ジョン万次郎は日本人最初のフリーメーソンだったのか?
坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像は、高知県を象徴する荒海の土佐湾に面して、海を見つめて立っている。中岡は室戸岬の突端に、龍馬は土佐湾のほぼ中央の桂浜にある。中岡の左手は刀を待ち、右手は腰にしっかりと添えられ、その姿はいかにも武士らしい。
ちなみに、地元の土佐では、意外なことに龍馬より中岡のほうが人気がある。「龍馬は商売人だから」というのがその理由らしい。とはいっても、龍馬は若い人に人気がある。彼の銅像は中岡とは対照的に右に身を傾け、右手を懐に入れているが、その手は拳銃を握っているといわれている。
土佐の英雄といえば、この中岡と龍馬のふたりと考えるのが一般的だろう。ところが、思わぬ人物がもうひとり、土佐には存在するのである。しかもこのところ、その人物の業績が急速に再評価され、土佐の英雄になりつつある。
中浜万次郎――ジョン万次郎である。
彼の銅像も土佐にある。東の室戸岬とは反対の西の奇岩を呈する足摺岬に、黒潮が渦巻く突端の断崖に立っているのだ。銅像が立てられたのは、1968年7月11日。地元のライオンズクラブの有志が中心となって設立された。
そして、1991年11月7日には「ジョン万次郎漂流150周年」を記念して、「ジョン万次郎の会」が東京の憲政会館で結成されたが、その会長に選ばれたのは、およそらしからぬ人物だった。ロックフェラーといえば、アメリカのフリーメーソンのトップであるが、そのロックフェラー人脈のひとりである民主党党首・小沢一郎氏である。
当時、彼はまだ自民党にいたが、3年後の細川連立内閣ができたとき、新生党を設立して参加し、連立内閣の陰の実力者となった。その新生党設立の際、当時の駐日大使のマイケル・アマコスト(現在はロックフェラーの米ブルッキングス研究所所長)を介して、ロックフェラーから約500億円の資金を提供されたといわれている。
高知出身でもない岩手選挙区の小沢一郎氏が、なぜ「ジョン万次郎の会」の会長になどなったのだろうか? この会は彼の政治力を利用して、当時の外務省、通産省、郵政省、建設省、運輸省、自治省のなんと6つの省庁の許可のもと、その共同管理ということで設立された。
しかも、わずか1年という異例の早さで承認され、設立年の9月、自動車、電車、電機、電力など財界の主要団体に、文書で5000万から6000万の寄付を要求し、3か月足らずでなんと5億6000万円もの設立運営資金を集めている。このことは国会でも問題となり、自民党の中川秀直議員によって追求された。これに対し、当時の柿沢弘治国務大臣と羽田孜首相は、のらりくらりと国会答弁して、責任の所在を曖昧にして逃げた。
この会の目的は、日米の草の根交流の原点であるジョン万次郎を歴史の中から発掘し、彼の精神(ジョン万スピリッツと呼ぶ)を広め、日米友好関係を深めようというものだ。具体的には、日米交換留学制度や日米の草の根交流サミットなどの国際交流を行なっている。
だがなぜ、急にまたジョン万次郎にスポットを当てようとしているのか。その理由は、彼の銅像が立つ足摺岬に行けばすぐにわかる。黒潮の風が強い足摺岬に、それはまるで古武道家のようなたたずまいで立っている。だがよく見ると、右手は強く握りしめ、左手には、なんと直角定規とコンパスを持っているではないか!
直角定規とコンパスといえば、フリーメーソンのシンボル・マークである。あのトーマス・グラバー邸の石柱に刻まれていたものとまったく同じ直角定規とコンパスが左手に握られているのだ。
ジョン万次郎はフリーメーソンだったのだろうか。だとすれば、これまでの謎がすべて解けるのである。そして、ロックフェラーの息のかかった小沢一郎がなぜ、会長になったのかもわかるだろう、ジョン万次郎は日本におけるフリーメーソンの第1号だったのか!?
高知県の足摺岬に立つジョン万次郎の銅像。
左手は直角定規とコンパスを握っている。
● ミニ解説 ● |
この本では、坂本龍馬に大きな影響を与えた人物として、グラバーとジョン万次郎を挙げています。今は観光地となっている長崎のグラバー園の中にフリーメーソンのシンボルマークが刻まれた石碑が残っていることから、グラバーはフリーメーソンだったと思われていますが、彼が幕末から維新にかけてわが国の政財界に及ぼした影響力は、今日では想像もできない大きなものがあったようです。73歳で亡くなったときは、時の宰相・西園寺公望をはじめ、政財界のそうそうたる要人が葬儀に参列しています。
「坂本龍馬はグラバーに操られていた」という説は早くから語られていましたが、最近では『あやつられた龍馬』(加治将一・著/祥伝社)が大変説得力のある検証を行なっています。こちらはミステリー小説のようにワクワクしながら読めます。お勧めの本です。
さて、ここにご紹介したジョン万次郎は、元は土佐の漁師だった人物ですが、若い頃に海で遭難したところをアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカで暮らすことになるのです。その後、幕末のペリー来航の前に日本に帰国して、英語が話せることから重要な活躍の舞台を与えられます。坂本龍馬は、同郷ということもあってこのジョン万次郎にもさまざまな影響を受けたと見られているのです。この本を読まれると、「陰謀論」に対してアレルギーを感じる方でも、現在の日本がアメリカと同様フリーメーソンの影響下におかれていること、そしてそこに至る歴史的な経緯をご理解いただけると思います。
(なわ・ふみひと)
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