田母神論文-侵略か否かにこだわるほど自虐史観
January 1, 2009
ふたたび田母神航空幕僚長の論文の話。実は、私はこの論文を自分の声で朗読し、バックにNHK大河ドラマ「風林火山」の千住明の音楽に合わせてビデオでも作ろうとしていた(笑)。だから、何度も何度も暗記できるほど、この論文を読ませていただいた。正直言って、もうすでに暗記してしまった(笑)。
「アメリカ合衆国軍隊は・・・これをアメリカによる日本侵略とは言わない・・・」何度も読み進めていくうちに、どうも言い訳がましい文章だなと思い始めた。そして徐々に、私は「日本が大陸を侵略したか、しなかった」なんてどうでもいいじゃないかという感想を持った。さらに最終的には、日本が大陸に侵攻しアジアを征服したことこそ日本人の歴史的偉業であり、それを現在に生きる日本人は誇りとすべきだという確信に至った(笑)。
日本人の多くが「侵略か否か」にこだわるのは、中国に事あるごとに「日本は中国に侵略した。侵略したことを認めよ」と繰り返し非難されてきたからであって、その中国の言う「侵略」という言葉の裏には、中国自ら行っているチベット・ウィグル・内モンゴルへの本当の侵略(武力侵攻と略奪)を正当化し、さらには日本の過去の揚げ足をとってあげつらうことによって、日本からの中国に対する非難をかわすことにあるのだ。であれば、中国に対しては「お前らが主張するような略奪なんてしてないぞ。お前らがチベット・ウィグルでやっているような人道に反する民族浄化など毛頭やってはいない」と反論すればよい。それでも五月蝿く言うのであれば、「ウルサイ、黙れ。70年も昔のことでウダウダと、なんとも女々しい奴だ。味噌汁で顔でも洗って出直せ」と一喝してあげればよい。少しは日本人に図太くマッチョな性格(男らしさ)が必要だと思う。
「日本が侵略国家だったか否か」といった議論はあまりにくだらない。たとえ「侵略」の要素が少しばかりあったとしても、そのことで周辺のアジア諸国に対して謝罪する必要もないし、また日本人が少しも負い目を感じることは毛頭ないのだ。眼を日本から外へ向ければ、東ヨーロッパ・バルカン半島にマケドニア共和国という国がある。マケドニア人はかつてペルシャ東方遠征を行った古代マケドニア王国のアレクサンダー大王(紀元前336 – 紀元前323)を民族の偉大な英雄として称えている。マケドニア人たちはアレクサンダー大王の話になると眼を輝かして古(いにしえ)の侵略の歴史について語り始めるのだ(笑)。しかしながら、実はアレクサンダー大王はマケドニア人ではなくギリシャ人であったのだが・・・(笑)。
またフランスの英雄ナポレオン・ボナパルト(1769- 1821)などはヨーロッパを征服し、さらには広大なロシアの奥くまで進撃しモスクワまで占領した。これがナポレオン戦争であり、ナポレオンが征服したヨーロッパでは王政を倒し、ヨーロッパの諸民族にフランス革命の理念である自由・平等・博愛の理念をばら撒き、のちに諸民族が民族主義国家として成立していく近代の歴史的偉業を達成したのである。
日本人の多くの人たちも、アレクサンダー大王とかナポレオンを歴史的英雄と認めるでしょ?であれば、なぜ、その同じ日本人が、欧米列強によって植民地とされ過酷な搾取が行われていたアジアを征服し大東亜共栄圏を築き、アジア人を白人たちの植民地支配から解放し、アジア人としての誇りと勇気を与え、民族自決の精神を根づかせた日本人の先人たちを誇りに思い、英雄と呼ばないのか!?日本人が築いた大東亜共栄圏という新秩序は、アレクサンダー大王の東方遠征やナポレオン戦争と匹敵するほどの歴史的偉業だったのだ。実は中国もアメリカも、日本人がこの大東亜共栄圏という歴史的偉業について誇りはじめることを一番心配しているのだ。「正義」を振りかざし自らの暴力を正当化してきたアメリカにとってはきわめて都合が悪く、またアジアのリーダーに君臨したい中国にとっては「アジアを解放したのが日本」となってはまた困るのである。だから、アメリカも中国もアジア各地で「日本は60数年前の侵略戦争のために嫌われている」というプロパガンダを流し続けてきたのだ。
なぜ、多くの日本人は「侵略は悪い」とか「戦争は悪だ」とか言いつつも、NHK大河ドラマの信長・秀吉・家康の「国取り物語」や武田信玄の「風林火山」をウキウキした気持ちで毎週観ていたのか!「侵掠すること火のごとし」などいう文句は日本ではすでに放送禁止用語ではなかったのか!(笑)実は人間というのは、特に男性にとって戦争での英雄の「勇ましい」姿は、ある種の人間が本来生まれ持っている「本能」をくすぐるのである。五月人形を見てみよ。鎧・兜を身に付け、キリッとした眉と鋭い眼光を持つ男子の顔に私たちは何を感じるだろうか?五月人形の持つ「勇ましさ」に自分の子供も「この武者のように勇ましくあれ、強くあれ」との親の願いが込められている。なぜ人々は、戦国武将の馬に跨った勇ましい銅像の駅前に立てたりするのだろうか。