起こすからでございます。

歴史の悲惨な過ちは、すべからく偽政者の「思い込みの思い違い」によって
もたらされた歴史でございます。

金正日のみならず、私が鳩ポッポの思い違いを看過することなく
まなじりを決して糾弾するのは、それゆえ
でございます。

投稿者 村西とおる:22:28 | コメント (0) | この記事をはてなブックマークに登録

佐川クン、克美しげる、清水健太郎・・・そして辻井伸行くんのことなど

2009年06月15日


 
 
 
 あなたさまには確実に「人殺し」の殺人者の「血の系譜」が交じってございます。
 
 
 
 
無論、私めとて同じことでございます。

およそ縄文、弥生の昔から数えて一万年余、一世代25年と計算しまして

約400代に渡る「ご先祖さま」の歴史がどちらさまにも受けつがれている

のでございます
 
 
 
 
その「血筋」をたどれば私達の「ご先祖さま」はまぎれもなく泥棒、強盗は

おろかいまわしき殺人者揃いであったことを確認できるのでございます。

良い悪いではございません。人類の歴史はサバイバルゲーム、殺戮の歴史

でございます。
 
 
 
 
誰れとて「弱肉強食」の闘いの日々で、相手を倒すことで生き残り、

命を継ないできたのが「歴史の実相」なのでございます。いや、

私はたちの「ご先祖さま」に人殺しなどいた筈がない、

はファンタジーでございます。
 
 
 
 
DNAに刻まれてある「戦いの瞬間の記憶」をもし「ビデオ再生」

できえたら、現代のテロリストなど可愛いく見えるほどの「ご先祖さま」の

野蛮な「残虐行為」を目撃することができるでありましょう。
 
 
 
 
私たちの脳細胞に実体験以外の「過去」を甦らせる能力が備わっていない

ことは「救い」でございます。神はこのことを人間の「原罪」である、

と説かれました。「原罪」を償い「汚れた魂」を救済するためには、苦しむ人、

貧しい人、病める人に救いの手を差しのべなさい、教えられてたのでございます。
 
 
 
 
「自からが傷つくことを恐れず助けなさい」と、

その教えは優しいものでなく、実に厳しいもので

ございます。
 
 
 
 
神は傍観者であることをお許しになられておりません。

「自からが傷ついても、なおひるむことなく恵みを与えなさい」

と激しく求められているのでございます。

(単身アフリカの奥地に往き、生涯を奉仕で終えるシスターたちでございます。)
 
 
 
 
そうすることでようやく私たちの「魂」が「救済」されるのだ、「愛」とはそうした

犠牲をともなった行為のことである、と導かれているのでございます。
 
 
 
 
これまでパリ人肉事件の佐川クンや愛人絞殺犯の克美しげる、覚醒剤犯の

清水健太郎といった少なからぬ「罪深き人たち」とご一緒にお仕事を

させていただく機会がございました。
 
 
 
 
佐川クンとは知り合いの雑誌の編集者の紹介で会いました。

編集者氏によれば彼は「AV男優」志願者である、とのことでした。

二つのAV作品に出演してもらいました。
 
 
 
 
一つ目の作品は「松坂季実子主演作」の「ゲスト出演」で「生肉」を喰べる

シーンがありました。彼は何んの抵抗もなくそのシーンを演じました。

彼に何故あのような忌しい犯罪を行なったのか訊いてみました。
 
 
 
 
彼は「神様」の声が聞こえたから、言いました。

あのオランダ人女性を殺して喰べなさい、さもなくばお前自身の身に

不幸な出来ごこが起きるぞ、と「神様」は彼の頭の中で四六時中

叫び続けたそうであります。
 
 
 
 
「神様」の言うことをきかなければ大変なことになる、どうしようと

恐怖心のあまり夜も昼も寝ることができなくなり、衰弱し

モウロウとした日々を過ごしたのです。
 
 
 
 
彼女が彼の室に遊びに来たあの日、彼の頭の中に棲んでいる「神様」が、

今だ、今夜が最後のチャンスだ、殺して喰べろ、そうすればお前は救われる、

といつになく大きな声で叫んだそうであります。
 
 
 
 
それこそ喰うか喰われるか、とせっぱつまった精神状態に追いこまれてた

彼は究極の選択をして、あの凶行におよんだのでありました。
 
 
 
 
あの時彼女を殺して喰べていなかったら、きっと僕の方が先に「神様」に

殺されていた、と真顔で言いいました。彼の頭に棲んでいた「神様」とは、

どんな顔した「悪魔」だったのでありましょうか。
 
 
 
