頑張ろう中学受験・高校受験

2009-06-27

国立大附属校についての個人的な見解

6月17日に書いた「東京学芸大学附属高校・筑波大学附属高校を志望して大丈夫?」の記事に対して、様々な反響が寄せられています。

「その通りだ」といったご感想もある一方で、取り上げた学校関係者からの記事への否定的なご意見・ご感想が目立ちました。ここで改めて、私の見解を述べたいと思います。


1.国立大学附属校の存在意義

初等教育校及び中等教育校には大きく分けて「私立」「公立」「国立」の三種類があります。私立が建学の精神に存在意義を求め、公立が国民への教育機会の提供にそれを求めるのに対して、国立は異質の存在意義を持ちます。国立には、教育実習生が実習する場の提供と、新しい教育に関する試みを実験する実験校・モデルとしての役割があります。

すべての国立附属校がそのような実験校的役割を担っているわけではありあません。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校のように、「音楽専門家育成のための早期教育の推進」を存在意義とした、音楽エリート育成校のような学校もあります。

ただし、このような国立エリート教育校は例外的で、一般に国立大附属校といえば、上述のような実験校として設置されているのです。

国立大附属校で得られた教育成果は、一般の公立校に広められます。図式としては以下のようなものです。


国立大附属校(筑波大附属・学芸大附属etc…)でAという教育成果

Aを一般の公立校(私立校)に広める

国全体の教育が良くなる

このように、国立大附属校というのは、教育実験校として様々な試みをおこない、その成果を全国の公立校に広め、国全体の教育を良くしていこうという目的で設置されているわけです。


2.教育実験校の受験エリート校化

教育実験校としての国立大附属校は、ほとんどがエリート校化してしまう運命にあります。受験業界に携わっていれば、その実態はよく知っているでしょう。

東京では私立中受験が過熱していると言われますが、大手塾の公表する入試偏差値のトップは私立中学ではなく、国立筑波大学附属駒場中学校です。

筑波大学附属中学校東京学芸大学附属の各中学校お茶の水女子大附属中学校も一流の難関校として扱われています。大手進学塾のチラシには、有名私立中学と共にこららの国立中学校合格者数が誇らしげに並べられています。

高校受験においても、国立大附属校は“超”難関校として扱われています。教育実験校の国立大附属校に入学するのは、中学受験勝ち組と、高校受験学力トップ層なのです。

3.大正自由教育から見るエリート校化の弊害

教育実験校がエリート校化すると何か悪いことがあるのでしょうか。前述の通り、教育実験校で成功した試みは、公立校に広められます。

しかしながら、経済的にも富裕な学力トップ層の集まる教育実験校で成功した試みが、多様な生徒層の集まる公立小中学校や、一般的な公立高校にも通用するかといえば、なかなかそうはいきません。

国立大附属校には、学力中〜下位層はほとんどいません。まして東京学芸大附属や筑波大附属は附属中学の内進生の学力下位層を切り捨てるので、残るのは日本でトップクラスの高学力な生徒です。

学力トップ層の集まる国立大附属校では、しばしば教育関係者を集めた研究授業が実施され、素晴らしい授業を実施する先生がいます。このような授業を教育関係者に見せることによって、一般の公立校の授業改善に役立てようとするわけです。しかしながら、それは学力トップ層ばかりが集まるから可能であって、一般の公立校では厳しいのではないかという授業が散見されるのも事実です。

あまりにも国立大附属校の生徒の学力が高すぎて、果たしてそれが一般の公立校の授業改善に役立つのか疑問な場合が多いのです。

古い話になりますが、大正時代に大正自由教育運動という教育運動が起こりました。大正自由教育とは、簡単に言うと子供の自主性を尊重し、個性を伸ばす教育をしようという、戦後の「ゆとり教育」とほぼ同じ理念教育方法です。

大正自由教育運動大正デモクラシーの風潮も後押して急速に広まります。初めは教育実験校である国立大附属校や私立学校で実践され、それが大成功を収めたとして、公立学校にも導入されました。

ところが、公立学校で導入された途端、国立大附属校や私立学校では起こらなかった様々な問題が起こるようになります。公立学校の生徒の学力が急落し、教育現場は大混乱。休校に追い込まれるほどの公立学校も出る事態でした。

どうして国立大附属校や私立学校で問題なく成功した大正自由教育が、公立学校では失敗したのでしょうか。最大の理由は、生徒の自主性や主体性を前面に打ち出す大正自由教育は、大正国立大附属校や私立学校のような学力レベルの高い子供が集まった学校だからこそ成り立ったのであって、学力上位層から下位層まで幅広い層の集まる公立学校では、成功するはずがなかったのです。大正自由教育というのは、限られた一部のエリート校でのみ可能な教育法だったわけです。

