和菓子街道 東海道 桑名 永餅屋老舗

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安永から桑名、長島名物へ

 桑名の渡し場から一里(約3.9キロ)ほど南、行く手に町屋川(員弁川)を控えた安永の集落には、その昔、「安永餅」と呼ばれる名物があった。

 お隣四日市宿の笹井屋の「永餅(なが餅)」によく似た、長細く平らな焼餅で、「ともち」とか「牛の舌餅」といった呼ばれ方もされていたという。(牛の舌餅は、各地の神社で今も供物とされている楕円状にのした餅の一般名称)

 ちなみに、笹井屋の永餅は日永で生まれたため永餅と呼び、安永餅は安永で生まれたため安永餅と呼ぶ。「ともち」の意味は不明。また、永餅をその形状から「牛の舌餅」とも呼んだため、永餅と安永餅が混同されたと考えられる。

 現在、桑名の目抜き通りである八間通りに大きな店を構える永餅屋老舗も、江戸時代には安永の地で安永餅を売る茶屋を鬻いでいた店だという。創業は寛永11年(1634)と古く、当初は安永屋の屋号だった(後に安永の「永」だけ残して「永餅屋老舗」と改称。永餅の笹井屋とは無関係)。

 安永餅の起りには諸説ある。桑名藩主松平定永の父で、この地に隠居した楽翁公(松平定信)が非常時の食糧として焼餅を考え、それがいつしか安永の里の名物となったとする説もあるが、楽翁が生きたのは江戸時代も後期に差し掛かる宝暦9年(1759)~文政12年(1829)であるため、安永屋(永餅屋老舗)の創業年と大きく食い違ってくる。

 あるいは、安永屋は当初は普通の茶屋で、楽翁が焼餅を奨励して以来、安永餅の茶屋となったのだろうか。いずれにしても、古い文献などは何も残っていないため、はっきりとしたことは言えないというのが現状のようだ。

 ともあれ、安永の小さな集落を通りかかる参勤交代の諸大名やお伊勢参りの旅人たちは、安永屋(永餅屋老舗)をはじめとする数軒の茶屋に立ち寄って、安永餅を頬張ったのだろう。

 「安永の地を引き払って、現在地に店を移したのが明治27年(1894)のことです」

 「なばなの里」に向かう車の中でそう話してくれたのは、永餅屋老舗の取締役・水谷文人さんだ。桑名郊外にあるなばなの里は、温泉・グルメ・四季折々の花を楽しむことができるレジャー施設で、永餅屋老舗は園内に出店している。この日は、水谷さんがなばなの里店を案内してくれることになっていた。道すがら、永餅屋老舗の歴史や現在について色々とお話をお伺いした。

 文人さんによると、明治27年に関西鉄道(現JR関西線)の桑名駅が仮駅として開業したのに伴い、永餅屋老舗も国道一号線と八間通りの交差点に移転。当時の当主に先見の目があったのだろう。かつての主要道であった旧東海道から、現代の主要道である国道一号線沿いに移ったのだから。

 以来、ほんの10年ほど前までは本店の上層階で安永もちを焼いていたという。しかし、30年ほど前から始めた長島温泉への出店など、事業が拡大するに従って、より大きな工場が必要となり、郊外に大きな工場を建てるに至ったのだそう。

 前後するが、文人さんが家業に参入したのは、20年ほど前のこと。18歳の時、父である先代が他界したことを受けて、ご母堂が社長に就任。兄の信介さんが家業を手伝いながら安永餅職人としての修行を積む間、文人さんは県外の企業に就職し、菓子屋とは無縁の世界に飛び込んだ。社会人野球に明け暮れたこともあったが、27歳になると退職して家業を手伝うために桑名に舞い戻ってきた。丁度、郊外の工場を建てる前後の時期だった。

 それから10年余り。現在は、職人気質の信介さんが十一代目として家督を受け継ぎ、ご母堂は会長の座につき、社交的な文人さんがスポークスパーソンのような役割を担って、三人四脚で永餅屋老舗を運営している。スポークスパーソンとは言っても、日ごろは文人さんも現場に欠かせない存在のひとりだ。

 工場内では、多い日は1日で1万本以上もの安永餅を焼く。現在では、なばなの里内の販売店に出荷する分が最も多いそう。工場、工場と言っているが、手作りという基本にはあくまで忠実だ。

 安永餅作りの現場は朝が早い。前日の夕方から水につけておいたもち米を、朝5時半から搗き始める。搗いた餅は熱いうちにうどんのように細長く伸ばし、団子くらいの大きさになるように輪切りにし、平たく伸ばす。そこに餡を入れ、餃子のように閉じて、掌で転がして棒状にし、叩いて平たくする。こうして成形したものを300~350℃で焼いていく。

 もち米は、色々試した結果、最も適していると判断した佐賀米を使用。柔らかく、微妙に伸びてすっと切れる餅ができるのだという。餡は北海道産の上質な小豆から作るつぶ餡だ。火加減は表はしっかり目に焼き色をつけ、裏は浅めに焼く。こうすることで、堅すぎず、ほのかな焦げ目の香ばしさと穏やかな香りを保つことができるのだそう。

 餅を搗き初めてから焼き終わるまでの時間はわずか40分。この行程が何度か繰り返される。

 「人間の集中力が持続するのは、せいぜい3時間程度でしょう。その短い時間にとにかく集中して仕事することです。1本36グラム程度の小さな餅菓子ですが、お客様が口に運ばれる大切な商品ですから、1本たりとも無駄にしたくありません。工場に一歩足を踏み入れたら、他のことは一切考えないように。いつも、スタッフに言っていることです」