 
彼のことで忘れない出来事があります。彼にAV男優としてカラミのシーン

に挑戦してもらったときのことです。相手役は彼のリクエスト通りに

胸の大きな可愛いい系、の女優さんを用意しました。
 
 
 
 
前戯は得意じゃないとの自己申告があり、イキナリとは思いましたが彼の

キャラクターであれば許されると考え、早速のインサートから撮影を開始しました。
 
 
 
 
彼は女優さんの股の間に入ってしばし己のモノを女優さんのソコ

にコすりつけていました。がなかなか腰をおとす気配がありません。

突然「アッ」と大きな声を出しました。
 
 
 
 
さては早まったか、と股間をのぞきましたら、なんということでしょう。

彼のペニスの雁の根元の部分の皮膚が「ピンポン玉」のように大きくふくらんで

いるではありませんか。
 
 
 
 
指先で押してみました。中に空気が入っているようです。「痛いですか」

と訊きましたら、「痛くありません」の返事が返ってきました。

休憩をとることにしました。
 
 
 
 
一時間ほど過ぎて再び見たら、さきほどの気泡の空気が抜けて縮み跡がタネを

抜いたウメボシのような形になっていました。不思議な現象が起きています。

撮影を止めることにしました。
 
 
 
 
彼のペニスは男優として役に立たない、と判断したからです。

本心は「別」なところにありました。このまま撮影を続けていったら

何か不吉なことに襲われるような気がして恐くなったのです。
 
 
 
 
被害者となられたオランダ女性の「呪」いが、いましも撮影場所の室の天井

から降ってくるように感じられて不気味でした。
 
 
 
 
「撤収!!」と声を掛けましたら、いやはやスタッフの動きの速かったこと、

アッという間に「撤収」を「完了」しました。スタッフも何か「不安」な

ものを感じ、逃げだしたい気持ちにかられていたのでした。

彼のAV出演のSEXシーンは「幻」となりました。
 
 
 
 
その後彼からは何度か電話やFAXで「また使って下さい、生活が苦しくて

困っています」といった連絡が入りましたが、二度と使うことはしませんでした。
 
 
 
 
彼が「生肉」を喰べたシーンが話題を呼ぶどころか「不謹慎だ」

「悪ふざけにも程がある」と酷評され、下げなくてもいい評判を

大きく下げることとなったからです。
 
 
 
 
そうしたことから彼が生肉を喰べる出演をしたAVのセールスの方も、

松坂季実子の出演作品としてはこれまでの「最悪」の結果となりました。
 
 
 
 
しばらくして何かの雑誌に「村西は自分をAV男優に使って大儲け

したクセに、俺を使い捨てにしたヒドイ男だ。」と私を批判した彼の

コメント記事を眼にしました。
 
 
 
 
「喰えない奴」でございます。
 
 
 
 
克美しげるとは埼玉県の地方都市にあるライブハウスに彼が出演して歌って

いるのを偶然見かけたのがきっかけとなりました。

彼の往年のヒット曲「さすらい」が大好きでした。
 
 
 
 
彼が生歌で歌う「さすらい」を5mの至近距離で聴きながら上京してバーテン

をしていた頃をなつかしく思い出しました。

彼の歌うさすらいは「道に迷っているばかり」の時代の応援歌でした。

ステージを降りた克美しげると、近くの鮨屋に行ってお話しをしました。

話しているうちに改めて「人間克美しげる」の人生に興味を持ちました。
 
 
 
 
彼の「人生」を「作品」を作ってみたい、と思いました。テーマは彼の半生を

モチーフにこの世に「許されざる者がいるか、」にしました。
 
 
 
 
前科七犯の自分が撮れば「同病相あわれむ」との批判を受ける気が

しましたが「殺人」の過去を持つ彼の人生を描けるのは自分しかいない、

との自負がありました。
 
 
 
 
余談になりますが、当時はDVDといっても何んのことか分からない

まだまだビデオが主流の時代でした。日本で初めてアダルトDVD

を製造販売したのは私です。DVDメディアの特性を生かす為に、

初めから片面2層4時間16分の長尺ものを撮り下しシリーズの作品で

勝負に出ました。
 
 
 
 
4時間を越える長尺ものとなりますと、一作品の制作費は少なくとも

5千万円はかかります。中には一億以上かけた「大作」もあります。

新しいメディアである撮り下しDVD大作シリーズは合計8作品製作

されました。制作費として計5億円の金を費したと思います。
 
 
 
