A.最近の状況
図によっても明らかであるが、海外では米国が9.7%と12月の10%よりは改善されたがなお高いレベルであるのが目立つ。全世界的に悪化が目立つがフランス、スウェーデンでは9%超となっている。 B.長期トレンド はじめに 各国の失業率の推移を図示した。ここでの失業率は、各国の労働力調査による結果であり、基本的な失業率の定義は共通であるが、国ごとに異なる調査方法、推計方法や軍人軍属を含めるかどうかなど細かい定義による差がある。 各国調査よる失業率とOECDによって定義を揃えて計算された標準化失業率を以下に掲げたが、ほとんどの場合、0.数%、多くて0.9%ポイントの違いに過ぎない。 失業率の定義は、完全失業者数÷(就業者数+完全失業者数)×100である。就業者数+完全失業者数は労働力人口ともいう。失業は、仕事がなく、仕事を探している者である。仕事がなくて、仕事をしたくとも、仕事を探していない者は、失業者にはカウントされない。 1.日本 日本の失業率は高度成長期以降、1990年代前半までは、2%台という極めて低い水準を維持しており、欧米諸国が10%前後と高い失業率であったのとは対照的な姿を示しており、1980年代の世界的な日本礼賛ブームの1要因となっていた。また、他の諸国と比べ、失業率水準の安定性も目立っていた。この安定性の点では、失業率水準が4〜5%に上昇した現在でも、他の諸国と比べて日本の大きな特徴である。これは上の2つの図で各国の波の大きさを比較すれば明確に看て取ることができる。 1990年代以降の失われた10年に日本の失業率は、これまでにない5%台まで上昇した。数次にわたる公共事業を中心とした景気対策は効果をあらわさず、赤字財政を深刻化させるばかりで、経済低迷は長く続いた。その後、97年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増し、98年の4.1%、99年の4.7%と失業率はさらに上昇し、自殺者数の急増という社会ショックまでが生じた(図録2740参照)。 その後、小泉政権による規制緩和と構造改革による経済再建策は、欧米型の社会への転換を促進し、景気が回復しても失業率水準はさらに上昇を続けるという観測もあったが、ついに2002年の5.4%をピークに03年、04年、05年と5.3%、4.7%、4.4%と失業率は低下に転じた。2005年衆議院総選挙の与党自民党圧勝の背景には、こうした失業率の低下傾向があったことはいうまでもない。06年はさらに4.1%へと低下した。 日本の毎年の失業率の安定性の要因については、転換が進みつつあるとはいっても、なお、長期継続雇用という日本企業の特色が維持されているからであろう。長期継続雇用を前提に、社会制度が成り立っているので、他国と比較すると大した程度でないが、これまでの日本の失業率推移と比較すると急激といえる失業率の上昇が、自殺の急増に見られるような大きな社会ストレスに結びついてしまったと考えられる。 なお、日本の失業率は、一時期、英、米、オランダ、スウェーデンを上回る時期があったが、現在では、韓国を除く主要国の中で最低のレベルまで改善しており、再度、低失業率の国の地位を取り戻している。 2.欧米諸国全体 欧米主要国の失業率は、1980年代前半には、8〜12%とおしなべて高い水準であったが、その後の展開は、高止まりを続けるフランス、イタリア、ドイツで高止まりを続ける一方で、こらとは対照的に、規制緩和などアングロサクソン的な自由主義経済に活路を見出そうとした米国、英国で、失業率が低水準化した。米国、英国の失業率は、一時期、失業率が上昇した日本とほぼ同等の水準となった。 こうした対照的な状況について、アマルティア・センは、医療などの社会保障を優先する欧州と自助を保障するため失業率を重視する米国と、両者の政策の優先順位のちがいを対比的にとらえている。「...太平洋の両側に社会および個人の責任に対する態度に関して重要な相異があるのかもしれない。