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 必読 日替わりメモ

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ20100305番

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OM3-10
「表紙絵74] コメットの販促写真
航空史探検(思い出) デハビランド コメットの売り込み CORNES & CO.,LTDの販促写真

○ コメットの販促写真

 羽田に飛来するBOACのコメットをみて惚れ込んだ日本航空が、抱き合わせのデハビランド ヘロン3機と共に購入契約を締結した途端にコメットの墜落が相次ぎ、結局は抱き合わせ分だけを買わされて終わったという喜劇がありました。デハビランドは空中分解(金属疲労)の原因を突き止めて改良し、エンジンもパワーアップしたU型W型の売り込みをはかりましたが、日航はダグラスDC-8というはるかに性能のいい機体に切り替えてしまい、日本におけるコメットは実現しませんでした。

 いつごろか忘れましたが、私が銀座の酣燈社を訪ねた時に、関川編集長がCORNES & CO.,LTDが配っていたコメットとトライデントなどの写真を手土産にしてくれました。すでに、情報としての価値を失い、しかもスタンプインクが画面を汚しているようなものだったからかもしれませんが、広島のマニアが公表する考えも手段もないだろうと油断されたのでしょうね。

 特に念押しもなかったように記憶しますが、長い間大切に保管してきたものを死蔵するに忍びなく、航空史探検(思い出)として公表しました。あの世で関川さんが苦笑いをしているでしょう。
 裏面のタイプやスタンプからも多くの情報が読み取れると思いますので、じっくりとご覧ください。


○ ワレ ハヤマテリ

 apeさんから次のメールが来ました。

 時に、航空ファン4月号を見ますと貴方の作品が最終選考作品として紹介されています。どのような作品か存知あげませんが、よかったですね〜 以下は日替わりメモの引用です。

日替わりメモ20100124番
 表紙絵 金賞 「紫電改と二人」 (航空ファン月例写真コンテスト3月号落選作品)
 お笑いの一席
 ニュースフラッシュの「イルミネーションロード くれ の紫電改」にも出さないで、入賞間違いなしと自信をもって四つ切にプリントして送りだしたコンテスト応募作品が、航空ファン3月号を見ますと入賞どころか最終選考作品にも残っておらず、無念残念。
 きらめく星空をバックにしたようなイルミネーションの紫電改の前で、若い男女が何を話し合っているのか、大変にイマジネーションを働かせてくれるショットなのに、選外とは? 
 実物のヒコーキでないとだめなのかねえ? 
 銀賞以下入賞作品は、いずれも凝った撮影ではあるものの、多くの人が狙ってきた古典的なテーマばかりで、マンネリを感じてしまいますのに。
 よってパロディとしてインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の金賞とする次第であります。

 取り急ぎご連絡まで

 へー、そうでしたか。apeさん日替わりメモまで添えてのお知らせをありがとうございました。

 この2日に確定申告会場へ行ったついでに紀伊国屋書店をのぞいたら航空ファン4月号は売れ切れたということで、見ていませんでした。3月号ではでなく4月号の選考だったのですね。1月24日にお笑いの一席書いたのは『ワレ ハヤマテリでした。
 つまらんことを書いたために気分を壊した撰者が、金銀銅から落として最終選考作品に名前を残しただけなのかもしれません、そうでしょう、三井さん。 いえ、冗談ですから返事はいりませんよ。

 もう一度、ここに掲げて金銀銅に値するかどうか、皆さんの判断を仰ぎましょう。「そうだ」という声が多ければ悔しさが消えます。なお、4月号をお持ちの方、私の名前が出ている部分をコピーして送ってくださるとうれしいです。


航空ファン月例航空写真コンテスト応募事項
タイトル 紫電改と二人
撮影 2009年12月25日 午後7時18分 小雨
 
場所 広島県呉市蔵本通 イルミネーションくれ
会場
カメラ **** レンズ **** フィルター ****
撮影 AEモード (ノーマル フラッシュなし)

 呉市のイルミネーションくれ(1月3日で終了)に展示された光の紫電改を寄り添って見ている2人が何を話しているのか、その違和感が面白くて、思わずシャッターを切りました。なお、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲にイルミネーションくれの紫電改を出していますが、この場面だけは、投稿のためにとっておきました。よって初めての公開です。

 

 

日替わりメモ20100304番

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R106 「表紙絵73] この日章旗に心当たりはありませんか

○  この日章旗に心当たりはありませんか

  Buuさんからメール 

 素人調査ですが、旗に書き込まれている名前を、姓名分布ランキングで調べてみました
 
 
メインの片桐姓は、長野・新潟に多く有りました。その他を見ますと
 伊佐 : 沖縄が多く、新潟にも
 太刀川 : 新潟
 細貝 : 新潟
 相田 : 新潟
 水澤 : 新潟
 大勝 : 新潟
 飯塚 : 群馬
 佐山 : 栃木
 金子 : 埼玉・他
 長沼 : 神奈川・他
 櫻井 : 東海地方
 安田 : 岐阜・愛知
 住田 : 広島
 田中・山田については、調べませんでした

 この結果から出征した片桐秀蔵さんは、新潟県人で長野県に近い地域の方と推定できるのではないでしょうか。


○ 雑誌編集の話し

 外山さん、かつおさん、宮津さんをはじめ多くの方から貴重な航空書籍を無償で送って頂いております。狭い我が家の書架に入りきらない図書を前にして、何とか有効活用したいと考えています。
 同好の皆さんに貸し出して、参考にして頂くのもいいし、遺言で国立国会図書館へ全書寄付というのもいいななど‥。

 貸出の具体策は後日発表することとして、とりあえずは手持書籍のリストづくりを開始しました。

 ところがこれが厄介なもので、図書館並の分類に一苦労、1冊ずつパソコンにデータを書き込むのも大変な作業になりました。中味を読んでいてははかどりませんので、表紙と目次と奥付を調べるだけです。しかし、やっていると、面白いことにたびたび出くわします。世界の傑作機を例にとってエピソード的にひとつふたつ紹介してみましょう。

 文林堂の世界の傑作機は、最初の表紙が馬糞紙のようなグレイの厚紙で、写真もモノクロのみの第一世代、表紙がカラーになって横型にした第二世代、再び縦型に戻した第三世代、黒っぽい表紙の現在の第四世代と分類することができます。 

・ 第四世代になりますと、新しい写真が発掘されて古い写真が載らなくなっていますので、その分第一世代などには凄いなあと感心する写真がたくさんあります。特に大戦機マニアは必見です。

・ 第一、第二世代には、黒江保彦、土井武夫、内藤子生、佐貫亦男さんなど大戦機の実経験者やロバート ミケシュさんなどの寄稿があります。他の執筆者や作図者の名前も懐かしい人や、まだ現役で執筆してい人の名もあります。暇があったら、作風や解釈の変化を調べてみるのも面白いでしょう。

・ 世傑は、同じ機体を繰り返し取り上げるのが特徴です。そのことからリストづくりでさんざん迷わされた例をひとつ挙げておきます。

第二世代から第三世代へ

第三世代のクローズアップと同書の奥付

 見難いですが、REISENの文字の上の日本語は「昭和57年7月10日発行」とあります。奥付でも「昭和57年7月10日発行」です。

 そうすると右上の「1974 OCTOBER」というのは一体なんでしょうか。昭和57年は西暦1982年ですから8年間の開きがあります。また世界の傑作機の右にある10という数字は何を意味するのでしょうか。さんざん迷った末に、8年前つまり第二世代の1974(昭和49)年10月発行の「世界の傑作機 54」を取りだしてみて、やっと解決しました。