 
(これらの作品は当サイトのワンコインコーナーでご覧いただけます。

是非ご覧になって見て下さい。)
 
 
 
 
私の友人の不動産屋などは私を「バクチ打ち」と言います。

私はギャンブルをやりませんが彼は「5億の金をかければ立派な

ビルが建つ、それをあんたは売れるかどうか分からない、薄い一枚の

DVDの為につかってしまう。世の中に色々なギャンブラーがいるけど、

映像屋ほどのギャンブラーはいない」と言うのでした。
 
 
 
 
仕方がありません。ビルや土地に興味がないのですから。マグロは海中を

時速80kmで泳ぎ続けなければ生きれない宿命を必死に生きるだけなの

でございます。
 
 
 
 
さて問題は私の意気込みとは別に彼自身が作品に出演してくれるかどうか

にありました。なにせ作品の基本は「アダルト」であります。
 
 
 
 
彼自身が出演してSEXシーンを演じることがなくとも、そうした作品に

出演することにためらいを感じられるのは当然なことであります。しかし

彼は躊躇することなく、私でよければ出演をさせていただきます、

と快諾してくれたのでありました。
 
 
 
 
人柄はおだやかで、謙虚で、とても好人物でした。が、笑顔を見せていても決して

笑うことのない目を見て、「こわいもののない人生を生きている、」

人生を一度死んだ人間の凄みを感じたのでありました。
 
 
 
 
作品の題名は彼のヒット曲の「さすらい」となりました。

撮影は新宿から沖縄ロケを含めて約二週間で行ないました。
 
 
 
 
沖縄ではディスコやクルーザーを借り切り、本物の軍役軍人の米兵のゲスト出演

などもあり「豪華」なものとなりました。制作費は7千万円を越えました。
 
 
 
 
主演は清水健太郎でございます。忘れられないシーンがあります。

劇中で「人殺し」の前科を持つ元スター歌手克美しげるが、流しのギターひきで

流浪の日々を送るなかで、美しい小料理屋の女将と出会います。
 
 
 
 
女将は克美の歌に惚れ、もう一度歌の世界で生きるようにと励まします。

が表舞台に出て歌うことは二度とない、こうして行き倒れる人生が

俺にふさわしい、と固辞する克美のホホを女将が平手で張ります。
 
 
 
 
女将は泣きながら「この世の中にはあんたしか歌えない歌がるはずだよ、

弱い者の、負け続ける人生を生きる人たちのための応援歌が」と訴えます。

その言葉を聞きながら克美しげるが悔恨の涙を流す、というシーンで

ございます。
 
 
 
 
NGが8回出ました。女将役の女優さんの感情が入りすぎて、

長セリフの後半が涙声で聞きとれなくなってしまうのでした。

テイク4、5と続きますとさしもの女優さんの、演技で流す涙

も枯れてまいります。
 
 
 
 
目薬を差しながらの進行となりました。

一方相手役の克美しげるの涙でございます。

彼の流す涙は何度NGが続こうと枯れることはありませんでした。
 
 
 
 
それも「滂沱」と流すのでございます。それこそ滝のような、

ハンパじゃない量の涙をボロボロと流すのでありました。
 
 
 
 
カメラの前で克美しげるは演技ではないまさしく本人自身の人生の「肉と骨」

を剥いで見せていました。被害者となった女性、その両親、彼のために自裁した

父と母、その他の犠牲となった人達、過酷だった煉獄の日々、彼の涙には

いくつもの「悲しい色」が織り込まれていました。
 
 
 
 
彼の泣く姿は「愛が泣いている」ように見えました。(このときの印象から

作品の副題に「愛が泣いている」とつけました。)
 
 
 
 
彼が事件を起こした当時、マスコミの一部で、被害者となったソープ嬢は

気性の激しい女性で「結婚をしてくれなければ全部マスコミにバラしてやる」

と強迫をうけ、そのことで彼自身が自暴自棄となって「殺されなければ、

反対に殺される」と思い込むほどに憔悴し絶望していた、との報道がありました。
 
 
 
 
胸襟を開いた付きあいをするようになった頃、思い切って

そのことを質問してみました。
 
 
 
 
「殺さなかったら、殺されていた」

「はい」とは、彼は答えませんでした。ただ口を堅く結んで黙って

目を閉じて、いるだけでした。
 
 
 
