和菓子街道 伊勢街道 神戸 あま新

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神戸名物の長餅、由来の道標は今いずこ?

 神戸宿の中心部だった目抜き通りを行き、萬福寺を過ぎたところで道を直角に左折すると、なにやら気になる店がある。一見、街角のタバコ屋かと見紛う小さな店だが、看板に「立石餅」とある。

 開いているのか、閉まっているのかも分らないような店の引き戸を開けて、恐る恐る中に入ってみる。コンクリート打ちっぱなしの土間が広がる薄暗い店内は、営業しているのかどうか疑いたくなるような簡素な空間だ。玄関横の小さなガラス張りのケースの中には、長い焼餅が木箱に収められておとなしく並んでいる。この他は、作業台代わりのテーブルがあるだけで、ほとんど何も置かれていない。

 「ごめんください」とおとなうと、店のご主人と思しき中年の男性が出てきて、応じてくれた。丁度、立石餅を作っている最中ということで、ご主人の手招きに応じて、暖簾を潜って作業所へと続く鰻の寝床のような細い通路を進んだ。御母堂が餅を包んでおり、ご主人がそれを焼いていく。作業が一段落ついてから、改めてお話を聞くことができた。

 あま新は、確かな創業年は定かではないが、記録に残っている限りでは、幕末の頃には既にあった店で、当代の服部専太郎さんで五代目だという。当時は甘酒なども出す茶店だったそう。

 「伊勢街道沿いには焼餅屋が多いんですよ。ある学者さんがいっていましたが、伊勢神宮にお供物として米を奉納したことに関係しているのではないでしょうか。立石餅も、そんな伊勢地方ならではの菓子だと思いますよ」
そうご主人の服部さんはいう。

 そもそも、立石餅は、その茶店のすぐ前の角、丁度伊勢街道が直角に折れるところに立っていた道標に由来する。江戸時代、この辺りは河町と呼ばれていたが、その河町辻の角に元禄2年(1689)に立てられた道標で、「右はいせ道 左は江戸かい道」と刻まれていたという。

 神戸宿の人々はこの道標を、「立石」と呼んでいた。その立石の前に店があったことから、あま新で作る長餅も「立石餅」っと呼ばれるようになったのだ。

 「私が子供の頃は、立石はまだあったんですよ。盛り土がしてあって、その上に立ってたんです。1メートルもないくらいの、小さな道標でしたが、よく覚えています。でも、道路工事があって、どかされてしまって、そのまま行方不明になってしまってね」

 後日、鈴鹿市教育委員会などに問い合わせるなどして色々と調べてみたが、やはり道標の行方はようとして知れなかった。立石餅の由来であった道標がなくなってしまったとは、実に残念な話である。

 立石餅は、桑名の安永餅や四日市の笹井屋の永餅のように、平べったくて細長く、中に餡の入った焼餅だ。ご主人曰く、長い餅は三重県でもここ神戸までで、これ以南は丸い焼き餅になるのだそう。確かに、この先の伊勢街道沿いにあるへんば餅、二見道の二軒茶屋餅などはみな、丸い。

 しかし、むしろ丸餅の方が全国的には一般的で、北勢地方の長餅の方が珍しいのだろう。京都上鴨神社脇の神馬堂の焼餅も、九州大宰府の梅が枝餅も丸いし、餅ではないが信州のおやきも丸い。珍しい長餅の分布区域の中でも、最南端が神戸辺りということか。

 ご主人がこの立石餅作りを始めてから、既に33年にもなるという。

 「22歳の時から両親の手伝いを始めましたからね。家を継いだのが15年ほど前で、以来、母とふたりだけで作ってきました。作り方なんて、きちんと教えてもらったことはないと思います。見よう見まね。餅に対して餡はこんなもんかな、って、目分量です(笑)」

 と、ご主人。あま新は三代目の頃から蕎麦やうどんなども出す食堂を兼ねていたため、ご主人も調理学校を出て、立石餅と平行して料理も作っていたという。しかし、それも8年ほど前にやめ、今は立石餅だけを作って売っている。

 「こんな時代ですから、食堂経営もなかかな大変でして。本当は立石餅もやめようかと思った時期もあったのですが、続けて欲しいという声が多くて、頑張ってやっていますよ(笑)」

 平日は外で仕事をして、餅作りに時間を割くことができる土日祝日のみ、営業している。立石餅は、文字通り全て手作りで作られている。餅を作る営業日は、朝6時頃から仕込みを始める。おくどさんに薪をくべて、もち米を蒸すところから始まり、杵と臼で餅をついて、餅に餡を詰めてころころと伸ばして平らに潰し、焼いていくところまで、全部全部、ご主人と御母堂のふたり、4つの手で作っていくのだ。

 それにしても、今のご時世、薪を使っていることにも、杵と臼を使っていることにも、驚きを隠せない。

 「ガスでやればもっと効率がいいのかもしれませんが、薪を焚く方法で覚えてきてしまったので、やり方を変えていないだけなんです。昔は松葉を焚いていたそうですが、今は大工さんから余った木をもらってきて焚いてます。それに、薪だと熱の通り方も違うんじゃないですかね。ガスだとずっと一定の強さで熱が通りますが、薪だとむらがあるというか、強くなったり、弱くなったり。火加減は体で覚えているので難しいとは思わないですが、薪で作った方が自分が昔から知っている立石餅の味になるんだろうなと思うんです」

 50分ほど竈にかけた蒸篭で、前日から水に浸しておいたもち米を蒸してから、杵と臼で搗く。餅搗機はもちろん使わず、服部さんが杵を握って振り上げ、御母堂が餅を返しながら搗いていく。