エリート校化した国立大附属校で成功した教育法を一般の公立学校に広めるのには無理があるということです。


4.“平成大正自由教育ゆとり教育の失敗と学芸大附属・筑波大附属の罪過

失敗した大正自由教育と同様の理念を持つ教育が、戦後平成時代になって導入されることとなります。いわゆる「ゆとり教育」です。

ゆとり教育の提唱は、それ以前から日教組を中心にされていましたが、実質的ゆとり教育の導入が、2002年より始まった新学習指導要領です。

学習内容や授業時数の削減、週5日制実施、総合学習の導入、絶対評価の導入、自主性や主体性を重視した学習などが、2002年の新学習指導要領で謳われ、全国の公立学校で実施されます。

ゆとり教育については、導入以前から学力低下や公立離れの懸念など様々な批判がありました。多様な学力層の集まる公立小中学校で、そのような理想的教育が可能なのかという議論がありました。

そこでまずはじめに、教育実験校である学芸大学附属や筑波大学附属にて、ゆとり教育実験的導入されます。学芸大学附属や筑波大学附属で推進されたゆとり教育は「成功」し、それを根拠にゆとり教育が全国的に展開されたわけです。

しかし、国立大附属校は大正時代以上に超エリート校化しています。一般の公立学校とは、生徒層があまりにも乖離し過ぎています。

学力トップ層の集まる学校では、ゆとり教育理念にあるような教育法が成功します。戦前大正自由教育が国私立校だけで成功したのも同じ理由です。

大正自由教育にしても、ゆとり教育にしても、国立大附属校がエリート校化してしまったが故起きた悲劇とも言えます。

教育実験校のエリート校化は、日本教育界にとって百害あって一利なしなのです。


5.既成事実化した教育実験校の超進学校化 勘違いする保護者と受験生 

教育実験校のエリート校化の弊害を述べてきましたが、教育実験校のエリート校化がやがて既成事実化すると、進学志向・学歴志向の強い保護者や受験生がますます教育実験校である国立大附属校に集まるようになり、超進学校としての側面を強めていきます。

殊に東京では、1967年に実施された都立高校学校群制度都立進学校が没落し、学力トップクラスの受験生都立進学校の代替として、学芸大学附属高校、東京教育大学附属高校(現・筑波大附属高校)、東京教育大学附属駒場高校(現・筑波大附属駒場高校)といった国立大附属校に集中するようになります。

東京大学合格者数の推移を見ても、学校群制度後に都内国立大附属校の東大合格者数が急増していることが分かります。学習塾においても、合格してもどの高校に振り分けられるか分からず、進学実績が落ちる一方の都立校よりも、国立大附属校の合格実績のほうがアピールできるため、大手学習塾を中心に優秀な生徒には国立大附属校を勧めるようになりました。

中学入試においても、進学実績を急上昇させる国立大附属校は注目されました。もともと学力優秀層の受験校として人気でしたが、学校群制度導入後の進学実績上昇で、ますます受験熱が過熱しました。

教育実験校であることを理解せず、受験指導を期待して入学させる保護者も増えていきます。学習塾も、東大を狙うなら国立大附属校という受験指導をするようになります。受験生も、突出した国立大附属校の実績を見て、最難関大を狙うなら国立大附属が一番と思ったことでしょう。教育実験校であることは忘れ去られ、超進学校であることばかりが注目されたのです。


6.抽選制度の導入と廃止の背景 

国立大附属校の受験熱が過熱すると、教育実験校の超進学校化の矛盾が指摘されるようになりました。以下は、サンデー毎日1981年4月12月号からの引用です。この記事では、「10人に7人を東大生にする筑駒秘密」という題名で、東大合格日本一となった筑駒や、同じく急上昇した学芸大附属の実態を書いています。

筑駒国立の付属高校だから、教育研究教育実習の二つの柱が設立の基本になっている。優秀な生徒ばかり集めて教育するだけでいいのか、という疑問はかねてからあった。そこで、五十三年度の入学生から、中学、高校とも抽選制を導入した。いずれも、抽選で受験生を半数程度に減らした上でペーパーテストを実施するものだ。しかし、高校は、五十五年度で抽選制を廃止した。「高校は義務教育ではないので、希望者に受験の道を閉ざすのは望ましくない」との声が強かったからだという。

進学校化の批判に対して、国立大附属校は、超進学校化を防ぐという名目で、相次いで抽選制度を導入します。筑波大学附属駒場高校の場合は、抽選で受験生を半分にまで絞ることで、超進学校化の批判をかわそうとします。

