8・13ブントワークショップin笛吹市での講演から

2004年オイルピークの衝撃

石油減耗で現代物質文明は崩壊する

エネルギー問題はEPRで考えるのが肝

荒 岱介

あら・たいすけ

作家・編集者、出版社経営。1945年生まれ。早大第1法学部入学後、学生運動に参加。第2次ブント社学同委員長。80年代武装闘争を担った戦旗・共産同議長などを歴任。哲学者廣松渉との交流を経て環境派に。著書『破天荒伝』『大逆のゲリラ』『環境革命の世紀へ』『廣松渉理解』『破天荒な人々』『反体制的考察』『ブントの連赤問題総括』その他。

石油高騰の原因は何か

 お配りしている資料は、『理戦』の81号に「高く乏しい石油時代が来る」と題した論文を書いている石井吉徳さんが、メールで紹介してくれた英文資料を翻訳したものです。石井さんは、国立環境研究所の所長だった人で、今は退官して東大の名誉教授です。イデオロギー的にどうのこうのではなくて、石井さんは日本有数の石油の専門家として、オイルピーク=石油減耗を警告しています。それをどう受けとめるのかが、私たちに問われている。  

 ここ山梨県石和では、ハイオク・ガソリン、リッター143円と表示されていたガソリンスタンドがありました。今、石油価格は物凄く上がっています。ニューヨークのマーカンタイル取引所の原油価格は、先物取引で1バレル65ドルを記録したと新聞に出ていました。  

 石油に関連して最近、もう一つ注目すべきニュースがありました。中国海洋石油という中国の石油会社が、アメリカのユノカルという石油会社の買収をめぐって米系石油メジャー・シェブロンと争った。買収資金としてシェブロンが170億ドルを提示したのに対して、中国海洋石油はそれよりもはるかに多い185億ドルの巨額を提示した。しかしアメリカの議会は、中国海洋石油によるユノカル買収をできなくさせる条項を盛り込んだ包括的エネルギー法案を可決して、これを阻止するといったことがありました。アメリカと中国の間で石油争奪が強まっているわけです。  

 現在の石油価格の高騰に関して、70年代に2回あったオイル・ショックと同じように考えている人がいます。しかしそれとは違うということを、まず押さえる必要があります。70年代に石油が値上がりしたのは、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)などのアラブの産油国が、アメリカのメジャーによる石油独占に反旗を翻し、石油の生産・輸出を制限したことの結果でした。つまり人為的に生じた石油危機でした。  

 しかし、今後起きるであろう石油価格の高騰は、そうした人為的なものではありません。地球上に資源として存在する石油の産出量が基本的にピークを過ぎ、石油生産の低下が原因となった石油の高騰が始まっているのです。  

 石井さんは『理戦』で、「地球は有限、いつまでも安く豊かな石油があるのではない。石油価格の乱高下は、これを反映するであろう。ところがエコノミスト、そしてエネルギー専門家すら、中東が不安定だから石油が高騰する、というのである」と書いています。世界の石油生産はピークを過ぎた、これからは石油が高く乏しい時代がやってくるということです。  

 日本では、こうした石油ピーク論はあまり問題になっていませんが、世界では大問題になっている。日本は消費する石油のほとんど100%を輸入に頼っています。日本の場合、石油の産出には関係ないからピンとこない。「どうせ輸入する以外ないのだから、同じだろう」と、みんな思っていて危機感がないわけです。  

 ところが、アメリカや中国は違う。アメリカも中国も石油の生産がピークを過ぎたという事実を、重大な問題として受けとめています。すでにアメリカは、1970年代に石油輸入国に転換し、中国も現在、需要の40%を輸入に頼っています。その位置から、サウジアラビアをはじめとする中東アラブ地域の石油生産が頭打ちだ、ではどうするのかと必死になっているのです。  

 石油減耗といいますが、その結果ものすごい転換点がやってきます。なぜなら、産業革命以降の現代文明は、石炭あるいは石油といった化石燃料・エネルギーを無尽蔵に消費することを前提に成立してきたからです。石油生産が低下し、石油の大量消費ができなくなれば現代文明は立ちゆかなくなる。最終的には、2015年から2020年ぐらいには石油価格が一挙的に高騰し、人類社会は未曾有の恐慌に襲われると言っている人達もいます。  

 21世紀の世界は「成長の限界」に直面すると言われてきたわけですが、一番最初、どこから「成長の限界」が顕在化するのか。資源エネルギー問題からです。もちろん温暖化や汚染の問題もあります。だけど、そもそもの大本である石油資源が無くなってしまう。そんななかでノホホンとしているのは日本人だけです。

石油代替エネルギーは存在しない

 資源エネルギー問題に関して考える場合、前提的に押さえておかなければならないのは、「石油にかわる代替エネルギーなど存在しない」という問題です。天然ガスがあるじゃないか、オイルサンドがあるじゃないか、あるいはメタンハイドレートがあるじゃないか、という人がいます。しかしそれはエネルギー問題の本質が分かっていない議論なのだと、石井さんなどのエネルギー問題の専門家は指摘します。  

