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私の児童虐待
最終報告
高校中退以来、26年ぶりの父との対話

柳美里

「飢えとか愛という言葉をわたしのように歌うひとはいない、という批評がある。たぶん、わたしがそれらの言葉に含まれる意味を、生々しく覚えているからだろう」

酒井法子は、『星の金貨』で耳と口が不自由な看護師見習いの倉本彩を演じた。
赤ん坊のときに親に棄てられ、里親が買ってくれたブランコで親を待ちつづける酒井法子は、幼少期に悲しむことを禁じられた悲しみの居場所を、ドラマという虚構の中に見出したかのように思えた。
『星の金貨』の主題歌「碧いうさぎ」を聴いたとき、彼女の「飢え」と「愛」を生々しく感じた。

父が死んだら、わたしは

酒井法子に関する資料の束に目を通しているうちに、『週刊文春』一九九九年九月十日号の「サンミュージック 相澤秀禎会長独白 酒井法子と岡田有希子」という記事の中の一文を読んで、わたしは魂が凍りつくような気がした。

「お父さんを亡くしたとき、法子は寝台を足で蹴って泣いていた。僕はその場をはずすしかなかった……」

寝台を足で蹴って泣く――、という彼女の姿を想像できなかった。寝台に泣き頽れて枕をつかむ、あるいは寝台を拳で叩くならば、想像することができる。しかし、蹴るという行為は、悲しみよりも憤りを強く表している気がする。寝台を蹴って悲憤する十八歳の少女―、わたしも想像の中で、その場をはずすしかなかったのだが、寝台を蹴る音と咽び泣く声が残響のように、しばらく頭に残っていた。

わたしは、父が死んだら泣くだろうか?

母が死んだら、泣くと思う。
何日も何日も、泣きつづけると思う。
父は――。
なんの感情も湧いてこない。
泣かないのかもしれない。

おそらく、電話をかけてくるのは、上の弟だろう。
電車がある時間だったら、鎌倉駅から横須賀線に乗って保土ヶ谷駅で降りる。
保土ヶ谷駅からタクシーに乗って、行く先を告げる。
「すみません、境之谷に行ってください」
あの家の前で、タクシーを降りる。
三十年前に、家族六人で暮らした家――。
父は、布団の上に横たわっている。
もう目を開けることはない。
もう口をひらくことはない。
わたしは、泣かないと思う。
わたしを支配するのは悲しみではなく、悔いだ。
とてつもなく大きな悔い――。

わたしは父と話をしなければならない、と思ったとき、ひもじそうに煙草を吸う父の顔が、白昼夢のように目の前に浮かんだ。

つづく

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    柳美里柳美里
    (Miri Yu)
    1968年生まれ、神奈川県出身。劇作家、小説家。1993年に『魚の祭』で岸田戯曲賞を、1997年には『家族シネマ』(講談社)で芥川賞をそれぞれ受賞。『ゴールドラッシュ』(新潮社)、『命』(小学館)、『柳美里不幸全記録』(新潮社)など、小説、エッセイ、戯曲の作品多数

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