しかし、やがて抽選制度は縮小されたり廃止されることになります。筑波大附属駒場高校の場合は、わずか導入した2年後には高校入試の抽選制を廃止します。

理由は「受験の道を閉ざすのは望ましくない」という「声」があったからだといいますが、問題はその「声」とは誰の声であるかということです。

この「声」というのは、都立進学校の代替としての国立大附属校の存続を望む保護者や受験生の声と、筑波大学附属駒場高校の教員の声です。

進学校を望む保護者や受験生にとっては、かつての安価都立進学校が没落した今、国立大附属校はその代わりとなる貴重な学校ですから、「進学校」である国立大附属校の抽選導入には当然反対します。

また、高校教員としても、優秀な生徒を教えたいですから、抽選制度導入には否定的です。都立名門校教員の多くが学校群制度に反対し、導入後に都立高校から去っていったのは、学校群制度の導入により入学する生徒の学力が大きく下がり、今までのようなアカデミックで高度な授業ができなくなることへの危惧や失望からでした。都立名門校教員が相次いで予備校講師転職したのも、優秀な生徒を教えたかったからでしょう。優秀な先生ほど、優秀な生徒に教えたいという願望を持つものなのです。

教育実験校の超進学校化が既成事実化すると、教育実験校の教員でさえも、教育実験校の超進学校化を否定的に思わない人が増えたのです。


7.独立法人化に際しての国立大附属校廃校

1970年代80年代前半に指摘された教育実験校の超進学校化問題は、入試での抽選制度導入でとりあえず「解決」したことになり、その後にこの問題を指摘する人はいなかったわけではないですが、大きく取り上げられることはありませんでした。

しかし、東京では1970年代革新知事美濃部亮吉知事が、導入当初から問題山積みであった学校群制度事実上放置し、都立高校の進学実績はますます後退。都立の後退に反比例して「進学校」である国立大附属校の人気は、抽選導入後も下がるどころかますます上がっていました。入試への抽選制度導入は、まったくもって超進学校化の解決にはならなかったのです。

国立大附属校のエリート校化が再燃したのが、国公立大学の独立法人化問題です。国公立大学の独立法人化の検討の際、再び国立大附属校の存在意義、エリート校化の矛盾が話し合われました。

2001年に実施された、国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会から引用します。


第十二回

【委員】

附属学校の役割はもう終わったのではないかと感じている。教員養成学部における教育研究の場としての学校は、附属学校という特別なものである必要はなく、研究教育の両面を受け入れられる体制があり、大学教員学生がもっと自由に出入りできるような仕組みがあれば、公立学校や私学であってもよいのではないか。

また、エリート教育については私学に任せても良いのではないか。むしろ、公立学校や私学では対応しきれないような引きこもりの児童生徒の教育国の責任において行う。そのような学校こそ必要なのではないか。

【委員】

この議論のきっかけが、附属学校エリート校化という社会の批判から起きているのではないかという懸念がある。事実としてそのような学校もあるのだろうが、それには長い歴史があってそのようになってきたものである。そのようなところでは、体質改善にしろ、学校自体の存廃にしろ、その学校が自主的に取り組んでいけるようにしなければならず、まわりから壊すことは適当ではないのではないか。社会の批判だけを背景に、附属学校そのものの存続や意義について議論して良いのだろうかという疑問がある。

また、附属学校の中でも養護学校は重要である。養護教育は採算性の観点から私学では対応がむずかしい。養護教育、特殊教育の在り方は国だからこそできる研究領域のひとつではないだろうか。さらに、引きこもり不登校といったむずかしい問題を抱える子ども達がいる中で、不登校の児童生徒がいるからカウンセラーを配置するのではなく、不登校の児童生徒のための教育を行う学校が必要なのではないか。そういった教育的に恵まれない子ども達に積極的に目を配る教育こそ、国が担うべき役割である。さらには、理科離れや文字離れへの対応なども重要な課題であり、これからの附属学校はそういった分野に力を注ぐべきではないか。そして、そのような学校であれば、現職教員の再研修にも意義のあるものとなるはずである。

【委員】

直接又は間接的に国の政策提言に繋がるような実績が、附属学校に今まであったのかという疑問をもっている。例えば学級定数の規模の在り方に関するデータ日本中のどこにもない。これは世界的にも少ないデータであるが、附属学校ならこの何十年間でできるはずだったのではないか。附属学校に対する様々な批判には、誤解されたようなイメージも混じっているのかもしれないが、少なくとも批判が先行するようでは国立学校としての存在意義に関わるのではないか。

