きょうは何の日

 

 

1976年6月26日

アントニオ猪木vsモハメド・アリ戦が行われた日

 


誰もが一度は耳にしたことがある曲アントニオ猪木のテーマ曲『炎のファイター〜イノキ・ボンバイエ』。実はこの曲には知られざる誕生物語があった。そのきっかけとなったのが「猪木vsアリ」である。今から32年前、1976年、昭和51年の今日、世紀の対決「猪木vsアリ」が行われた日。そこには、どんなドラマがあったのか?

ブラジルで力道山にスカウトされプロレスの世界に飛び込んだアントニオ猪木。瞬く間に日本を代表するプロレスラーとなった。だが、やがて彼は、異種格闘技の世界へと突き進む。
一方、モハメド・アリは当時世界最強のボクサーだった。1960年のローマオリンピックでライトヘビー級金メダルに輝いた彼は、その後プロに転向。「蝶のように舞い/ハチのように刺す」と称されたフットワークでたちまち世界ヘビー級王座に着いた。その後タイトルを失うが再び王座をかけ当時最強のハードパンチャー、ジョージ・フォアマンに挑戦!!見事KO。伝説の「キンシャサの奇跡」を起したアリは挑戦的な発言もまた伝説的。そんな彼が言った。「百万ドルの賞金を用意する。俺に挑戦するものはいないか?相手はレスラーでもなんでもいい」それはアリ得意のジョーク。「ビックマウス」と呼ばれていた男の世間も承知リップサービスだった。

だが、その言葉にくらいついた男がいた。若き日のアントニオ猪木。
願ってもないチャンスだと思った。本気ならばと、アリから提示された金額は、なんと30億円。同時にアリは記者会見で「猪木なんて知らないが、相手になってやる!」と発言する。
その言葉はすぐさま日本に届き、マスコミによって大々的に報道されることとなった。新聞には魅力的な見出しが躍る。2人の対決は日本中の話題となったのである。プロレスファンのみならず誰もが思った。そんな夢のような試合が本当に実現するのか…?それほど衝撃的なことだった。しかし、試合実現までには、人々に伝えられることのない様々な苦難があった。とりあえず、決められた試合形式は15ラウンド制のボクシングスタイル。

そして、1976年6月16日アリ来日。傍らには、かつて力道山と死闘を繰り広げた、悪役レスラー銀髪木・ブラッシーを供っていた。早くも舌戦が開催された。アリは8ラウンドでのKO予告。一方、猪木の方も3Rで倒す!記者会見の席上でアリの「ビックマウス」ぶりは、ますますヒートアップ!それを見て驚き、あきれた猪木は「うちの宣伝マンとして雇いたい」と応じた。するとまたまたアリが「このペリカン野郎」と逆襲
舌戦のエスカレートと共に、世紀の対決への日本中の期待はいやが上にも高まっていった。マスコミ報道も過熱した。だが、その裏で当事者間の本当のかけ引きはドロ沼だった。1週間前の公開練習で猪木の多彩な技と実力を目の当たりにしたアリ側は、突如ルールの変更を主張する。そして、「ルールの変更が認められなければ、試合せずにアメリカに帰る」と言い出したのだ。そのルールの中身とは…

・投げ技と関節技は禁止・肘・膝による攻撃は禁止・プロレスチョップはすべて禁止。
・グランド技は10カウント以内・アリの頭への攻撃は禁止
・猪木が立ったままでキックは禁止

試合直前にまで及んだルール変更。「プロレス技がほぼ禁止」世間に伝えられる時間はなかった。そして、今から32年前の今日。6月26日。「世紀の対決」はその時を迎えた。会場は日本武道館。朝から心理戦は始まっていた。ついにリングに上がった2人。試合は予想外の展開で始まった。(1R)ゴングと同時に猪木、アリの足元に向かってスライディング!アリがかわすと猪木再びスライディングキック。なんと、床に寝転んだままのキックを続けたのである。立ったままでのキックを封じられたが、故の攻撃だった。これには、観客席もア然。プロレス技を封じられたが故の猪木の作戦。しかし、はた目には異常な試合と映った。(6R)猪木がついにアリを捕らえる。絶好の勝機が訪れた。だが、危機一髪のアリはロープで逃げた。(15R)そして2人の勝負の決着はついにつかなかった。夢の「世紀の対決」は引き分け…健闘をたたえ合う2人…一方で人々は、ただただア然とするばかりだった。翌日の新聞の見出し。それは非難の面と嘲笑の数々。だが、あれから32年を経た今、闘った者同士の友情が2人の間に芽生えていたのである。試合後ルールをせめぎ合い、互いに勝つことにこだわったが故のことだった。その証こそが、アリが自分のテーマ曲であった「ボンバイエ」を猪木にゆずり贈ったこと。
「炎のファイターイノキボンバイエ」。そのジャケットには、猪木のファイティングポーズとともにアリの姿が描かれている。猪木との試合の3年後、アリはグローブを置き、引退した。その理由は後のアトランタオリンピックで人々の知るところとなる。アリは、パーキンソン病と闘い続けていたのだ。一方、アリに遅れること7年。猪木もまた引退する。その引退会見。なんとアリが駆けつけたのである。その頃すでに患っていた、パーキンソン病をおしてのことだった一時は「世紀の凡戦」とまで揶揄された「猪木とアリの闘い」。だがそれは、真の格闘家であった2人にとって生涯におけるかけがえのない「世紀の一戦」だった。

 

 

 

 

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