アメリカにおける公の優先順位にはすべての人に基礎的な医療を与えるという公約はなきに等しい。そしてアメリカ合衆国では何百万人もの人(実際には4千万人以上)には医療を受ける何らの制度も保険もないのである。...ヨーロッパでは健康保険は経済能力や病歴状況に関係なく市民基本的な権利とみなされており、アメリカのような状況は政治的に容認されない可能性が強い。...その一方、現在のヨーロッパでは容認されている二桁の失業率はアメリカでは政治的な爆弾になる可能性が強い。これほどの失業率は国民の自助能力を名ばかりのものにするだろうからだ。」「ヨーロッパは仕事のないこと−そしてその状態の増大−を驚くべき平静さもって受け入れ続けてきた。」(アマルティア・セン「自由と経済開発」日本経済新聞社、原著1999年) 1990年代まで、フランス、イタリア、ドイツの失業率の水準は10%前後と概して米英に比較して高かったが、失業手当の給付というより就職促進対策を優先する積極的労働市場政策(ALMP=Active Labor Market Policy)などによって、21世紀に入り、改善方向を辿っていた。 2008年後半からの世界的な金融危機と景気後退により、米国と英国はそれまで低かった失業率がいっきに上昇に転じ、再度、ヨーロッパ水準を超えている。 3.フランス フランス政府は、2006年になって、平均を大幅に上回る若者の失業率23%を改善するため若者雇用促進政策「初期雇用契約」(CPE)を立案した。 これは、企業が26歳未満の若者を雇用する場合、最初の2年間は理由の提示なく解雇できるする新契約であり、2年間を試用期間とすることで、社会保障費などの会社負担を軽減、雇用意欲を促進しようという目的を持っている。なお、2年以内に解雇の場合は、働いた分の総給料の8%分が上乗せ支給される。 2006年3月には、学生らが「解雇の乱発につながる」などと強く反発し、主要労組や学生団体がCPE撤回を求め、全仏で大規模ストとデモを行い、仏政府と全面対決の状況となり、その結果ついに政府は撤回を表明するに至った。 4.ドイツ ドイツは東西ドイツ統合以降、失業率が上昇傾向にあり、2005年には10%を越えたが、その後、ハルツ4法など労働市場改革が進んだこともあり、失業率水準はかなり低下した。 ドイツは手厚い失業手当などの生活保障によって下手に働くより失業していた方が有利との条件から失業率が高止まりしていると考えられていた。 そこで2002〜06年にハルツ4法が制定され、失業者の起業と再雇用に対する支援策が強化されるとともに、従来の雇用保険による失業手当とは別に、希望する職ではない低賃金・不安定雇用であっても働き先を指定されたら断らないで就業するという条件で最低限の生活を確保する手当(月5万円程度)が政府・自治体から直接受けられ、自ら希望する職を目指して職業訓練する余裕を与えるという仕組みが整備された。これにより若者や外国人など従来失業を選択していた層が職に就き、このため失業率が低下したと見られる。労働政策として生活保護が制度化されたようなものなのでワーキングプアを温存するという批判もある。 5.オランダ 1970年代、北海におけるオランダの天然ガスの発見とその輸出ブームは、オランダに膨大な為替収入をもたらし、一方で、政府支出の膨張によって社会福祉制度が次々に拡充されたものの、他方で、為替レートの過剰な上昇により、他の貿易部門、特に製造業部門などの国際競争力を阻害し、ブームが去って一次産品の価格が下落したとき、財政支出が膨張したまま、企業の国際競争力は失われ、失業者は増大し、オランダ経済は大不況に陥った。1983〜84年の急激な失業率の上昇は、こうした状況をドラマチックに示している。豊富な資源開発の帰結としての経済低迷をあらわす「オランダ病」という言葉が経済用語として国際的に定着している。 オランダのドラマはそこで終わらなかった。その後、全世界が「オランダの奇跡」と呼ぶほど経済の復活を遂げたのである。失業率は、図で見るように、1980年代後半から1990年代にかけて着実に低下し、1999年からは日本のレベルを下回っている。