鬱陵島立ち入り禁止の立て札、バ韓人落札!
日本が搬出防ごうとした'独島立て札'の秘密
朝鮮日報3月6日
1837年新潟海岸にかかっていた"鬱陵島(ウルルンド)右側の島は韓国の地、航海厳重に,禁止"の"立て札だ。
日本が韓国に売られることを憂慮した日本の江戸時代の木の立て札が劇的に韓国に越えてきた。 木立て札には1837年独島(ドクト)と鬱陵島(ウルルンド)が韓国土地とか日本人の航海を禁止させるという内容が含まれている。
この立て札は昨年3月京都で競売に出た。 産経新聞は"当時日本では竹島を鬱陵島(ウルルンド)で呼んで、今の独島(ドクト)と違った所なのに韓国側がこれを利用して自国の領土と誤った主張をする"として"が立て札が韓国側に移ってはいけない"と報道した。
そうしたこの立て札を韓国人事業家が150万円(2000万ウォン)に入手した。 立て札は日本の江戸幕府が独島(ドクト)と鬱陵島(ウルルンド)周辺で操業をした漁民2人を海禁令違反で処刑した翌年に作ったのだ。
落札前
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バ韓国が燻蒸処理
▲日本競売市場で150万円(2000万ウォン)に売れ韓国に搬入された。1837年日本江戸幕府時代の‘竹島渡海禁止’立て札。 横72㎝,縦33㎝大きさの松の立て札で上部分に2ヶの輪がかかっている。 独島と鬱陵島が韓国土地だと記録されている。 写真は不明瞭になった字を判読するために赤外線撮影したのだ。 木立て札は1837年2月江戸幕府の命令を受けて高田藩が新潟県地域海岸に掲示したことで横72㎝,縦33㎝大きさだ。 立て札上側には二つの輪がかかっていて,掲示板にかけていたものとみられる。
立て札には"竹島(鬱陵島の日本の名前)は元禄(元禄・1688~1704年)時代から渡海停止を命令したところであるから他の国の土地に航海するのを厳重に,禁止する"として"竹島の右側の島も航海してはいけない"で記録されている。 右側の島は独島ということだ。
イ・サンテ国際文化大学院大学客員教授は"が立て札は竹島(鬱陵島)の右側島(独島)まで航海禁止をしたことが記録されて,日本が独島を韓国土地だと自ら認めた重要な資料"といった。 まさにこの'右側の島'という一節のために日本側が立て札の搬出を拒もうとしたことだ。
渡航禁止令立て札は日本の鳥取県,浜田市郷土資料館にも一個が残っている。 横1m,縦50㎝大きさで今回の発見された立て札より2年後の1839年に作られたのだ。
しかしこの立て札は竹島(鬱陵島)に禁止令を下したことと記録されて日本側は独島は該当しないと主張してきた。 反面私たちは独島が竹島(鬱陵島)の付属の島とか特別に記載しなかったという論理を繰り広げた。
しかし今回の立て札発見で日本が独島を他の土地として排除したのが明確になったのだ。 立て札は引き続き"海上で他の国の船と会わないようにしてできる限り遠海に出ていかないように"となっている。当時日本の記録を見れば"江戸幕府の渡航禁止通知は立て札で掲示板に掲げて治安担当者は津々浦々にこれを知らせなければならない"となっている。 これに伴いこういう鬱陵島・独島渡航禁止令立て札は日本海岸あちこちに立てられたと推定される。この立て札は昨年3月15日日本競売会社で価格120万円で公開競売に送った。 日本人3人が138万円と145万円、150万円で応札した。 5万円差で落札受けたのを韓国人事業家が取得した。この立て札が競売に出てきて関心を注いだ日本メディアは落札された以後にも150万円で売れたが落札者が誰なのかに対しては競売会社が口を閉ざしているという報道とともに立て札の行方に対して関心を見せた。
韓国人事業家は"が立て札が韓国へ渡ってはいけないという論調で日本言論が関心を見せて驚いた"として"日本側が搬出を禁止するかも知れないという考えに荷物をまとめてほどいてを何度も繰り返した"とした。
この事業家は事態が静かになるのを待って10ヶ月の後の今年1月に韓国内に持ってきた。 立て札は国内に入ってきた後、ずっと虫が食べた穴から木粉がずっと流れ出て、国内文化遺産保存研究所で保存処理作業を経て公開された。立て札は殺菌殺虫機能を持てるように燻蒸処理して砕けた表面は伝統にかわで処理した。 木材質は松であり字は赤外線撮影で判読した。
政府は何をしていたのか?
by ac-130u
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