 『理戦』81号の石井さんの論文の24ページを開いてください。そこに「エネルギーの出力/入力比:EPR」という考え方が出てきます。このEPRを理解しないと、エネルギー問題はちゃんと理解できないのです。  

 「エネルギー資源を理解するには、その評価基準としてエネルギーの出力/入力比が本質的である。EPR(Energy Profit Ratio)、EROI(Energy Return on Investment)などだが、残念ながら、日本では殆どしられていない。これから説明するが、この指標はエネルギー資源を評価するに、欠かすことの出来ない重要性を持っている。殆どの巨大油田はEPR60と高い。オイルピーク時1970年頃のアメリカの油田は20と低い。それも1985年は10を下回る。今では3程度に落ちているそうである。同じ石油資源もこのように、EPRの値は大きく異なる。同じ油田でも生産とともに、EPRは変化する。勿論低下する」  

 エネルギー問題は、EPRというエネルギーの入力と出力の比率で考えなければならないのです。EPRが大きければ大きいほどエネルギーとしては価値があり、EPRが1より小さいようでは、エネルギーとしては全く意味がない。  

 EPR60という巨大油田、具体的には中東の大油田というのは、地球上に存在するエネルギー資源のなかで最も良質なエネルギーであり、これに替わりうるような代替エネルギーは現時点では全く存在しないのです。このことがまず押さえられるべきです。EPRで考えると、代替エネルギーはみなコストが高すぎて、普通の人が普通のエネルギーとして使うようにはならない。ここに現代の資源エネルギー問題の本当の深刻さがあるわけです。  

 例えばカナダのタールサンドのEPRは1・5にすぎません。オイルサンド類は、石油と比べようもないぐらい「異質」で「低品質」なエネルギー資源なのです。日本で話題のメタンハイドレートも「資源と言えるかどうかすら疑問」。海水ウランについても、海水に溶存するウランの濃縮には膨大なエネルギーが必要で、とても代替エネルギーなどにはならないといいます。  

 「低品位の希薄な物質を量の大きさのみに着目し、未来の資源という話が日本には多すぎる」と石井さんは書いています。  「流行のバイオ、エネルギー農業だが、既に述べたように、現代農業は大量の石油に支えられている。このためサトウキビからのエタノールはEPR0・8〜1・7と低く、トウモロコシも1・3である。またトウモロコシの残渣からのEPRも0・7〜1・8と低いようである」  

 原子力発電はEPRからみてもダメです。「別の例では4・0という数字もあるが、これに対して、原子力関係者の言うEPRは、50と高いのである。この一桁の違いを説明することは、今後大きな意味を持つと思われる」  

 日本の電力会社は、原発のEPRを一桁も高く算出して、原発は有効だと国民を騙そうとしている。それらから、石油代替エネルギーなど存在しないとなります。

 石油減耗とはどういうことか  よく「石油の枯渇」という言い方をしますが、専門的には石油減耗=Oil Depletionというようです。どうして「枯渇」と言わず「減耗」というのか。

貯留岩には小さな隙間がたくさんあり、その中に石油が入っている 
 

 そもそも石油はどうやってできたのか。海中のプランクトンなどの有機物が海底に堆積し、それが砂や泥で覆われ、有機物が重なりあったケロジェンと呼ばれる物質になると考えられています。それが大陸の移動などの地殻変動によって、特殊な地層の中に閉じこめられ、圧力をかけられながら組成変化していきます。背斜構造というか帽岩という山形の蓋になっている岩の下で、根源岩と呼ばれる泥岩とか炭酸塩岩中で石油系炭化水素へと変化していくのです。  

 このようにしてできた石油は地下の圧力で上へ上へと移動しますが、背斜構造という特殊な地形のもとにあるわけですから、上にはガスが溜まり、真ん中に石油、その下に水が貯まるという構造になるわけです。  

 こうした構造からして、石油は上の地盤に穴をあけると、最初は油層に貯まった圧力で自噴します。これを石油業界では一次回収と言います。しかし、どこの油田でも、だいたい石油の層の中の20〜30%ぐらいしか自噴しません。従来は自噴しなくなった時点でその油田はお終いだった。それではあまりに効率が悪い。20〜30%しか回収されないわけですから、地中にはまだ何十%も石油が残っている。  

 そこで二次回収が考えられるようになります。二次回収というのは、油田に水(海水)を注入したり、ガスを押し込んだりして回収率を高めようというものですが、この二次回収によっても30〜40%しか回収できない。  

 さらに石油の回収率を上げようと、三次回収も考えられています。三次回収の方法には、熱攻法とかケミカル攻法とかガスミシブル攻法とかいうのがあって、水蒸気を注入したり、界面活性剤を注入したり、炭化水素ガスや炭酸ガスを油層内に注入して、ガスと原油が完全に混ざった状態(ミシブル状態)になったものを回収する方法などがあります。  

