井植歳男は明治35年12月28日、淡路島の浦村(津名郡東浦町)に生まれた。父は井植清太郎、母はこまつ。歳男は三男五女の兄弟の5番目に生まれた長男だった。
井植家は代々自作農を営んでいたが、進取の気性に富んでいた歳男の父清太郎は農業を好まず、「清光丸」という千石船を持ち、大阪、九州、韓国あたりまで出かけて自家貿易を手がけていた。
少年時代の歳男は小柄ながら喧嘩が強く、わんぱくそのものだった。この頃から話術に優れ、小学校の学芸会で発表した「お話」が拍手喝采を浴びた。
歳男が高等小学校1年(13歳)のとき、父清太郎は世を去った。「子供が上の学校への進学を望めば、田や畑を売って行かせるように」と清太郎は妻に遺言した。
高等小学校の卒業式を待たず歳男は父の遺言に反して働く道を選んだ。かつて父がそうであったように世界に通じる海の男にあこがれ、船乗りになりたくてしかたがなかったからだ。歳男は母の許しも得ないで叔父の船の見習い船員となった。大正6年2月ごろのことである。終生、海を愛し社名に「三洋」を選んだ歳男らしい人生の船出であった。そのとき、仮屋の港を出る歳男を人知れず遠くから見守る母こまつの姿があった。 |