十三

○とりわけ附属学校サイドは、大学、学部から切り離されることに対しては強い

 抵抗を示していることが先程の調査でも伺える。そのことと関わって教育実習

 を附属学校で引き受けることに対する積極姿勢がみられるし、そのことが入学

 者選抜において一定の学力以上の子供を受け入れなければ教育実習に耐えられ

 ないという理由設定につながっている。要は当事者側からすると今の学校の存

 続を図ろうという意識が教育実習を基に強く示されていると捉えることができ

 る。問題は、それでは教育実習の効果がどれほど附属学校において果たされて

 いるかについて、先行研究においても必ずしも明確になっていないところであ

 る。

 (中略)むしろ附属学校が果たすべきは資料8にもあるように、より公立学校

 で取り組むことが困難な課題について研究教育をしていくところに置かれるべ

 きだろうと思う。したがってその観点にたった入学者選抜や学級編成の仕組み

 が考えられるべきだろうと思っている。

教育実習に附属学校が果たしている役割はもうきわめて小さいということであ

 るが、運転免許になぞらえるとよく分かると思うが、附属で3年の時に教育

 習をする。そこで基本的なことを学んで4年で公立学校で実習をする。まさに

 路上運転の練習をするわけである。そのように考えてみると、必ずしも附属で

 実習をすることが必要ないのだということにはならないのではないか。

○附属をこれからどうするかについては、必要最小限にして縮小または廃止する

 べきと考える。ただし、資料8にもあるように、特殊教育学校についてはこれ

 まで果たしてきた成果とこれからも教育に関して先導していくことを考えた時

 に不可欠であると考える。

大学研究について附属学校は必要がなく、実習についても公立に任せれば良

 いのだという考えならば、もう廃止すれば良いのであって、本当に廃止した時

 に困ることがあるのかどうかという焦点化した議論をしていく必要があると思

 う。

引用が長くなってしまいましたが、附属校の今後の在り方について様々な議論がされています。

第十回では、国立大附属校のエリート校化について「長い歴史があってそのようになってきたものである」と、エリート校化が長い年月を経て既成事実してしまったことを認めています。そして、入学者選抜の改善などについても話し合われています。国立大附属校の廃校論が国会で出たこともありました。以下は平成19年05月17日

に実施された「教育再生に関する特別委員会」の議事録からの引用です。

 

○田島(一)委員 

次の質問に入りたいと思いますが、国立大学附属学校の実態についてであります。先ほど申し上げました教育実習の問題とも重複するところがあるわけですけれども、教員養成課程の大学にはすべてこの附属学校が設置されています。養成課程以外にも設置されているケースがあるわけですけれども、現在の国立大学の附属学校はまず何のために設置をされているのか、概念として整理をしたいので、冒頭御説明をしていただきたいと思います。

清水政府参考人 附属学校設置の目的というお尋ねでございますけれども、附属学校は、教員養成大学・学部等に附属して、まずは、大学学部の教育に関する研究に協力するということが一点目、そして学生教育実習の実施に当たるということを目的として設置されております。

 そのほか、各附属学校それ自体として、それぞれの学校研究課題を設定して、教材研究あるいは授業研究を中心とする研究活動を進め、そしてその成果を他の公立学校等に、地域学校等に提供する、こういう役割を担っております。

(中略)

○田島(一)委員 生徒の様子を観察することから始まって、自分自身の課題を研究する、その舞台が附属学校だという御回答を今いただきました。もちろん、その状況の中で設置をされていることは目的の中にも盛り込まれている話であります。

 しかし、本当に学生たちが生徒たちの様子を観察したり自分たちの研究テーマを深掘りするステージとしてふさわしい舞台かどうかを、もう一度これは考えなければならないと私は感じております。

 前回の委員会での質問の折に、私は、参考資料として、進学教室が発行している私立、国公立の中学校入試偏差値の一覧表をお配りしたと思います。あの中で、国立大学の附属中学校は、押しなべて高い、一、二の偏差値を示す学校として位置づけられておりました。レベルが高い、いわゆる頭がよくなければ入れないという位置づけで今日の国立大学附属学校は一般国民にも認識をされているところであります。

 教員養成課程ではない大学の附属であります筑波大学附属駒場中学校に至っては、首都圏に限ってですけれども、私立の御三家と言われている開成、麻布等に並ぶ、もしくはそれ以上の難易度を示しているという学校になりました。ふたをあけてみると、いわゆる首都圏内の一番優秀な児童が集まってきている学校として今もなおあり続けています。

 それだけ優秀な子供たちが集まっている学校で、それ以外の教員養成課程でもそれに準じたような傾向が見られますが、優秀な子供たちばかりが集まっているところが、果たして子供たちの様子を観察したり教育研究をしたりするステージとして本当にふさわしいのかどうか、この点をもう一度私は考えなければならないだろう、教育改革と言う前に、前提として、私は直さなきゃならないんじゃないかなと考えますけれども、いかがでしょうか。

清水政府参考人 御指摘の事例は、必ずしも、附属学校全体を通じての傾向であるのかどうか、いささか、若干疑念もないわけではございませんが、まず一般的に、いろいろ事例を挙げられたわけでございますけれども、学校で、いわゆる御指摘にありました偏差値というのは、ある意味ではどういう生徒が志望しているかという実態をあらわしているものだろうと思っております。