 さらには原油を汲み上げる井戸も、真っ直ぐに掘るだけではなくて、垂直に掘った後、さらに横に掘っていく水平坑井とか、それを何本も掘るマルチラテラル井などが試みられています。  

 しかし、そうやって回収したとしても、結局人間が回収できる原油というのは、その油田の全埋蔵量の50%程度、最高でも60%程度にすぎない。三次回収までやっても、だいたい40〜60%ぐらいしか回収できない。地中の油層から人間が人為的に採掘できる原油は最大でも60%であり、あとの40%は回収できずに残ってしまうのです。  

 ここからオイル・リカバリー(回収)が問題になるわけですが、問題はコストです。残った原油を回収するのには、もの凄いコストがかかってしまい全く採算がとれなくなります。EPRで言えば、残った原油を回収するために必要なエネルギーと、回収される原油のエネルギーを比較するということになります。  

 そこから石油の専門家は、「枯渇」ではなく「減耗」Oil Depletionと言うようです。油田の全埋蔵量の中で、資源として有効に回収できるものは限られている。「残っているけど、もう人間には利用できない」、これが一つの肝になることです。これが石油減耗ということの意味で、覚えておく必要があります。

オイルピークが来た

 次に、「『オイルピーク』が来た――EAGEパリ2004報告」と題した資料を見てください。この文章は、応用地質株式会社の相談役をやっている大矢暁という人が「エネルギーレビュー」の2004年11月号に書いたものです。昨年6月パリで開かれたヨーロッパ地球科学者・技術者会議(EAGE)の報告です。それによると、石油減耗、オイルピークは、業界ではすでに世界的な共通認識なのです。  

 「この会議は毎年ヨーロッパ各国の都市で開かれるが、パリで開かれたのは12年ぶりである。今回のEAGEには『Sharing the Earth』というタイトルがつけられ、……まさにオイルピークに達した年になったこと、将来は世界的に重要なエネルギー源としての石油が不足するという未知の時代に入ることが強調された画期的な会議になった」「石油業界ではこれまで石油減耗(Oil Depletion)に関する議論がなされてこなかったわけではない。しかし石油・天然ガス開発にかかわる物理探査・資源調査の学会が石油減耗の危機を訴える話題での特別講演企画を立てたことは無かった」  

 この会議では「探査技術は発展したが過去25年間石油や天然ガスの新規大規模鉱床の発見には見るべきものがない」と報告されています。  

 世界の石油需要は激増しているのに、この25年、新たな大油田が全く発見されていない。「カスピ海に油田があるじゃないか」という人もいますが、実際には大した埋蔵量はなかった。すでに石油メジャーは世界中で石油探査を行っていて、結局のところ大量の原油を効率よく回収できる大油田は、地質学的にいって中東にしか存在しないという結論なのです。中東以外の油田はそれよりは小規模なものです。  

 「既に石油生産はピークに達しており今後生産量は減退する。減退の程度は年率4〜5%に達すると予想される。一方石油の需要は、今後も中国・インドも含めて経済・産業が成長すると予想され、世界の需要は年率2%前後で進むと見込まれる。この結果、今後10年間の予想をすると需要と供給とは大きなアンバランスをもたらす。2015年における世界のエネルギー需要は石油換算日量で1億6000万バーレルに達すると予想され、これに対し従来型油田から従来型技術による生産量は日量8000万バーレルと需要の半分を満たす程度に減退するであろう」  

 10年後には、需要は1億6000万バーレルになるのに、供給の側は8000万バーレルになってしまう。これがパリの専門家会議で言われていることです。  

 ヨーロッパの科学者の会議ですから北海油田のことも話題になっています。「シュルンベルジェのチェアマンゴールドは、北海の石油生産を例に挙げ、北海油田もすでに最盛期を過ぎたこと、2000年には減退率(Decline rate)が40%に達したことから、回収率の向上に4D技術を適用し改善された採油計画を立てることが重要であり、それに答えることができる探査・モニター・解析技術は開発されていることを話した。しかし、2015年までに世界の総需要量の半分に相当する新規生産を可能にするためには、きわめて積極的な技術開発が必要であり、2030年までに6兆ドルの投資が必要であると指摘した」  

 北海油田からの回収率を向上させるための6兆ドルの技術開発投資は、当然、石油価格に上乗せされます。北海油田はすでにオイルピークに達した。EUはもう北海油田の石油をあてにできない。だからEU諸国は石油に頼らない、自然エネルギーへの転換を国家的なプロジェクトとして進めているわけです。全エネルギーの20%以上を自然エネルギーでまかなうことを目標に掲げているのもそのためです。

ハバートとキャンベル

 ハバートとキャンベルという2人の学者の名がでてきます。「石油減耗についてはキャンベルなどが以前から指摘していたことである。キャンベルのまとめたハバートカーブは2004年にオイルピークが来ると分析している。そして、まさに、キャンベルが予想したようにオイルピークは今年2004年に来た。世界の石油エネルギーの大転換期が始まったといっても良い」  