 第二世代54と第三世代54の内容は、後者が新しいカラ―写真を追加し、イラストが橋本喜久雄さんから長谷川一郎さんに替った以外は、記事は全く同じで、改訂版というよりは復刻版に近いものでした。

 だから、8年前に敬意を表して 「1974 OCTOBER」10を入れたのだろうと察しがつきました。ちなみに1974年版54の編集者は岩田尚さん発行は戸田万之助さん、1982年版54は上記のとおりで、会社も神田神保町から新宿歌舞伎町へ替っています。歌舞伎町の編集室でどういう協議が行われたのか知る由もありませんが、後世の収集家にとっては甚だ迷惑な表紙をデザインされたものです。

 第一世代でも、売れ行きがよかったためか再発行版をだしていますが、それが「増補改訂版」といったり「新版」といったりで、これまた収集家を悩ませます。

 このような点は、当初のしっかりしたグランドデザインも無く始めたインターネット航空雑誌ヒコーキ雲のいきあたりばったり編集に似ているというと、故人が怒りだすでしょうか。失礼しました。

 なお、航空史探検(思い出)先代の『航空ファン』と戸田万之助さん を参照してください。                             

 

日替わりメモ20100303番

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○  岐阜基地のT-34Aが再塗装か

 航空自衛隊岐阜基地A4401で、常設展示のビーチクラフトT-34A 61-0406に囲いが設けられたそうで、再塗装に入る模様です。この展示機体は、所属したことにない飛行実験団マーク(最終は第12飛行教育団)であるのと、ノーズナンバーの406が異様に太い書体に見えるので、このあたりが正しく考証され直されるとうれしいですね。

 なお、去年の9〜10月に再塗装されたロッキードF-104Jの岐阜基地第三世代にあたる36-8540は、近くで見ると、キャノピー後部が機体色に塗られてしまい、ステンシルのCAUTIONがCOUTIONになっているそうです。ついでに正してもらえませんかね。岐阜の五十鈴さん、情報をありがとうございました。


○ 外国から特別展示記事 或る戦闘機の戦後史 飛燕にリンク

 アクセス解析をやっていた時に、「特別展示記事 或る戦闘機の戦後史飛燕RS-0」が3番目に閲覧が多いということは既に書きました。そのほとんどは、同好の人々のホームページからのリンク若しくはYahooやGoogleで飛燕を検索してのものですが、時折、The Many Faces of TONY "5017" By Don Marsh and Jim Long というホームページからのジャンプがありました。
 http://www.j-aircraft.com/research/jimlong/tony/tony.htm

 不思議に思って開いてみますと、確かに this list also containing a chronology of events in the life of Tony No. 5017 from a Japanese researcher, but in the Japanese language only: (日本人の研究者によるトニーNo.5017の年表を含むリスト、ただし日本語オンリー)なる言葉を添えてリンクされています。

 全体は、英語力のない私の判読ですが、日本ではいまだに疑問視する人もいる「17」なるナンバーをもって「serial number 5017」と決めつけていること、全国巡回でぼろぼろになっていたのを第5空軍が修復したのは、グアムの零戦が三菱で復元されて、1964年の航空自衛隊創立10周年記念式典に展示されるのに合わせたものであること、岐阜で福生の塗装から飛行第244戦隊塗装に塗り替えられた経緯など興味ある検証がたくさんあって、この機体の来歴に彩りをそえています。

 また、Faces of ‥とあるように、横田から知覧に至る塗装の変遷の6枚のイラストはよく描けているように思います。「17」が赤から黒に替っているし、外人が最も苦手とする漢字も尾翼下の陸軍3式二型戦闘機飛燕という文字は正確です。

 記事の中に、well-known writer Koji Takaki 及び Mr. NAKANO, who is a glider instructor in Tokyo(知覧塗装の張本人)  という日本人の名前も出てきますが、尋ねたところ不明です。心当たりのある方はお知らせ下さい。

 また、アメリカからリンクがされたのは、一つの超貴重な機体を時系列で大量に紹介している類例のない試みが注目を集めていることにほかなりませんので、もっと普及させるために、堪能な方に英語版を作って頂けないものかと思います。誰か手をあげてくださいな。 


○ (リンクに関連して) 飛行機の世界にようこそ のホームページが閉鎖されました。レジスターにこだわった古い写真と東海を中心とする新しい情報に定評があっただけに残念です。ご事情がおありとは思いますが、飛行場などへ行かれましたら引き続き当方へ写真を送ってくださるようお願いします。

お詫び 日替わりメモ20100302番を誤って削除

日替わりメモ20100301番

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A8809 航空史探検博物館 沖縄県糸満市 金城よろず屋のF-104J 1機売却

○  金城よろず屋のF-104J

 かまぼこ型倉庫の横に鉄骨の櫓を組んで上下2機のロッキードF-104Jがありましたが、下の機体が売れたそうで(売却先は不明)、上の機体が地面に降ろされています。何故か米軍のマークとナンバーを書き入れていますが、れっきとした三菱製の航空自衛隊機です。そのことが、金城よろず屋 さんからの丁寧なメールで明らかになりました。良い買い手がついて、どこかで復元される姿を見たいものです。

 そのほかにも、T-33Aの増加タンクなど販売品がたくさんあるようですから、興味のある方は一度 訪ねてみてください。


○ 続々々 日本の国旗について    

 昨日の「米軍の基地祭で星条旗よ永遠なりが流れると、米兵はどこにいても国旗の方角に向って敬礼をします」との意見に証拠写真が寄せられました。

 撮影2009/10/18 16:30 三沢基地にて MAVERIC
 
一目瞭然ですね。この場合航空自衛隊三沢基地の隊員は、外国の国歌には知らん顔でよいという規則になっているのでしょうか。交通整理も大切ですが、数分間、車を止めさせてでも直立姿勢くらいはとってほしいものです。現職の意見をお聞かせください。

 次に20100227番に掲げた大阪ボーイスカウトクラブが1948年に発行したボーイスカウト ポケットブックの中の一節に関連して、40年後に日本ボーイスカウト大阪連盟が発行したものと両方を対比してみます。様式だけでなく語句も微妙に変えているのが興味深いです。

  1948(昭和23)年発行                        1989(平成元)年発行 (提供 にばさん)
  

 いずれにしても、ボーイスカウトが学ぶだけでなく、公教育の中に是非とも取り入れて貰いたいです。世界広しといえども国旗を教えない国は日本だけでしょうから。

 

日替わりメモ20100228番

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A8803  航空史探検博物館 沖縄県名護市  ミリタリーショップ オードナンスの現状

○  ミリタリーショップ オードナンス

 名護市のミリタリーショップ オードナンス のロッキードT-33Aがインターネットで売り出されたので、そのホームページから店名を南国百貨店に変えたものと思っていましたら、ただサーバーを借りて販売しているだけだそうで、社長さんが、訪れたMAVERICさんにヒコーキ雲制作者に強く伝えてもらいたいと言われたそうです。

 http://nangoku100katen.com/products/1151/にはオードナンスの文字がどこにもないので、店名変更かと思っていました。まことに失礼しました。お詫びして訂正いたします。なお、現地のオードナンスは、新しい店舗に移っていますが、外と店内にあったT-33Aは動かされていないのでご注意ください。


○ 続々 日本の国旗について    

 中国航空協会会 古谷眞之助さんからメール

 私がメキシコに赴任する時、グライダー仲間がやはり国旗にいろいろと書き込んで持たせてくれました。それをあちらの住まいの部屋に掲げていたのですが、ある時、パーティに招待したメキシコ人がそれを見て顔を曇らせたことがあります。

