麻生時代より後退した「脱官僚法案」のお粗末
2010年3月1日 フォーサイト
「政治主導」「公務員制度改革」に関わる法案が、相次いで打ち出されている。1.「国家戦略局」の設置などを内容とする「政治主導確立法案」が二月五日に閣議決定、2.幹部人事制度や「内閣人事局」の設置などを内容とする「国家公務員法等改正案」が九日に内閣府政策会議にかけられた。このほかに、3.政府に入る国会議員数を七十四人から八十九人に増員する議員立法も、別途準備中。三本立てで、今国会成立を目指しているのだ。
ようやく「脱官僚」が本格的に動き出したかのような報道もあるが、それは大間違いだ。「政治主導確立法案」は、「国家戦略局」に入る国会議員の数がわずか二名に限られ、「政治主導」は完全に看板倒れ(1.)。政府に入る国会議員数も、昨夏のマニフェストでは「百名」のはずだったのに、いつの間にかわずか十五名増員へと尻すぼみだ(3.)。
だが、最も深刻な問題をはらむのが、「国家公務員法等改正案」(2.)だ。結論から言えば、かつて麻生内閣が提出した内閣人事局関連法案よりずっと劣る。麻生法案の悪い点はそのまま継承し、数少ない良い点は後退させるという、とんでもない代物だ。
あまりの劣悪さに、原口一博総務大臣らが閣内で異論を唱え、十二日に予定されていた閣議決定が見送られる事態となったが、ここでは、九日の政策会議にかけられた法案に基づき、問題点を検証しておこう。
第一に、政治主導で幹部人事を行ない、若手の抜擢や民間登用を行なう上では、「降格」の制度が重要だ。現行の身分保障の下では、いったん昇格したら降格はできないので、政治主導で人事の入れ替えなど行なう余地がない。
この点、麻生内閣の法案は、全く不十分だった。実際にはほとんど発動の可能性がないレベルに厳格な要件を課した「特例降任規定」をおいただけだった。渡辺喜美元行政改革担当大臣や、自民党の中川秀直議員らが「幹部を特別職にする」ことを主張したのは、麻生法案への対案だった。
ところが、今回の法案をみると、「特例降任規定」がそのまま入っている。かつて民主党議員が「こんな規定では降格の余地は全くない」と強く批判していたことを忘れたかのように、そのまま継承したのだ。
さすがにそれだけではまずいと考えたか、「次官から局長への降格」を認める規定も加えているが、「次官としては不適任だが、局長にはふさわしいというケースはまず皆無だろうから、実際上は意味のない規定」(官僚OB)に過ぎない。こうしてみると、結局、麻生法案から全く前進していないと言ってよい。
法案の第二の柱は、政治主導の人事を行なう組織として、「内閣人事局」を設置することだが、こちらはもっとひどい。
麻生法案では、「政府全体の人事部」を作るため、人事院や総務省から権限を移管することとしていた。改革意欲の全く欠けた麻生太郎首相の下ながら、甘利明行革担当大臣がそれなりに頑張って、谷公士(まさひと)人事院総裁(当時)との激しいバトルを繰り広げた結果だった。
ところが、今回の法案では、人事院や総務省には全く手を触れず、「内閣人事局」は何の権限もない、がらんどうのような組織になっている。麻生内閣の数少ない成果を否定したわけだ。
なぜこんなことになったかと言えば、拙稿でこれまで繰り返してきたことだが、労働組合への配慮だ。労働組合は、公務員天国の守護神である人事院の解体には絶対反対だからだ。そして、幹部制度の改革が進まなかった要因も同じだ。労組は、幹部制度の当事者ではないが、「幹部制度を抜本改革したら、次は、自分たちの番」と分かっているからだ。
政府はその後、法案の内容を多少手直ししたが、こうした構造的要因がある限り、法案が抜本的に改善されるとは思えない。このままでは「脱官僚」は幻に終わるしかない。
筆者/ジャーナリスト・白石 均 Shiraishi Hitoshi
フォーサイト2009年3月号より
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
この記事を読んだ人は、こんな記事も読んでいます。
「小沢神話」に黄色信号(AERA) - 2010年3月1日 |
舛添につづき与謝野、中川も 自民党内で勉強会が花盛り(週刊文春) - 2010年3月4日 |
検察と宮内庁は公務員改革の対象外(ビデオニュース・ドットコム) - 2010年3月1日 |