今回はイギリスの医療制度についてご紹介します。イギリスにはナショナル・ヘルス・サービス(National Health Service)と呼ばれる国営の健康保険制度があります。この制度は通常、頭文字をとってNHSと呼ばれています。NHSは第二次世界大戦後、「揺りかごから墓場まで(from the cradle to the grave)」というスローガンで知られる高福祉政策の一環として生まれました。現在でも医療費は原則的に無料です。ただし、実質的にはまったく無料というわけではありません。
NHSの医療制度にかかる場合、居住地域内のNHSの診療所(surgery)や、GP(general practitioner)と呼ばれる一般的な医療を行う医師に登録します。体の具合が悪くなったときに、登録している診療所やGPに診察の予約を入れます。朝予約を入れると、ほとんどの場合はその日のうちに診てもらえます。
わたしが初めてGPに診てもらったときに驚いたのは、イギリスのお医者さんは白衣を着ていないことでした。こぢんまりとしたオフィスのような診察室で、私服を着たGPが事務机の前に座って患者を待ち受けていて、「まあ、どうぞ」と椅子を勧めてくれます。診察室の片隅には、細長くて小さめの診察用のベッドなどはありますが、医療器具なども少なく、日本の病院とはずいぶん雰囲気が違っています。付き添いの看護師さんもいないので、診察室にはGPと患者の二人だけになります。プライバシーが守られるという点ではいいのですが、GPと患者だけの密室状態になるということでもあります。
GPの診察の結果、専門医の診察が必要だと判断された場合、GPが病院の専門医に紹介状を書いてくれ、予約を取ってくれます。イギリスではGPに予約を取ってもらわない限り、専門医に診てもらえません。また、自分で病院や専門医を選ぶこともできません。ただ、飛び入りで押しかけても診察してもらえないような病院も、救急の外来だけは例外です。GPを通さない患者を受け入れてくれます。病院の入院や手術が必要な場合、入院費は手術費のみならず、ベッド代から食費に至るまで、すべて無料となっています。
GPが専門医の診察は必要ではないと判断した場合、GPが医療処置を行います。薬が必要な場合はプリスクリプション(prescription)と呼ばれる処方箋を書いてくれます。イギリスの診療所には付属の薬局はないので、診療所の最寄りの薬局、またはスーパー内の薬局などにプリスクリプションを持参して薬を受け取ります。このとき、イングランドでは、プリスクリプション・チャージ(prescription charge)と呼ばれる料金を支払わねばなりません。この料金は薬の種類にかかわらず一定です。現在は7ポンド20ペンス(2010年3月のレートで1,000円あまり)。16歳未満の子供、60歳以上のお年寄り、その他一定の条件を満たす人々は無料となっています。(ウェールズではプリスクリプション・チャージは無料です。スコットランドと北アイルランドでも無料化に向かっています)
イギリスの歯科治療の場合は、同じNHSに加入している歯科医の場合でも、医療費はプリスクリプション・チャージのみというわけにはいきません。6カ月に一度の定期診断の場合、歯石取りなどを含んだ料金が16ポンド50ペンス(2,300円ほど)、抜歯や詰め物などの治療費が45ポンド60ペンス(6,400円ほど)、歯冠や入れ歯、ブリッジなどが198ポンド(28,000円ほど)となっています。この三段階のシンプルな料金制度は2006年から始まったものですが、ちょっと首をひねりたくなるのは、治療してもらう歯の本数にかかわらず治療費は一定であることです。つまり、歯を1本治療しても2本治療しても同時治療なら料金は同じなのです。
また、妊婦さんと出産後1年間以内の女性は無料で歯科治療が受けられます。子供の治療費も無料ですが、日本では自己負担となる歯の矯正に関しても、子供は無料となっています。歯の矯正は一般の歯科医デンティスト(dentist)ではなく、矯正専門の歯科医オーソドンティスト(orthodontist)が行います。親知らずの抜歯も、日本での歯科治療とは異なっています。多くの場合、親知らずの抜歯はデンタルホスピタル(dental hospital)と呼ばれる歯科専門の病院で全身麻酔を使って行われます。
近年、NHSを離れ、プライベートになる歯科医が増えています。プライベートの歯科医にかかった場合は、治療費の全額が個人負担となります。登録している歯科医がプライベートになった場合は、NHSに加入している歯科医を探して登録し直すか、高額の歯科保険をかけるかを迫られます。
プライベートの歯科医ほど数多くはありませんが、NHSに加入していないプライベートの医師や病院もあります。日本では私立病院でも、国民健康保険で医療費負担は三割で済みますが、イギリスの私立病院の場合は全額個人負担です。現在では、国庫負担で「揺りかごから墓場まで」を実践するのはなかなか難しい状況となってきています。
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◇ギブソンみやこさんのプロフィル
京都府与謝郡与謝野町出身。京都教育大学教育学部卒業。30歳の時、実家の町と友好のあったイギリスの南西部ウェールズの町アベリストゥイスを親善訪問し、ウェールズ大学アベリストゥイス校の語学研修コースを受講。当時、ウェールズ大学の学生だった現在の夫と知り合い、1992年に結婚。同年よりイギリス中央部にあるニューカッスルに在住。1992年より2005年までニューカッスル近郊のワシントンにある北東イングランド日本人補習授業校講師。その後、「地球の歩き方」海外特派員ブログ、その他のウェブサイト、雑誌等でイギリスの暮らしぶりを紹介している。
ギブソンさんのブログはこちら http://fromuk.blog101.fc2.com/
2010年3月9日