最終更新: 2010/03/09 09:30

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B型肝炎ウイルス感染後、自覚症状なしで進行していたがんと闘う男性を追いました。

B型肝炎ウイルス感染後、自覚症状なしで進行していたがんと闘う男性を追いました。
B型肝炎訴訟では、今週末に札幌地裁が和解勧告を行うか注目されています。
ウイルスに感染したあと、自覚症状がないまま急速に進行していたがんと闘う1人の男性を追いました。

田中義信さん(51)は2009年12月25日、妻と娘が見守る中、初めて法廷に立ち、自分の被害を意見陳述した。
司法記者クラブでの会見で、田中さんは「医師からは、肝臓がんによる平均生存率は5年で50%。そう長くは生きられないというふうに言われています。愛する家族を残して死ななければならない。あるいは愛する人をなくすつらさをおわかりいただけるかと思います」と話した。
大学生協の職員である田中さんは1991年、献血した際にB型肝炎ウイルスのキャリアだと初めて知った。
病院に相談すると、今は治療の必要なしと診断されたという。
田中さんは「仕事も楽しくやっていましたし、普通の人となんにも変わらず生活をしていました。その肝臓の痛みっていうのは、まったく感じなかったんですね」と話した。
しかし、2008年12月、大学病院の精密検査で、肝臓にがんがあると判明した。
突然の告知に、田中さんは言葉を失った。
田中さんは「6cmぐらいのがんができたという説明でしたね。ちょうど、みぞおちのあたりからへその上まで。6cmっていうと、本当、野球ボールをちょっと小さくしたぐらいで」と話した。
2009年2月、田中さんの肝臓左側にあったがんは切除されたが、手術後、医師は肝臓右側にも小さながんが複数あると告げた。
ある日、突然降りかかってきた命の危機。
田中さんの変化に妻・京子さんは胸を痛めていた。
京子さんは「(夫は)とっても我慢強い性格なので、言葉にも出さない。だから余計に周りの方はわからないんですけれども、やはり1年前とはもう全然、体力的には違いますよね」と話した。
B型肝炎の場合、発症すると、慢性肝炎から突然、がんができるケースも少なくないと、肝臓専門医の川西医師は指摘する。
札幌緑愛病院・肝臓センター長の川西輝明医師は、「キャリア状態っていって、落ち着いた状態でいる人と進行していく人の差は、かなり大きいですよね。2〜3割が発症するといわれているので、キャリアのまま何もなく最後、天寿を全うする方がほとんどで」と語った。
大学病院は、田中さんに対して、5年生存率が50%であると次げた。
そして、再発がんに対して、抗がん剤による治療を提示した。
川西医師は「最初から多発のがんであった可能性が高いので、そうなってくると、もっと余命としては1年とか、3年持たないだろうみたいな感じになってくるんじゃないか」と話した。
田中さんは、抗がん剤治療のため、2週間単位の入院を4回にわたり繰り返すことになった。
抗がん剤は、点滴で24時間かけて投与されるが、強い副作用は避けて通れない。
田中さんは「もうインフルエンザみたいな熱で、38度何分っていう形で出たり、あとはけん怠感、すごい体がだるくなる」と話した。
さらに追い打ちをかけるのが多額の治療費。
田中さんは「自己負担分だけでですね、入院だけで80万、確かいってたと思います」と話した。
医療保険や高額療養費制度を利用しても、年間80万円以上の自己負担。
それでも現時点で、田中さんのがんは、抗がん剤治療で消えていない。
家族の生活と自分の命を守るため、田中さんは入院先で仕事を続ける。
鳩山首相は2010年1月、「命」という言葉から、施政方針演説を始めた。
鳩山首相は「命を守りたい。命を守りたいと願うのです」と述べた。
現在、B型肝炎訴訟は、10地裁で383人の原告が国を訴えている。
田中さんは、肝炎対策基本法が成立した時に鳩山首相と面会し、裁判の早期解決を求めたが、明確な回答はなかった。
田中さんは「わたしだけではなく、何人もの患者が本当に苦しんでいて、あるいは亡くなっていると。本当に命の問題って考えてもらっているのかなっていう、やっぱりそういう複雑な思いもあります」と話した。
再発するがんを抱えながら、訴え続ける田中さん。
償いを先送りしてきた国は、どう答えるのか。

(03/09 00:11)


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