自民党の舛添要一前厚生労働相は1日午後、都内の日本外国特派員協会で講演し、党の現状に関し「世論調査では自民党の支持率は変わらないし、むしろ下がっている。党内の賢明なる政治家がこの点を考えれば、谷垣禎一総裁の辞任を促す方向に行くだろう。その場合は党改革はできる」と述べ、夏の参院選前の総裁交代もあり得ると指摘した。
舛添氏は、自身の政治活動について「自民党を改革するか、新党を立ち上げるか両方のオプションを考えている」と改めて強調。「当然として、他党との政界再編の可能性も念頭にある。他党とは民主党のメンバーも含む」と語り、民主党との連携にも意欲を示した。(時事)
舛添は、外人記者に向けて質疑応答まで、無理して下手な英語で通していたが、彼はフランス語の方が得意であり、正式な外交用語で真に國際人と思われたかったのなら、フランス語でやればよかったと思う。以前、宮沢喜一と話していたとき、子飼いの榊原英資をなぜ国連に送り込まないのかと聞いたら「彼はフランス語が得意じゃないからね」と言われたことがある。もちろん宮沢も榊原も英語には定評があるが、じつは宮沢はフランス語の使い手でもあった。外国で紳士として一目おかれるには伝統的にラテン語の教養つまり日常会話としてはフランス語でなければならない。宮沢はフランクな國際人であった。だから愛国主義者ではないが、日本人がそれなりの敬意をもって扱われなければならないと、つねづね考えていた。
それはそれとして、話を本題に戻すと、いよいよ第三局の誕生を予感させるが、舛添では政局は動かせない。彼の考えには、渡辺喜美や前原誠司が念頭にあるが、具体的に大同団結は難しい。渡辺の新自由主義や前原の安全保障の考え方もあわせて「第二自民党」的な第三局が簡単に作れると思ったら早計に過ぎる。たしかに自民党に失望し、新政権にも嫌気がさしたから、第三局もありだというのは、皮相なポピュリズムやマスコミの論調にはあるだろう。しかし、しっかりとした政策実行力と資金と組織の支えがない限り、実現は不可能に近い。渡辺喜美のように磐石の選挙基盤があっても、自民党を飛び出した後の資金繰りは涙ぐましいものがある。ましてテレビタレントでしかない舛添が、個人としては生き残れるが、集団を抱え込むのは容易ではない。マスコミの甘言に乗って、すぐにはしごを外された政治家は多い。マスコミは無責任をなりわいとしているが、政治家はそうではないはずだ。
とりわけ舛添のように上昇志向が強い人間は、自分の実力を過大評価する癖があるから要注意だ。
小沢のような理想家でも、旧社会党、組合を取り込み、資金を集め、多少強引な手法をつかって権力を掌握しないと政治は運営できないのである。どんな正論でも議席数がすくなければ、絵に描いた餅である。実行できなければ意味がないのである。それを進めてきた小沢ですら、翳りが見え、もうかっての勢いはない。相対的に小沢より右よりの勢力が伸張してきた。だからといって第二自民党できない。本質的に違うのだ。
舛添が大学を辞め、糊口をしのぐためにテレビ東京のクイズバライティに出ていたとき、僕はチーフディレクターだった。お笑い芸人と同じひな壇にすわり彼は典型的「いじられキャラ」であった。20年ほど前だが、望むらくはあのころのプアーな傘貼り浪人にもどって、政治に取り組んで欲しいものである。なまじ斜陽の自民党がいきなり厚生労働大臣にしたから、多少舞い上がっているのかも知れない。
第三局は自民党とむかしの自民党的民主党の間にあるとされるが、舛添ではまだ無理だろう。人気だけでは無理なのだ。
よくない現実でも現実は現実である。現実が変えられるのなら、とっくの昔変えている。世の中はしかしすこしづつ変化はしてきている。くれぐれも
悪い変化でないことを望むだけだ。
PS.写真のアップロードにエラーが出ています。多分明日までに直るでしょう。治らないのは自分の脳だけです。
舛添氏は、自身の政治活動について「自民党を改革するか、新党を立ち上げるか両方のオプションを考えている」と改めて強調。「当然として、他党との政界再編の可能性も念頭にある。他党とは民主党のメンバーも含む」と語り、民主党との連携にも意欲を示した。(時事)
舛添は、外人記者に向けて質疑応答まで、無理して下手な英語で通していたが、彼はフランス語の方が得意であり、正式な外交用語で真に國際人と思われたかったのなら、フランス語でやればよかったと思う。以前、宮沢喜一と話していたとき、子飼いの榊原英資をなぜ国連に送り込まないのかと聞いたら「彼はフランス語が得意じゃないからね」と言われたことがある。もちろん宮沢も榊原も英語には定評があるが、じつは宮沢はフランス語の使い手でもあった。外国で紳士として一目おかれるには伝統的にラテン語の教養つまり日常会話としてはフランス語でなければならない。宮沢はフランクな國際人であった。だから愛国主義者ではないが、日本人がそれなりの敬意をもって扱われなければならないと、つねづね考えていた。
それはそれとして、話を本題に戻すと、いよいよ第三局の誕生を予感させるが、舛添では政局は動かせない。彼の考えには、渡辺喜美や前原誠司が念頭にあるが、具体的に大同団結は難しい。渡辺の新自由主義や前原の安全保障の考え方もあわせて「第二自民党」的な第三局が簡単に作れると思ったら早計に過ぎる。たしかに自民党に失望し、新政権にも嫌気がさしたから、第三局もありだというのは、皮相なポピュリズムやマスコミの論調にはあるだろう。しかし、しっかりとした政策実行力と資金と組織の支えがない限り、実現は不可能に近い。渡辺喜美のように磐石の選挙基盤があっても、自民党を飛び出した後の資金繰りは涙ぐましいものがある。ましてテレビタレントでしかない舛添が、個人としては生き残れるが、集団を抱え込むのは容易ではない。マスコミの甘言に乗って、すぐにはしごを外された政治家は多い。マスコミは無責任をなりわいとしているが、政治家はそうではないはずだ。
とりわけ舛添のように上昇志向が強い人間は、自分の実力を過大評価する癖があるから要注意だ。
小沢のような理想家でも、旧社会党、組合を取り込み、資金を集め、多少強引な手法をつかって権力を掌握しないと政治は運営できないのである。どんな正論でも議席数がすくなければ、絵に描いた餅である。実行できなければ意味がないのである。それを進めてきた小沢ですら、翳りが見え、もうかっての勢いはない。相対的に小沢より右よりの勢力が伸張してきた。だからといって第二自民党できない。本質的に違うのだ。
舛添が大学を辞め、糊口をしのぐためにテレビ東京のクイズバライティに出ていたとき、僕はチーフディレクターだった。お笑い芸人と同じひな壇にすわり彼は典型的「いじられキャラ」であった。20年ほど前だが、望むらくはあのころのプアーな傘貼り浪人にもどって、政治に取り組んで欲しいものである。なまじ斜陽の自民党がいきなり厚生労働大臣にしたから、多少舞い上がっているのかも知れない。
第三局は自民党とむかしの自民党的民主党の間にあるとされるが、舛添ではまだ無理だろう。人気だけでは無理なのだ。
よくない現実でも現実は現実である。現実が変えられるのなら、とっくの昔変えている。世の中はしかしすこしづつ変化はしてきている。くれぐれも
悪い変化でないことを望むだけだ。
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記念式典の際に拝聴、驚愕。嗚呼、言葉の無い世界に生きたいものです。言葉は魔物です。本題外れ。