「わぁ! 素敵な場所!」
麻実は小沢に連れられて、
人気のない小川へとやって来た。
「ここは俺の秘密の避暑地でさ。ゆっくりしたい時に夏はよく来るんだ。小川で水が浅瀬なだけに誰も来ないけど、そのお蔭で木陰の中のんびり出来る。静かで心地いいだろう?」
無邪気に喜びはしゃぎ先を駆け出す麻実の背中に向かって、小沢はにこやかに声を掛ける。
基本美容室は全国的に月曜日は休みで、その日を利用してドライブがてらに二人はここへ立ち寄ったのだ。暑い夏の日差しから逃れるように木陰に入る麻実。水色と白のワンピース。つばの広い白い帽子を彼女は、振り向きざまに小沢に投げやる。
「おっと!」
慌てて小沢はその帽子を受け取る。と同時に冷たい水飛沫が全身に掛かる。
「わ!」
一度顔を伏せてから見ると、麻実が悪戯な笑みで小川にその繊細な長い指を浸しては、小沢に向けて引っ掛けていた。
「ははは! 冷たいな! よせよ!」
「気持ちいいよ! 私、汗かきだから水場を見ると、わざとこうして飛沫を上げて軽く水浴びして涼むの。でも――」
麻実は言うと、しおらしい仕草で立ったまま水色のサンダルを片方ずつ手に取って脱いでいくと、それをそっと
辺に並べ改めてその美しいラインの素足を、川へと浸してゆく。浅いので、せいぜい足首より少し上ほどの深さしかないが、透き通る水のせせらぎに小魚が踊る。
「こんな暑い日差しの日は、髪も乾燥気味になるのよ。時には濡らしてミネラル分を吸収させてあげなくちゃ、髪が可哀想」
麻実は言うと、小川のせせらぎに逆らう形で、直接足を伸ばして座り込み始めた。
「おいおい。そんな事したら全身ずぶ濡れになるぞ。着替えなんて持って来てないのに……」
「これだけ日差しが強いんだもの。すぐに乾くよ」
小沢の言葉をやんわりと遮ると、麻実はゆっくりと髪を払い上げながらそのまま川の中に寝そべった。チャプ……ピチャン。彼女の動きに合わせて、水音が零れる。流れに沿って、彼女の漆黒の長髪がせせらぎに揺れる。そして麻実はホゥッと息を吐きながら、静かに目を閉じた。しかしワンピースまで流れに逆らって、少しずつ上へと捲り上がっていき素足を大胆に露出させてゆく。
「バ、バカ! 少しは考えろ!」
小沢は慌てて川に駆け込んで、彼女のスカートを下ろして足元へ手で押さえる。
「え?」
彼の突然の行為に麻実は一瞬
吃驚したように、閉じていた目を開く。ぶつかり合う二人の視線。ドキリとする。川のせせらぎに任せて揺れる艶やかな大和髪。大きくて長い
睫毛のつぶらな瞳。
「――綺麗だ」
小沢はうっとりとした声で呟くと、その髪を優しく自分の手に
掬い取り、またゆっくりとせせらぎに戻す。
「凄く綺麗だよ。麻実……」
「
渉君……」
そうして川辺に横たわり二人は、惹き付けられる様にキスをした。
「今日はありがとう渉君。とても楽しかった。また連れてってね」
「ああ。休みの日しか、デート出来ないけど……」
麻実の住むマンションの前。それぞれ停車させた車内で言葉を交わす。
「こ、今度、渉君ん家に行きたいな」
「え?」
恥ずかしそうに言った彼女の言葉に、思わず野暮にも聞き返してしまった小沢。仕方が無いから慌てるようにして、理由を返す麻実。
「私、料理作れるのよ。だから……。そしたら仕事、終わってからでも会える、から」
「何それ。遠回しでお泊りしたいって言いたいの?」
少し意地悪そうに小沢は尋ねると、麻実は更に慌てたように真っ赤にした顔を上げて、言い返す。
「ち、違……っ! そ、そんなんじゃないよ! 渉君のエッチ!」
「プ! クスクス……。ああ、いいよ。じゃあ後でメールする」
「うん! 気を付けて帰ってね。じゃ」
麻実は早口でそう言うと、急いで車から降りようとドアに手を掛ける。するとすぐさま手を捉まれた。
「バカ。さよならのキスくらい、して行けよな……」
小沢は言うと、麻実の頭を引き寄せて口唇を重ねる。そしてそのまま彼女の頭にやっていた手を、スッと髪に指を通しながら下へと下ろしてゆく。
「ん……。何?」
麻実は小沢から少し口唇を離すと、静かに尋ねる。
「職業病だ。つい
