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小沢流ゼネコン選挙術、名簿15万人分や貢献度ランク(2/2ページ)

2010年2月1日16時30分

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写真:選挙前に建設業者が「賛同者」として提出した名簿を、小沢事務所が電話をかけて確認した表。反応によって「A、B、C」などとランク付けしていた選挙前に建設業者が「賛同者」として提出した名簿を、小沢事務所が電話をかけて確認した表。反応によって「A、B、C」などとランク付けしていた

 演説会などの動員でもノルマが課せられた。小沢事務所の関係者によると、96年の衆院選ではゼネコンの地元営業所長らが街頭演説での動員数を各社に割り振った。演説会では通し番号付きの入場券が割り当てられ、各社の動員数が集計された。欠席の多い業者は苦情を言われたという。

 小沢事務所にかかわってきたある業者は「(東北談合組織のトップだった)鹿島東北支店幹部と小沢事務所が当時は親しく、ゼネコンから下請けの中小企業まで驚異的な集票システムだった」としたうえで、「中小業者はいい加減な名簿を出せばゼネコンから切られる。各社は必死だった」と振り返る。

 別業者は「小沢事務所からすれば、業者は選挙運動に貢献するか、資金を提供するか二つにひとつ。どっちもできなければ(受注から)外されかねない」と打ち明けた。

 検察側も、昨年12月にあった元会計責任者で公設第1秘書・大久保隆規(たかのり)容疑者(48)=政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕=の初公判の冒頭陳述で、小沢事務所が公共工事受注での影響力を背景に選挙支援や多額の献金を要求し、ゼネコンなどが応じていたと指摘していた。

 複数の関係者によると、こうした「ゼネコン選挙」は小沢氏が自民党を離党し、次々と新党をつくった90年代に強力に進められた。小沢事務所で選挙対策をしていた元担当者は「野党として『政官業の癒着を断つ』と言いながら、集票活動はゼネコンがやっていた」と振り返った。

 これに対し、小沢事務所は「責任者がいないのでお答えしかねる」と話し、鹿島広報室は「10年以上前の話なので、確認できない」とコメントしている。(加勢健一、田中聡子、疋田多揚)

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