 附属学校は、先ほど申し上げましたように、筑波大学附属駒場高校でございますと例えばスーパーサイエンスハイスクールとか、そういう形で、いろいろな形で、実習生を受け入れるだけではなくて、スーパーサイエンスハイスクールの指定を受けて、先駆的科学技術者を育成するための中高一貫カリキュラム研究、教材開発、そういう実験研究の性格を担ったりしております。

 それぞれの学校はそれぞれの地域において、歴史と申しますか伝統と申しますか、そういう形で、ある意味での評価、人気というのも非常にございます。そして、先ほど申し上げましたような実験研究校、教育実習校としての性格という部分で、その役割を恒常的に果たしていくために一定の学力が求められるという現実もございます。

 そういう意味で、一般的にとは必ずしも思いませんが、それぞれの地域内において比較的そういう学力が高いと言われる児童生徒が集まってくる可能性というのは否定できないわけでありますけれども、それは結果としてということであろうというふうに思っております。

○田島(一)委員 局長、その答えはちょっと無責任ですよ。現実にその実態をつくっているのは学校側の責任じゃないですか。高等教育局としてそういう実態は仕方がないとおっしゃっているけれども、では、どうして入学試験というのを実施されるんですか、中学校で。抽せんだけにすればいいじゃないですか。

 試験科目をごらんになられましたか。算数の科目、確かに難問奇問はありません。しかし、あの制限時間の中ですべて解ける子供が本当にいるのかなと思うくらい、すごいボリュームですよ。一度ぜひ、いらっしゃる方々も入学試験の問題をひもといてみてください。中学校の入学試験ですけれども、本当にびっくりしますよ。しかし、それがほとんど解けないと入れない、九割以上解けないと入れないとすら評価をする進学教室なんかもあるぐらいであります。

 頭がよい子でないと入れないというのが国立大学の附属学校だとするならば、今スーパーサイエンスハイスクール指定校とおっしゃいましたけれども、スーパーサイエンスハイスクールは何も筑波大学附属駒場高校だけじゃありませんよ。ほかにも全国にいっぱい公立高校があります。どうしても国立の附属校でしなきゃならないというような問題では何もないんじゃないでしょうか。

 これだけ優秀な子供たちを集めて、エリート育成の研究実験だと堂々とおっしゃるならば、それも一つのあり方かもしれません、実験ですから。しかし、今、現実に附属校のある現状というのは、エリートを養成して東大に何人入れるかみたいな、そういう現状が結果としてやはり出てきている。それがあるから、多くの受験生たちは、私立へ行ける家庭の環境の人たちがどっと押し寄せてきてしまっている。こういう問題が起こってきているわけですよ。

 今に始まった議論ではありません。附属校のあり方については、中教審等ででもずっと議論を続けてこられましたけれども、結論が出ぬまま、ずっと先送りで今日まで来ました。教育改革とおっしゃるならば、こういう現実の問題を解決せずして、私はこれは教育改革と本当に言えるのかな、そう思うわけであります。

(中略)

○田島(一)委員 国立学校設置法の施行規則第二十七条、冒頭、何のために設置しているかというところをひもといていただいたと思います。やはり目的は、児童、生徒、幼児教育、保育に関する研究に協力し、及び当該国立大学または学部の計画に従い学生教育実習の実施に当たることを目的としているんですね。ですから、その教育研究について、男子校でなければならないという理由は示されなければおかしいわけなんですよ。優秀な子供たちを集めなければ研究にならないということを示せなかったらおかしいわけですよね。

 おもしろい例が一つあります。東京大学教育学部附属学校というのがあります。ここは実は実験校として双子研究に随分熱心に取り組まれていまして、双子の児童生徒を優先的にとる。といっても、実は不合格になる、抽せん漏れするケースもあるんですね。そういうふうにわかりやすい研究をされているのであるならば、附属学校としてのレゾンデートルはしっかりと証明されると思うんです。

 しかしながら、偏差値だけはやたら高くする。先ほど大臣は、抽せんでお子さんは入られたとおっしゃいましたけれども、筑波大学附属駒場でも、中学校については競争率八倍を超えれば抽せんにしますとやっていますが、八倍を超えることはありません。受けてももったいないからみんな受けません。ですから、抽せんが行われたのはここ近年一度もないんですよ。ですから、国語、算数、理科社会の四教科の試験一発勝負になるんですね。

 要は、優秀な子しか集めていないという現実を、先ほど申し上げた国立学校設置法の規則の第二十七条に違反しているんだということをしっかり文科省も認識をいただきたいんですよ。それをしないと、今申し上げたように、教育実習の実施もそうです、子供たちの様子の観察や研究についても何一つ、実態と乖離した研究しかできないということを私は認識をいただきたいんですね。