 メキシコでは国旗に何か書き入れて掲揚でもしようものなら罰せられると聞きました。

 またメキシコのゴルフ場のクラブハウスでのこと。スコア談義に花が咲いていた時、たまたまレストランのテレビでボクシングか何かのスポーツ中継をやっており、メキシコ国歌が流れてきました。そしたら、それまでわいわいやっていたメキシコ人の連中が、グラスを置いて起立し、直立不動の姿勢を取りました。

 海外単身赴任をしたものは誰もが愛国的になると言われています。私もその例に漏れず、一時帰国時にはもう一枚国旗を手に入れて、きれいなままで部屋に飾っていましたし、日本人だけのパーティでは、その国旗を会場に持ち込んで、パーティの開始は、国歌斉唱から始めていました。
 ただ、情けないことに、国歌がまともに歌えない子供がほとんどでしたし、大人の中にも間違えるものがいました。

 我が家には今、国旗はありませんから祝日に掲揚することはありません。周囲の家を見ても掲揚している家はまずありません。会社では当然のごとく中央に国旗、そして社旗、安全旗を掲げていますが。

  国旗と国歌、難しい議論は脇において、オリンピックのメダル授与式で日の丸が掲揚されると誰もがじーんとくるはずで、あの素直な気持ちが大切だと思っています。

 

日本の没落  佐伯
 米軍の基地祭で星条旗よ永遠なりが流れると、米兵はどこにいても国旗の方角に向って敬礼をします。連られて私も威儀を正します。しかし、我が自衛隊基地では式典参加隊員以外はどこ吹く風の人が多いです。

 社会全体が「国」の姿について右往左往し、普段は国旗や国歌に見向きもしない連中が、オリンピック期間だけ愛国者になるような底の浅い社会構造が氾濫しているみたいです。

   白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は
   朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は

 私が、小学校入学すぐに教えられた歌です。ある意味でその後の人生のバックボーンたる栄養素のひとつになっています。外国では、初等教育においても家庭においても、国旗国歌に対するしつけ (その国の人間たる自覚の涵養)を行っていると聞きますから、今、日本で一番欠けているのが、そうした基本の教育ではないでしょうか。

 悲しいかな、すべての面で「日出ずる国」日本の没落が始まりました。日本人とは、日本の国とは、を教育の基礎から叩き直していかなければ、韓国や中国の国歌ばかり聞かされる状況は変わらないでしょう。

 (こういうと、すぐに国旗国歌のために国民が犠牲になった戦争への反省を問う声が出てきますが、私は左翼にも右翼にも組しません。どこの国にも共通するであろう普遍的な意見を述べているだけです。)

 なお、昨日のボーイスカウト ポケットブックの「正規の様式」で、日の丸の中心が風上の方へ1.4/100強だけ寄っているとありますが、現行法では、対角線の交点に中心を置くと定められています。しかし、特例も認められていますので、間違いではありません。

 

日替わりメモ20100227番

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○ 続 日本の国旗について

 昨日の日替わりメモには二つのポイントがあります。ひとつは出征兵士に贈られた日章旗の関係者を探したいこと、もうひとつはスポーツ応援で国旗に書込みをすることの無礼についてです。後者には、さっそく同意の意見も寄せられました。

 本欄で説教をすることになってしまい恐縮ですが、次のコピーを見てください。大阪ボーイスカウトクラブが1948年に発行したボーイスカウト ポケットブックの中の一節です。まだ旧漢字です。
                   (画像を20100301番へ転記)

 敗戦から3年占領下の真っただなかで、巻頭にGHQ大阪軍生部民間教育課長のメッセージも載せ、つまりは検閲を受けながら、堂々と我が国旗について述べています。 日教組と朝日新聞が徹底的に日の丸を排斥し、付和雷同する人民が多数を占めていた中ですから、余計にこの記述に驚きを覚えます。

 ボーイスカウトでは現在も受け継がれ、正しい掲揚の仕方などを教えているそうでが、さて、皆さん、これを学校教育の中で学んだことがありますか? 自衛隊の中では如何でしょうか? 自衛官は祝日に自宅に掲げていますか? (不肖佐伯は玄関に掲揚します)

 検閲したGHQの人達は、このページの記事から日本人に畏敬・尊敬の念を抱いたに違いないと思います。だから削除を命じなかったのでしょう。(GHQが1949年まで日の丸を禁止していたにも拘わらず)

 それを活かす教育は、日本人の手で封じられてしまっています。

 白地に下手くそな文字を書き入れ、競技場に持ち込んで振っていれば、選手が郷土や日本の代表として奮い立つであろうし、国威発揚にもなると考えているのでしょうか。日の丸の鉢巻きを締めて選挙カーで手を振っている男や「気合いだ」と大声で我が子を応援しているみっともない男も同列です。国旗のことを何も教えて貰えないから、応援旗にしてしまっているのですね。

 もう一度言います。国の旗は、きちっと掲揚して、姿勢を正して敬礼をするものであります。

 

日替わりメモ20100226番

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HOME R106 「表紙絵73] この日章旗に心当たりはありませんか
調査研究コーナー 質問 この日章旗に心当たりはありませんか

○ 質問 この日章旗に心当たりはありませんか

 バンクーバーでこれ見よがしに掲げたり或いはぎこちなそうに振られたりしている日の丸国旗には、無数の寄せ書きやサインが見えます。これは、もちろん戦時中に出征兵士に贈られた日章旗の流れを汲むものです。

 そこで、今朝は、元祖武運長久の日章旗について、これを所持した軍人を探して貰うべく、調査研究コーナーに取り上げました。

 散る桜、送る桜も 散る桜 
 署名の9割は男性の名前です。書いたすぐ後に赤紙を貰い、同じように親類縁者、友人、職場の人々の熱い思いがこもった日章旗や千人針を腹に巻き死地に赴いていきました。その遺品が、戦勝国の博物館に展示されているのはやりきれない思いですが、これが戦争というものでしょう。

 遺族の元へ返せと声高に叫ぶつもりはありませんが、せめて、寄せ書きをした人の誰か1人でも生存していて、出征の様子などを子孫に語ってあげられないものかと思い、関係者を尋ねています。

 寄せ書き日章旗の悲しいルーツを知っているだけに、オリンピックで、似たようなものを振っている御仁にはどうも好感がもてません。国の旗は、きちっと掲揚して、姿勢を正して敬礼をするものでありますから。

 

日替わりメモ20100225番

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N720 ニュースフラッシュ 2010/02/24 ラリジャニ イラン国会議長訪日のイラン政府専用機

○ 続 Manual Check List

 昨日の続きですが、仕事の能率とか効率の手法がコンピューターの出現によって劇的に変わった今、新世代のOS(Operating Sistem Windows XPやWindows 7など)にどっぷりと浸かっている現役諸君には、ManualだのCheck Listだのは退屈な話しになるのかもしれません。

 でも、ヘンリーフォードが開発した流れ作業、日本では海軍航空廠のタクトシステムなどから始まった合理的な生産システムが学問分野に及んで3W1HとかPARTの手法など様々な原理原則とその応用編が開発され、それはコンピューター世代にも息付いているのではないかと思います。

 生産現場においては、トヨタのかんばん方式が究極のコスト低減方式となって大成功を収めたかにみえます。しかし、大成功の陰におごりあり。

 経団連会長として政治を動かすほどであった力がもろくも崩壊しはじめたようです。トヨタの自動車を好む人は多いですが、トヨタ系販売店の対応を良く言う人が少ない、声をあげても、霞が関は経団連会長に気兼ねしてか、殆ど取り上げてくれなかったと言われます。他のメーカーのリコールには非常に厳しく対応した連中がです。

