週末早朝の某民放テレビ番組じゃあるまいし、私としてはあまり皇室関連のことばかりを書きたいわけではないのですが、どうも今回の 「学習院乱暴騒動」に関して、宮内庁のやりかたが目に余るので、一筆啓上いたします。
念のために申し上げておきますが、私は世に言う「右翼」系の人間ではありません。正直申し上げて「皇室」という存在への崇敬心という点では、多分、日本国民の平均値以下に位置していると思われます。蘇我入鹿以上、楠木正成未満と申しあげておきましょう。はっきり言わせていただければ、天皇家は「日本」という国の「物語」におけるサイドショーであり、またそうあるべきだと思っている人間です。

しかし、今回の「学習院の乱暴騒動」は皇室そのものではなく、これをとりまく宮内庁という組織、そしてそこに所属する現代日本で「エリート」と呼ばれる特殊な一部の日本人の生態の一面を照射していると思いますので、あえて俎上にのせさせていただくのです。

今回の騒動でまずハッキリしているのは、これは公表されるべき性質の問題ではないということです。私にも愛子内親王と同い年の小学校低学年の子どもがいますが、「○○君、いじわる〜。キラ〜い。学校ヤダ〜。」ぐらい、誰でも言います。そんなことを、家の「お手伝いのおじさん」が、よそに言いふらして、日本のみならず、全世界規模のニュースになってしまった。

8歳の少女として、愛子内親王はこれをどう感じるのでしょうか。これからのご成長にどのような影響があるのでしょうか。親として、皇太子ご夫妻のご心労はいかほどでしょうか。もちろん忘れてはならないのは、内親王の同級生児童たちに、どのような影響があるのかということです。ご父兄の皆さんは、どのように感じておられるのでしょうか。

これら様々なことは、少しぐらい人がましい気配りのできる人間だったら、「公表」という暴挙に出るまえに当然考えがおよぶべき事由でしょう。

次に指摘しておきたいのは、この「公表」が、皇太子殿下のアフリカ訪問出発の直前というタイミングで行われた事です。

どうも皇室の今のありようは、幕末の薩摩藩島津家のようです。

公認の後継ぎは、その英邁の資質、天下衆目の一致するところ、幕府首脳も一目置く「改革派」の斉彬。しかし体制の守旧・保守で意見が一致している藩内勢力は、その旗頭として、嫡男の弟君、久光の背後に集結し、ことあるごとに「お世継ぎ」バッシングに精を出す...。

「近思録崩れ」「高崎崩れ」と続く、幕末「南国太平記」の結末は、あまりにも悲惨なので、皇室との関連でここに詳述することが憚られます。

野村一成東宮大夫(元駐ロシア連邦大使)はじめ、宮内庁のトップが、どのような意図で今回の一件を「公表」することに踏み切ったのか。皇太子ご一家の「おしあわせ」を念頭においての事とは到底思われません。

しかし、今回の一連の騒動を、より広義の官僚制度における「公共選択論」(パブリック・チョイス・セオリー)のケーススタディとしてみますと、見事なまでに腑に落ちます。

何が皇室にとって最善であるのか。現代日本において、皇室とはいかにあるべきか。これらの命題に明確な指針が与えられていない現状では、宮内庁の官僚、また個々の皇族メンバーでさえも、結果として自己の利益を追求することが唯一の行動指針なのです。従って、システムの存在意義の根本に疑問を呈し、改革を主張する側に立つものは、たとえそれが皇族という名目上の「主君」であっても、これを排撃する方向に組織は動かざるを得ないのです。

より大きな視野でものを語れば、日本の官僚制度全体も同じ宿痾に陥っているのです。何が今の日本にとって最善なのか。日本の将来はどうあるべきなのか。これらの大命題にはっきりとした指針が提示されていない限り 、各省庁の個々の官僚や、政治家センセーたちも、自己の利益増大に走り続ける宿命なのです。経産省の「産業構造ビジョン」をご覧あれ。「いのちを守りたい!」だけじゃ、だめなのです。

以前のエントリーでも言いましたが、こうした「国家の罠」(他の外務省関係者と区別するため、「国体」の罠と言ったほうがいいかもしれません)から皇室、そして関係官僚たちをも救う為には、皇室そのものを、憲法をはじめとした国家の枠組みから外すべきでしょう。あの折にも警告しましたが、このままでは皇室の尊厳は蝕まれていく一方です。「東宮大夫」というお役目を、正体不明の「国体」とやらに奉仕する「官職」ではなく、ちゃんとした「家のお手伝いさん」に毛が生えたようなものにすべきなのです。(もちろん、それなりに格式にふさわしい、立派な「毛」じゃなければ困りますが。)

恐れおおい事で、いささか口にすることがはばかられますが、やんごとなきあたりからの断固とした介入が必要な時機に至っているのかもしれません。

後嵯峨上皇の崩御にあたり、「治世の君」の継承者として、後深草上皇と亀山天皇の間であいまいであった遺詔の真意を、鎌倉幕府(執権北条時宗)に尋ねられた故上皇の后、 後深草と亀山の実母でもあった大宮院(藤原姞子)は、「御意志は当今(亀山)にあった」と答え、「両統迭立」、ひいては南北朝の大乱の遠因を作る事になってしまった。増鏡によると、後深草は皇室伝承の坂上田村麻呂将軍の佩刀を守り刀として持っておられたのだが、亀山は「故院の遺詔」といって、これをとりあげてしまった。事ここに至り、後深草は大宮院を「親甲斐がない」と恨んだという。

オマケ
以前もご紹介しましたが、イギリスの官僚制度はすでにパブリック・チョイス・セオリーの洗礼を受けています。