 一般の、それこそ公立の小学校中学校で起こっているさまざまな問題が、同じように国立大学の附属学校で起こっているかどうか。以前、文科省で、大臣にお願いをして学校給食費の未納状況というのを調査していただきました。現場の先生には多くの負担をかけたのかもしれません。しかし、公立の学校では相当数が出てきて、結果、国立ではそういう問題はなかったですよね。それくらい家庭的にも安定をした人たちばかりが子供さんを送り込んでいらっしゃる。

 そして、受験となれば、東大に、それこそ六十人、七十人、八十人と現役で入っている。優秀だということは、それはそれで結論としていいことかもしれません。しかし、やはり入るための能力を持った人しか集めていないわけですから、これでは教育実習校として大学研究資することではないんだという現実をぜひ照らし合わせていただきたいし、この世の中は半分は男性、半分は女性です。それである中にもかかわらず今や男子校だということ自体が私はどう考えても腑に落ちない点でありますので、ぜひ、先ほど答弁いただいたように、もう一度この問題点をきちっと整理していただかなければならない。もっと言うならば、この問題を整理せずして、今の教育改革というのは本当に論ぜられるのかなとさえ私は思っておりますので、その点、ぜひ酌み取っていただきたい。お願いをしておきたいと思います。

 今回のこの附属学校の問題ででも今明らかにさせていただきましたが、なぜ国立大学の附属学校がこれだけ進学校化してしまったのか。これはもちろん、社会全体が受験に対して非常に過熱ぎみであることがその根底にあるのだというふうに思います。

 この過熱する受験競争の緩和という問題については、今始まった問題ではありません。平成八年の中教審の当時から議論を重ねられてきた課題でありますが、残念ながら、今なおこの過熱した受験競争が緩和されるということはないまま進んできています。本当ならば、国立大学附属学校などが先頭を切ってこの過熱する受験競争を緩和させる手だてをとらなければならない、そういう立場にあると私は思うのですが、逆にそれをあおっているような状況があるから、今、この附属学校の問題も取り上げさせていただきました。

田島氏の指摘はとても的確です。筑波大学附属駒場中学校入試については、1980年代に批判を受け抽選で半分程度に受験生を減らすとしていましたが、その後、教員受験生の「声」に応じるかたちで、倍率8倍以上を超えれば抽選と変更しています。8倍を超えることはあまりないため、あまり意味のない抽選制度となっています。

そして、受験競争の緩和に対しては、国立大附属校が先頭を切ってなんらかの対策をするべきなのに、逆に煽っているだけだと批判しています。

8.筑波大附属駒場高校エリート校化批判かわし

上述の引用でも取り上げられていたように、国立大附属校批判の矢面に立ったのが、世田谷区にある男子校教育実験校、筑波大学附属駒場中学校・高校でした。

筑波大学附属駒場高校は、超進学校化する教育実験校の代表格的存在で、160名の定員から100名以上の東大合格者を出すという“超超進学校”です。

教育実験校とあまりに乖離した実態に加え、男子校であることも批判を浴びる原因となっていました。こうした批判になんらかの対応せざるを得なくなった学校側は、入試改善案なるものを公表します。毎日新聞からの引用です。


<難関「筑駒」が推薦枠 過熱受験批判受け検討>

  中学受験の最難関とされる筑波大附属駒場中(東京都世田谷区)が、「受験競争を過熱させている」との批判などに対応するため、入試改革の検討を始めることが分かった。従来の学力試験に加えて、小学校からの推薦枠を設けることなど「多様化」を目指すという。国立大学の独立法人化の余波で、各大学は付属改革も迫られており、その一端を示すケースとして注目を集めそうだ。 国立大の付属中は現在、ほとんどが入学希望者に学力試験と抽選を実施して入学者を選抜している。推薦入試は実施していない。私立と同様の中高一貫教育で多くの生徒が有名大学合格する難関校も多く、「受験競争を過熱させている」などと批判されていた。 筑波大では、教授や付属校の校長らで作る「付属学校改革推進委員会」が3月にまとめた報告書で、小中高や盲、養護学校など10校の付属校の改革方針を示した。毎年、多数の東京合格者を出す駒場中・高の改革では「新しい中学入試方法の検討」を盛り込んだ。 報告書は「早期からの塾通いを招き、受験競争を過熱させているなど批判もあった」とこれまでの入試のあり方を反省し、従来の学力試験に加えて推薦入試の導入を例示し、教育学心理学教員による共同チームを作って具体的な検討を進めるよう求めている。 駒場中・高校長同大の向高祐邦教授は「120人の定員の1割ほどを小学校長から推薦してもらうなど多様な入試が考えられる。まず全国の中学入試を調べる研究会を作る」と話している。 国立大は来年4月から独立法人化することが予定されている。全国に散らばる小学校73校、中学校76校、高校17校の付属学校も同時に法人化される見込みだ。これに向けて、各大学とも付属校の役割を再検討して特色を打ち出すなど、改革を検討している。  