 徹底的な合理主義で成功した大メーカーが、今やデューイ以来のプラグマティズムの総本家のアメリカで厳しい追及を受けているというのは、何とも皮肉な現象に見えます。 見逃した官僚も、目をつむらせた政治家も召喚されるべきだとは、ちと言い過ぎかもしれませんが、日本国内に自浄作用がないというのは皮肉以上に悲しいことです。 

 プラグマティズム:実用主義、道具主義、実際主義

 

日替わりメモ20100224番

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A3502 航空史探検博物館 千葉県成田市 航空科学博物館  DC-10ドアトレーナーからDC-8のフライトシミュレーターへ

○ DC-10ドアトレーナーからDC-8のフライトシミュレーターへ

  調査研究コーナーで取り上げていた航空科学博物館のDC-10ドアトレーナーの項目を航空史探検博物館へ移しました。それは、このドアを通ってダグラスDC-8のフライトシミュレーターへ入るようになっているために、その中間にあるYS-11の客席を含めて一連の流れで紹介することにしたためです。

 改めてDC-8のコックピット写真を拝見しますと、ボーイング747-300まで延々と続いていたアナログ計器とスイッチ類に茫然とする思いです。航空機関士を乗せて航法や燃料の手助けをして貰わなければパイロットだけでは手が回らないことがよく分かります。

 そして、連想が飛びますが、戦後高度成長期を生きた人間としてManualとかCheck Listといった言葉が自然に浮かんできます。

 マニュアルやチェックリストは、アメリカ的合理主義の典型として日本社会に浸透したものの一つだと思います。アメリカの進んだ機械工業に付随してきたこの手法がなかったら、見て覚えろ式の仕事のままだったら、恐らく高度経済成長はなかったのではないでしょうか。もちろん、日本航空のDC-8も日本人にまともな操縦はできなかったでしょう。

 航空科学博物館ホールのジャンボは、特設コックピットで操縦桿を動かすと大きな模型が傾いたりしますが、DC-8のシミュレーターは操縦桿などを操作できるのでしょうか。できるのなら、Check Listを読みあげて貰って大型機の離陸や着陸を自らの手で経験してみたいものです。

 

日替わりメモ20100223番

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N719 ニュースフラッシュ 2010/02/21 広島空港にて モヒカンジェットなど

○ 初期プラモデルのあいまいなデカールの例

 0221番に「搭乗口上のJAL文字の下にPHILIPPINE AIR LINESの文字がちらっと見えましたが、プラモデルのデカールにそこまで書いたのがあるのかとも思いました。」と書きましたら、長谷川オリジナルのデカールを持っている(.人.)熊 さんから早速照会がありました。

以下 
 調査研究コーナー日本におけるダグラスDC-3研究 日本航空のDC-3 三日間だけの試験運航 へ転記 

 

日替わりメモ20100222番

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N718 ニュースフラッシュ 2010/02/16-18 沖縄にて ドラえもんジェットなど

○ 沖縄にて ドラえもんジェットなど 

 おんとし12歳のボーイング777-346 JA8941の機体にドラえもんとはえらく古臭いことをするものだと思ったら、春休み向けの映画「ドラえもん/のび太の人魚大海戦」のキャンペーンなのですね。映画の公式サイトとJALの関連サイトを見て沖縄にドラえもんジェットが現れる理由がわかりました。

 それにしても息の長い漫画です。藤子・F・不二雄さんが無くなって14年、その画を誰が引き継いでいるのか知りませんが、たかが漫画とはとても言えません。立派な文化、いや芸術です。
 JA8941ドラえもんジェットがたくさんの子どもたちに夢を与えて飛び続けるように祈りましょう。

 

日替わりメモ20100221番

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○ NHKハイビジョン特集「羽田空港大百科」<巨大空港舞台裏公開>

 アナウンサーも解説者も空騒ぎ大騒ぎで騒々しいだけのバンクーバー五輪放送にうんざりしていた時に、昨夜のNHKハイビジョン特集「羽田空港大百科」<巨大空港舞台裏公開>はよかったですね。

 取材が行き届いていて、一般には知られざる働く人々の姿を細かな部分まで紹介してくれました。空港を訪れる楽しみが倍加します。ブックスフジまで出てきましたから。 ターミナルの中に3万5千人が働いているといわれると、まあ当り前なのでしょうけれど、改めて大きな雇用確保の場になていることを認識させられます。

 当然ながら全日空と日航を偏らないように公平に編集しているようでも、やはり全日空にウエイトがかかっている印象です。何やら暗示的ではあります。

 個人的には、ダグラスDC-3金星号の動画に興奮しました。初めて見ましたし、しかもプラズマテレビの大画面に飛行中やコックピットや搭乗口の鮮明な画像が大写しがでたり、スチュワーデスが機前に並んで連合軍総司令官リッジウエー大将夫人から服装のチェックを受けている場面など、以後録画を繰り返し見ることになりそうです。搭乗口上のJAL文字の下にPHILIPPINE AIR LINESの文字がちらっと見えましたが、プラモデルのデカールにそこまで書いたのがあるのかとも思いました。(写真は、調査研究コーナー日本におけるダグラスDC-3研究 日本航空のDC-3 三日間だけの試験運航から 

 その他、興味深い場面がたくさん紹介されますが、時間的制約(90分)があるのと、きれい事ばかりではない裏の諸事情には一切触れませんから、専門家の皆さんは当方と同じ評価にはならないと思います。

 しかし、一般人向け飛行場の動態紹介としては、書籍を何百回読んでも身に付かない知識を受け入れられる好番組でありましたと、航空素人の佐伯から五つ星を付けておきます。

 

日替わりメモ20100220番

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A2607 航空史探検博物館 福島県伊達市 やながわ希望の森公園  (伊達市長から展示機の洗浄について回答)

○ やながわ希望の森公園 (伊達市長から展示機の洗浄について回答)

 伊達市から文書回答を頂きました。1月8日に展示機の現状を知らせてからひと月半も経った割には、やや内容の乏しいお答えではありますが、仁志田昇司市長さんの直筆署名入りであり、きっと内部でさまざまな検討や議論があっての結論でしょうから尊重してあげたいと存じます。

 ひと月半の間には、伊達市内で昔のチンチン電車の復元に取り組んでいるボランティアの紹介があり、また展示航空機の維持管理については「かかみがはら方式」に関する投稿もありました。(人生録Z34『飛行機というものは、かくも冷遇される存在か』論を覆す 各務原方式の紹介 )参照  

 伊達市でホンダ航空などにも呼び掛けてみたのではないかと想像していますが、残念ながら民間でボランティアに手を挙げる人がいなかったのでしょう。

 しかし、回答文にもあるとおり20年間放置同然の状態、わずかに危険防止の柵で近寄らせないようにしただけの管理から、このように市長さんが関心を持つようになってくれたことをインターネット航空雑誌ヒコーキ雲として秘かに満足感を覚えます。

 

日替わりメモ20100219番

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○ 続々 野島の日本海軍隧道式格納庫跡の説明板について  日替わりメモ0215、0216 A3711関連

 この件について、横浜市環境創造局公園緑地整備課長さんから次のとおり回答がありました。

 野島の掩体壕の説明板について、ご質問にお答えいたします。

質問1  海軍では隧道式格納庫と呼称していたという説がありますが、貴市が「掩体壕」とされた根拠をお知らせ下さい。

→ 「掩体壕」という言葉については、野島公園を記事にした新聞(神奈川新聞H21.9.7/東京新聞H18.8.15)の見出しで「掩体壕」という言葉を使用しており、市民に説明する際には、一般的な言葉遣いであると考え、これに準じて使用しています。

