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蝶々夫人の日本像誤解改め上演へ 声楽家・岡村喬生さんイタリアで

2010年3月10日

写真オペラ歌手の岡村喬生さん=東京都世田谷区、豊間根功智撮影

■意味わからぬ「日本語」・ちょんまげ僧侶…

 「新国際版」と名づけたオペラ「マダマ バタフライ」(蝶々夫人のイタリア語表記)が来年8月、イタリアのプッチーニ・フェスティバルで上演される。日本語や日本文化の常識に照らしあわせて、おかしな部分を改訂した。欧米の人々に遠い日本の姿を伝え1世紀余、イタリア語の台本に手が加えられたのは初めてという。芸術総監督として「NPOみんなのオペラ」を引き連れ、本場へと乗り込む声楽家の岡村喬生さんに、その狙いと思いを聞いた。

 「改訂したいのは、日本文化の誤認です。日本人なら、だれでも気づく間違い。改めなくてはいけません」

 蝶々のおじの「ボンゾー」は僧侶である。ピンカートンとの結婚式の後で登場し、キリスト教に改宗した蝶々を「カミサルンダシーコ」とののしる。

 イタリアに留学していた半世紀前、初めて台本を手にして頭を抱えた場面という。意味を先生に尋ねると、「日本語なので分からない」との答えに、さらに驚いた。「これが日本語だとは……」

 「天罰よ、おりろ」といったニュアンスだが、どうやら「神猿田彦」との意味だと知るのには時間がかかった。

 絶縁を宣言された蝶々は泣き崩れる。ピンカートンは慰める。侍女のスズキは仏前に祈りをささげ、「イザギ、イザナミ」と唱える。「こんなことはありえない」。長崎での仏教事情を調べ、「南無妙法蓮華経」と直した。

 1969年にドイツの劇場で専属になると、そのボンゾー役が回ってきた。頭にはちょんまげをのせ、スカートをはき、手には鳥居を持たされた。「おかしい」と抗議したが、取り合ってもらえなかった。「間違いがわかるのはあなたと客席に何人いるかわからない日本人だけだ」と。

 長崎港の先に富士山を描いた舞台装置を見たこともあった。げたを履いたまま蝶々が家に上がり、着物のたもとから小さな仏像を取り出すという演出にも出あった。

 「このオペラが書かれたのは1903年、日露戦争の前年です。プッチーニは、日本を知ろうと手を尽くしたが、日本についての情報は限られていた。そのため細部で間違えたが、善意の間違いなのです。だから日本人が善意で直さなくてはいけません」

 「みんなのオペラ」で日本語を交えた改訂版をつくり、2003、04の両年に東京で上演。それを見たイタリアの文化担当官の報告で、本場プッチーニ・フェスティバルでの公演の声がかかった。オペラはイタリアの代表的な文化で、プッチーニはその誇るべき作曲者だ。原作を日本人が勝手に書き換えるわけにはいかないと、同フェスティバル財団との共同作業で改訂した。

 「問題なのは100年以上も、この間違いが放置されたこと。それが日本人の国際感覚」と指摘する。つい数年前、イタリアで切手を買うのに郵便局へ行って、「日本とは、アフリカのどこにあるのか」と職員に聞かれた。「日本人が思っているほどに欧米で日本は知られていない。堂々と説明すればいい。これが欧州の国とイタリアの間の話なら、とっくの昔に、指摘し改められていたはずだ」

 「音楽は世界共通の文化。蝶々さんほど日本人や日本文化を欧米に伝えた外交官はいないのです。だからこそ直さなくてはいけない」。長年の積もった思いには熱がこもる。

 そして「かつてオペラは欧米の観客だけを相手に演じられていた。しかし、今では世界中から見に集まる時代。オペラも変わらざるをえない時代なのです」。「新国際版」と名づけた由来でもある。

 来年8月の上演に向け、5月末にオーディションを計画。国籍、年齢など一切制限を設けず「世界初演」にふさわしい出演者を選びたいという。問題なのは資金難。「日本が国際社会でどう生きていくかという問題。協力をお願いしたい。最後は家を売ってでも実現させる覚悟です」

 オーディション応募を含めた問い合わせは、みんなのオペラ事務局(03・3994・3552)。(渡辺延志)

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