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縄文対弥生

2005年の夏休みの頃のことです。
国立科学博物館で「縄文対弥生ガチンコ対決」という催しものが開催されました。
上にあるのは、そのときのポスターの写真です。
実は、この写真、縄文人、弥生人に現代人が扮しているのですが、服装や装飾品、髪型に加えて、モデルの顔立ち、体型などまで、非常にしっかりとした時代考証に基づいて、写真に収まっているものです。
ひとくちに縄文時代といっても、年代的にはものすごく長い期間です。
縄文時代草創期がいまから二万年〜九千年くらいの前。
縄文時代早期が九千年から六千年くらい前。
縄文前期から晩期が、六千年から二千年くらい前の時代です。
縄文時代は、通して見れば一万八千年くらいの長い期間なのです。
ヨーロッパなどでは、だいたい一万年前くらまでを旧石器時代、一万年から三千年くらいまえの時代を新石器時代などと呼びます。
ですから日本の縄文時代というは、欧州や支那における旧石器時代後期から新石器時代にかけて栄えた、まったく日本独自の文化ということができます。
冒頭の縄文時代の女性像は、その長い縄文時代のなかで、一万二千年から五千年前の鳥浜貝塚遺跡からの出土品などをベースに復元されたものだそうです。
鳥浜貝塚遺跡というのは、縄文のタイムカプセルとも呼ばれる遺跡です。
鳥浜貝塚遺跡は、福井県若狭町にあります。
丘陵の先端部にあり、現在の地表面より3〜7メートル下に埋まっていた遺跡です。
海抜ゼロメートル以下の低湿地遺跡で、河床の下で、縄文人が湖岸から水中に捨てていた日常生活のゴミの山が、いわば密閉されていた遺跡です。
第10次までの発掘調査で出土した遺物は総数20数万点にも及びます。
第四次発掘調査(昭和47年)では、「鳥浜貝塚」のシンボルとも言える縄文時代の逸品「赤色漆塗り櫛」が発見されました。九本歯の短い飾り櫛で、実に美しい漆塗りが施されています。
赤色漆塗クシ(鳥浜貝塚遺跡)
縄文時代前期、日本最古の櫛とされている

「取り上げた瞬間は真紅の櫛だったものが、5000年後の空気に触れたとたん、手の中でみるみる黒ずんだ赤色に変色していった。」という報告書の記述がありますが、発掘現場に居た者ならではのリアルな驚きと興奮が伝わってくるとともに、それだけ良好な保存状態であったことを示しています。
さらに、赤色漆を全面に塗った上から、黒色漆で模様を描いた木製の深鉢や皿、焼いた上に真っ赤なベンガラを塗って仕上げた丹彩土器など、当時の高い技術による品が数多く見つかりました。
発見された遺品の中からは、編み物も数多く見つかり、当時の衣装や風俗、生活の様子がかなり詳しく明らかにされました。
これを復元して見せてくれているのが、冒頭の国立科学博物館の写真なのです。
縄文時代というと、なにやら、髭(ひげ)もじゃらで髪(かみ)はボサボサ、死かの毛皮をかぶって下半身丸出しの原始人の姿などを想像してしまいますが、どうやらこれは嘘です。
こうした考え方は、「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」のだから、「日本文明は大化の改新(645年)以降に始まった」のであり、「それ以前には日本には文明はなかった」・・・すなわり支那が親、朝鮮が兄、日本はおとんぼ、という歴史認識から生まれた、いわば政治的な創作です。
ここでもう一度、冒頭の縄文女性像に登場していただきます。

冒頭の写真でも明らかですが、縄文時代の被服で特徴的なのが、女性の装飾品が多いことです。
耳飾り、首輪、腕輪など、種類も多彩で、しかも彫刻付きです。
耳飾りは形も大きく、繊細な彫刻が施され、ネックは複雑に加工され、ヒスイや大珠で彩られています。
腕飾りに至っては、貝殻の裏側のパールカラーのキラキラ輝く部分を表側にした美しいものに仕上がっている。
展示品は古くてくたびれているけれど、これが新品だったら、そのまま現代社会でも立派に通用する装飾品です。
また服装は、布製で、極彩色の美しい模様が描かれています。
