桑名鋳物とは

桑名の地場産業『鋳物』

私たちの身近にある鋳物製品。例えば、マンホールはどのように造られているか、考えてみたことはあるだろうか。少し思い浮かべてみよう。チョコレートを溶かして型に流し入れ、それを冷やし固めてハート型のチョコを作る。それと同じように、熱を加えて液体になった金属を鋳型に流し入れ、冷やすと金属が固まる。こうして鋳物製品が形づくられていくのだ。

鋳物の歴史は、紀元前4000年頃のメソポタミヤ文明から始まっていたという。つまり文明の始まりから発展してきたともいえる。日本に鋳物づくりの技術が伝わったのは、紀元前数百年頃といわれ、奈良時代には仏像や梵鐘が鋳物でさかんに造られた。
当時、その技術を身につけた人々には特別な地位が与えられ、御鋳物師(おんいものし)と呼ばれていた。御鋳物師は朝廷の許可がなければ、開業することも家業の継承すら認められていなかったという。その末裔たちが全国にちらばって、技術を伝えていった。

桑名で鋳物業が始まったのは、本田忠勝が桑名藩主となり、鉄砲の製造を始めたのが起源といわれている。造られたのは灯籠や梵鐘、農具や鍋などだった。辻内家、広瀬家が御鋳物師として様々な仕事を桑名に残してきた。
春日神社の青銅鳥居は、現在も桑名で鋳物業を営む辻内鋳物鉄工鰍フ御先祖が制作したもの。
建立後も、何度か災害で傷つき、その度に辻内家で修復してきたという。

街の中で探してみよう!鋳物で造られた様々なものたち

桑名の鋳物が地場産業として大きく花開くようになったのは、明治以降の産業革命以降のこと。「東の川口、西の桑名」と呼ばれ、二大鋳物産地のひとつだった。

マンホールのフタだけでなく、フェンスや街路灯など、桑名の町を歩けば様々な鋳物に出会える。諸戸氏庭園前にある玉重(たましげ)橋の手すりや照明器具には鋳物が使われ、美しい景観を作り出している。デザイン化が進んでいるマンホールは、桑名らしく七里の渡しや桑名の千羽鶴、ハマグリがモチーフとなっている。

鋳物づくりは、人が物を作るということを憶えた頃から存在し、長い歴史の中で確実に受け継がれている技術。金属なのに、何故か温かみを感じる鋳物で造られたものたち。それは造る人の鋳物への愛着が込められているからなのかもしれない。(桑名みっちゃく生活情報誌「ぽろん」から抜粋)