将来の天皇陛下 悠仁さま お茶の水女子大付属幼稚園進学で茫然自失
セレブの憧れ学習院の没落
(週刊朝日 2009年12月18日号配信掲載) 2009年12月9日(水)配信
国立への進学で「家計」も楽に!?
初等科から大学まで学習院で学んだ池坊保子(いけのぼうやすこ)元文部科学副大臣はこう嘆く。
「学習院は皇族が通うのが前提の学校。本当に良い学校なのに、なぜお通いにならないのか。お茶の水を選ばれたと聞いて、『学習院が否定された』と思う人もいるでしょうね」
言うまでもなく、学習院のルーツは皇族や華族のための学校だ。
宮内庁編纂の「孝明天皇紀」によると、学習院の前身の「学習所」が京都御所日御門前で開講したのは弘化4(1847)年。公家の子弟が学問を通じて道義を身につけ、風儀を改めさせることが目的だった。
1884年に宮内省所轄の官立学校となり、1926年の「皇族就学令」で、皇族は学習院で学ぶことが原則とされた。
戦後の1947年に私立学校になったが、天皇陛下をはじめ、生まれながらの皇族は全員、学習院で教育を受けている。紀子さまも初等科から学習院。秋篠宮家の長女眞子(まこ)さまと次女佳子(かこ)さまも幼稚園から在籍した。
ちなみに、学習院の幼稚園は戦後いったん廃止されたが、皇太子さまの入園に備えて1963年に復活した。
にもかかわらず、なぜ悠仁さまの進学先はお茶の水になったのか。宮内庁によると、秋篠宮家では、
「同世代の子どもと交わる機会を早い時期に増やすためにも、教育的にも3年間の一貫保育が望ましい」
と考え、2年保育の学習院ではなく3年保育のお茶の水を選んだという。
別の宮内庁関係者はこの見方を補足する。
「子ども社会に早く適応させたいと思っても、皇族のお子さまが気軽に公園デビューすれば大騒ぎになる。同世代の子どもと過ごす機会はほとんどない。それを補うため、例えば愛子さまは3歳のころから『こどもの城』に通っていました」
眞子さまと佳子さまも学習院に入園する前に他の教育施設で学んでいる。
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