2008年03月11日

 東京大空襲のあった日

 埼玉県で住宅リフォームは 正健プランニング!



 63年前の昨日の夜から今朝方にかけて。
 一晩で10万人の武器を持たない、戦わない庶民が殺害されました。

 東京大空襲は計画通りに一般市民を大量大虐殺に追い込んだジェノサイトだったんだなぁ。
 昨夜、放映されていたTBSテレビの特番を見て改めて実感しました。



 3年前のブログから

   ☆☆☆☆☆☆☆

 『東京大空襲から60年。』

 昨日がその日。
 
 父方の爺ちゃん、婆ちゃんが亡くなる時まで一緒に暮らしていた。
 幼少の頃は婆ちゃん子だったらしい。

 当時、爺ちゃん、婆ちゃん、親父らは墨田区の曳船に住んでいて空襲で直撃されたという話はよく聞いた。
 幼い頃の記憶ながらわりとよく憶えている。

 「まぁ、ともかく凄かったよ。うちの近所の人はみんな荒川や隅田川に向かって逃げようとして途中で爆弾が降ってきて死んじゃったんだよ。婆ちゃんはね。お父さんや市川のおばちゃん達とね。死ぬ時はどこでも一緒だと思って家から出なかったよ。そしたらうちの近所だけ爆弾がこなかったよ。」
 という話。
 
 すると親父も幼い記憶ながら憶えているようで
 「本当に婆ちゃんは逃げなかったんだから。」と笑っていた。
 「あん時、近所の人達と一緒に逃げてたら死んでたね。」
 なんて会話を食卓で武勇伝のごとく話てくれた。

 爺ちゃんは動因されていて家にいなかったという。
 口数少ない人で、その話を聞きながらやっぱりいつも笑っていた。

 今では想像もつかない時代だったのは確か。
 大空襲ではないが、1人は戦時中に、もう1人も確か戦中か直後に病気で亡くなり、4人兄弟のうち親父とおばさんの2人だけが生き延びたという。

 王選手(現監督)の実家がやっていたラーメン屋に歩いていける距離だったとも言ってた。
 なぜだか王選手のことを友達のように話す。しかも自慢げに。
 きっと親父は会ったこともないはずなのに。間違いなく。

   ☆☆☆☆☆☆☆


 10万人がお亡くなりになった東京大空襲。
 そのド真ん中にいた幼き頃の親父達とお婆ちゃん。
 昨日の特番を見ても、生き残ったのは奇跡といっていいのでしょう。

 奇跡の繋がりで‘命,がある。
 本当にありがたいことです。

 平和である現代に感謝。
 お亡くなりになった多くの先人様達に合掌。



 今日もこのブログを読んでくださって “ありがとうございます!!!”

shoukensuzuki2005 at 10:24 │Comments(0)TrackBack(2)この記事をクリップ! 私事・日記  | 正健プランニング

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おもしろにっき

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