勇壮な武将の姿が町の誇りであり、郷土の自慢だからに他ならない。ならば、戦後行われてきた「平和教育」とやらは何だったのか。「戦争は悪いことです」「人殺しは絶対に駄目です」「暴力はいけません」「過去の過ちを反省しましょう」「日本人は過去に悪いことをしました」「軍国主義はいけません」・・・。これらの言葉が、子供が生まれながらにして持っている「勇敢さ・勇ましさ」への憧れをすっかり奪っていったのではないか。だから、いまの日本人、特に20代は小粒ぞろい、器が小さすぎる。日本は上から下までネズミの心臓・ノミの脳みそを持った奴ばかりだ。日本人は過去の戦争にもっとロマンを持って語っていいんじゃないか。おそらく反日左翼と中国・朝鮮は、「歴史を美化するな」と言うだろうが(笑)。それは彼らのやっかみというもの(笑)。そもそも人類の歴史など、その大半が戦争の歴史である。食うか食われるか、凄まじいほどの弱肉強食が繰り返されてきた歴史であり、そしてその弱肉強食は決して過去のものではなく今も続いている。その弱肉強食を戦いぬく「勇ましさ」と「たくましさ」を今の日本人は取り戻さなければならない。戦争でたった一度だけ負けたぐらいでうつむいている暇なんてないぞ。「次回は世界を征服してやるぞ」ぐらいの強い気概を持とうじゃないか(笑)。
私は思う。現在、田母神論文をテーマにメディアで議論している政治家もコメンテーターも右と言われる人も左の人も、実は平和教育によって洗脳された自虐史観を引き摺っているのではないだろうかと。「日本がかつて侵略国家だったか否か」なんて議論なんてする必要なんてないのだと。そして、もし中国が執拗に「侵略を認めよ」と言ってきたなら、日本人は地球儀を撫でながら語ればよい。「こんなに広大なアジアを侵略した日本の先祖はなんて偉大なのだろうか」と。それだけで、中国の執拗な追求は一瞬にして収束する。06年8月15日に小泉純一郎元首相が靖国神社へ堂々と参拝したときのように。
疾きこと風のごとし
徐かなること林のごとし
侵掠すること火のごとし
動かざること山のごとし
平成21年 いまだ元旦
多摩川競艇
TAMAGAWABOAT
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Entry Filed under: Blogroll, COMFORT WOMAN, History, Japan, Nanking Massacre, Rape of Nanking, WW2, Yasukuni. Tags: 田母神論文, 自虐史観, tamogami, 歴史観, 歴史認識, 侵略国家, 侵略戦争.
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1. 田母神論文-これは誰かの策略なのか « as subjectively as possible | January 1, 2009 at 4:59 pm
[...] 田母神論文-侵略か否かにこだわるほど自虐史観 « as subjectively as possib… – January 1, [...]
2.
日本国籍華人 | January 1, 2010 at 10:56 am
日本の友人が南京大虐殺犠牲者の慰霊法要
日本の友人、古川龍樹さん一行11人は10月9日、南京で法会を行い、南京大虐殺の犠牲者を慰霊した。
古川さんは熊本県生命山シュバイツァー寺の住職で、日本と中国の友人と共に南京大虐殺記念館を訪れ、犠牲者の慰霊法要を行った。
古川さんは、日本の民衆が自ら南京を訪れ、この都市が受けた苦しみと悲しみを感じることを希望しており、悲劇を繰り返さないために、われわれは微力ながら中日友好のために努力し、中国人民との友誼を子々孫々伝えていきたいと表明した。
記念館の朱成山館長によると、古川さんは9月初めに記念館に訪問を申し込み、その中で次のように述べた。日本国民一人ひとりが戦争の真相、悲惨な歴史を真剣に理解し、過去を反省しなければ、真の中日友好を築くことはできない。過去に目を閉ざすなら、未来に対しても目を閉ざすことになる。われわれ日本人には知らなければならない真相があり、謝罪と反省を踏まえ友好関係を築かなければならない。
朱館長によると、古川さんの家族と中国との関係は1980年代から始まった。当時、龍樹さんの父親、泰龍さんが宗教人として訪中して交流した。その後20年近く、古川さんの家族は記念館を10数回訪れ、慰霊祭を行った。
龍樹さんの姉の龍桃さんは次のように語った。記念館に何度も来ており、そのたびに心が痛み、悲しくなり、平和の重要性をより一層深く意識する。われわれの実際行動が広がり、より多くの日本人が歴史を直視し、歴史を銘記するようになることを願っている。
1937年12月13日に日本の侵略者は南京を占領し、中国の市民と捕虜30万人以上を虐殺した。このことは極東国際裁判と南京の戦犯軍事法廷で法定事実として認定された。
3.