 
日本で2番目のDVD作品となったこの「さすらい」の作品は、克美しげるの

時代をともに生きた私と同世代の「団塊の世代」の人達にはご好評を博しました。

がアノ克美しげる、とプロモーションをかけても現代の人々たちには彼の存在と

事件は完全に風化されてしまっていて、反響は皆無に近いものでした。
 
 
 
 
7千万円の金が露と消えました。後悔はありません。まさしく一人の人間の

慟哭する「愛が泣いている」さまを見とどけられただけで十分でした。
 
 
 
 
人間が命がけで泣く姿を見たのは、あとにも先にも私の人生であの時だけでした。

あれから彼と会う機会がないままに、時間が過ぎています。
 
 
 
 
テレビで彼が年の離れた奥様とカラオケ教室を開いている様子を見たことがあります。

脳梗塞の後遺症のせいで半身不自由なようでしたが、懸命に生きている姿を見て

胸が熱くなりました。
 
 
 
 
混沌とした時代、こうした時代だからこそ彼の歌の「存在の意義」はあるのだ、

と思います。神は「復しゅうするのはあなたではない、復しゅうするは我にあり」

といわれました。なお「石もて彼を打つ」資格の有る人間なぞいるでしょうか。

十字架を背負った男の「さすらい」のあの歌を、彼の生歌でもう一度是非聴いてみたい、

心からの願いです。

(「さすらい」はあの事件があってレコード会社は絶版にしました。)
 
 
 
 
清水健太郎とは彼の芸能界の先輩である兄貴分の岡崎二郎さんの紹介でした。

プレイメイトジャパンの女優さんが主演した「北の国から、愛の旅路」

の作品に出演してもらったのが最初でした。
 
 
 
 
当時清水健太郎は覚醒剤の懲役帰へりの身で、神奈川県にある知り合いの

「天ぷら屋」の厨房で皿洗いの日々を送っていました。

もう芸能界への復帰は「誰れもが駄目だろう」と思っていました。
 
 
 
 
劇中主人公の女性が喫茶店で実のオジさんに会うシーンがありました。

時間で一分ほどのほんの短いシーンです。キャスティングを進めていくなかで

この「オジさん」の役がなかなか決まりませんでした。
 
 
 
 
一シーンですがそれから先の物語にカラんでくる「重い役」、でございます。

誰れにしようか、と悩んでいるうちにクランクインの日が来てしまいました。
 
 
 
 
その喫茶店のシーンがあるその日まで、役が決まることなく、朝から撮影が

進行していきました。岡崎二郎さんが突然「監督お願いがあるんですが」

と云い出しました。
 
 
 
 
「もしオジさん役がまだ決まっていないようでしたら、私の友人の

清水健太郎にその役をやらせてくれませんか、」との申し出でした。

「清水健太郎!?」と一瞬迷いましたが、岡崎二郎さんはいつになく熱く、

「お願いします」と何度も頭を下げるのでした。
 
 
 
 
岡崎二郎さんはとても信頼している役者さんでした。彼が「推薦」するなら

いいだろう、と彼の提案を承諾することにしました。その場から

早速岡崎さんがケイタイで連絡をとると本人が出て、

急いで現場までくるとの返事でした。
 
 
 
 
「ギャラは!?」とききましたら岡崎二郎さんは「ノーギャラで結構です。

チャンスをいただけるだけでありがたいのですから」というのでした。

まさか「ノーギャラ」というワケにもいかず「百万円でどうでしょう」

と「提示」しました。
 
 
 
 
岡崎二郎さんは「そんなにいただけるんですか」と絶句しました。

私は「ご祝儀」の意味を込めて「百万円」の金額を提示したのでした。
 
 
 
 
「ご祝儀」とはせちがらい世の中で、友達の俳優のために「ノーギャラ」

でもいいからチャンスを下さい、と頭を下げた岡崎二郎さんの「友を想う心」

への「ご祝儀」でした。
 
 
 
 
もし私が「ノーギャラでよければ」との申しでをまともに受けて本当に

ノーギャラで「出演」させたら、きっと彼は自分の出演料から相当分のギャラを

清水健太郎に払ったはずです。覚悟は見えていました。
 
 
 
 
岡崎二郎さんは清水健太郎が逮捕される以前「クスリ」の問題で自身も

当事者となった苦い経験をしています。そうした経験から清水健太郎の

「皿洗い」の日々を人ごとと思えず「友情」の手を差しのべたのでした。
 
 
 
 
その日の喫茶店のシーンでは、さすが清水健太郎NGを出すことなく予定時間内

に出番を終了しました。
 
 
 
