3月7日、イラクでは国民議会選挙の投票日。
米軍が都市部から撤退したバグダッド近郊では爆弾テロが頻発したり、外出禁止令が発令されたりと悲惨な状態だ。
全ては、フセイン政権を崩壊せしめた米国とそれに追随した日本政府の責任だ。
国民議会選挙は5年に一回だ。
最初にバスラ州知事を表敬訪問したのだが、アラビア語で何をいっているのか分かるはずもない。
米軍が都市部から撤退したバグダッド近郊では爆弾テロが頻発したり、外出禁止令が発令されたりと悲惨な状態だ。
全ては、フセイン政権を崩壊せしめた米国とそれに追随した日本政府の責任だ。
国民議会選挙は5年に一回だ。
私が監視員として立ち会ったのは10年前の2000年3月になる。
世界中から来た監視員がバグダッドで一番大きなアル・ラシッドホテルの大広間に集まって出陣式。
そこからバスで各地に散らばって監視活動に従事。日本からは私ともう一人の女性が選ばれた。
私が担当した南部の港湾都市であるバスラ地域には私と日本人女性。他にパレスチナ人1人。スーダン人は4人。
各地の投票所を廻った。
日本の一部マスコミや親米保守が宣伝するような、フセイン政権に反対する票を入れる人を監視しているというのは嘘。
誰が誰に投票したなんていうのは、わかるはずがない。
最初にバスラ州知事を表敬訪問したのだが、アラビア語で何をいっているのか分かるはずもない。
で、途中から一人のジェントルマンがバスで私の横に乗り込んできた。
アラビア語の理解できない私一人の為に、バスラ大学から英語の先生を呼んできてくれたのだ。
いろいろ話したが、経済制裁下の国民の暮らしは楽ではない。
私は持っていたドル紙幣を封筒に入れて渡そうとしたが、絶対に受け取らなかった。
「貴方のガイドをすることは私の職務だから」っていうことだ。
長年、イラクを幾度となく訪問して色々な人に会ったけど、そのなかで悪い印象を持ったことは一度もない。
それはイラクという国に愛情を持って接しているから、それに相応しい人々と巡り会えていられただけであろう。
ある、在日朝鮮人の人材育成コンサルタントとかいう女性は、日本人から如何に嫌な思いをさせられてきたかを講演会などで得意になって話しているが、それはその女性に見合うだけの、品性下劣なる日本人が接点をもって集まってきただけのこと。分相応というやつだ。
時の選挙ではフセイン大統領の長男でイラクオリンピック委員会委員長である、ウダイ氏が100%の票を得て初当選。
これを西側メディアは不正選挙の象徴であるかのごとく宣伝した。
これは選挙制度の違いがあるから、充分に起こり得ることなのだ。
国民議会選挙は日本で言う中選挙区制だ。一選挙区の定数は5人とか6人とかに決められている。
定員5人の場合、有権者は必ず5人の名前を書かなければならない。4人とか6人の名前を書けば無効票になってしまう。
そうなると、著名人でありオリンピック委員会委員長の役職にあるウダイ氏の名前が全ての投票用紙に書かれることもありうるのだ。
もしかしたら、正確には99.999%だったのかもしれないが、それを「ほぼ」100%と報じても間違えではないだろう。
そういった事実を日本のメディアは一切報道しなかった。
これ一つをとってみても、あのイラク戦争それにさかのぼる、19年前の湾岸戦争が如何にデタラメであったのか、
日本人は如何にアメリカ側の情報操作に翻弄されていたかが分かるというものだ。