日本国籍華人 | January 1, 2010 at 3:44 pm
小泉首相の靖国参拝問題について 王毅大使がメディアの質問に回答
2005/10/24
小泉首相が靖国神社を参拝してから、日本のメディアは一様に関心をし、いくつかの問題を提起している。そのことについて、王毅大使は次のように語った。
一、小泉首相が靖国神社に参拝し、中国側が強く反発しています。「適切に判断する」と繰り返してきた首相の今回の靖国参拝について、改めて見解をお聞かせください。
靖国神社問題の核心は、A級戦犯が祭られていることです。
33年前に中日が国交を回復した時、日本政府が、かつての侵略戦争の責任を痛感し、深く反省すると表明しました。それに対して、中国政府は、あの戦争の責任が少数の軍国主義者にあり、普通の日本国民も被害者であったという立場をとりました。。それをもって中国は戦争賠償の請求を放棄し、両国の国交が回復できたわけです。これは両国関係の原点とでも言えるでしょう。
いわゆる少数の軍国主義者は誰であるか、時の軍部の責任者で、東京軍事裁判でA級戦犯として裁かれた人々がその象徴的な存在であります。彼らはほとんど対中侵略戦争に深く関わり、例えば、うち4人が関東軍参謀長であり、3人が何々方面軍の司令官をも担当していました。その戦争の中に、数え切れない中国人が苦しめられ、殺されていました。
A級戦犯が靖国神社に祭られている以上、日本の総理大臣が参拝しに行くと、客観的な結果、あるいは対外発信として、あの戦争の正当化、A級戦犯の美化ということになります。日本の総理大臣は国の代表であり、私的参拝と言おうと、参拝の形式を変えようと、その政治性が否定できるものではないし、日本政府として、あの戦争に対して、どういう態度をとるかの象徴となります。そして、靖国神社自身は明らかにかつての日本対外侵略を肯定し、A級戦犯たちを賛美する立場、いわゆる“靖国史観”をとっています。日本の最高責任者が参拝すると、靖国神社の政治姿勢と歴史観に同調すると思われても仕方がありません。
私たちは小泉首相の今年8月15日の「歴史を反省する」談話を評価しております。しかし、靖国参拝という行動で自分の述べたことをみずから否定しているように見えます。アジア近隣諸国はその参拝の行為を見て、本当に日本が誠意を持って先の戦争を反省しているのかと疑わざるを得ません。ことに、今年は戦後60周年という敏感な年であり、日本の指導者があえてA級戦犯が祭られている靖国神社を参拝したことが、戦争被害国の国民の心、とりわけ最大の被害国、中国国民の心をもう一度深く傷つけたことになります。
二、一部の日本人は、中国が政治的目的をもって、首相の参拝に反対している、A級戦犯の問題が解決されたとしても、中国側がまたB、C級の責任問題を持ち出す、あるいは、靖国問題が解決されても、中日関係が大きな改善が見込めないと見ています。それについて中国側がどう考えていますか?
率直に言って、それらの疑念にはいろいろな誤解があるか、一部の人がわざとそのような論調を持って、靖国参拝に固執するための理論付けをしようとしています。中国は1985年、A級戦犯が靖国神社に祭られているのが世界に知られた時から、日本の指導者の靖国参拝に反対してきました。時は冷戦下で、“中日蜜月”と言ってもよい時期でした。この中国の立場が今日まで、いささか変わっておりません。どうしていまになって、政治利用になったというのでしょうか。
B・C級戦犯の問題については、中国側がずっと外交問題にしなかったのです。中国は建国当時、約千名近くのそういう戦犯を旧ソ連から手渡され拘留したが、当時、中国の指導部の意志で人道的な待遇を与えたわけです。そのとき、中国はまだ貧しく、ご飯をまともに食べられなかったが、しかし、日本人がお米が好きだということで拘留所の中国人のスタッフがまずい高粱を食べて、貴重な米を日本の戦犯に食べさせました。そして彼らにあの戦争の侵略性と残虐性を認識させるのに努めました。彼らの多くは、それによって自分が鬼から人間に復帰したと感想を述べています。1959年から1964年にかけて、われわれはすべてのB、C級戦犯を釈放し、日本に帰国させました。ですから、A級戦犯の問題が解決されても、またB・C級戦犯のことを持ち出すという言い方がまったく根拠がないし、中国側の政策でもないのです。
当面、中日関係はいろいろな問題が存在しております。しかし、靖国参拝問題が中日関係を影響する最大な原因であることを中国の国民が一般的に認識しております。言い換えれば、靖国問題が中日関係全般を妨げるネックとなっております。この問題を乗り越えていけば、中日関係の雰囲気が一挙によくなり、両国政治関係が全面的に改善され、指導者の間の基本的な信頼も回復され、トップ級の会談あるいは相互訪問にもつながっていきます。そして、一連の具体的な問題の解決の糸口も見出されるでしょう。
三、先日の小泉首相の靖国参拝は中日関係にどんな影響を及ぼすと考えていますか?