最も多かった入試制度批判に応えるかたちで、推薦入試の検討をするといいます。ただ、推薦入試を導入しても、抜本的な改善にはならないと思ったのでしょう。そこで、筑波大学附属駒場高校は超超進学校化した現状を肯定するために、以下のような発表をします。筑波大学「附属学校検討委員会報告書」から  附属駒場中・高等学校より引用


 日本は、これまで「真のエリート形成」についてまともに論じてこなかった。「エリート教育」が一種のタブーとされ、「教育の機会均等」「平等主義」の名のもとに、受験学力による競争・選別というシステムが採られ、これが、学歴主義と結びついて、いわゆる偏差値エリート社会の指導的地位に就くというルートを固定化することになった。

 多くの私立進学校は、大学の進学実績を上げるために「先取り教育」「理系文系に早くから分ける分科主義」「早い時期からの能力別学級編成」などの競争システムを採用し、経済的にも能力的にもポテンシャルの高い生徒を吸収してきた。

 今日、大学生学力社会力の低下が問題にされ、リーダーシップや創造性・責任感覚・モラルを欠いた偏差値エリートが、社会の指導的地位に就くことによって引き起こされる問題も少なくない。「エリート形成」という課題に日本が真剣に取り組んでこなかったツケが、こうした結果を生み出したともいえる。

 大学受験に収束される過密な学習内容を効率的に詰め込むカリキュラムでは、「真のエリート形成」という課題に応えることはできない。優れた能力学問仕事の分野で存分に発揮し、社会的な尊敬を得られるような骨太のエリートは育たない。

 21世紀の今、地球日本は、「環境破壊」「グローバリゼーション経済格差の拡大」「食糧危機やエネルギー資源の枯渇」「共生を阻む文化の対立」」「各種の制度疲労」「少子高齢化」「子どもをとりまく家族共同体の崩壊」「責任感覚やモラル喪失」をはじめとするいくつもの困難な課題を抱えている。

 筑波大学と附属駒場連携して進めようとしている「リーダー養成/エリート形成」は、21世紀の日本や世界を支え、人類が直面するさまざまな課題やその解決に、自由闊達に、果敢に「挑戦し、創造し、貢献する」(附属駒場学校目標)トップリーダーを育てる教育である。

ついに、教育実験校が堂々と「エリート校宣言」をするに至ったのです。言ってみれば、筑波大学附属駒場高校は、「エリート養成の教育実験校」だと主張しているわけです。なるほどエリート養成の教育実験校であれば、もはや「学力優秀層ばかり集めている」「東大予備校になっている」といった批判は受けません。エリート養成校であれば学力優秀層を集めるのは当然ですし、学力優秀層を集めれば、結果的に東大に多数の進学者を出すことは自明だからです。

しかし、この記事で繰り返し述べているように、教育実験校のエリート校化は長い歴史の中で次第に既成事実化してしまっただけあって、はじめからエリート養成実験校を目的として設立されたわけではありません。エリート養成実験校化宣言は、こうした既成事実化してしまったエリート校化を全面的に肯定して、開き直っているとしか思えません。

また、筑波大学附属駒場高校だけでなく、都内では学芸大学附属高校、筑波大学附属高校、お茶の水女子大学附属高校もエリート校化しています。これらの学校も「エリート養成実験校」の看板を掲げるのでしょうか。

そして何より問題なのは、筑波大学附属駒場高校の発表した推薦入試導入が、その後実際に実行されていないということです。

独立法人化問題の議論が下火になると、国立大附属校の議論も再び鎮静化しました。筑波大学附属駒場高校は、議論が鎮静化したのを良いことに、推薦入試の件をうやむやにして、無かったことにしようとしているとしか思えません。

それどころか、筑波大学附属駒場高校は、抽選を完全廃止し、通学区域を拡大するなど、ますます優秀な生徒獲得に躍起となっています。


9.最後に

世界的に見れば、国立エリート養成校を設けている学校はたくさんあります。私はエリート校に否定的ではありません。私立だけでなく、国公立のエリート養成校はあっても良いと思います。

しかしながら、あくまで「教育実験校」の名目で存在している国立大付属校については、エリート校化を許すべきではなく、エリート校化しないよう、教員が中心となって何らかの対策をするべきです。

国立大附属校の選抜は“必要悪”です。ましてや義務教育の範疇でおこなう中学入試は、過度の受験競争が起きないよう、細心の注意を払う必要があります。

しかしながら、それでも選抜自体を否定しないのは、引用した文書にもありましたが、教育実習生の授業が他校より長いため、それに耐えうる学力の生徒でなければならないからです。