このデザインを復元したスタッフは、縄文人のこの服装が「そのまま原宿あたりの町を歩いても、なんら違和感がない」と述べています。
おもしろいことに、男性の装身具が腰飾りだけに限られいるのに対し、女性のそれは、実にカラフルに彩られ、種類も多く、加工も美しいです。
特定のシャーマンの女性だけが、ガチャガチャに着飾っていた、というのではありません。
出土品の数の多さからみて、10〜200戸くらいの集落で、特定の、たとえばシャーマンだけががカラフルな装飾品をまとっていたとは言い難いのです。
つまり、すべての女性が、美しく着飾っていた、ということです。
女性が美しく着飾れるというのは、いいかえれば女性がとても大切にされてる社会だったということです。
しかもおもしろいことに、縄文時代の発掘品に、まったく「武器」が出土しないのです。
植物採取や狩猟のための道具はあっても、人を殺すための武器、たとえば長い柄のついたハンマーのようなものが、ありません。もちろん刀剣や槍の類もないのです。
女性たちが繊細な彫刻を施した装身具や、美しく彩色された衣類で美しく着飾り、男性たちは武器を持たない。
おそらく繊細な加工を施す彫刻品や土器などの生産は、男たちがやっていたことでしょう。
男は狩猟や採取を行うかたわら、繊細な彫刻品を作る(彫刻品の多くはいまでも男の仕事です)。
女たちは男たちが作った装飾品で、きれいに着飾り、食事や子育てを行う。
ちなみに、日本の縄文期の遺跡は、数千か所発掘されていますが、諸外国に見られるような、頭に矢じりが突き刺さっているようなもの、肋骨に槍の穂先が挟まっているような遺体は、いまだ発見されていません。
つまり、縄文期の日本は、人が戦いや争いをすることなく、男女がともに働き、ともに暮らした戦いのない、平和な時代だったということができます。
日本では、そういう時代が二万年近く続いたのです。
これはすごいことです。
日本人は平和を愛する民族です。
戦いよりも和を好む。
そうした日本人の形質は、縄文時代に熟成されたものといえるかもしれません。
弥生時代にはいると、服装も土器もシンプルなものになり、刀などの武器や鎧を着た武者の人形なども出土しています。
女性たちが美しく着飾れるというのは、平和な世の中のある意味、象徴的なできごとといえるかもしれません。
なぜなら戦乱の世の中では、のんびりと凝った装身具を身にまとったり作ったりするだけの余裕がない。
ガチャガチャした女性の装身具は、敵から逃げるのには不都合です。
縄文人たちがどこから来たのかということについては、最近の遺伝子の研究で、ずいぶん明らかにされています。
Gm遺伝子の分布
(クリックすると大きくなります)

上の図をみると明らかなのですが、Gm遺伝子の中で、afb1b3遺伝子というものがあります。図の赤の遺伝子です。
これは抗マラリア遺伝子で、この遺伝子を持っているとマラリアにやられない。
戦時中、日本の将兵の多くが南方戦線でマラリアにやられましたが、現地の人がなんともないのに、日本人がずいぶんやられた背景には、こうした抗体を持つ遺伝子を持っているかどうかがファクターになっていた。
また、図をみるとab3st遺伝子(図の黄色の部分)を日本人は多く持つのに対し、朝鮮人や支那人にはそれが少ないです。
日本人とそっくりの遺伝子を持っているのは、どうやらバイカル湖のほとりあたりの人たちです。
とうやら日本人のルーツは、北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にあるようです。
もうひとつ大切なファクターがあります。
気温の変化です。
過去35000年の気温変化をみると、一万八千年前〜二万年前に極寒期があり、現在より気温が7〜8℃低かったのです。
過去35000年の気温変化

このときの海水面は現在より120〜140m低かったのだそうです。
海峡深度との比較から、北海道は宗谷海峡、間宮海峡がシベリアとかなりの期間繋がっていた。
ちなみに日本の南側・・・屋久島〜奄美大島間は深度千メートルあるので、繋がっていません。
