和菓子街道 東海道 桑名 安永餅本舗 柏屋

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昔のままの茶店の味を200年

 その昔、息子の松平定永が治めた桑名に隠居した楽翁公(元老中松平定信)が、非常時用にと乾米と焼餅を作ることを奨励して以来、桑名では焼餅が盛んに作られるようになった、そう地元の古老は語る。

 江戸の頃から、桑名ではもち米が多く作られていたため、それを利用して何かできないか、という思いが込められていたのか。焼餅にしたのは、生餅よりも日持ちするからだろう。

 元々、伊勢神宮には昔から餅の奉納があり、伊勢を中心としたこの地方には古くから“餅文化”が発展していた。桑名から山田までの参宮道を別名“餅街道”と呼んだほど、街道沿いには餅を売る茶屋が多かった。楽翁公の時代よりもはるか以前に、四日市の笹井屋が既に「永餅(なが餅)」を作っていたこともあり、米の産地であったこの地方で焼餅が多く作られたのは、ごく自然な流れだったと言えよう。

 桑名郊外の安永も、やはり焼餅を売る茶屋が多く建ち並ぶ立て場のひとつだった。そのため、いつしかこの地の長細い焼餅は「安永餅」と呼ばれるようになった。そんな安永餅は現在でも桑名名物として親しまれているが、中でも「昔から自分たちが知っている安永餅の味」と地元の人たちが口を揃えるのが、桑名駅前のバスロータリー近くにある「柏屋」という店の安永餅だ。

 江戸時代中・後期の創業と伝えられる柏屋の現当主は、森昭雄さん。

「おそらく、伊勢参りが盛んになって、安永の里を往来する旅人が増えた頃に茶店を始めたのではないでしょうか。町屋川(員弁川)は桑名の出はずれにある境目でした。川を渡る前に、旅人が一服する茶店の一軒が柏屋でした」

 文献などはほとんど残っていないため、創業年ははっきりしないという。万延年間(1860~1861)からの過去帳に記された歴代当主を数えて、森さんで八代目から十代目になると考えられているが、実際にはそれ以前から茶店をしていたのかもしれない。安永では、玉喜亭(桑名のページ参照)の隣辺りに柏屋があったという。

 関西鉄道(現JR関西線)の桑名駅開業に併せて、明治27年(1894)、森さんより三代前の頃に駅前に移転。現在、ロータリー脇に電話ボックスが並んでいる辺りに店があったという。現在の桑名駅周辺は、蓮畑や田圃が広がる田園地帯で、賑やかな街道からは遠く離れた寂しい場所だったようだ。しかし、やがて区画整理が行なわれ、桑名駅を中心に町が開けていった。ロータリーができ、柏屋も少しだけ移動して現在地に引越した。

 安永餅作りを見て育った森さんは、子供の頃から将来は家業を継ぐと決めていたという。

 「楽に見えましたからね(笑)。夕方も4時過ぎになると父は暇そうに店番をしていました。職人と一緒に細々とやっていただけで、特に難しいことをしているようには見えなかったんです。でも今は、父の大変さが分かるようになりました。完全に、騙されましたね(笑)」

 森さんが安永餅作りの家伝の製法を正式に伝授されたのは15年ほど前のことだ。京都の大学を出た森さんは、そのまま京都に残り、笹屋伊織で和菓子職人としての修行に入った。

「本当は、5年間みっちり修行してから桑名に戻り、柏屋でも上生菓子を売ろうと考えていました。ところが…」

 森さん24歳の夏、思わぬことが起こった。父である先代が病に倒れたのだ。
「ある朝、父が自分で私に電話てきて“帰ってこい”と言ったのです。結局、笹屋伊織には1年半しかいませんでした」

 以来、柏屋に入り、職人として自ら先頭に立って安永餅作りを続けている。

 安永餅作りは時間との競争で行なわれる。搗いてから30分ほどで一気に仕上げてしまう。餅は次第に固まっていくため、時間をかけて作るものではない。だからこそ、分担作業が必要となる。少なくとも5人が携わって作られる。

