ブログ、私のブログもいろいろありました。昨年6/20に「斜里町の内科常勤医が12月から1名になってしまう」というお知らせのチラシが町内に配布され、その1名も辞表を出し、私は斜里町の病院が抱えている問題をブログに書き続けました。
しかし記事を削除して7か月が経過しましたが、今も私がブログを書いた、という部分しか言われません。ここはインターネットの上なので、削除した記事もキャッシュで残り続け、新しく読む人がいるであろうことは承知しています。初めて見た人々が「なんだこれは#」となるのは良いのです。が、7か月前に読んだ方が、いまだに私がブログを書いた、という部分しか話題にしないのは、さすがに想像外でした。
読んでくださった方はご承知のように、私はわざと煽りました。
火がついて沈みかかっている船がある、でも船客はみんな船室で眠っている。船長と機関士が必死で火を消そうとしているけれど、間に合わない。母船からはいっこうに救援隊も来ない。それで甲板員の私は客室をまわって寝ているお客さんたちを殴り起こしてまわりました、という感じでしょうか。
誰だって、なんだかわけわからないうちに、突然殴り起こされたら怒るでしょう? 当然、私も殴り返されるのを覚悟の上です。逆に、怒ってアドレナリンいっぱい出て飛び上がってくれるくらいの方がいいと思いました。実際にたくさん殴り返されました。それで皆が力を合わせて火を消すことができれば、もしくは、皆で無事船から避難することができれば、それでいいと思いました。
でも、チラシからもう8か月、1年の3分の2が経過しました。船はもう船首が波をかぶる寸前です。
しかし、いまだ、私が言われるのは「殴ったなあ!?」という段階です。殴ったからどうするのか、なんで殴ったのか、というところまで行き着きませんでした。「火を消さないと!」と叫んでくれる方々はいらっしゃいましたが、実際に水の入ったバケツを持って、船長や機関士の火消しを手伝ってくれたり、船客の避難を率先して誘導してくれる人は現れませんでした。そして、たいていの方が「火がついて沈みかかっているんですって、不安だわ」と不安がりながら、再び寝室に戻ってしまったのではないでしょうか。
******
直接会った人にはよく言うんですが、みなさんは「どうしよう」と言うけれど、病院内では「どうしよう」という間もなく、もうその日から有無を言わさず医者は働いているんです、と。みなさんが一日に1時間、「どうしよう」とじっくり考えて下さっても、医者は24時間その現状の中で必死でやっているんです。(年単位の長い目で見て下さいと言われるけれど)24か月かかって結論に到達する時、医者は1か月でエンジンが焼き切れて去っています、と。
******
常勤医を増やして欲しいとお願いしても増やしてくれない。
(横で見ていたら、旭川医大から断られて当然と思うことをやっているのですが、どうしてそれがわからないのか、私にももうわからない)
それなら今いる医者サイズに合わせた診療体制にしてくれとお願いしても、体制は変わらない。
患者さんを他病院に振り分けてくれと言ってもやらない。
残っている医者を大事にしてくれと頼んでも、それもない。
野津先生を慰留しになんて、(8月に1回だけ町長がいらした後)ついに7か月間、誰も、一人も、一度も来なかったですよ。
病院をなんとかする!と町議に当選した方もいましたが、それを最後に病院から音信不通になりました。
8月の時点で、(町の方で医療のことはよくわからないから、と言うのなら、何でもご説明しますから、どうして常勤がいないといけないのか、斜里町はどういう患者さんがいるから病院はどんな風に対応しているのか、どうして患者を他病院に振り分けないといけないのか、非常勤は実働何人くらいで何をやっているのか、等々)説明させてくれ、説明する場を設けてくれ、と何度も連絡をとって、場もセッティングしていただいて待っていたのですが、来ない。
その後もこちらからどこでも出向くから説明させてくれ、連絡をくれ、と繰り返し頼んでも、一度も連絡もなし。そのまま3か月が経過。
それで個人的に知っている役場の偉い人をつかまえて、無理矢理説明。その後にももう一回説明する機会をいただきましたが、動きがないまま11月の常勤内科医1名退職となり、「内科医1名になることに対してどういう対策をとっているのか聞かせてくれ」と電話をすると、「電話を切りますよ」と言われて、それっきり。それからまた3か月が経過しました。
町議の方々とも喋ったことがありました。「今度先生に来て説明していただきたいがどうか」と言われたので、「喜んで、いつでもどこでも行きます」とスタンバイしていたけれど、それっきり。あれは7月のことなので、8か月くらい経過しました。
町民の方からも「来てお話して下さい」と何回も言われるので、その度に「いつでもどこでも行きます」と張り切っていたんですが、1回も呼ばれたことはありませんでした。
待っているだけでなく、私からも押し掛けて町民の方ともだいぶ喋りました。
しかし協力を求めると、私は「(ブログのことで)敵なので・・・」と、腰を上げてくれる人はいなかったです。
またアドバイスを求められて、すぐさまその日のうちにでも実行できる一番簡単な策を提案しましたが、1か月経っても2か月経っても始まらない。3か月経過して、やらないことに決まったとのこと。
結局何ひとつやらないまま、引き続き4月からもよろしくと言うけれど、じゃあ医者に一つ一つ押し付けていく分、代わりに何をするのでしょうか?