 『理戦』81号で石井さんはこう紹介しています。  「1956年、アメリカ、ヒューストンのシェル石油研究所の地球物理学者K・ハバートは、1970年代にはアメリカの石油生産がピークを迎えると主張した。当時は大変な反論に会った」。当時も、石油はまだまだある、経済成長は維持できるとする経済学者が多かったのです。ところが、現実はハバートが予測したとおり1970年にアメリカ48州の石油生産は頂点に達し、その後再び生産は上向くことはなかった。  

 ハバートは石油生産量のピークは、埋蔵量を半分消費したときに訪れると分析しました。ハバートは石油の生産量は横軸を年代、縦軸を年生産量とすると「左右対称のベル型」を辿ると考えた。つまり石油生産はピークを越した後、急激に落ち込んでいく、減耗していくと予測したのです。先に述べた回収率の問題とこれは関連します。  

 アメリカの場合、ハバートの予測した通りに国内の石油生産は1970年にピークを迎えて減耗期に入り、その後アメリカは石油輸入国に転換した。彼が1970年をアメリカ国内油田のオイルピークと予測したのは、その時点でアメリカ国内の全埋蔵量のだいたい半分が回収されると予測したからです。  

 こうしたハバートの理論を世界の石油生産に適用したのがキャンベルです。フランスのTOTALなどで石油探鉱に長年従事した地質学者キャンベルは、ハバートカーブを世界の石油生産に適用、オイルピーク2004年説を提唱しました。キャンベルの予測がそう大きく外れることはないと言われています。2004年ぴったりがピークかどうかはともかく、21世紀の早い段階に世界の石油生産がピークを迎え、その後、急速に石油減耗の時代に突入していくのは間違いないのです。  

 実際、世界最大の油田であるサウジアラビアのガワール油田でも、石油生産の減耗が始まっています。EAGE報告に「今年7月30日に刊行されたエネルギーブレティンに掲載されたグレンモルトンの記事によれば、ガワール油田の現在の生産は日量450万バーレルで世界の総石油生産量の約5・5%を占める。もちろん最大の生産量である。そのガワール油田で汲み上げている石油に水が相当量(30ないし55%)混入してきており、また、リザーバー中の液体の圧力を維持するために海水を日量700万バーレル注入している」とあります。  

 ガワール油田でさえ、海水を注入してその圧力でなんとか原油を汲みだしている状態なのです。二次回収に入っているのです。にもかかわらずアメリカエネルギー省の報告では、2010年にサウジから日量約1400万バーレル、2020年には日量約2000万バーレルの生産が要請されているといいます。アメリカン・ウェイ・オブ・ライフを今までどおり続けるために、米政府はサウジアラビアに「ともかく石油を掘れ、もっと掘れ」と言い続けているのです。だけど、もはやガワール油田の石油生産量では、増大する世界の石油需要にこたえられない。  

 するとどうなるか。ガワール油田に次ぐ規模の油田はメキシコのカンタレル油田で日量200万バーレル。その次にクエートのブルガン油田、100万バーレル。中国のダキン(大慶)油田、100万バーレルなどが続きます。しかしいずれも30年も掘ってる油田です。しかるにここ25年、新しい油田は見つかってない。ガワール油田は45年ぐらい生産を続けています。  

 ここに次のような問題が発生します。「もし、ガワールが枯渇してくれば、それを補うために生産量を上げる他の油田もすぐに疲弊してくる」ということです。もしそうなれば、世界で使える石油はあと10年もすると、今の半分の量にもならないかもしれない。  

 実際にエクソン・モビールが今年2月にまとめた『エネルギーのトレンド』と題する報告書では、2015年における世界の石油総需要を1憶6000万バーレルと予想し、そのうち既存の油田から供給できるのは僅か6000万バーレルで、需要の37%にしかならないとしています。エクソンの報告書では、どんなに頑張っても従来型の石油はもう無くなる、しかし代替エネルギーとして考えられている風力発電、太陽電池、ガソリンの代替として研究されている水素燃料電池や穀物から作るアルコール燃料などは、経済的に成り立つかどうか疑問だらけであり、結局お手上げ、といった内容になっています。  

 石油メジャーのエクソンが、石油はなくなる、代替エネルギー開発もおぼつかない、お手上げだと言ってる。これは大変なことなのが分かるでしょう。

世界石油争奪戦争の始まり

 石油の減耗は石油価格の高騰だけでなく、国際的な石油争奪戦をも引き起こしています。EAGE2004パリ報告はその点にもふれています。「スタンフォード大学地球科学部のアモス・ヌル教授に会う機会があり、石油減耗のことを議論した。……アモスは湾岸戦争、9・11、イラク侵攻の3つの事件は石油減耗時代の最初の小競り合いであり、将来の石油をめぐる争いはもっと熾烈なものになるであろうと予想している。代替エネルギーは簡単には実現できないから、いろいろなパニックが起こるに違いない。油価はすでにバーレルあたり50ドルという高値をつけているが、さらに高騰するであろう」  

 この報告は2004年に書かれているから1バーレル50ドルとなっていますが、今や1バーレル65ドルにまで跳ね上がっています。そしてイラク戦争は最初の小競り合いだと言っている。  