質問2  設営隊を精鋭部隊と性格づけられていますが、日吉や松代に加わったから精鋭というのでしょうか。より具体的な根拠をお知らせください。

→ 「精鋭部隊」については、「神奈川県立 金沢文庫」発刊の「目でみる近代の金沢」の中にある記載を参考にしています。

質問3  西口前の公園整備工事の完了予定と当該説明板の公開日を教えてください。

→ 工事の完成は平成22年3月下旬で、公開は遅くとも4月1日を予定しています。今後ともご理解とご協力を賜りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

横浜市環境創造局 公園緑地整備課長 上原啓史
                                   公園緑地整備課 電 話:045-671-2653 FAX:045-671-2724

佐伯から : まずは、速やかなお答えに接し、横浜市役所の顔が市民の方を向いているなという率直な印象を受けました。その面で敬意を表します。ただし、小さな問題ですが、1と2に関しては素直に受け入れがたい気持もあります。

1 野島や夏島の隧道式格納庫は、単機を隠ぺいするための有蓋掩体又は無蓋掩体とは明確に区分されるものです。2で引用されている「目でみる近代の金沢」60頁の写真にも地下格納庫と記され、掩体壕という文字はありません。新聞記者が考証もせずに誤った用語を使うのも困ったことですが、公共機関が史跡の説明に新聞を安易に受け入れるのは如何なものでしょうか。

2 精鋭部隊に関しては、「目でみる近代の金沢」を参考にしたと答えていますが、60頁の写真解説をそっくり転記したものであって、こういうのは参考とは言いません。

 そもそも「海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。」という原書執筆者の考えを聞いてみたいところです。

 ニュースフラッシュN709イルミネーションロード くれの紫電改」において、紫電改生産のために掘った延長2キロメートルの岩国地下工場について「掘削や建設は寄せ集めの隊員で編成された海軍施設部隊が担当」と書いています。こちらは精鋭部隊のニュアンスではありません。

 しかし、将兵や技術者に如何に優秀な人を集めようとも、彼らが重機を使って鮮やかに掘り進んだという訳ではありません。人海戦術で鶴嘴(ツルハシ)とシャベルと軽籠(もっこ)の苦しい労働に明け暮れた下級兵士、民間人、外国人らのことが「精鋭部隊」という言葉の中から完全に欠落しています。

 そのことを説明板に書けとまでは主張しませんが、戦争末期の大愚作ともいえる隧道を前にして「精鋭部隊」の文字に違和感を覚える人もいると思います。横浜市には市史資料室があり、金沢区には精力的に郷土史を発掘しておられる方もいます。公園緑地整備課長さんには、その人たちの意見を幅広く聞いて頂きたいところです。

 また、この私見について、皆さんのご意見も承りたいと存じます。

 

日替わりメモ20100218番

本日のページ更新

   

○ 「航空100周年記念・日野熊蔵の飛行機遺産に学ぶ」行事について

テーマ:“熊蔵ウイング・メモリアルフライト100 Come fly with KUMAZO 100th memorial flight
日時:平成22年3月22日(月曜・振替休日)午前10時〜午後6時
    

会場:山江村 時代(とき)の駅むらやくば(旧山江村役場庁舎)
  
  熊本県球磨郡山江村大字山田甲1415 0966-35-7000
入場料:無料  交流会:有料(午後4時〜6時 会費2000円)
   =参加申込み不要・先着順、交流会希望者は当日会費徴収=

ねらい:翼や空をイメージする楽しいジャズ演奏を交えながら、日野熊蔵が日本初飛行で乗ったグラーデ号と日野式飛行機、日野の作曲した『飛行機唱歌』の紹介や彼の発明品他についてのリレートーク。日野の飛行機模型と写真パネルなど、これらを地域の宝(文化財)である会場と共に日野ウイング100年のフリートークとサウンドを楽しむ午後のひととき

日程:10:00〜:00 会場見学・日野飛行機資料展示 
    1:101:30 第1回演奏 曲目「翼を下さい」他
    1:30〜3:00 リレートーク 渋谷敦 早川博康  松本晉一 
    3:00〜3:20 第2回演奏・合唱会 曲目「飛行機唱歌」他
    3:304:00 フリートーク「日野が乗った飛行機たち」
    4:00
6:00 交流会(有料2000円) 第3回演奏会 展示紹介

リレートーク:「日野熊蔵・日本初飛行」渋谷敦(伝記作家)
        「初飛行グラーデ号とは」早川博康(古典機研究家)
        「熊蔵の飛行機たち」松本晉一(産業考古学会)

演奏:ピアノ(園田智子) ボーカル(園田雄也) 
        曲目(予定):「翼を下さい」「飛行機唱歌(日野作詩)」空の
Jazz

展示資料:グラーデ号設計図及び飛行機模型 当時の航空機資料
        日野熊蔵関連資料及び写真 当時の雑誌・新聞資料 記念絵葉書他

交通:九州自動車道人吉インターから車で5分、肥薩線人吉駅から車で10分、駐車場:山江中央グラウンド他 人吉駅から山江村会場までボンネットバス送迎有(人吉駅発:1230分、むらやくば発:540分) 

お断り:会場は旧役場の建物で手狭です、来場者多数の場合は立見になります

主催:熊本産業遺産研究会 文化庁 熊本県 熊本県地域文化芸術振興プラン実行委員会 
    文化財のしらべ実行委員会 
協賛:産業考古学会航空分科会 山江村
事務局:熊本産業遺産研究会
 連絡先:
868-8502熊本県球磨郡山江村山田甲1356-1 九州山江村役場 産業情報課


・ 熊本産業遺産研究会 松本晉一さんの添え書き

インターネット航空雑誌ヒコーキ雲で映画「カサブランカ」のラストシーンに登場する飛行機が話題なったとのことなどを日本航空協会からお聞きして連絡します。

 
内容は上記のとおりで、日野熊蔵の初飛行とグラーデ号、日野式飛行機についてのリレートークに、「日野熊蔵の飛行機唱歌」をはじめ、空や翼などの飛行機にちなんだジャズ音楽をフィーチャーした内容ですので、楽しい音楽を交えた、ご家族や親子の皆さんにも楽しめる会として企画してみました。
 また、初飛行のグラーデ号の他にも、所沢飛行場で日野が飛んだライト号やアンリファルマン号、ブレリオ号の紹介、そして当時の記念絵葉書、グラーデ号模型や設計図、日野式飛行機の模型やその解説写真とパネル展示等、当時の航空関連資料の紹介も行います。

 そして夕方4時からは地元の食材に美味しいお酒を加えて、交流会とジャズ音楽、そして会場の時の駅(旧山江村役場)の雰囲気をボンネットバス「マロン号」と共に味わっていただけばと考えています。

少々、急な開催決定で恐縮ですが、どうぞ、春を求めて当地へお出かけ下さい。人吉駅から車で10分、九州自動車道人吉インターから車で5分の所です。人吉駅から現地まで、マロン号の送迎も計画しております。どうぞ、お待ちしております。

平成22216                   熊本産業遺産研究会  松本 晉一 
                                 〒868-0004熊本県人吉市九日町115

                                 Tel 0966-22-2928
 Fax 0966-25-1360
                                 Email
smatsu@fsinet.or.jp (@を小文字に)

佐伯から : 日本の航空100年にあたり、楽しみながら郷土出身の名士を讃え、併せて航空思想の普及を図ろうという企画は素晴らしいことで、関係者の皆さんのご尽力に敬意を表します。また当方へ紹介頂いた日本航空協会にお礼を申し上げます。
 出演者の1人である
渋谷敦さんの著書「日野熊蔵伝 日本初のパイロット」を、図書室T30で取り上げています。一つの見方としてパネルにでもして頂ければうれしいです。

