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前エントリーより続く
 
 パトカーに乗せられて上野警察署に到着。

 事件捜査を担当したのは同署の刑事課。私たちの存在はおろか、前後の事情を何も知らない刑事さんたちに何度も同じことを繰り返して、まずは事情・経緯を把握してもらおうと努めた。

 異なる刑事がそれぞれ同じことを何度も訊いて来るのは捜査の常道だと分かっていたので、私も繰り返し同じことを在りのまま説明した。

 これは日頃の街宣の成果だろうか。はっきり言って私は街頭演説が得意ではない。いや、むしろ下手なほうだろう。それでも様々な市民団体が連携する「行動する運動」においては弁士のなり手が少ないために私のような下手糞でも曲りなりに弁士を務めさせてもらってきた。

 それに増して私は口下手である。ブログで記事にして人に説明するならともかく、警察の取調室においては事の経緯を全て言葉として発して伝えなければならない。
 自分たちの活動の存在、先月の在特会デモに対する襲撃からこの日の事件概要、事件当事者それぞれの関係に至るまで、それを刑事さんたちに上手く伝えられるかどうか最初は自分でも半信半疑であったが、日頃頭の中で複雑な話の順序を組み立てる訓練が街宣では生かせなくとも、こうしたところで生かせたのかも知れない。

 警察側の判断はともかく、こちらが話した事情・経緯については理解してもらえたようである。

 同警察署にはマルイ・デパート前に居合わせた者全員が呼ばれた。
 笠哲哉こと堀井哲哉は警察官らが駆けつけた頃、タクシーに乗車して今にも現場から立ち去ろうとしていたところを瀬戸弘幸らが警察官に対して関係者全員から事情聴取するよう要請。
 
 結局、私・有門瀬戸弘幸とそのご友人、後から瀬戸とともに駆けつけた一人堀井、堀井が乗っていたタクシー助手席に同乗していた、そして室岡の計7人が署で事情聴取・取り調べを受けることに。
 こちら側からの被害届けは私と瀬戸弘幸のご友人の2件。
 
 私と室岡に関しては最たる「事件当事者」ということもあり、どちらが片方が被害届けを出すなら、もう片方からも被害届けを受理して相被疑になると聞かされたが、この日の暴行は何も偶発的に起きたものではなく、度重なる運動への妨害の延長上として起きたものであり、留置場(ブタ箱)入り覚悟で被害を訴え出ることとした。要するに暴行事件はいわゆる「喧嘩」と見做され、喧嘩両成敗だというのである。

 生まれて初めて「被害届け」なるものを作成したが、今度は相手側(室岡)からの被害届けである。相被疑とされた最たる要因は室岡が「負傷した」と称して救急車で病院へ行き、診断書までとっていることにあった。
 それにしても遅れて警察署に到着した室岡は泥酔していた勢いで警察官らに暴言を吐き続けるなど、その怒声は私がいた取調室の中まで聞こえて煩いこと極まりなかった。

「財布などの金品、携帯電話等、所持品を全て出して」

 夜の8時過ぎに警察署に到着して6時間以上が経過していた深夜、警察官より取調室で所持品を全て預けるよう指示が出た。いよいよ留置場(ブタ箱)へ入るための手続きが進められる。被害届けを作成したのが初めてなら、留置場入りも生まれて初めて。

 差し出されたカゴの中に腕時計からポケットティッシュに至るまで全てを入れて、さらに待つこと数時間−。

貫き通した道理!

 明け方に下された私に関しての決定は「嫌疑不十分」で釈放。こうしたケース(相被疑)で一方が釈放され、もう一方(室岡)だけが逮捕されるのは極めて珍しいという。

 ただ、当日に私がとった言動(安易な接触)については刑事さんから厳しく諌められ、周囲の人まで巻き込んでしまったことについてもさんざんコッテリ絞られた。

 取り調べ中から長い待ち時間に至るまで、実に多くの警察官と接触した。地域係と思われる若い制服警察官だけで5〜6名はいただろうか。皆それぞれの持ち場があり、一人づつ代わる代わる取調室での見張り役を務める。

 供述調書作成の段階から私が自らの活動について訊かれたことで述べたのは、一貫して「道理」である。

 マスコミで大々的な話題となりながら不法滞在外国人への速やかな強制送還が為されていない入管行政の怠慢、確定から半年以内と定めた死刑制度の不履行、在日朝鮮人をはじめとする外国人への過剰な保護・特権…こうした日本を取り巻く諸問題について取り組む私たちの運動について誰一人として否定はしない。それが在るべき道理だからである。

 外国人参政権法案や取り調べ可視化法案など危険法案を推進する現在の民主党政権について、彼ら警察官は決して表立った批判は口にしないし、彼らは決して我々の運動側に与するものではないが、少なくとも「同じ日本人である」という思いは互いに感じ取ったのではないかと思う。

 私たちは決して堀井や室岡らが言うような「排外主義者」ではないし、誰彼なく外国人は出て行けと主張しているわけでもない。
 外国人は日本に住んでいて良いが、徒に彼らの権利を擁護・拡大するような動きに対して反対と阻止を表明しているものである。

 嫌疑不十分とされたのは飽くまでも一個の刑事事件としての判断であるが、仮にこれが支那系日本人ばかりで固められた警察によって事件が扱われたとしたら、刑事事件としての判断がどうあれ私だけが一方的に、それも厳しく処罰されていたのかも知れない。

 外国人参政権に代わって国籍取得簡略化も取り沙汰されているが、選挙権のみならず警察官をはじめ国家公務員登用への道を開く同法案の恐ろしさを実感せずにはいられない。

 警察の立場として、我々と堀井らのどちらが正しいとも言わないし、どちらか一方の肩を持つということもない。だが、何が道理で如何なる行ないがその道理に適っているのか。それを誰も口にせずとも分かっているのが日本人同士というものではないか。

 一部では組織ぐるみの不祥事やカルト宗教信者の侵出が指摘される警察も決して捨てたものではない。日本の警察が特定の民族・思惑に基づいて動かされるような状況になるということは、日本国・日本社会そのものが同じように動いている時である。
 今や世間全般に過剰な人権尊重が蔓延っているために警察も必然的にその流れに沿わざるを得ない。そうした中で不可解な判断・措置も起き得るが、まだ世間一般に良識ある国民意識が生きているように警察の使命も決して滅んではいない。

 警察がより国民生活の安全に寄与する組織にしようと思えば、諸々の反日法案を通さぬよう悪しき政権を選択せぬよう、より国民世論がしっかりしていかなければいけない、改めてそう思わされた次第である。

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