常勤医2名が1名になっても、そしてその1名退職まで1か月を切っても、チラシから1年の3分の2が経過しても、結局「これをやりました」と実績として言えることは何もしないのですね。
私自身危機を感じていて、ここから先はもう(今、そしてこれからの診療体制ではもう)患者さんに責任を持てない、ぎりぎりのラインだと思っています。今、しわ寄せが医者に来ているが、ここから先は、患者にしわ寄せがいく。(今もすでに、患者さんにとばっちりが行っていますが)それは絶対にいやだなあと思いました。
では、そういう患者さんにもう責任を持てないような無理で危険なことをやらせようというなら、代わりに何をしてくれるのか?
それで、もう最後の最後のレベルの要求をしてみました。あともう一人常勤の先生が来たなら,すぐさま解除してくれてかまわないので。「考慮していただけないなら、4月からよそへ行きます」と、私は言いました。
せめてひとつくらい、町が動くかどうか、賭けでした。
(そういう賭けをすることに、また賛否両論があるのでしょうが。)
それで、返答は、考慮できない、とのことでした。
「では辞めてもかまわないということですか?」と聞きましたが、4月からはそのまま働いてもらいたい、と今まで同様に言われるだけでした。
ちょっとばかしは歩み寄りとか代替案とかあるのかな?と思ったのですが、それもなかったですね。
「結局何にもしないんですね?」と私は言いました。「それがだめなら、ほかに何をするんですか?」
「考えてもわからないので、してほしいことがあったら言って下さい」
言ってください、と言われても、私にももう、正直、わからないです。
あれも駄目、これも駄目、あれをお願いしてもこれをお願いしてもナシ。本当はもっとごく普通に真剣に町民の医療を考えてほしかったし、病院の診療体制を立て直して、ごく普通に話し合ったりとか、医者がごくごく当たり前に診療に専念できる状態にしてほしかったんですけれど。それもあれも叶わないから、最後にこういうレベルの話しか言うことがなくなって、それもナシということなので。
まあそんなわけで、「考慮していただけないなら、辞めます」と言って、「考慮しない」というのだから、私も辞めざるをえないでしょう。
仕方がないですね。
まあ、人生、いろいろあるさ。
しかし記事を削除して7か月が経過しましたが、今も私がブログを書いた、という部分しか言われません。ここはインターネットの上なので、削除した記事もキャッシュで残り続け、新しく読む人がいるであろうことは承知しています。初めて見た人々が「なんだこれは#」となるのは良いのです。が、7か月前に読んだ方が、いまだに私がブログを書いた、という部分しか話題にしないのは、さすがに想像外でした。
読んでくださった方はご承知のように、私はわざと煽りました。
火がついて沈みかかっている船がある、でも船客はみんな船室で眠っている。船長と機関士が必死で火を消そうとしているけれど、間に合わない。母船からはいっこうに救援隊も来ない。それで甲板員の私は客室をまわって寝ているお客さんたちを殴り起こしてまわりました、という感じでしょうか。
誰だって、なんだかわけわからないうちに、突然殴り起こされたら怒るでしょう? 当然、私も殴り返されるのを覚悟の上です。逆に、怒ってアドレナリンいっぱい出て飛び上がってくれるくらいの方がいいと思いました。実際にたくさん殴り返されました。それで皆が力を合わせて火を消すことができれば、もしくは、皆で無事船から避難することができれば、それでいいと思いました。
でも、チラシからもう8か月、1年の3分の2が経過しました。船はもう船首が波をかぶる寸前です。
しかし、いまだ、私が言われるのは「殴ったなあ!?」という段階です。殴ったからどうするのか、なんで殴ったのか、というところまで行き着きませんでした。「火を消さないと!」と叫んでくれる方々はいらっしゃいましたが、実際に水の入ったバケツを持って、船長や機関士の火消しを手伝ってくれたり、船客の避難を率先して誘導してくれる人は現れませんでした。そして、たいていの方が「火がついて沈みかかっているんですって、不安だわ」と不安がりながら、再び寝室に戻ってしまったのではないでしょうか。
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直接会った人にはよく言うんですが、みなさんは「どうしよう」と言うけれど、病院内では「どうしよう」という間もなく、もうその日から有無を言わさず医者は働いているんです、と。みなさんが一日に1時間、「どうしよう」とじっくり考えて下さっても、医者は24時間その現状の中で必死でやっているんです。(年単位の長い目で見て下さいと言われるけれど)24か月かかって結論に到達する時、医者は1か月でエンジンが焼き切れて去っています、と。
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常勤医を増やして欲しいとお願いしても増やしてくれない。
