議員年金 破綻の足音(下)
◆掛け金拒否の理由/国民の理解得られず
<徳島県小松島市議会議長・出口憲二郎氏>
地方議員の年金が破綻寸前となる中、制度廃止を訴えて掛け金の支払い拒否に踏み切った徳島県小松島市議会の出口憲二郎議長(62)に、現行制度の問題点を聞いた。
―掛け金支払い拒否の狙いは何ですか。
「昨年春、市議会議員共済会から制度の存続を求める決議を採択するよう求められた。だが、議会内から『これ以上公費を投入しても存続は無理だ』という声が出た。自治体も苦しい時代に公的な赤字補てんは難しいと考えた」
「年金制度は現在、1人の現職議員が3人の元議員を支えている。今後、議員数が増えることはあり得ないだろうし、逆に団塊の世代の議員が引退すれば受給者はさらに増える。もはや制度は成り立たなくなっている」
―全国市議会議長会は公費負担を増やして制度の存続を目指す独自案を示しています。
「議長会は全国の議会に対して独自案への意見集約を求めたが、期間が短く内容が十分理解されていない。各議会が中身を理解した上で住民に説明すべきなのに、それさえできていない。さらなる税金投入で制度を存続させる案に国民の理解は到底得られない」
―議長会案への対案はありますか。
「議員の年金だけを独立させる時代ではない。難しい面はあるが、厚生年金など他の公的年金との一元化を考えるべきだ。議員として働く間は厚生年金並みの掛け金を払うようにすればいい」
―年金制度が廃止されると、議員のなり手がいなくなるという意見もあります。
「年金があるから議員を続けられるということでもないだろう。地方分権が進んで執行部の権限が増せば、チェックする地方議会の責任も重大になる。専業議員として生活できるだけの報酬は確保すべきだ。市町村議員の報酬は全国ばらばら。老後の生活も考えて働けるの環境整備に向けた議論が必要だ」
<でぐち・けんじろう>1947年徳島県小松島市生まれ。明治大法学部卒。衆院議員秘書を経て77年に小松島市議選補欠選挙で初当選し、現在5期目。2004~05年議長を務め、09年6月に再度議長に就任した。
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◆議員の身分と歴史
地方議員の特別待遇は年金制度だけではない。議会の度に交通費や日当が支給される費用弁償も見直しが進む。背景には議員が地域社会の名士だった名残があるようだ。地方議会の移り変わりをひもといてみる。
<戦前/公民が選んだ名誉職>
「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」―。
地方議会の歴史は1868(明治元)年に発布された「五か条の御誓文」で幕を開けた。
翌69年には福沢諭吉が「英国議事院談」を出版してイギリスの議会の仕組みを紹介。「議案」「賛成」「反対」など今日使われている議会用語の多くは、このとき諭吉が翻訳した。
第1回帝国議会の召集に先駆けて「民会」と呼ばれる議会を設置する府県や区(市)町村もあった。全国統一のルールがなく、民会議員は国の役人が選任したり、地域の有力者が就任したりとさまざま。住民が話し合って互選することもあった。
市町村の姿がおおよそ定まった88(明治21)年の市町村会(議会)を見てみる。有権者は(1)25歳以上の男性(2)世帯主(3)一定以上の国税納税―の3条件を満たした「公民」に限られていた。
市会議員選挙の場合、公民を納税額に応じて1~3級選挙人という三つの階層に分け、議員定数を3等分して各階層に割り当てた。高額納税者が属する1級選挙人は人数が極めて少ないため、1級選挙人の1票は3級選挙人の100票以上に相当した。
こうして選ばれた議員の任期は6年。現代と同じように条例の制定改廃や予算、決算の議決権を有していた。市会は市長候補を推薦する権限を持ち、町村会は町村長を自分たちで決められるため、議長が兼務していた。
議員は無給で働く名誉職。ただし、議会への出席に応じて定額の日当が支払われた。