 一度搗いた餅は、粗熱をとった後で再び搗く。こうすることによって、「コシを折って」柔らかい餅に仕上げることができるのだという。餅はよく冷ましてから包餡する。温かいままだと、くっついて団子になってしまうためだ。

 餡はやはりおくどさんに薪をかけて炊き、水分をよく飛ばして、握れる程度の少ない水分量にしてある。潰し餡といった感じで、ところどころに粒が残っている。

 「粒餡として炊いているのですが、絞って水気をとってしまうのです。その際に、小豆が潰れるんですね。水気をとりすぎてもこねることができないし、水分が多すぎると、手について握れないんです」

 よく水気をきった餡に、砂糖を混ぜて、餡が完成する。ここまでの作業は、前日までに済ませてある。餡を餅で包む作業は、昔からこの家の女性がしてきたという。今も、御母堂が担当している。

 「餅と赤子は強あたり、なんていいますが、思い切ってやらないとなかなかできないものですね。私は頑張って覚えましたが、親父なんかは、包餡の作業はしませんでした」

 そういいながら、ご主人も御母堂の傍らでひとつ包んで見せてくれた。確かに、御母堂が作るものより形が悪い(笑)。御母堂が形作った長餅は、ご主人が鉄板の上で焼いていく。これは薪ではなく、先代の頃から使っているガスの焼き台を使って焼く。昔は丸い鉄板を使っていたが、ガスの焼き台に慣れているので、あえてこれを変えようとも思わないのだという。

 時間を計ってみると、片面約1分半。とはいえ、時計と睨めっこするのではなく、餅の両端の餡が入っていない部分がぷくっと膨らんできたら、それがひっくり返す合図だ。ひっくり返された餅はこんがりと茶色い焦げ目がついている。むらのある焦げのつき具合が、手作りの証だ。

 水曜日~木曜日にかけて餡を仕込み、金曜日にもち米を仕込み、土曜日・日曜日の営業日の朝6時から作り始める立石餅は、9時頃にようやくできあがる。心得た客は、できあがる頃合を見計らって、店を訪れる。取材したこの日も、9時を少し回った頃に常連と思しき男性が来店して、20個入りを2箱、求めていった。

 「子供の頃からこの立石餅を食べてました。お小遣いを持って、よく買いに来たものです。子供の頃は特においしいとか思っていなくて、これが普通だと思っていたのですが、大人になって色々な所に出かけて色々な食べ物を口にして、改めてこの立石餅は本当においしいなと思うようになりましたよ」

 と、常連さんが熱弁してくれた。立石餅は宣伝も特にしていないし、一番の広告塔だった店の前の道標もなくなってしまったが、それでも根強いファンがたくさんいて、こうして土日に店が開くのを楽しみにしているのだ。現在は1日に焼く数は180個程度。注文があればそれに応じて数を増やすが、最高でも800個程。量産はできないし、この神戸で売るには、これ以上作っても裁けないのだという。

 「冷凍しておくといいですよ、なんて教えてくれたお客さんもいますが、今のところ、それはやっていないですねぇ。昔からのやり方しか知らないので、そのやり方でやっているだけなんです。今時はデパ地下で何でも買える時代。いってみればこの立石餅もただの焼餅だから、もったいぶるようなものじゃないんです。でも、この土地で売ってこそ、っていうのはありますねぇ。土産っていうのは、懐かしさも一緒に買って帰るものだと思うんです。だから、手広くやろうと思ったことはありません」

 「そんなわけでここで細々とやっているんですが、それだととても食べていけなくて、外で仕事をしているわけです(笑)。逆にいえば、外で仕事をしてでも、懐かしがってこの餅を買ってくれるお客さんの要望に応えて続けていこうと思っているわけで。もっとも、母がいてこそ、というのもあるので…。母ももう88歳ですからね、あとどれだけできるか、分かりませんね…」

 息子さんはいるが、あま新を継ぐ気はないのだそう。その代わり、姉の娘の旦那さんが、あま新を存続させるために跡を継ぎたいからと、店に修行に来たことがあるのだとか。

「こんな旨いものがなくなってしまうなんて、っていって、熱心に考えてくれたみたいなんですが、周囲は大変だからやめろって反対しましてね。30過ぎて、今から全部覚えるのはさすがに大変でしょう。2、3日だけ修行したのですが、断念しましたね(笑)」

 薪で炊いて、杵と臼を使って作る立石餅。これがまた、おいしいのだ。この立石餅が正真正銘の手作りであることは、作っている様子を見なくても一目見れば分る。なにせ、不恰好なのだから。

素朴で、でこぼこと不恰好、それでも甘くて、優しい味がする。ご主人服部さんのお人柄がそのまま味になっているような気がする。ほどよい弾力の餅と、小豆の味と香がしっかり残る餡を噛みしめながら、思った。この店を続けて欲しい。この味を残して欲しい、と。

「手を抜いた方が楽なのかしもれませんが、手を抜いたことがないので、本当にそれが楽なのかどうかも分りません(笑)」と言葉をつづりながら、ご主人は素朴な笑顔を見せてくれた。



(注:記事中の年数などは07年07月現在)

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※2008年、ご母堂が他界され、服部さんご自身も体調を崩されたため、一時店を休業されていましたが、立石餅が大好きという人たちの要望に応える形で、
2009年6月から再開。今は服部さんがただおひとりで作られているそうです。

店舗情報

あま新
  菓子: 立石餅(1個85円)
  住所: 三重県鈴鹿市神戸2丁目5-21
  電話: 059-382-0309
  営業時間: 9:00~売切れ次第
  定休日: 平日(土曜日、日曜日、祝日のみ営業)