(横で見ていたら、旭川医大から断られて当然と思うことをやっているのですが、どうしてそれがわからないのか、私にももうわからない)
それなら今いる医者サイズに合わせた診療体制にしてくれとお願いしても、体制は変わらない。
患者さんを他病院に振り分けてくれと言ってもやらない。
残っている医者を大事にしてくれと頼んでも、それもない。
野津先生を慰留しになんて、(8月に1回だけ町長がいらした後)ついに7か月間、誰も、一人も、一度も来なかったですよ。
病院をなんとかする!と町議に当選した方もいましたが、それを最後に病院から音信不通になりました。
8月の時点で、(町の方で医療のことはよくわからないから、と言うのなら、何でもご説明しますから、どうして常勤がいないといけないのか、斜里町はどういう患者さんがいるから病院はどんな風に対応しているのか、どうして患者を他病院に振り分けないといけないのか、非常勤は実働何人くらいで何をやっているのか、等々)説明させてくれ、説明する場を設けてくれ、と何度も連絡をとって、場もセッティングしていただいて待っていたのですが、来ない。
その後もこちらからどこでも出向くから説明させてくれ、連絡をくれ、と繰り返し頼んでも、一度も連絡もなし。そのまま3か月が経過。
それで個人的に知っている役場の偉い人をつかまえて、無理矢理説明。その後にももう一回説明する機会をいただきましたが、動きがないまま11月の常勤内科医1名退職となり、「内科医1名になることに対してどういう対策をとっているのか聞かせてくれ」と電話をすると、「電話を切りますよ」と言われて、それっきり。それからまた3か月が経過しました。
町議の方々とも喋ったことがありました。「今度先生に来て説明していただきたいがどうか」と言われたので、「喜んで、いつでもどこでも行きます」とスタンバイしていたけれど、それっきり。あれは7月のことなので、8か月くらい経過しました。
町民の方からも「来てお話して下さい」と何回も言われるので、その度に「いつでもどこでも行きます」と張り切っていたんですが、1回も呼ばれたことはありませんでした。
待っているだけでなく、私からも押し掛けて町民の方ともだいぶ喋りました。
しかし協力を求めると、私は「(ブログのことで)敵なので・・・」と、腰を上げてくれる人はいなかったです。
またアドバイスを求められて、すぐさまその日のうちにでも実行できる一番簡単な策を提案しましたが、1か月経っても2か月経っても始まらない。3か月経過して、やらないことに決まったとのこと。
結局何ひとつやらないまま、引き続き4月からもよろしくと言うけれど、じゃあ医者に一つ一つ押し付けていく分、代わりに何をするのでしょうか?
常勤医2名が1名になっても、そしてその1名退職まで1か月を切っても、チラシから1年の3分の2が経過しても、結局「これをやりました」と実績として言えることは何もしないのですね。
私自身危機を感じていて、ここから先はもう(今、そしてこれからの診療体制ではもう)患者さんに責任を持てない、ぎりぎりのラインだと思っています。今、しわ寄せが医者に来ているが、ここから先は、患者にしわ寄せがいく。(今もすでに、患者さんにとばっちりが行っていますが)それは絶対にいやだなあと思いました。
では、そういう患者さんにもう責任を持てないような無理で危険なことをやらせようというなら、代わりに何をしてくれるのか?
それで、もう最後の最後のレベルの要求をしてみました。あともう一人常勤の先生が来たなら,すぐさま解除してくれてかまわないので。「考慮していただけないなら、4月からよそへ行きます」と、私は言いました。
せめてひとつくらい、町が動くかどうか、賭けでした。
(そういう賭けをすることに、また賛否両論があるのでしょうが。)
それで、返答は、考慮できない、とのことでした。
「では辞めてもかまわないということですか?」と聞きましたが、4月からはそのまま働いてもらいたい、と今まで同様に言われるだけでした。
ちょっとばかしは歩み寄りとか代替案とかあるのかな?と思ったのですが、それもなかったですね。
「結局何にもしないんですね?」と私は言いました。「それがだめなら、ほかに何をするんですか?」
「考えてもわからないので、してほしいことがあったら言って下さい」
言ってください、と言われても、私にももう、正直、わからないです。
あれも駄目、これも駄目、あれをお願いしてもこれをお願いしてもナシ。本当はもっとごく普通に真剣に町民の医療を考えてほしかったし、病院の診療体制を立て直して、ごく普通に話し合ったりとか、医者がごくごく当たり前に診療に専念できる状態にしてほしかったんですけれど。それもあれも叶わないから、最後にこういうレベルの話しか言うことがなくなって、それもナシということなので。
まあそんなわけで、「考慮していただけないなら、辞めます」と言って、「考慮しない」というのだから、私も辞めざるをえないでしょう。
仕方がないですね。
まあ、人生、いろいろあるさ。