 「『石油はいつも将来50年でなくなると昔から言ってきたではないか、半分残っているものを使っているうちにまた発見されるよ』と楽観的に考えている人が日本にはあまりにも多い。石油の100%を外国に頼りすべての生活が石油漬けになっている国に住んでいながらである」  

 こうした発想の下にいる人は、特に日本の左翼に多いように思いますね。原発推進のためにキャンペーンしてるんだとか、イデオロギー的に考えて言う。もしくは石油の値段が上がれば石油の採掘にコストをかけることができるようになり、石油の生産が増大すると市場原理で考える。しかしもうこれ以上石油生産を増やそうにも、投入するエネルギーに見合うエネルギーを取り出せないところまで、石油の減耗は進んでいるのが現状です。  

 それでも無理に石油の増産を続けようとするならば、石油価格は天井知らずに高騰します。石油は庶民には手の届かない高価な商品になる。例えば車一台ガソリンを満タンにするのに1万円もかかったら、ちょっと車に乗れなくなる。そういう時代が、すぐそこまで来ています。  

 次の資料は、英BBCニュースの「石油ピークがメジャーな論議に上がる」です。  「世界の石油生産はピークに向かっているのか。数年前にはほんの一握りの地質学者や研究者がそのような可能性を考えていただけだった。しかし今や政府さえもこの問題を重要視しているようである。この問題は世界中の関心をますます集めている。この問題はすぐに起こるかもしれないのである。世界の石油産業に関するフランス政府レポートでは、世界の石油生産が早くも2013年にピークに達すると予測している」  

 キャンベルはすでに2004年にピークを迎えたと言っているけれども、フランス政府はオイルピークは2013年だというんですね。あと8年です。  

 「一年前には、政府省庁や金融機関でこの件(石油生産の停滞)が取りざたされるのを聞いたことさえなかった。今やゴールドマン・サックス証券やCaisse D,Epargen/Ixis, Simmons International 、モントリオール銀行などの銀行はこぞって、この問題を切り出している。『状況が、彼らをそう追い込んでいるのです』と、「石油ピーク」に関する著書Power Down、The Party’s Overの著者Richard Heinberg教授は言う。『彼らは、今まで楽観的な見方と楽観的なデータを信頼してきましたが、それは正しくないとわかったのです』」  

 フランス政府ばかりでなく、アメリカの大手投資銀行ゴールドマン・サックス証券などの金融機関もオイルピークに注目している。石油が足りなくなり暴騰するようなことになれば、ガソリン代が上がるだけではなくて、電気代も上がる。あらゆる石油製品や輸送費も高騰する。  

 飽くなき経済成長を求めて国々が争っていくような経済成長主義の時代、功利主義の時代は終焉の時を迎えるということです。しかもそれは遠い未来の話ではない。もうあと10年や15年位でそうなる。日本政府はポカンとしているが、私達は人生設計も含めて考え直した方がいいかもしれない。

化石燃料が可能とした産業革命

 世界の石油生産がピークをすぎる中で、アメリカなどでは、いろんな共同体が生まれているようです。資料『石油ピークは経済ピーク』というのは「ニュー・ソリューション」の2005年4月号です。この小冊子を発行している「ザ・コミュニティ・ソリューション」というのはアメリカ・オハイオ州にある一種のコミュニティらしい。これも翻訳してもらったのですが、彼らは、産業革命以来の現代文明が全部ついえる時代がやってくると主張しています。  

 「ニュー・ソリューションの前号で、われわれはPeak Oilに加えて、化石燃料を代替する新たなテクノロジーは存在しない、同様にテクノロジーもまたピーク(Peak Technology)をむかえているのだと明らかにした。今号では世界経済の構造に対するPeak Oilの衝撃を検証する。世界経済は石油によるテクノロジーによって支えられ、過剰に拡張しつつある市場への信頼に基礎をおいている。われわれの分析は、もし真摯な行動が始められなければ、再び大恐慌に襲われるであろうことを示している。われわれは持続不可能なPeak Economyのがけっぷちで、さまよっているのである」  「2005年2月、石油および天然ガスのピーク研究協会(ASPO)のニューズレターは、石油と金融システムの深い関係性を解明している。『産業革命は18世紀に最初はイギリスで石炭の開発とともに始まり、石炭は急速に発展していくことになった産業、輸送、貿易のための燃料として供給された。石油の時代はその100年後に夜明けを迎え、最初は石油は照明のためのランプの油として使われたが、後には内燃機関の開発に伴って輸送のための燃料として用いられた。電気の時代は大きく発展し、最初は石炭によって、後には石油、ガス、そして原子力によって支えられてきた。この時代は驚くべきテクノロジーの発展とともに進んできた。そして多くの人に技術的解決がいつもあるに違いないという確信をもたせるようになった』」  