 前日に桶に入れて水につけておいたもち米1臼2~2.5合分を、翌朝になって搗き上げる。もち米は美しい白色の餅に搗き上がる佐賀米を使用。餅は柔らかすぎると扱いが難しくなるため、ある程度コシがあるように搗く。四日市の笹屋の「永餅(なが餅)」や桑名の永餅屋老舗の安永餅が柔らかめなのに対し、しっかりとした餅らしい食感を残しているのが柏屋の安永餅の特徴だ。地元の人々が「柏屋の安永餅は、“餅分”が多い」というゆえんである。

 搗いた餅を臼から作業台に上げ(1人目)、目分量でちぎっていく(2人目)。慣れた職人の手によって、餅はきっちり、15gずつにちぎられる。次に、北海道産の小豆と、粘りの出る上白糖を炊いて作った粒餡を餅で包む(3人目)。ここまでの作業はほぼ、大福餅と同じ。違うのはこの先だ。

 餡を詰めた半球状の餅をころころと転がし、棒状にして平らに押して成形する(4人目)。最後に、表面を400℃ほどの鉄板の上で2、3分焼く(5人目)。焼き色を綺麗に出すため、餅にはごく少量の砂糖が含まれている。この最後の焼きの作業は、主人である森さんが担っている。

 大量生産できないため、支店はない。もちろん、作り置きできるものでもなく、その日その日作っていくしかない。午前中の分は11時頃まで作り、午後の分は12時半頃から、遅い時は夕方4時頃まで作る。1日2000個、多い時で1万個。これ以上は物理的に無理だという。

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kashiwaya-usu.JPG昔から使っている臼。杵だけは電動だ
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kashiwaya-redbeans.JPG餡ももちろん自家製

 「安永餅作りには、京都の菓子屋ほどのこだわりも、難しさもありません。作り方そのものは子供の頃から見てきていましたし、特別なことは何もありません。昔から伝わっているものを作り続けているだけです(笑)。ただ、作り置きできない辛さがある。暇な時にたくさん作り置きしておくことができたら、どんなに楽か(笑)」

 先代の頃、機械を導入しようとしたが思うようなものができず、断念。先代が森さんに残した言葉は、「機械化だけは絶対するな」だったという。“荒削り”と言うと語弊がありそうだが、手作りゆえに形や焼き目もひとつひとつ異なる。機械では表面が不自然なほど均一に綺麗に焼けてしまう。そうなっては、どうしてもおいしそうには見えないのだ。

 餅と餡が半々という配合も、控えめな餡の甘さも昔と同じだ。単純なようでいて、材料を変えてしまうとこの味は保てない。昔と唯一違うとしたら、形が少し長くなったくらいだろうか。

「昔は平べったい楕円形だったようです。安永餅の“永”という言葉が先走って、細長くなったのかもしれませんね。細い方が食べやすいということもあるますが、効率よく箱に入れられるため、作り手の都合で形が変えられたのかもしれません(笑)」

 焼きたての安永餅は中の餡が熱いため、餡と餅皮とが離れているが、冷めてくると餡と餅が馴染んでよりおいしさを増す。焼きたてであれば店頭で熱々を頂くこともできるが、冷めたものであれば、オーブントースターで軽く焼くのが良いそう。一度焼いた餅を更に焼くことになるため、表面があられに近い状態となり、パリッとして香ばしさを増す。これは皮が厚めで水分量も他店に比べて少なめ、つまり“餅分”が多い柏屋の安永餅だからこそ出る香ばしさだ。

 最後に、今日まで長く続いた秘訣はと問うと、二児の父である森さんはこう答えた。

 「規模を追わず、無理をせず、同じことを愚直に続けてきた、ということでしょうか。老舗というこだわりがあるわけではありません。これがうちの商売だからやっています。娘がふたりいますが、継ぐにしても継がないにしても、自由にしてくれればいいと思っています」


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店舗情報

安永餅本舗 柏屋
  菓子: 安永餅 (1個73円、個別包装1個84円、箱詰め10本入787円~)他
  住所: 三重県桑名市中央町1-74
  電話: 0594-22-1197
  営業時間: 8:00~19:00
  定休日: 木曜日