手櫛チェックしてみたくなる。さすがだなやっぱ。麻実の髪は。全くの引っ掛かりも無く真っ直ぐに、指が通り抜ける」
「ふふ。だってサラサラキープ心掛けてるモン♪」
麻実は無邪気な笑顔を見せると、そのままドアを開けて降車した。そしてドアを閉めると、窓越しから手を振る。
「またね」
「クス。ああ。じゃあな」
小沢は答えると、軽くクラクションを鳴らしてからゆっくりと車を発進させると、やがて走り去って行った。麻実は車が見えなくなるまで見送り、それを確認するとふと不敵な笑みを浮かべた。
そしてマンションにある自分の部屋へと戻ると、椅子の上に座らせている一体の愛らしい
陶器人形を、そっと抱き上げる。その人形の髪を優しく撫でてから、改めてその人形の毛髪を手に取って見詰めた。美しい絹糸の様なブロンドヘア。麻実はその繊細な細長い指で毛髪の感触を、じっくりと確認しながら呟いた。
「……この髪も本物の人毛。美しくデリケートそうな細い金髪……。髪というのは女にとって、大切に
労わり愛でるものよ。それは他の誰かに等しくそうするようにね……」
そうして優しくそのビスクドールを抱き締めると、思い立ったように勢い良く立ち上がり元の場所に人形を戻すと、玄関に向かいそのまま外へと出て行った。
勢い良く閉められたドアが起こした風で、ビスクドールの艶やかな金髪がフワリと揺れた。
小沢は信号待ちの時、後部座席に麻実が帽子を忘れている事に気付いた。
別にまた次に会った時でも良かったのだが、時間も早いし返しておこうと再び元来た道を引き返した。現在夕方の四時半前である。確かに朝早く出掛けたせいもあるだろうが、麻実が今日はもう帰ると言うので早々に切り上げた。きっと慣れぬアウトドアに疲れたのだろうと思いながらも、何かと理由を付けてまた彼女に逢いたいのも心にあった。そして再び彼女のマンションに戻った。
部屋の前まで行くと、チャイムを鳴らす。応答が無い。何度か鳴らしたが、結果は一緒だった。そこまで爆睡してるのかと思いつつ、今度は携帯電話を掛けてみたが、電源が切られているらしく繋がらない。眠りの邪魔をされたくないのだろうと、この時は安易な気持ちで自分を納得させて仕方なく帽子を持ったまま、車に戻った。
先程彼女と別れてから、三十分が経過していた――。
小沢は夜になってから改めて、麻実に電話を掛けてみた。繋がった。暫くコールが鳴ってから、彼女が出る。
「起きたかー? この爆睡女め」
『え?』
「寝てただろう? お前」
『えー? 寝てないよ! ずっと起きてたけど?』
「ふーん。でも俺が四時半頃、帽子忘れてたから返しに麻実ん家に戻った時は、チャイム鳴らしても全然出て来なかったし、携帯の電源も入ってなかったぜ」
『!? え、あ、うん。まぁね。エヘへ。バレちゃったか! そうですよっだ! 実は寝てました!』
心なしか動揺しながら返事をする麻実。一瞬不自然さを感じながらも、電話なので相手の顔が見えない分はっきりし辛い。ここは吐いた嘘がバレたからだと判断する事にした。そして自分の家にご飯作りに来てくれる日時を伝え、他愛ない会話をして電話を切った。
小沢の自宅には職業上、練習用の植毛された本物の毛髪を使用したマネキンの頭部が、いくつも置いてあった。その内の黒髪ロングのマネキンの頭部を手に取ると、その髪を撫でながら小沢はうっとりと呟いた。

「麻実……。早くお前が欲しくて堪らない。愛してるよ――」
小沢は
瞑目して狂おしそうな口調で呟き膝を床に付けると、そのマネキンの頭部を彼女に見立てて愛しそうに、その髪の中に鼻を
埋めるのだった。
その後再び今度は別のインターナショナル校に通う女児の、行方不明事件が発生した。
その女児はブルネット(褐色掛かった黒髪)のストレートロングだった。遺体になったその少女は、ご機嫌そうな鼻歌に乗せた
剃刀で慎重丁寧に、その汚れなき美しい毛髪を剃り落とされていった。
その剃刀を握る繊細そうな細長い指は、慣れた手付きで作業を進めていくと、剃り落とした全ての毛髪を一つの束に纏めて、愛しさを込めて大事そうにその毛髪にブラッシングをかけてから、クローゼットに仕舞い込んだ……。