 「『石油の時代の後期は今や夜明けを迎えている。それは石油、ガス、そしてこれら第1次エネルギーに依存しているすべてのエネルギー源の衰退によって特徴づけられる。実際の石油の衰退は年3%以下の速度で漸進的に進むであろう。2020年における石油の生産は1990年における生産量とほぼ同じにまで下落するであろう。……世界は第2の大恐慌に直面する……世界は明らかな石油枯渇に直面するというよりも、この惑星上で利用可能なものの約半分を消費し尽くしてしまった状況の開始に直面するというべきだろう』」  

 彼らのこうした見解は、先述したハバート―キャンベルのオイルピーク論に依拠しています。  「ASPOはPeak Oilに関して世界を啓蒙するという役割をもって設立されてから、5年たったヨーロッパの組織である。多くのASPOのメンバーはM・キング・ハバート博士(1903―1989)――有名な地質学者にしてPeak Oilの「発見者」である――の教えを受けたものたちである。ハバートは成長に関して論文を書き、1976年に彼の論文『人間の歴史におけるつかの間の現象としての幾何級数的成長』の中で次のような見解を述べた。  

 『今日人類が直面している第1の問題のひとつは、現在の不安定な状態から、少なくともカタストロフィーの進行は伴うものの、それでも最善の未来への移行をいかに行うかということである。われわれにとっての現在の第1の障害は、エネルギーや物的資源の欠乏でも物理学的、生物学的知識の欠乏でもない。われわれにとっての第1の制約は文化的制約である。最近の2世紀の間、人類は幾何級数的な成長しか知らないできた。ゼロ成長は評価されないほど、深く幾何級数的成長の文化に継続的に依存してきたのである』」  

 「12年後、1988年にハバート博士はインタビューに答えて次のように語っている。『われわれの可能性の窓は閉じられつつある。同時に不運のスパイラルに陥ることがつきつけられている。別の言葉で言えば、事態は改善される以前に悪化するしかない。最も重要なことはわれわれが今いる状況のクリアな見取り図を示すことであり、未来――石油とガスやその種のものの枯渇――への見通しを明らかにすることである。そしてわれわれが今いる状況とタイム・スケールの評価とが必要である。タイム・スケールは世紀単位ではなく10年単位である』  

 ザ・コミュニティ・ソリューションの人たちはハバートとキャンベルのピークオイル論に基づき、石油の大量消費の上に成り立ってきた産業革命以来の現代文明は、石油の減耗によって重大な危機に直面していると警告しているわけです。そこから幾何級数的な経済成長はもはや無理であり、ゼロ成長社会への転換をハバートを引いて提言している。私が環境革命として言ってきたことと基本的に全く同じ内容を言っているんだけど、石油減耗がキイワードです。

キューバか北朝鮮か

 このまま人口が増え続けると2050年には世界人口は100億人を突破しますが、地球上には100億の人間を養いうるような資源エネルギーも食料も存在しない。要するに人類はふえすぎてしまった。その多すぎる人類がアメリカン・ウェイ・オブ・ライフを求めているというところに、根本的な無理があるのです。これから先は消費型ではなく、ライフ・サイクル・アセスメントですべて考えていくべき時代です。  

 例えば日本だったら、江戸時代は石油文明ではなかった。江戸時代は鎖国しながら260年の間、持続可能な社会が成立していた。石川英輔さんとか、江戸時代を持続可能性という観点から評価している研究者がいます。江戸時代は外国貿易をほとんど行わず、この日本列島に3000万人の人間が260年の間暮らしていた。そこでの有機農法や循環型社会に学ぶべきだという主張です。江戸時代の日本は、一種の持続可能な社会だった。こういう社会に人類は舞い戻っていく以外ないようです。  

 このさき地球はどうなるのか。どんな社会を連想すればいいのかでは、ニュー・ソリューションの人たちは、北朝鮮とキューバを例に挙げています。両国ともアメリカによる経済制裁によって石油をほとんど輸入できない。でも北朝鮮とキューバでは、実状はずいぶん違う。北朝鮮の道をとるか、キューバの道をとるか。僕は北朝鮮の道はとるべきじゃないと思います。  

 北朝鮮というのは、要するにすごい科学主義・生産力主義の国です。欧米型の物質文明に憧れている。北朝鮮に行くと分かりますが、すべてを設計しようとしたんですね。その記念として巨大な銅像やモニュメントがいっぱい建っています。  

 経済封鎖されても北朝鮮は欧米流の物質文明に憧れ、近代的な農業に憧れて、あくまでもトラクターにこだわった。共産主義流の科学主義で考えているから、牛や馬で耕作しているのは遅れている、前近代的だと考えてしまった。牛や馬ではなくてトラクターで耕作するのが、文明の進歩だと考え続けた。  

 ところが1990年代になってソ連が崩壊し、北朝鮮にオイルが入らなくなって、1993年ぐらいから北朝鮮は、もの凄い経済危機に陥ってしまった。石油が入らなくなったので、木を切ってみんな燃やしてしまった。燃やしただけではなくて、切った木を中国に輸出した。ソ連から石油が入らなくなって、唯一、中国の大慶からパイプラインで年50万トン位は入っているみたいなのですが、その代金を支払うために、中国に木材を輸出したというのです。  

