中林梧竹晩年の書簡21通 小城出身「明治の三筆」
支援者に借金を依頼する梧竹の書簡(県立図書館提供)
小城市出身で「明治の三筆」の一人として知られる書家・中林梧竹(ごちく)(1827〜1913年)の書簡21通が、県立図書館でまとまって見つかった。同図書館は「巨匠の晩年の暮らしぶりがわかる貴重な資料」として、書簡の写真と解説文を公開している。
梧竹は佐賀藩の支藩・小城藩の藩士の家に生まれ、江戸で書を学んだ。56歳で中国・北京に渡り、様々な書体を研究。帰国後は斬新で多彩な作風が評判となり、明治天皇に書を献上するなど活躍した。「書聖」「日本の草書の大成者」ともたたえられる。
一方、金銭には無頓着で、童子のような性格から、地元では「梧竹さん」の愛称で親しまれ、佐賀出身の内務大臣・副島種臣や、明治中後期の佐賀市長・石丸勝一から支援を受けた。
書簡は石丸にあてたものが多く、借金の依頼や佐賀への帰省の連絡、親族の養子縁組の相談などが、様々な書体でつづられている。最晩年1913年7月、療養先の嬉野温泉から出した書簡では「帰京する費用がないので100円を至急、お世話して下さい」などと石丸に訴えている。
小城市中林梧竹記念館の田久保佳寛学芸員は「作品として意識せずに書いたもの。梧竹さんがどのように書いているか、多くの書道愛好家が興味を持つのでは」と話している。
(2010年2月28日 読売新聞)