全国市議会議長会事務局で調査広報部長などを歴任した加藤幸雄専修大講師は「当時の定額日当制は、報酬制に切り替わった戦後も定額の費用弁償として残った」と解説。「その結果、各地の議会で費用弁償の定額支払いは報酬の二重取りだ、という批判を招くことになった」と話す。
納税額によって参政権に差をつける「公民」の規定は、地方選挙に普通選挙法が適用される1926(大正15)年まで続いた。
<戦後/分権進展で役割増す>
地方自治は1947年5月3日、新憲法と地方自治法の施行で再スタートを切った。
ところが憲法の草案からは当初、地方自治に関する条文がすっぽり抜け落ちていた。GHQ(連合国軍総司令部)の指示で(1)地方自治の基本原則(2)議会と首長の直接選挙(3)自治体の権能(4)特別法の住民投票―が盛り込まれた。
地方自治制度は、戦後一貫して住民が議会と首長をそれぞれ選ぶ二元代表制が柱になっている。合議体の議会と独任制の首長が互いに競争し合いながら自治を実現するという考え方だ。
52年には地方制度調査会(地制調)を設置した。以後、地制調の答申に沿って自治法などを改正するという手順が定着した。
しかし、議会の在り方は地制調でも議題になることが少なく、長く取り残されてきた。議会の重要性が再認識されたのは、2000年の地方分権一括法施行がきっかけであり、ごく最近だ。
地方分権一括法で、国の事務を都道府県や市町村に強制代行させてきた機関委任事務は廃止。自治体本来の仕事である自治事務と、国の仕事だが便宜的に自治体が請け負う法定受託事務に分けられた。
機関委任事務は首長が国から直接任されるため、議会の権限は及ばなかった。これが自治事務の拡大で、議会による審議や監視の機会が飛躍的に増えた。
地制調も2001年に発足した27次調査会以降、議会の在り方を主要テーマとして取り上げるようになった。だが、昨年発足した鳩山内閣は「各種審議会を抜本的に見直す」と表明。60年近く続いた地制調も29次調査会を最後に役割を終えそうだ。
代わって議会制度の見直しは、新たに発足した地方行財政検討会議に引き継がれる。検討会議は自治法を抜本改正して「地方政府基本法」の制定を目指すとしているが、その中で議会の姿がどのように描かれるかは不透明だ。
◎議会を中心とした地方自治の歩み
【戦前】
1868年 「五か条の御誓文」発布
78年 府県の下に郡区町村を設置
府県に公選議員で構成する府県会(議会)を設置
80年 区(市)町村に区町村会(議会)を設置
88年 公民の等級選挙による公選名誉職議員で市町村会を構成
市町村会に市町村に関する一切の事務の議決権を付与
町村会による選挙で町村長を選任
89年 大日本帝国憲法発布
90年 名誉職議員で府県会を構成し、予算・決算などの議決権を付与
町村会選出議員と高額納税者互選議員で郡会(議会)を構成
99年 郡会の高額納税者議員制度を廃止
1921年 直接市町村税納税者を公民とする公民権拡大を実施
町村会の等級選挙を廃止
市会の等級選挙を3等級から2等級に簡略化
26年 道府県会、市町村会に普通選挙制を導入
市会による選挙で市長を選任
29年 道府県会に発案権、議会招集請求権などを付与
43年 市長は市会の推薦を受けて内務大臣が選任
町村長は町村会で選挙して府県知事が認可
【戦後】
46年 女性への参政権付与など選挙権、被選挙権を拡充
議会の解散権を首長に付与
住民による直接請求制度を創設
47年 新憲法、地方自治法施行
第1回統一地方選挙を実施
52年 第1次地方制度調査会(地制調)が発足
56年 議会の定例会の招集回数を制限
61年 地方議会議員互助年金法を施行
79年 第17次地制調が地方分権を答申
91年 議会に議会運営委員会などを設置
93年 国会が地方分権推進を決議
地方6団体に意見具申権を付与
99年 平成の大合併がスタート
2000年 機関委任事務を廃止し、自治事務と法定受託事務を創設
02年 議員定数で法定数を上限とする条例定数制度を創設
04年 定例会の招集回数を自由化
06年 臨時会の招集請求権を議長に付与
議会の委員会に議案提出権を付与
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