 その結果、北朝鮮の山はみな禿げ山となり、国土は荒廃してしまった。  一方キューバは、北朝鮮とは違うやり方をとりました。経済封鎖され石油が入ってこなくなる中で、キューバは有機農法を採用したわけです。経済封鎖されたことに対して、科学主義ではない発想に立った。もともとはサトウキビ、レモン、タバコ、コーヒーなどの換金作物をトラクターで作る、食糧自給率40%の国だったのが、ミミズを利用した堆肥づくり、アゾトバクターやリゾビウムなどを用いた微生物肥料、天敵の利用、カビなどのバイオ農薬、牛糞・人糞の活用などへと切り換えていった。その結果、キューバは今ではすっかり有機農法のメッカになった。今キューバに行くと、都市のど真ん中の民家の中にも牛がいたりしてびっくりしたとか、そういう話をいろいろ聞きます。  

 石油がなくなったら、北朝鮮かキューバの道になるしかない。といっても、日本は北朝鮮型にはならないでしょう。キューバのようにテクノロジーを活用しつつ昔に戻るしかない。有機農法とか人力、牛馬での耕作、微生物農法の国に戻っていく以外ないと思います。  

 日本は、ほぼ100%石油を輸入しているのに、なんとも脳天気です。全然石油がなくなるという危機感を持っていない。誰も生まれたときから石油がない。輸入に頼り切っている生活があたりまえと思っているからです。アメリカの支配下で、アメリカの属国として石油の供給を受けられるのが当然だと思っているんですね。  

 しかし世界的な石油減耗の時代に、アメリカに頼り切っている日本に未来はない。大量生産―大量消費に依拠した現代物質文明のあり方自体が、結局すべてついえていくということだけがあることです。

資源浪費型は生き残れない

 では、どういうふうに希望を持てばいいのか。例えばヨーロッパ、特にドイツでは、「ファクター4」という考え方が提唱されています。徹底的に浪費を押さえて資源消費を半分にするとか、エネルギー効率を徹底的に高めることを目指すということです。こうした「ファクター4」の考え方で生活するということが、ひとつあります。アメリカ型の大量生産・大量消費はもう無理、不可能だけど、効率によってそれに近い生活は送れるという考え方です。  

 家については日本でも、外断熱の家がいいとか、いや外断熱はあまりよくないとかいう議論が続いています。優秀な断熱材を使い、窓は必ず2重窓とか3重窓にするとか、そうした方法がファクター4で言われていることです。  

 しかし結局「ニュー・ソリューション」では「アメリカ市民が、痛みを伴わずして変化することはありえない。1970年にアメリカが石油生産のピークに達して以来、アメリカ人は一貫して大きな家、大きな車を購入し、車にたくさん乗り、多くの排水を流し、より高エネルギーで高価な肉を食べて、際限なく消費してきた」と、痛みを伴う以外ないことを言います。  

 アメリカの場合、アメリカ型生活を変えるのではなく、世界の石油を独占することでアメリカ型生活を護持し続けようとしてきた。それがレーガン―ブッシュ親子流のアメリカ共和党保守派の考え方であり、湾岸戦争や現在のイラク戦争などの石油争奪戦争への突入だった。  

 だから「持続可能性に対しては最小の投資がなされたにすぎない。最大の投資は、より化石燃料を使用する生産物や生産過程に対してなされたのだ。アメリカ合衆国は、低エネルギーのインフラストラクチャーや、それをつくる計画を持たない。故に世界規模のPeak Oilが発生した時、崩れ落ちる潮流は全てのボートを低い位置に移動させ(多くは沈む)。『流れ落ちる』は干上がり、比喩的な意味でのパイは小さくなる。セイフティ・ネットは完全にずたずたに裂かれ、甚大な被害と早死にをもたらすであろう」ということです。この人達はその先での定常状態の社会への転換を主張しています。「多くの人がPeak Oilによる変化に恐怖と不安をもって近づいていくだろう。アメリカ人は新古典主義経済学の4つの深刻な欠点を長い間無視してきた。巨大な不平等をもたらし、環境の悪化が進行し、資源戦争が避けられず、共同体は破壊される」と。  

 要するに、マンデヴィルの「蜂の寓話」や、アダム・スミスのレッセフェール(自由放任)以来の、個人の利益追求によって共同体を発展させるという(古典派)経済学の考え方が、もう限界に達しているというのが言われていることです。それに対するオルタナティブとしては「地域性がこの新しい経済学の不可欠なある部分である。この地域性は地域のデザイン、地域の工業、地域の預金、地域の投資、そして地域の食糧生産を意味している。それは多国籍企業の衰退と、地域で所有され操業されるビジネスの再生を意味している。ペレルマンの著書『直接参加経済学』の最後の文は宣言する。『われわれは手遅れにならないうちにできるだけ早く、もっと民主的で、もっと平等主義で、もっと持続可能な社会に移行すべきである』」「Peak Oilは今やわれわれの問題であり、社会の変化は始まっている。古い経済学理論は葬り、過剰な化石燃料の燃焼を要求する生産物を捨て、石油を燃焼する機械への依存に劇的にカーテンを降ろし、食糧とサービスのための地域的な社会基盤を再生することがわれわれの第一歩である」となります。  