津軽海峡と対馬海峡西水道(=朝鮮海峡)も、つながっていたとは言い難い。こちらは水深150Mほどなので、微妙といえば微妙なのですが、完全な陸続きとは言い難いようです。
つまり、もともとバイカル湖畔あたりにいた人たちが、地球気温の寒冷化によって南下をはじめ、樺太から北海道を経て、日本の本州に棲みついたというのが真相のようです。
同時にこの時期、一部の人たちはベーリング海峡を越えて、北米大陸に移住しています。
そうです。アメリカインデアンの先祖です。
縄文土器の伝播

非常におもしろいのが、長崎県の対馬越高遺跡で発掘された七千年前の土器(上図右)と、神奈川県大和市で発掘された一万二千年まえの土器です。
模様が酷似していますが、日本の土器の方が五千年も古いです。
要するに、日本の縄文文化は支那から朝鮮半島を経由して入ってきたものではなく、バイカル湖から樺太〜北海道〜本州へと南下するなかで、日本の風土に合わせて育まれた文化である、と確定してよさそうです。
一方、朝鮮半島では一万二千年前から七千年前にかけての遺跡が、まったく発見されていません。
これは実に不思議なことで、一万二千年前から七千年前までの五千年間、朝鮮半島からは人間が住んだ痕跡が消えているのです。
なにもない。ヒトの気配が、朝鮮半島からまるでなくなるのです。
朝鮮半島の一万二千年以上前の遺跡・・・つまり旧石器時代の遺跡なら、50ヵ所程度発見されています。七千年前以降の遺跡なら、数多く発見されている。
ただし、朝鮮半島の旧石器時代の遺跡程度のものなら、日本で発見された遺跡数は三千〜五千カ所に上ります。
要するに朝鮮半島には、旧石器時代の遺跡自体の数がほどんどなく、しかも一万二千年前から七千年前までの五千年間、遺跡の空白期間がある。
そしてその期間を通じて、日本には、数多くの遺跡が発掘されているということです。
朝鮮半島で、遺跡がなくなる五千年間、そこでいったい何があったのかは、まさに「神のみぞ知る」ことです。
では、ふたたび遺跡が現れる七千年前、なにが起こったのかというと、鹿児島県沖の薩摩硫黄島のあたりの鬼界カルデラ火山の大噴火が起こっています。
世にいう、アカホヤの大噴火です。
この噴火で地表に出たマグマは1兆3000億トンです。
噴出量の対数をもちいた噴火マグニチュードMで規模を表現すると8.1です。
火山灰は、遠く関東地方にまで達します。
これは日本における最大の火山爆発です。
アカホヤ噴火のあと、カルデラ破局噴火は、日本に起こってません。
その噴火で、アカホヤ火山灰と呼ばれる膨大な火山灰が遠く東北地方まで降っています。
当然、南九州の生態系は破壊され、ヒトの住めるところではなくなってしまいます。
生き残ったとしても、土地は火山灰にやられ、農作物は採れない。
そしてこの頃から、西北九州を中心に新たな漁労文化の遺跡が多数出土しています。
生態系が破壊され、土地が火山灰に覆われて植物体系が破壊された中では、人々が生き残ろうとすれば、漁労に頼らざるをえない。実にわかりやすい話です。
必然的に漁業は、それまでの沿岸漁業から、大型魚(マグロ、サワラ、シイラ、サメ)を対象にした、外洋性の大規模漁業のニーズが高まります。
大型魚を釣るには当然大型の釣り針が必要です。
そしてまさにこの時代に合わせたかのように、九州西北部と朝鮮半島東南部に、5〜10cmの大型の釣り針が出土しています。
同じ遺跡から、幾何学文様をもつ縄文式土器が出土していますから、これは同じ縄文文化圏の人たちの遺跡であることがわかります。
しかも土器は、模様の共通性だけでなく、土器の生地の製法にも共通性が認められます。
祭りの道具と考えられる貝殻製の面も、韓国東三洞貝塚と縄文中期の熊本県有明海沿岸でそっくりな面が出土しています。
こうしてみると、次のようなストーリーが読み取れるようになります。
1 アカホヤ火山灰の打撃の少なかった西北九州には、九州南部・中部からの避難民が押し寄せた。
2 急激な人口増加は、それまでの西北九州の果類、芋類といった植物食をベースにし、タンパク質の供給を魚に求める、補完的な小規模漁業では、食の供給を不足させた。