 当日のご盛会を祈り、その概要をインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の方へ投稿して頂くようお願いします。

 

日替わりメモ20100217番

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A3502 航空史探検博物館 千葉県成田市 航空科学博物館館内展示 DC-10のドアトレーナー DC-8のコックピット

○ ノースウエスト航空DC-10のドアトレーナー

 斜めの見方をすれば、このトレーナーは安全確保とスチュワーデスさんの維持に金がかかる一例といえます。ノースウエスト航空が成田空港にDC-10専用のドアトレーナーを設けていたという。もちろん本社の訓練施設にも同じものがあるのでしょうから、機種ごとに成田にトレーナーを設けていたとしたら大変なことですね。

 それはともかくとして、60年来慣れ親しんできたNORTHWEST AIRLINESのロゴを飛行場で見ることができなくなりました。同社を吸収したDELTA AIR LINESは、日航を傘下に加えてノースウエストが蓄積してきた太平洋路線のシェアを一挙に拡大しようとしましたが、不調に終わったようです。成田に残るノースウエストの施設をどのように活用しているのかは知りませんが、アジア地域のキャビンアテンダントの訓練を、やはり成田で行うのか、それとも仁川あたりを拠点にするのか、航空界の栄枯盛衰はまことにめまぐるしいことであります。

 

日替わりメモ20100216番

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G14
「表紙絵72] 珍しい4枚ペラの小型機 ハスキー JA89BB
日本のグライダー 珍しい4枚ペラの小型機(グライダー曳航) ハスキー JA89BB
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  11番目の感想を追加

○ 珍しい4枚ペラの小型機(グライダー曳航) ハスキー JA89BB

 セスナやパイパーをはじめとする単発の民間小型機のプロペラは2枚又は3枚が普通で、定速の4枚ペラというのは、まるで第二次大戦末期の戦闘機みたいなもんで、きわめて珍しいのではないでしょうか。クリステン・インダストリーA-1 JA89BBのアメリカでの経歴で、Air Worthiness Test: 1989-07-05  Certification Issued: 2008-10-15 とありますので、2008年10月に2枚から4枚に変えて耐空証明を受けたものと思われますが、日本に輸入して来ても航空局の承認に手こずったという噂も漏れ聞きます。ありうることです。

 YouTubeでその離陸シーンをみますと、たしかに強力な感じを受けます。本機でグライダーを曳航する人も曳航される人も安心でしょうね。 もっとも立派なスピンナーに較べてブレードがやや頼りなげですが。(表紙絵)
 しかし、もともと2枚ペラで設計されたエンジンと機体に4枚ペラを付けた場合、どこかに手を入れているのかどうか、力学的にどうなるのか素人として関心があります。

 模型飛行機でもプロペラの数をふやせばいいってもんじゃないと思うのですが、専門家のお考えを聞きたいところです。


○ 続 野島の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

 昨日書きました疑問について横浜市金沢区の区長さんに質問しましたら、すぐに次のような予告がきました。こういう素早い対応は、国民として非常にうれしいですね。

佐伯邦昭 様
 お問い合せありがとうございます。金沢区役所区政推進課広報相談係です。お問い合せの野島の掩体壕の説明板につきましては、公園整備の一環として行われておりますので、所管部署の横浜市役所環境創造局に転送し、お答えするよう申し伝えました。よろしくお願いいたします。

 また、先般来、問題にしてきた福島県伊達市の展示機の汚れ問題についても、伊達市市民協働推進課から「市長決済が済み次第文書で送ります」という連絡があったので、間もなく届くのでしょう。

・ たらい回しで済ませてはいけません
 苦情・要望・質問に対しては、直ちに処理してその結果を答えるというのが勿論ベストですが、組織では即断即決はなかなか難しいです。よって、そこのところを、納税者の側に立って解決を早めていくのが広報公聴マンの腕の見せ所といえます。
 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を通じての経験では、広報公聴の一番大切な部分を認識していない役所(民間大企業も同じ)のほうが自衛隊をはじめとして圧倒的に多いです。

 それは、彼らの尻を叩いて目を開かせるように努力しない国民(納税者)にも責任があるのです。金沢区役所の広報相談係さん、そう思いませんか? 

            (40年ほど前に市民相談課職員として主管課から嫌われた経験をもつ男より)

 

日替わりメモ20100215番

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A3711 航空史探検博物館 横浜市金沢区  いしぶみ 野島 の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

○ 野島の日本海軍隧道式格納庫跡に立派な説明板が建てられた 

 最近まで進入防止のトタン板で遮蔽されるだけで何の説明もなかった野島の隧道式格納庫入口でしたが、西口の公園整備にあわせたのか立派な説明板が設置され、公園の工事完了後に近くで見ることができるようになるみたいです。

 説明板には、防衛省技術研究所が持っている素掘り状況の写真が添付され、同時進行の夏島の隧道と併せて小型機100機を格納する予定であったとあります。

 横須賀海軍工廠で大和型戦艦を急きょ超大型航空母艦に切り替えた信濃(塔載機数約50機)が、完成直後の昭和19年11月にいとも簡単に撃沈されてしまい、あわてた海軍が虎の子の戦闘機を守るために100機格納のトンネルを計画したのでしょうか。

 「隧道式格納庫」を横浜市が「掩体壕」と正式に呼称しているのはちょっと気になります。技研の資料に準拠しているみたいですが、根拠があるのでしょうか。もし、一般に通りやすい固有名詞で説明しているとすればせっかくの立派な説明板が画龍点睛を欠きますね。

 隧道工事を担当した海軍設営隊が日吉の連合艦隊司令部地下壕や松代の大本営地下壕に加わった精鋭部隊であったという文言も気になります。第一線で掘り進めた労働の主力が誰であったかまで言及する必要はないにしても精鋭部隊とは? いささか?

 以上、あくまで佐伯の主観的感想ですが、構造物の今後の管理を含めて、そのあたりの事情を金沢区役所に聞いてみたいです。

 

日替わりメモ20100214番

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○ 名称考


撮影 阿施光南  Classic Jets Fighter Museum(オーストラリア アデレード飛行場内)にて 

 2月11日は、建国記念の日でした。国民の何割がその日の意味を理解しているのでしょうか。ほんの一部の人たちが奉祝と反対の集会を開いたという夕方以降のニュースで、そんな日であったのかと知る人が多いのではないでしょうか。法律で定めながら、国が周知の責任を放棄している典型的な例だと思います。

  昔は、ちゃんと登校して、紀元節をお祝いし、「雲にそびゆる高千穂の〜」と歌って帰宅したものです。この日は神武天皇が即位した日であると日本書紀に書いてあります。「我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に〜」(教育勅語)と現天皇まで連綿と続いてきた国体の始まりの日であるということを、教えられていました。

 神武天皇が即位してから数えて節目の2600年、即ち昭和15年は日本を挙げてお祝いをしました。「〜紀元は二千六百年 嗚呼 一億の胸は鳴る〜」と吾輩は幼稚園児でありましたが、恐らく家族と一緒に歌っていたでありましょう。

 今の学校では、それが悪いことであったと教えているのかもしれませんが、休日が単に休めるからうれしいという訳のわからない「建国記念の日」よりは、よほど明瞭な意義づけがありました。今の先生方は、2月11日のことをのようにしゃべっているのかしら‥

 さて、前置きはこのくらいにして、ニューギニアあたりの墜落機からはぎ取ってきたらしい三菱重工業株式会社製の銘板には『一〇〇式司令部偵察機(二型)』とあります。ご承知のように同じ紀元2600年に制式採用された十二試艦上戦闘機は『零式 1号艦上戦闘機』と命名されました。