 こうして朝から作ったものはほぼ午前中に売り切れてしまうため、昼になればまた新しいものを作る。中には、文人さんが子供の頃から安永餅を焼き続けている職人もいる。

 「今は何でも機械でできてしまう時代ですが、やはり職人の手技というのは必要になってきます。それに、餅菓子を日持ちさせようと思えば、味を落として添加物を加えれば済むのかもしれませんが、うちではそういうやり方はできません。添加物などを一切使わず、昔のままのやり方を通しています」

 すぐに堅くなってしまう安永餅だが、そこに意外なメリットがあることを文人さんは最近知ったそう。

 「日持ちしないことがネックかと思っていましたが、そうでもないようで。先日も、知人にこんなことを言われました。お前のところの安永餅を取引先に持っていくと、すぐに商談が決まるんだ、と。日持ちするお菓子であれば、手土産に持って行ってもすぐには食べてもらえませんが、日持ちしないと分かっていればその場ですぐに開けて食べてもらえます。それがおいしければ、気分も良くなって、商談もスムーズにいくということらしいです(笑)」

 恐るべし、安永餅。やはりおいしいものは、人を動かす力を持っているのだろうと、妙に納得してしまった。

 手広く事業を展開しているようにも見える永餅屋老舗だが、実際には地元密着。遠くても、愛知県の中部国際(セントレア)空港までだ。日持ちしない生ものの菓子を売っている以上、限界がある。催事の時こそ呼ばれてデパートなどで安永餅焼きの実演販売をすることもあっても、普段はデパートに卸すことはしないのだという。

 「大きく事業展開するのは簡単なことです。でも、先祖代々受け継いできたことを越えるのは容易ではありません。いや、不可能でしょう。うちにはうちのやり方があり、それを変えるわけにはいかないのです。いかに伝統の味を守るかが大事ですし、そうやって守られてきたものこそ、老舗の味と呼べます」

 そうこうするうちに、なばなの里(長島町駒江漆畑270)に到着した。江戸時代、桑名の長島町では食用油の原料となる「菜種」を広く栽培していた。この辺り一帯には、「江戸の灯りは伊勢の菜種で持つ」とまで言われるほどの規模の菜種畑が広がっていたという。この菜種を品種改良し、商品化したものが「なばな」である。ビタミンCやカルシウムがホウレン草の約2倍もある栄養価の高い緑黄色野菜だ。

 永餅屋老舗がなばなの里に出店したのには、いくつか理由がある。長島温泉への出店が成功していることもあったが、それ以上に、文人さんたちはここでやってみたいことがあったようだ。元々茶店として出発した永餅屋老舗が、その原点に立ち返って、茶店形式で始めたのがこの店なのだ。

 湯を沸かすための釜を据えた店先の床机に腰掛けて、目の前で焼かれた安永餅を、熱々のうちに頬張る。まさに江戸時代の「安永屋」が再現されている。早速私も、「茶店を訪れた旅人」気分で焼きたての安永餅を試食してみた。

 永餅屋老舗の安永餅は、どちらかというと柔らかめでよく伸びるのが特徴。細長く平たい大福のようなものなので、生のままでも充分おいしいのだが、焼くことによって甘みにしまりが出てくる。餅は香ばしくなり、熱くなった餡がとろんととろけ出る。そしてこれが、冷めたら冷めたでまた違った味わいになるから不思議だ。

 「わざわざ堅くなるのを待って、ストーブで焼いて食べるのがお好きというお客様もいらっしゃいます。うちの子供たちは、凍らせてアイスキャンディのように食べていますよ。どんな食べ方でもいいのです。お客様がご自宅に持ち帰って、お口に入れられて“おいしい!”と笑って下さる。そこまでが私たちの仕事だと思っています」

 永餅屋老舗の本店では、冬には黒糖味、夏には柚子味と、季節の味の安永餅も販売しているが、なばなの里店限定の安永餅もある。従来の安永餅の生地になばなを混ぜ込んだ「なばな安永餅」だ。うっすら緑色(黄緑にも近い)をしており、口に含むと、ほんわかと「野菜」独特の香りがしてくる。蓬餅とはまた違った香りと味わいだ。

 安永に生まれた永餅屋老舗の安永餅は、明治以降は桑名名物となり、30年前からは長島温泉名物にもなった。そして平成の世の今、新たになばなの里名物の名も勝ち取っている。

 「愛されているからこそ、続いてきたものだと思います。スタッフを募集しても、安永餅が好きだから、と言って入ってきてくれる人が多いです。嬉しいですね」

 自信に溢れた、文人さんの笑顔だった。

inbe-river.jpg町屋川(員弁川)

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raw-nagamochi.JPG生の状態の安永餅
baking-nagamochi.JPG鉄板全体に並べ終えたら頭から裏返していく
baking-nagamochi2.JPG表と裏では微妙に焼き加減が違う
cooling-nagamochi.JPG焼きあがった安永餅は網の上で冷まされる
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fried-nagamochi.JPG素揚げしてもおいしいと伺ったので、挑戦。餅と餡が油を含み、また違った甘さと香ばしさが生まれる
nagamochi-chaya.JPG永餅屋老舗なばなの里店
nabana-nagamochi.JPG通常の安永餅(下)と薄緑色のなばな安永餅(上)

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店舗情報

永餅屋老舗
  菓子: 安永餅 (1本88円、個別包装1本102円、箱詰め10本入900円~、個別包装箱詰め10本入1070円~)
       なばな安永餅 (10本入1100円~ ※「なばなの里」内限定)他
  住所: 三重県桑名市有楽町35
  電話: 0594-22-0327
  営業時間: 8:00~19:30
  定休日: なし
  URL: http://www.nagamochiyarouho.co.jp/