教育実験校の教員の皆さんには、教育実験校における入試は“必要悪”であり、教育実験校への入学に不適格な学力の低い子をはじくためだけに行う入試であるべきだという考えのもと、入試制度を改革してもらいたいです。一定以上の学力水準が確認できれば、あとはその中から抽選でなんら不自由はないのです。

確かに、そうすれば進学実績は下がるでしょう。以前のように東大何十人は無理かもしれません。教員も優秀な生徒を教えたいでしょうし、OBOGも、母校の進学実績の低下は望まないでしょう。教育実験校出身の政治家も、母校の権威低下につながる入試改革には否定的でしょう。

でも、いつまでもタテマエとしてだけの「教育実験校」を掲げているわけにはいきません。今後もまた、国立大附属校の廃校論が絶対に出てくるでしょう。こういった批判をかわす一番の方法は、教育実験校としての役割に徹することです。教育実験校としての役割に徹して、その教育実験結果が公立学校に良い結果をもたらせば、誰も廃校にしろとは言わないでしょう。

ところで、国立大学法人の第1期中期目標期間がまもなく終了し、国立大学法人組織及び業務全般にわたる見直しに関する検討を開始するようです。このうち、附属学校について重要な提言がされています。一部を引用します。

附属学校は、学部・研究科等における教育に関する研究組織的に協力することや、教育実習の実施への協力を行う等を通じて、附属学校の本来の設置趣旨に基づいた活動を推進することにより、その存在意義を明確にしてくことが必要ではないか。

今後、教育実験校としての国立大附属校が、大きな転換期を迎えることは間違いないでしょう。国立大附属校が、日本教育界をリードする存在となり、公立学校などで起こる様々な問題の解決策を見つけることになるよう強く望みます。

最後に、いくつか質問があったようですので、答えることとします。

>進学実績だけで学校の良さは分からない

勿論その通りです。私も、進学実績や偏差値のみにとらわれた学校選びは反対です。しかしながら、当ブログは進学実績や偏差値に基づくデータ分析をその趣旨としています。ご了承ください。

>筑波大附属の中傷だ

>関係者に謝罪してほしい

教育実習生の日数の間違えに関しては、改めてお詫び申し上げます。筑波大附属の中傷目的で書いているわけでは決してありません。今回の記事でも書きましたが、昨今の偏差値や進学実績偏重の学校選びの影響か、進学実績や偏差値だけで選ぶ生徒が非常に多いという実態があります。ましてや筑波大附属や学芸大附属は、「教育実験校」という特殊な学校であるため、その趣旨をしっかりと理解していない受験生は入学するべきではないという考えです。

入学後に「こんなはずじゃなかった」という子が多いのも事実なんです。「てっきり大学受験にも熱心に指導してくれると思っていた。レポート地獄だとは思わなった」という子も毎年何人か見ています。もちろん、学校説明会では説明するのでしょうが、学校説明会にすらまともに行かずに(あるいは聞き漏らし?)、文化祭だけ行って、あとは学校案内の進学実績や部活動だけで決めるなんて子も結構いるのです。そういう子は、かなりの確率で後悔しています。

高校生も何十人と見ていますから、学校の実態もよく把握しているつもりです。あくまで大学受験への効率性という観点からみた場合、筑波大附属はあまりお勧めしないよということです。

>通塾率日本一の根拠は?

前の記事でも申しましたが、Z会教室、鉄緑会、SEGなどの数から率を求めています。ヒマなときがあったら、それについての記事を書きたいと思います。Z会は通信ではありません。東大マスターコースです。ほかに、某塾の内部資料のデータも1つ含めて計算しています。(内部資料のため、塾名は申し訳ありませんが出せません)

ネガティブキャンペーン

都立工作員

>都教委に雇われている人間

(ほか、多数)

まったくもって誤解です。私は決して都教委に雇われた都立宣伝工作員ではありません。仮にそうだとしたら、ニュースになるんじゃないですかね(苦笑)

私は受験業界に深く携わる人間です。桐朋や海城に対してネガティブな…という方もいましたが、私はむしろ、中学受験では桐朋や海城、巣鴨等を積極的に薦める側です(笑)

ただし、高校受験ではあまり勧めませんね。やっぱり、中高一貫校よりも高校単独校のほうが今は魅力があります。受験生全体の傾向も、中高一貫校よりも高校単独校を選ぶ傾向です。

ただ、一応当ブログでは、通常では書けないような記事も書こうという方針ですので(ブログ開設当初は受験関連掲示板の投稿と返信をまとめた記事を書いていたのですが、今は様々な記事を書く方針に変わりました)、淑徳SCの実態を告発する書き込みに波紋とか、保善高校の公式サイトデータに異議あり!といった記事を書いています。


連絡先についてですが、分からないという方がいるので、一応下記に載せておきます。

ganbarouzyuken yahoo.co.jp

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