 海軍がレイシキと名付けた故に日本語特有の混乱が生じました。零戦総目録零式艦上戦闘機の正しい呼び方参照)

安部安雄説 酣燈社太平洋戦争日本海軍機より

 ゼロセンには非ずレイセンなりと、頑固に主張するレイセン派は、建国の日のルーツを知って休んでいるのかと叫ぶ人たちと同じように、だんだん肩身が狭くなってきている感じがします。

 ゼロセン派の連中は一式陸攻をワンリクと呼ぶのかいなと毒付きたくもなりますが、陸軍だって99式をキュウキュウシキと呼ばせながら、一〇〇式をイチレイレイシキとは呼ばないという不統一があります。もっとも皇紀2601年以後は、イチシキ、ニシキ、サンシキと命名して行くので、百式司偵も正しくはイチレイレイシキと呼んでいたのが、面倒なのでヒヤクシキに慣用されていったのかもしれません。

 日本の名称はかくも面倒であります。オーストラリアの博物館にある『一〇〇式司令部偵察機(二型)』の銘板を見せていただいたので、紀元節に引っ掛けて愚考を開陳した次第です。失礼しました。


○ バンクーバー冬季オリンピックの開会式を見ました。あの多彩なセレモニーがどういう仕掛けなのか全くわからず、三次元の世界にただただ驚くばかりでした。

 それとは別に、カナダが先住民を含めて多民族国家を堂々と表に出しているのが非常に印象的で、時あたかもクリントイーストウッド監督の父親たちの星条旗において、先住民族の兵士が将官たちから差別される哀れなストーリーを見た後だけに、アメリカとカナダの違いを改めて認識させられました。

 以前、モントリオールで移住日本人のグループにお会いした時に「私達は安定した生活で幸せに暮らしています」と語っておられたことを思い出したのです。

 

日替わりメモ20100213番

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航空史探検(思い出) 人間航空史  メキシコ 勤務時代の思い出 大統領特別機訪日に寄せて

○ メキシコ勤務時代の思い出 大統領特別機訪日に寄せて

 その昔の海外勤務者が日の丸や鶴丸マーク時代の日航機に感激したと回顧するのは普通ですが、MU-2やYS-11に接して特別の感慨を覚えたという人は関係業界を除けばやはり強烈なヒコーキマニアでありましょう。その趣味に興味のない人には分からない独特の境地ですからね。

 中国は重慶へ旅行した時に、飛行場から最初に乗せられたマイクロバスがトヨタのハイエースで、フロントガラス上の時計が壊れてぶら下がっているようなひどい中古車であり、市内に入ると日本の会社のロゴが残っているバスなどを見掛けました。20年以上も前の話ですから最近の中国の大都市では考えられない昔話になってしまいました。

 しかし、中古であろうと何であろうと異国の地で思いがけず日本国産物が活躍しているのを見るのはうれしいものです。そして、優越感も感じたものですが、今では、中国人が日本国内であらゆる分野にMade in Chainaを見つけて優越感に浸たる時代になったようです。

 自分たちの利権と将来の安定につながる分野にばかり予算を重点配分してきて、票につながらない産業を二の次にしか考えてこなかった政治家と官僚の責任は重大です。民間、防衛を問わず航空産業はその大きな犠牲者の一つでしょう。

 

日替わりメモ20100212番

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HOME 「表紙絵71] YS-11試作1号機が横風テストで松島基地に滞在 第3飛行隊のF-86Fと一時同居
調査研究コーナー 国産旅客機YS-11研究 再編集 [1]試作機から退役までのさまざまな思い出
      新 YS-11試作1号機 横風試験で松島基地に滞在
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  10番目の感想を追加

○ YS-11試作1号機 横風試験で松島基地に滞在

 主翼上反角の改修など大改造を終え、数か月後には待望の型式証明を受けようと、1964年の2月には試作2号機が千歳で耐寒テスト飛行をやり、同3月には試作1号機が松島で横風テストを受けました。松島では予定していた25ノットの風が吹いてくれず、最大18ノットでしか試験ができなかったので、再度実施された模様です。
 今朝は、千歳から松島へ移動して来ていた第3飛行隊のノースアメリカンF-86Fも見えるなどの貴重な写真を発表しました。

 なお、調査研究コーナー 国産旅客機YS-11特集は、主として日本エアコミューター機によるYS-11最終飛行を中心に編集していましたが、既に3年が経ちましたので、全体を見直して「国産旅客機YS-11研究」として再編集しました。

 特に [1] 試作機から退役までのさまざまな思い出 のページには、ただいま載せている項目の何十倍何百倍もの思い出があるはずですから、皆さんのアルバムの中から、YS-11の節目々となるような写真を見つけ出して送ってくださるようお願いします。 

 

日替わりメモ20100211番

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N717 9時追加 ニュースフラッシュ 2010/02/09 ハイチ救援車両等運搬のア ントノフAn225
N716 ニュースフラッシュ 2010/02/10 アッバース パレスチナ自治政府大統領特別機
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  感想を1件追加

○ アッバース パレスチナ自治政府大統領特別機の写真を送ってくれた‥

ハロースクエアさんが、成田のAn-225飛来を後から知って茫然自失と書いてきました。他サイトによるとこの巨人機のために厚木や羽田の常連がたくさん詰めかけたそうですが、当方にも1枚も写真がきていません。誰かが送るだろうと譲りあっているのでしょうか。私は、茫然自失の心境ではありませんが、やはりニュースフラッシュで皆さんに紹介はしておきたい気持はあります。

9時00分 追加書き込み 上記を書いて朝食後メールを開きましたら、jetjunさんからAn-225の写真が届いていました。入れ違いでした。早速アップするとともに、いらぬお節介を謹んでお詫びして取消線を引いておきます。

 航空史探検博物館向けの情報については、こちらから積極的にお願いをしますが、ニュースフラッシュはあくまで受け身です。各地でニュース性のある写真を写されましたら、日々1千件以上のアクセスがあるインターネット航空雑誌ヒコーキ雲で全国の皆さんに見せてあげてくれるように、(気が向いたら)送ってくださいね。


○ 質問 滋賀県の特攻基地について   MBHさんから

 いつも楽しく閲覧しています。学生時代から20年ばかり滋賀県に居住しておりました。特に大津駐屯地の紹介記事や「ホテル紅葉」、また際川の飛行場にもよく日赤航空隊の訓練風景や琵琶湖上での水上機の離発着訓練などを覗きに行った思い出など懐かしさでいっぱいです。
 ところで第2次大戦末期に滋賀県に特攻機の基地があったことをご存知でしょうか?

