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無差別爆撃への怒り今も 東京大空襲63年 大法要に400人参列 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:学校教育
米軍の爆撃で推定約10万人の命が奪われた東京大空襲から63年目を迎えた10日、東京都墨田区横網の都慰霊堂で戦災や関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」が開かれ、遺族ら約400人が参列、犠牲者の冥福(めいふく)を祈るとともに平和への誓いを新たにした。
慰霊祭では、都慰霊協会の貫洞哲夫会長が式辞を述べた後、石原慎太郎都知事が「戦火を繰り返さないことを誓い、安心して暮らせる首都東京を創造する。御霊(みたま)の安らかなるご冥福をお祈りする」と述べた。常陸宮ご夫妻が焼香されたほか、遺族代表らが犠牲者を追悼した。
東京大空襲は太平洋戦争末期の昭和20年3月10日未明、米軍のB29爆撃機300機以上が現在の東京都墨田区、江東区、台東区など人口が密集する下町を中心に焼夷弾(しょういだん)を投下した無差別攻撃。東京のほか大阪、名古屋などの大都市や地方都市に対しても行われ、原爆被害と合わせると民間人の犠牲は50万人以上に及ぶ。
米軍の無差別攻撃は、焼夷弾を周囲に落として炎の壁を作った上で逃げまどう人々を狙い撃ちしたもので、猛火の中、全身に大やけどを負ったり、煙にまかれて川に飛び込んだりして死亡する人が相次いだ。
父親を空襲で亡くした品川区の大塚さとさん(86)は「父から『風上に逃げろ』と言われ避難し自分たちは助かった。父は警防団の幹部で避難せず、逃げまどう人であふれかえった言問橋から転落死した」と涙ぐんだ。
同僚を亡くした板橋区の湯山義夫さん(82)は「至る所で焼死体が転がっていた。当時は国民のほとんどがB29や搭乗員に怒りを持った」。