すべての隣国との善隣友好関係を目指すのは中国外交の基本方針であります。中国政府と歴代の指導者が、日本を最も重要な隣国の一つとして、ずっと重要視し、両国関係を大切にしてきました。さきの戦争が終わって60年もたった今、われわれは歴史問題が再び両国関係の障害になることを目にしたくありません。“歴史を鑑にし、未来に向ける”という、つまり前向きな方向を再三提唱しています。
今年は戦後60周年に当たり、靖国神社問題は今まで以上に敏感になっています。日本国内の多くの民衆、中国をはじめアジアの隣国の国民が今年こそ参拝に行かないように、8・15の反省の談話の精神を行動をもって示されることを期待していたのです。しかし、首相のいわゆる「適切判断」が靖国神社への再度の参拝でした。日中友好を重視すると再三表明されていますが、あえて13億の中国国民の最も目にしたくないことをして、その悲惨な戦争の記憶をもう一度思い出させることが、隣の国の民衆が喜んで受け入れることが到底できないのです。そして、参拝その日の朝、ちょうど中国の有人宇宙船「神舟六号」が成功裏に帰還されるときでした。中国が国民こぞって祝っている最中、世界各国から祝賀を送られている中で、隣人の日本からの「プレゼント」は、なんと靖国参拝でした。参拝自体が33年前の中日国交正常化の原点が覆されそうになりますので、いろんな意味で両国関係にマイナスな影響を及ぼすことになるでしょう。
四、今後の日中関係の発展のキーワードは何ですか、いかに日中関係の困難な現状を打開し、回復させるでしょうか?
まずはやはり日本の指導者の靖国神社参拝と言うネックになっている問題を善処する必要があります。中日関係がいわば二度目の関係正常化が必要になっていると語る人がいますが、私はやや同感です。要するに戦後の中日関係回復の原点をもう一度振り返り、その原則にのっとり、未来に向ける新しい中日関係の枠を作ることです。
そのもとで、私はさらに次のいくつかの努力を払う必要があるように思います。
一つ目は、新たな相互理解を深めることです。国交正常化33年来、中国と日本はともに大きく変化しました。また古いイメージで相手国を判断したら、ややもすれば間違いになります。お互いに相手の変化を正確に認識し、新たな相互理解を作ることが非常に大切であります。
二つ目は、戦略的判断を間違えないことです。長い目で見れば、中国の発展は日本に対し脅威にならなく、日本も中国の脅威ではないと思います。双方はいっそう信頼関係を増進し、友好協力を深める必要があります。
三つ目は共同利益を探求し、絶えず拡大することです。新しい時代において、中日の間にはさらに新たな共通利益を見出せると思います。たとえば、双方が環境保全や省エネなどの分野で協力を強化し、共同発展と繁栄を図っていくとか、朝鮮半島非核化の実現、核問題の平和的解決のために協力し合い、さらに北東アジアの恒久平和を築き上げていくことがあげられます。そして、中日はともにアジア地域協力を推進し、東アジア共同体とアジア一体化を実現させる責務があります。
五、これからはアジアの時代だと言われますが、日中両国はアジア地域協力の主導権を争っているとの見方もある。この問題についてどう見ていますか。
確かにアジアの地域協力は歴史的発展のチャンスを迎えています。東アジアがその中で大きな役を演じるでしょう。そして、ASEANがその協力の重要な推進力である一方、東アジアのGDPの87%を占める北東アジアが、成否の鍵を握っていると言えるでしょう。中、日、韓三カ国の協力が非常に大切になってきます。
中日が東アジア地域協力で主導権を争うとは思いません。まず、中国はASEANが引き続き主導的役割を果たすことを支持します。それと同時に、日本が東アジア地域協力にもっと貢献することをわれわれが歓迎し、むしろ、もっと日本が建設的な役割を果たすよう期待しております。中日両国はそれぞれ強みを持ち、互いに補完し、力を合わせ、共に利益を獲得することが十分可能です。また、アジア地域協力のプロセスは開放的になるべきであり、地域内の協力を構築するとともに、アメリカを含め、数多くの域外の関係国との緊密な対話と必要な協調を続けていく必要があります。みんながwin winすることですから、主導権争い云々の話は切り捨てるべきだと思います。