目の病に御利益があり弘法大師も眼鏡をかけている
第十番札所 金照山 大智院 (だいちいん)
御詠歌
みわたせば 沖つ白波 我れ人も 粕谷の森の 夕暮れの空
本尊 聖観世音菩薩
前立、 馬頭観世音菩薩
宗派 真言宗智山派
住所 知多市南粕谷本町1−196
電話 0569−42−0909
拝観料 無料
第十一番札所へは約16km
開基 聖徳太子
創建 文明2年(1470)
交通 名鉄常滑線大野駅下車し、北
東へ1.5km徒歩23分
車 国道155号線南粕谷新海の信
号を左折し、郷の信号を左折す
ばすぐ
駐車場 60台
大智院本堂 大智院山門
大智院縁起
金照山清水寺大智院は聖徳太子の開基で、本尊は聖観世音菩薩、前立馬頭観世音菩薩を安置する名刹です。
文明2年(1470)紹゙和尚は、寺内の興隆をはかり、次いで明応7年(1498)紹長和尚の時、大野.宮山城主の佐治伊賀守為永公の祈願所となりました。
当初は「楊柳山」と号していましたが、天正年間(1573〜1591)の戦乱にも兵火にかかることをのがれたことから、元禄元年(1694)に「金照山」と改め現在に至っております。
「身代大師」とは、弘法大師が知多巡錫のとき、大智院にて、「我を帰依する者、一切の罪を消滅し、諸の有情を安楽ならしめ、業病難病を解脱す、福力常具足し、穀麦財宝ことごとく皆の意の如く得せしめ、悪業煩悩の心を開眼せしむべし」と自らの尊像を残されたもの。
安政年間(1854〜1859)に、盲目の老翁が身代大師に一心におすがりしたら目が見えるようになり、大師に自分の眼鏡を残したことから「めがね弘法」とよばれております。
主な年中行事
2月3日 節分豆まき式 10月第四日曜日 めがね弘法大祭 2月18日 馬頭観音大祭 毎月第二日曜日 めがね弘法縁日 4月8日 花まつり 毎月5日、15日 随求明王命日(七々月まいり仏) 8月9日 四観音祭九万九千日盆踊り 12月31日 除夜の鐘 9月28日 成田不動尊大祭 毎日 写経指導
*年によって日程が変更する場合があります、恐れ入りますが確認のうえお出かけ下さい。
参拝 (平成12年2月1日、3月30日、13年12月7日、16年12月1日)
近くには民家が無く桜並木の道が続く、誰か通らないかと思案していたら、ジョッキングの中年男性がやってきた。お寺への道を尋ねたら方向違いだと言う。
男性は、道案内する間も足を上下し、少しの時間も惜しむようだった。額には薄らと汗をうかべいる、そうとう走り込んでいたに違いない。
用水路の土手の向こう側では、キャンバスに向かって筆を動かしている人がいた。視線の先には民家と森があり、この風景を描いているようだ。
天気は晴れても北風が強く、じっとしていればなおさら寒い、絵を描いている人は防寒服を頭から身を包み完全装備だ。この寒さで絵を描くなんて、よほど好きなのだろう。
山門前の両側に、「南無大師遍照金剛」の、のぼりが北風にはためいていた。
境内の立て看板に、
出会いの不思議を感謝し
生かされて生きる 喜びを深めよう
人は皆、生かされて生きている、何億という先祖から脈々と引き継がれた命、今ある命に感謝しよう。
堂前の護国大師は右手に宝剣(外敵を防ぎ七難即滅)を持ち、左手に宝珠(福徳を与え七福即生)をうけています。
周りには「開運成就」「交通安全」等が刻まれた二十一修行大師が安置されております。
馬頭観音堂
弘法大師像
宝 塔 慈母観音 鐘 楼
健眼を願う方々の身体の一部として使用された眼鏡やコンタクトなどを供養する「めがね塚」です。
眼病予防の目薬と眼精疲労緩和内服液を販売する「金照堂薬房」があります。
かばん石は、昔かばんを盗んだ泥棒がここに置いたところ、石に変わってしまったそうです。
何か、お願いをして、かなうなら石は軽く、かなわないなら重く感じるという。私も試してみたが石は重い、やはり無理なお願いをしたようだ。
八百比丘手植えの大樟
若狭の国で不老長寿の薬を授かり、800歳まで生きた八比丘が植えたとされる。
大樟は、樹齢1300年余りで知多市指定保存樹木です。
(胴回り12m、高さ16m)
春は、弘法さんの季節なのか、白装束で知多四国八十八所霊場巡りの巡礼者
が、タクシーを利用し、お参りもそこそこに次の札所に向かわれていた。
(3月30日の参拝)
メモ
七曲古窯址群は、七曲公園の一角にあります。公園の周辺には、現在までに14基の窯跡が確認されています。完全な状態で残っていた2基が史跡として保存されています。
一つの窯には、山茶碗、山皿などを焼いた12世紀頃の窯です。二つ目の窯は、かめ、壺を焼いた13世紀頃のものとされ、知多半島では最大級の窯です。
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