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川端商店街火災:「博多商人は負けんばい」再起誓う商店主ら 支援の輪も広がる

真っ赤な炎を上げて燃える博多川端商店街=福岡市博多区で2010年3月1日午前6時35分、徳野仁子撮影
真っ赤な炎を上げて燃える博多川端商店街=福岡市博多区で2010年3月1日午前6時35分、徳野仁子撮影
焼け落ちた現場で続く消防署員らによる作業=福岡市博多区の博多川端商店街で2010年3月1日午後2時43分、山下恭二撮影
焼け落ちた現場で続く消防署員らによる作業=福岡市博多区の博多川端商店街で2010年3月1日午後2時43分、山下恭二撮影

 1日早朝、福岡市博多区の博多川端商店街で発生した火災は、地元に根を下ろし親しまれた店も次々、火の海に巻き込んだ。焼け跡を見つめ、途方に暮れる店主たち。一方で早くも、なじみ客やボランティアらが支援に動き出した。店主らは「頑張りますけん」と、「博多商人魂」を胸に再起を誓っている。

 「火事は根こそぎ持っていくけんね」。全焼した「岸本薬品」の3代目店主、岸本正則さん(58)は変わり果てた店舗を見つめ、涙を浮かべた。

 大正の創業以来約90年。周囲に全国チェーンが次々出店する中、地域密着で店を守った。店内にはお年寄りが座れるように椅子を用意し、世間話に応じたり、病気や薬のことを事細かにアドバイスした。近所の男性(77)は「商店街の人は、何かあったら病院より先に岸本さんの所に行きます」。そんな店を県外の薬局で働く息子(28)が「継ぎたい」と話したばかりだった。

 父が大事にしていたカメラも燃えてしまった。それでも岸本さんは「しばらくはお客さんに不便をかけるかもしれんけど、取引先を通じて別のお店を探してあげないと。うちもいつか再開しないとね」と気丈に語った。

 婦人服店「サンパルコ」は店舗兼住宅で、店主の鈴木幸太郎さん(59)の母フサ子さん(86)は、思い出の詰まった家も無くした。

 戦後間もなくの創業。十数年前に父を亡くし、幸太郎さんが店を継いだ。その後フサ子さんも足腰が弱り、結婚して別の家に暮らしていた幸太郎さんが、用心のため寝泊まりするようになった。この朝、幸太郎さんが異音で目覚めると、黒煙が流れ込んでいた。別室で寝ていたフサ子さんを抱きかかえ、階段を一気にかけ下りた。

 避難した近くの冷泉公民館で孫から「無事で良かった」と手を握られたフサ子さんは、涙をこぼした。店主仲間や取引先も次々駆けつけた。「命だけ助かったけん」。絞り出すように頭を下げた幸太郎さんは「心の整理がついとらんけん。でもがんばりますけん」と力を込めた。

 一方、地元・博多を中心に被災者への支援の輪が広がっている。

 避難所となった冷泉公民館には飲食店などからおにぎりやお茶が届いたほか、近くの「博多エクセルホテル東急」は無償で部屋を提供することを申し出た。1日夜は1世帯2人が宿泊した。

 福岡沖玄界地震(05年3月)などで災害ボランティア経験を持つ福岡市東区の吉水恵介さん(53)は1日夜、博多川端商店街周辺で、ボランティア支援者を募って回った。要請を受けた近くのビル「冷泉荘」の管理人、山本剛司さん(28)は「営業を継続し活気を取り戻せるよう出来るだけ協力したい」。吉水さんは「燃えた店の片付けや掃除は人手がいる。一日も早い復旧のため協力してほしい」と呼び掛けている。【三木陽介、金秀蓮】

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 福岡市の博多川端商店街火災で、県警博多署は1日、南側の衣料品店「BLUE HAKATA」から出火したとみられると発表した。捜査関係者によると、同店2階から出火した可能性が高いという。県警や市消防局によると、6棟9店舗が全焼。2棟2店舗が水損し4人が被災した。

 全焼した店舗はすべて築30年以上の木造で、鉄筋コンクリートの建物で延焼が止まっていた。博多署は古い建物が多く、火が燃え広がったとみている。

 捜査関係者などによると、出火元とされる衣料品店は警備システムを設置しており、店内のセンサーが煙を感知。警備会社がカメラで煙を確認し、警察や消防に通報した。消防隊が店内に入った際、1階店舗部分に火の気はなく、倉庫に使っている2階部分が燃えていた。

 市によると、同商店街は都市計画法などの「防火地域」。新たに店舗を建てる場合は鉄筋コンクリートなどの耐火構造にしなければならないが、全焼した店舗は指定前に建築されたとみられる。【近松仁太郎】

2010年3月2日

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