 
トップ払いの約束の「百万円」のギャラを渡すと「監督、今日撮影が終わる

最後まで現場にご一緒させてもらってよろしいですか」と清水健太郎が

申し出てきました。
 
 
 
 
翌朝の横浜埠頭での撮了まで徹夜で彼は現場にクギ付けになって見ていました。

「現場はいいな、現場はいいな」と何度も彼がつぶやいているのを聞きました。

彼は根っからの本当に演じることが好きな役者バカなんだ、と強い印象を持ちました。
 
 
 
 
彼の映画に対する心意気が気に入りその後、彼を主演にした作品を一本撮りました。

(前出の克美しげるが出演した「さすらい」です)ギャラは四百万円払いました。

以後、私の作品出演がきっかけとなって封印が解かれ、芸能界に再デビュー

を果たしました。おもにVシネマの世界で活躍し毎月一本のペースで彼の主演作が

リリースされることとなったのであります。
 
 
 
 
彼は「Vシネマの帝王」と呼ばれるようになり、そのギャラも一本「七百萬円」

との噂が聞こえてきました。結婚もして億ションもキャッシュで買って順風満帆と

思われたさなか彼はまた「覚醒剤犯」として4度目の逮捕をされることとなり

2年4ヶ月の懲役に行きました。
 
 
 
 
完全なビョーキであります。役者バカで生きぬいたら、一つの時代を築けた

のにと残念であり、気の毒に思います。
 
 
 
 
岡崎二郎さんと、電話で話すことがあります。話題はいつか清水健太郎の話

となります。「あのバカが、本当に何度いっても分からない大バカ野郎が」

と岡崎二郎さんは怒っているのでした。
 
 
 
 
でもその吐く厳しい言葉の端々に、もう一度なんとかしてやりたいとの「弟分」

の健太郎への深い愛情が感じられるのでした。
 
 
 
 
清水健太郎が逮捕されたとき、兄貴分として安岡力也の「今回はもう許さん、

四度目だろ」とのコメントが新聞に載りました。

梅宮辰夫も「一生刑務所に入ってろ」のコメントをだしていました。
 
 
 
 
「なにを言ってやがる」でございます。健太郎の兄貴分ズラでモノを言うなら

今までどんなことを健太郎の為にしてやったとことがあるか、言ってみろ、

でございます。
 
 
 
 
相撲とりと同じく、所詮「ごっあん」の世界に生きる河原乞食のぶんざいで、

身の程知らずな能書きを言うな、でございます。
 
 
 
 
清水健太郎の名前を目にすると、いつも岡崎二郎さんのことを思い出します。

清水健太郎のノーギャラでの出演を頼んで頭を下げたとき、

岡崎二郎さんが涙を流していたのを私は知っていましたよ、二郎さん。
 
 
 
 
私たちが「ご先祖さま」の「DNAの伝承」に思いをはせるとき、

忘れてならないことにその「性」の遍歴がございます。
 
 
 
 
私たちの「DNA」に刻まれてある「ご先祖さま」の性の「記憶」は、強姦魔でり、

淫売あり、紳士あり、淑女でり、カストロ、SM、ホモ、レズ、フェチ、の星の数ほど

の多様な性癖の伝承を受けているのでございます。
 
 
 
 
そしてそれはSEXマッチョの性の「巧者」の「血の伝承」でもございます。
 
 
 
 
英雄色を好む、スキ者の末裔でなければ今日まで生存競争を勝者として

生き抜いてくることはかなわなかったのでございます。

なにせ400代の「世襲」がございました。
 
 
 
 
声を大にして申し上げたいと存じます。

あなたさまには「希代のエロ事師」の「細胞の力」が温存されています、と。

科学的に自からを洞察した「遺伝学」の真実を放棄して、どうせ俺なんかダメだ、

とのワナにおちていってはなりません。
 
 
 
 
辻井伸行君の潜在力がああであれば、いったん火のついたあなたさまの

「好色の遺伝子」の潜在力はいかなるSEXカンタービレを奏でることとなる

のでありましょうか。そらおそろしい気がます。
 
 
 
 
卑弥呼、藤原氏、頼朝、信長、家康、伊藤博文の時代では、いかな女王、将軍、

大臣でも舌ずつみをうつことがかなわなかった、人類最高峰ともいえる現代

「ニッポンのエロづくし」を「堪能」することはなによりの「ご先祖さま」

供養となるのでございます。

投稿者 村西とおる:19:49 | コメント (0) | この記事をはてなブックマークに登録