 協同組合とかで農園をつくり、その農園で野菜を生産するとか、そういうある種アーミッシュの生活みたいな自給自足的な生活を実践したりする人たちが、アメリカやヨーロッパでは爆発的に増えている。ピークオイルに対処するための一つの選択肢です。  

 『理戦』81号で石井さんも次のように書いています。  「今後冷静に考えたいが、大切なことは地域分散。大型、集中は自然エネルギー向きでない」。つまり一極集中型の大規模エネルギー・システムではなく、地域分散型のエネルギー・システムでやっていく以外ない。「社会のインフラは、急には変われない。早急な対策は必要だが、思いつきの拙速をしないこと、正確な問題認識が先ず必要。総合的な論理思考が望まれる、評価にはEPRなどネット・エネルギーを重視する」  

 ちなみにEPRで考えるとリサイクルというのは、あんまり意味がないんですね。牛乳パックのリサイクルなんていうのは、牛乳パックを再生するのに要するエネルギーをEPRで考えたら、無駄だということです。牛乳パックを溶かしてパルプ化して再生するエネルギーは、エネルギーの浪費という以外ありません。ビンを繰り返し使うとか、そういうリユースは意味がある。しかし一回整形したものをもう一回全部溶かして作り直すといったような形でのリサイクルは、EPRで考えたら全くエネルギー的な採算が合わない。  

 「判断の基本は、『地球、自然は有限である』『限界に生きる知恵』の時代がくる、と思うべきである」。私なんかは環境倫理学から考えて、世代間倫理とか地球有限主義とか言ってきた。石井さんは石油、資源・エネルギー問題の研究から「地球は有限である」というおなじ結論に達したようです。そして同じように人類の現代文明は、オイルピークによる化石燃料時代の終わりとともに衰退の危機に瀕するだろうと警告している。  

 「著名な生態学者A・ロトカは、『エネルギーが豊富なとき、エネルギーを最も多く使う生物種が栄えるが、エネルギーが乏しいときエネルギー使用最小の種のみ生き残る』といっている」  

 オイルピークの21世紀には、エネルギー使用が少ない生命体が生き残る。だから人間でも大食いの奴とか、ものすごい大酒のみ、そういうのは全部だめということになります(笑)。小さくてコンパクトで、あんまりごはんも食べないような人が栄えるということじゃないですか。基本はネズミとか昆虫が栄える時代になる。  

 いずれにしても資源浪費型の文明というのは、もうあと10年ももたないのははっきりしています。人類社会もこれからは、ローカルでコンパクトな方向に向かう以外ない。持続可能な社会がテーマになる以外ない。そうした方向で考えていくのは、資源エネルギー問題や環境問題を考えていく場合のほぼ共通した方向性です。  

 地域性、ローカルなものを認め尊重する。地産地消みたいな形で、農業生産・食料生産を行っていく。自分で野菜を作るとか、そういう方向に向かっていく以外ないのです。  

 アメリカが考えているようなグローバリズムでは、21世紀の世界はたちいかない。グローバリズムというのは、燃料、資源エネルギーの大量消費を前提にしている。世界は一つだといっても、それはジェット機や大型輸送船で世界中が結びついているのが前提になっている。石油の値段が高騰してジェット機に乗ること自体にもの凄くお金がかかる時代になるならば、グローバリズムなんて言っていられなくなる。  

 そうした時代の選択の中で石井さんは「物より心だ」と書いてます。結局人間てありきたりのことしか言えないんですね(笑)。  

 ヨーロッパの人というのは、徹底的に経済的な観点を持っている人が多いような気がします。例えばパックの紅茶だとかも、最後まで徹底して絞って出す。日本人には、食べられもしないような料理をお皿にてんこ盛りに盛って、結局残しちゃう人とか多い。だけど自分の食べられるような量だけ取って、きれいに食べる、残さない、そういうふうに訓練されている。  

 トレーニングをして体を鍛えて、資源浪費型の人間にならないということですね。自転車に乗れるとか、山を歩く体力を維持するとか、そういう健康を維持するのが一番大事になります。  

 今まだ若い人、20代の人、将来ある人たちは、まず省エネ型の人間になる必要がある。肉をあんまり食べないとか、修行してご飯をあんまり食べないとか、そういうふうに転換していく以外ない。そういう人間が勝ち残る時代になる。その逆にエネルギーを多量に使うような人は自然に潰えていく。  

 以上、石油減耗によって、人類的な危機が近づきつつあるのはわかったでしょう。だからこの時代のテーマは、持続可能な社会への転換ということになります。その中で、可能性の中の最善の選択をしていくしかない。  

 総選挙とかではまったく話題にもならないピークオイル。日本の政治家も学者も大半は無知蒙昧で、考えてることが大本で間違ってるのがわかったでしょう。