こうした経済再生の要因としては、賃金抑制の政労使合意とパートタイム労働の正規化の2つがあげられる。 どん底経済から再起をかけて、オランダの政府、経営者団体、労働組合全国組織の三者は、1982年から1983年にかけて、いわゆるワッセナー合意に達した。 ワッセナー合意の要点は、 (1) 労働組合は賃金抑制に協力する。 (2) 経営者は雇用の維持と就労時間の短縮に努める。 (3) 政府は減税と財政支出の抑制を図り、国際競争力を高めるための企業投資を活発化し、雇用の増加を達成する。 というものだった。 オランダでもパートタイム勤務の社員が冷遇されていたが、パートタイム勤務の社員が待遇面で受けていたいろいろな差別を禁止し、これがオランダ・モデルと呼ばれるようになった。すなわち、 (1) 同一労働価値であれば、パートタイム労働社員とフルタイム労働社員との時間あたりの賃金は同じにする。 (2) 社会保険、育児・介護休暇等も同じ条件で付与される。 (3) フルタイム労働とパートタイム労働の転換は労働者の請求によって自由に変えられる。 という制度になった。この結果、夫婦の自由な勤務形態の組み合わせが可能となり、雇用が促進されたという。 一時期、日本を大きく下回る失業率水準となったことから、オランダ・モデルが注目されたが、近年は、再度逆転しており、注目度はひと頃ほどでない。 6.スウェーデン 中小企業の労働者の比率は日本が70%であるのに対し、スウェーデンでは38%と低い。これは、労働者の理解と参加の下に、「産業は福祉の糧」「大企業の育成優先」という考え方を取り、低関税政策、連帯賃金制度(企業規模によらず同一職種同一賃金)を導入して企業規模にかかわらず世界に通じる生産性の高い企業が生き残る産業政策をとったためである。生産性の低い中小企業で失業した労働者は福祉など公共セクターで吸収した。この結果、世界最大の重電メーカーABBやボルボ、サーブ、スカニア(以上自動車)、エリクソン(通信)、エレクトロルックス(家電)、スカンスカ(建設)、イケア(家具)、H&M(衣服)といった世界の一流企業を生んでいる。 こうした産業形態の下、他の欧米主要国とは異なり、1980年代までは、日本並みの失業率水準を維持し、高い社会保障水準と相俟って、模範的な社会民主主義国と見なされていたスウェーデンであるが、高齢化の進展により社会保障を担う公務員の人的コストが膨らむ一方で、冷戦後のグローバリゼーションのなかで、高い税負担、社会保障負担に耐えかねた企業が本社を海外移転させるなどの動きの中で、経済は不調となり、失業率も1990年代には、急速に上昇し、10%前後となった。その後、種々の制度見直しなども進み、現在は、失業率も低下した。 7.韓国 経済成長に伴って、失業率も低下傾向を辿り、1995年前後には、日本より低くなった韓国であるが、1997年のアジア通貨危機の影響は日本と比べると格段に大きく、98〜99年には、6〜7%に急上昇した。しかし、その後、経済再建は急速に進み、現在では、再度、失業率は日本を下回っている。 8.ロシア ソ連邦崩壊後、経済状態が極めて悪化し、ロシアの失業率は13%を越えたが、近年は、石油・天然ガスによる経済回復により、失業率はドイツ、フランスを下回る水準にまで低下した。 (2005年10月9日収録、2006年3月31日更新、4月21日更新・ロシア追加、2007年4月2日・7月11日・9月20日・2008年1月29日・4月16日更新、5月22日ドイツの新政策のコメント追加、8/14・9/8・10/24・11/28・12/26更新、2009年1/30・2/27・3/18・3/31・5/1・5/29・7/31・8/28・10/2・10/30更新、11/16 2007年以前データ更新、「欧米諸国全体」コメント改訂、12/25更新、2010年1/29・3/2更新) |
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