《柳美里と児童虐待》
本誌第1号・第2号で作家・柳美里が執筆したノンフィクション『児童虐待』。「闇の中の闇」である家庭での虐待を、自身の問題として探ろうとする著者は、臨床心理士の長谷川博一氏と出会い、カウンセリングを受けている。カウンセリングの中で、繰り返し語られたのは、著者と息子との関係だけでなく、かつて父親から受けたという「虐待」とも呼べる体験だった。
第1回
父が死ぬ前に、話しておくこと
酒井法子とわたしの共通点
酒井法子。
昨年八月初めに彼女の覚醒剤使用が発覚してからというもの、わたしは彼女の事件に気をとられ、十一月九日に懲役一年半、執行猶予三年の判決が出て、彼女が介護福祉士を目指して私立大学への入学を決め、入学式に出席するとかドタキャンしたとかいうあたりでスキャンダルとしての賞味期限は切れたようだが、わたしは今でも彼女の行く末を気にしている。
わたしは一九六八年生まれ、彼女は一九七一年生まれで三つ歳下、わたしが青春五月党を旗揚げして『水の中の友へ』で劇作家としてデビューした一九八七年に、彼女は「男のコになりたい」でレコードデビューを果たし、同じ時代を走りつづけてきたという意識を持っている。
そして、彼女は一九九九年七月に長男を出産し、その半年後の一月に、わたしも長男を出産した。
わたしと彼女は共に、十歳の(今年小学五年生になる)息子を持つ母親なのである。
一児の母親である彼女が、何故、覚醒剤に手を出し、手離せなくなったのか――。
わたしは、芸能界デビューに至るまでの彼女の生い立ちを知れば知るほど、(自称プロサーファーの夫の女性遍歴や、破綻した結婚生活も報じられたが)彼女の「現在」にではなく「過去」に、その原因があるのではないかという思いを強くしていった。
彼女の父親は、彼女が生まれた福岡で勢力を張る山口組の直参・伊豆組組長の舎弟分の酒井組組長だったという。
彼女の母親は、彼女を産んでほどなくして彼女を寺のお堂に置き去りにする。彼女は父親の妹宅に里子に出され、埼玉県狭山市で暮らすようになるが、父親の再婚に伴って福岡に帰り、二番目の母と暮らし、異母弟と異母妹が誕生する。小学校高学年のときに、義母と父親が離婚し、三人目の母親と二人暮らしをはじめる――。