兵庫県淡路島の南端の大見山に、「戦没学徒記念 若人の広場」という施設がある。
この施設は第2次大戦末期、戦場や軍需工場に動員され多くの犠牲者を出した約400万の学生、生徒たちを慰霊するため、昭和42年にオープンした。小高い山の上に建てられた三角形の塔は、付属の展示資料館とともに、今年3月に亡くなった世界的な建築家・丹下健三氏によって設計された。
慰霊塔は学徒の象徴としてペン先を、展示館は塹壕をモチーフに設計され、その姿は周りの風景にも自然に溶け込み、夕映えのときには無宗教の施設ながら、神々しいまでに美しい。
「若人の広場」の完成式当時、秩父宮妃や岸信介元首相、海上自衛隊の儀じょう隊員ら、多数の来賓が参列した。展示資料館には学生たちの遺品やパネル写真が展示され、塔の前には、永遠の平和の火が灯され続けるはずだった。昭和47年には、皇太子夫妻(現天皇夫妻)も招かれ、動員学徒戦没者慰霊祭がひらかれている。
しかし、開設当初は多くの観光客が訪れたが、次第にその数も減り、開設から5〜6年後には、平和の火を灯すプロパン代もままならず消されてしまった。学徒戦没者20万人の名簿も未整理のままになっているという。その後、15年ぐらい前までは細々と展示館は開いていたが、阪神淡路大震災で窓ガラスが割れるなどの被害を受け、全面的に閉鎖してしまった。
現在、こうした施設の荒廃を憂慮した地元の有志による存続運動もむなしく、管理していた(財団法人「戦没学徒記念若人の広場」)は解散されようとしている。約2,000点の収蔵遺品は昨年末、立命館大国際平和ミュージアムへ寄贈されたが、寄贈されなかったと思われるパネル写真や展示館の備品は、残骸となっている。
先日、娘と一緒に久しぶりに訪れた若人の広場は、「自己責任」で中に入り見学できたが、荒れ果てた展示館に置かれた特攻隊の写真やボロボロの日の丸の小旗を見ると、戦後、私たち日本人は、戦没者の追悼や慰霊を本気で行ってきたのだろうかと、疑念が浮かんだ。
こうしたことについては、「靖国」問題から、新たな追悼施設を建設しようとする動きもあるが、いくら「箱物」を次々と作っても、根本的な解決とはならないのではないかと思う。
日本有数の建築家の名作が、こうして人知れず廃墟になっていくのを見ることは、地元に住む者にとって残念でならない。特攻隊の遺書に涙し、意地でも靖国に参る小泉首相にぜひ来てもらい、この惨状を何とかして欲しいものだと思う。
【関連サイト】
若人の広場 復興委員会
(郷一成)
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ここは瀬戸内海国立公園内でも第1級の景勝地で、大鳴門橋も望める
展示品だったと思われる日の丸やパネル写真
塹壕をモチーフにした展示館内。不思議な静謐さが漂う
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