佐伯から : 滋賀県のしがけんバーチャル平和祈念館の展示室→個人展示→地域社会と戦争→その時人々は‥ を開くと陸軍特別攻撃隊殉皇隊などの手記や写真が出ています。一度ご覧ください。

 なお、質問とは関係ありませんが、実際の平和祈念館建設構想はどうなったのでしょう。知事が替り、財政事情もあって沙汰止みなのかもしれませんが、とにもかくにも、ここに展示する予定としていた零戦モドキA5205参照)を公の施設に海軍零式戦闘機などとして展示することだけは、永久にご放念のほどお願いいたします。

 

日替わりメモ20100210番

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Z35 ヒコーキマニア人生録 その33 《見学記》 大阪航空専門学校
N715 ニュースフラッシュ 2010/02/08 エアロックの活動停止について  感想を1件追加

○ 大阪航空専門学校

 予告していたヒラタ学園大阪航空専門学校の見学記を発表しました。表紙絵にあるセスナ172をはじめNナンバーの小型機など機材をいろいろと揃えているようです。ただ、堺市西区の鳳西町という何か航空に関係がありそうな地名ですが、Googl earthでみますと、或る時期に農地が急速に宅地化した典型的な都市化地域であり、滑走はもちろんのことエンジン音もはばかられる環境が気の毒です。

 しかし、同校のブログでは、全国の高校に進学を呼び掛けている様子や、近くの高校にフライトシミュレーターや航空整備機材を持ち込んで課外授業を行っている様子などが報告されていて、たいへん興味深いです。


○ アクセス解析を取り止めました

 トップページをはじめ各ページの最下段に「アクセス解析」という小さなマークがあって、目障りでもあるし、皆さんに或る不信感を与えておりましたが、今回の内容点検に伴ってすべて削除しました。(一部、消し残ったページもありますが、既に機能していません。)

 或る不信感を与えたというのは、自分が見ていることを佐伯に特定されるのではないかという疑念をもたれたらしいということです。
 そういうことは全くありませんのでご安心ください。確かに解析データの中にIPアドレスは示されますが、この8桁の数字から所有者を知ることは不可能ですし、プロバイダーに問い合わせたって絶対に教えてくれないからです。同じIPアドレスの出現頻度から、特定の人を想像することはできるかもしれませんが、そんな時間も利益もありません。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲においては、皆さんからのメールで「日々ご苦労さん」とか「毎日楽しみにいます」という添え書きがあることで十分なのです。

 削除のもう一つの理由は、閲覧の傾向がほぼつかめたことです。各月の上位閲覧は大体同じで、@トップページ、A日替わりメモと続きますが、3位には「或る戦闘機の戦後史 飛燕」が必ず入っています。最近は「三菱零式艦上戦闘機及びその部品等の掲載目録」も上位に顔を出し始めていました。これは意外でもあるし、日本軍用機マニアが如何に多いかということを如実に示す根拠を私に与えてくれています。

 4位以下に続くのは、関東地方、東北、九州、北海道の各目次ページです。また、個別ページで上位に顔を出すのは、なぜか宮城県、埼玉県、北海道、東京都、青森県などの東日本の自衛隊基地が多いという傾向もありました。

 更には、都道府県別のアクセス合計数も表示され、これは、ダントツの東京都をはじめとする首都圏が半分以上を占めておりました。或る程度人口に比例していますが、どことは言いませんが、関心の薄い県もありました。

 以上のような傾向がほぼ把握できましたので、不信感を与えてしまうような行為をホームページ上にいつまでもさらすのは得策でないと判断した次第です。 

 なお、2001/01/01以来のアクセスカウンターは、もちろん残しております。

 


        インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の主張

日替わりメモ091231番

○ 2009年の回顧
  評価は他人がしてくれるものだということを百も承知のうえで、敢えて申し上げますが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が立てている各項目に関する限りにおいて、他の追従を許さないほど充実したものとなりました。既にホームページの試行錯誤の域を脱して、インターネット航空雑誌としての独自のスタイルが確立し、それを多くの皆さんから認知されているものと信じています。

また、しゃべり始めたなと腹を立てないで、以下、掃除の手を休めた時にでも読んでくださいな。

雑誌なら編集後記、単行本なら序文やあとがきを読むと大よその傾向が掴めるように、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲も日替わりメモが日々更新の「イントロダクション」であると同時に「私の主張」でもあります。そこで、今年1年間の日替わりメモを読み返してみました。

休んだのはわずかに24日、稼働率は93.4%、我ながら驚くべき精勤でした。

@ 書き手と読み手の喜怒哀楽のからみ合い
 これほど続いてくると、日替わりメモを書きながら、お顔も知らないのに、読み手の反応がほぼ予測できるようになります。うなずく人、驚く人、あわてる人、立腹する人、あざ笑う人‥‥。

実は、佐伯の辛口評論を秘かに期待しているという人が少なからずおられます。逆に、辛口が過ぎるとヒコーキ雲ファンを逃がしてしまうから程々にという忠告もあり、実際に逃げて行った人もおりますし、今年は、他のサイトで手ひどい批判を書かれたこともありました。書き手の喜怒哀楽と読み手の喜怒哀楽がからみ合っていることを実感します。

お腹立ちの人を量産するのは得策にあらずで、例えば、本年半ばから政治向きの発言を控えたりしています。身の程も弁えずにとの冷笑を招かない程度に節度をもたなければいけませんね。
 しかし、
一納税者として、行政の問題点には是々非々を貫ぬきます。見て見ぬ振りをするのが大人であるというような誤った考えに迎合する気は毛頭ありません。

A 稼働率93.4の原動力
 さて、稼働率93.4%の原動力を考えてみました。
 1番に、全国各地の皆さんから「日々の更新ご苦労様です」との言葉を添えて、絶間なく情報が寄せられる、それを早く発表したいという心理が働くこと
 2番に、若い頃からのジャーナリスト志向が、死ぬまで治まりそうにないこと
 3番に、朝早く起き出してパソコンに向かうことが、生活として定着していること

1番と2番はつながりますが、何といっても2番が最大の原動力です。若い時に新聞社も放送局も二次試験で落ちて公務員にならざるを得なかったトラウマを引きずっているのかもしれません。その心理不安定症候群がこのホームページで治癒される訳ではありませんが、どんな場面でもジャーナリスチックなセンスを駆り立てられてしまいます。
 
本年1月1日の日替わりメモで、容量が300MGに達したら廃刊にするかもしれないと予告しました。しかるに今日現在350MGを超えてしまいました。経済的負担は苦しいですが、やっぱり、ジャーナリスト志向の誘惑には負けてしまうのですねえ。

ジャーナリストのセンスとは、旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神です。他人と同じことをやっていては読者に相手にされません。良質の情報を如何にうまく見つけ出すか、関連情報と併せて如何にうまく整理するか、如何に早く発表するかの勝負です。当然、間違いも起きますから素直に訂正するのも大切な心掛けです。
 ヒコーキの専門知識は皆さんにご教授願っていますが、編集者としては「
試行錯誤の域を脱して、独自のスタイルを確立できた」という所以であります。

B これからどうするか
 
さて、これからどうするかですが、老朽化したパソコンやスキャナなどを買い替えるメド(家内の許し)はたちませんし、加齢による目の疲れに加えて、今年は右手人差し指の腱鞘炎に苦しみ、右肩のインナーマッスル(深層筋)が時折強烈な痛みを発するなど、いつパソコン禁止を宣言されてもおかしくない状況にあります。

 旺盛な野次馬根性と抜け駆けの精神がこれらの外(害?)的要因に打ち勝つかどうかの勝負です。その分かれ目は、読み手の喜怒哀楽が私の予測に合っているか確認できるかどうかです。
 叱責であろうとなんであろうと一言でもメールがあると元気が違ってきます。いちいち返事が出来ないのがつらいのですが、どうぞよろしくお願いします。

では、お健やかにお正月をお迎えください。                          佐伯邦昭

日替わりメモ090613

私事 : 最近、あとで読み返してみると誤表記が目立つようになりました。また、皆さまからのメールの文章をしっかり読んでいないことによるミスも多発し大変申し訳ないと思っております。文章は、私の生命の一部なので実に情けない次第です。身内の入院等で疲れ気味のためかもしれませんが、精一杯努力してみますのでどうかご容認くださいますようお願いします。

 

○ 呉市海事歴史科学館大和ミュージアムに関する疑義が完了しました。お暇な時にじっくり読んでいただいて感想をお聞かせください。

第1章 零式艦上戦闘機に関する疑義
第2章 呉市側から仕掛けてきた戦艦大和の歴史捏造問題に関する疑義
第3章 戦艦大和以外のもろもろ
第4章 呉市役所の体質など