3 そこで、食を補うためにみんなで協力して漁業資源の獲得に乗り出し、漁のために遠く朝鮮半島にまで人々が進出した。
遺跡の出土品と年代は、そうした流れを如実に物語っています。
ちなみに、西北九州や朝鮮半島で大型の釣り針が発掘されたのと同じ時代というのは、支那はまだ黄河文明が始まる前です。
長江文明といわれる浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)が発掘されています。
河姆渡遺跡なら、約七千年前の遺跡ですから、時代的にはほぼ同じ時期にあたります。
ここでは、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。
支那が春秋戦国時代を迎えるのは、いまから三千年の昔です。秦の誕生にしてもいまから二千二百年前です。
さて、ここからはねずきちの勝手な想像です。
実は、以下の筋書きは、いまの日本ではタブーとされている説なのかもしれません。
なぜかというと、日本文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に来たという前提にたった議論でないと、教科書に載せてもらえない。
しかし、そういう先入観をとりはらって遺跡を見てみると、実はまったく別なストーリーが見えてきます。
すこし重複しますが、整理してみます。
まず、いまから一万八千年ほど前に、地球の気温がいまより−8度下がりました。
当然、北極や南極の氷の量が増えた。海面が低下した。
海面の高さは、いまより140Mも低くなります。
海底の深度からみて、シベリアと樺太、北海道、本州、四国、九州は、それぞれ地続きになります。
一方、琉球列島は、深度1000Mなので、海のまま。
朝鮮半島と日本の間は、深度150Mなので、微妙というか、陸続きではなかった可能性が高い。
地球気温の急速な低下で、バイカル湖付近にいた旧石器人の一部が、樺太を経由して日本に流れてきます。
このことは、Gm遺伝子の構造からみて、100%間違いない。
日本に流れてきた彼らは、土器を使う縄文文化を形成します。青森県の大平山元遺跡には16500年前の土器が出土している。
日本に住む縄文人たちの人口は、徐々に増え、二万人程度が、本州を中心に分布します。
その縄文人たちには、武器がない。
その代り、彼らは、彫刻や装飾を好み、日々工夫して美しい土器や飾りを作ります。
要するに働きものだった。
いろいろ工夫し、漆のカンザシなども作るようになった。
古来、凝った装飾品を作るのは、たいてい男性の仕事です。
そして女性たちは、その装飾品を身に付けた。
武器を持たず、労働を好み、自然の恵みと和を大切にして生活する日本人の気質は、こうした縄文人によって、形成されたとみることができようかと思います。
なにせ、縄文時代は、一万八千年前から一千年前まで一万七千年も続くのです。
争いよりも和を好む。女性や美に対して造詣が深い。そして先祖とのつながりを大切にする。
縄文人のこの気質は、日本人の気質そのものです。
一方、朝鮮半島では、いまから一万二千年前から七千年前までの五千年の間、人の姿が絶えて見えません。遺跡がない。
一万二千年以上昔の遺跡も、せいぜい50か所。日本の5000か所の100分の1です。
ともあれ、七千年の間、朝鮮半島には人が住んだ形跡がない。
それは疫病が流行ったためなのか、核爆発でも起こったのか、理由はわかりません。
とにかく人がいなくなった。
そんな折、いまから七千年前に鹿児島沖で大噴火が起こります。
屋久島近くの海中で起こったアカホヤ噴火です。
この噴火で地表に出たマグマは1兆3000億トンです。
噴出量の対数をもちいた噴火マグニチュードMで規模を表現すると8.1です。
火山灰は、遠く関東地方にまで達します。
これが日本での最大の火山爆発です。
アカホヤ噴火のあと、カルデラ破局噴火は日本に起こってません。
この大噴火で、おそらく南九州の人々は、大打撃を被った。
野山は火山灰に覆われ、もはや狩猟生活は営めない。
生き残った彼らは、九州北部に流れます。
これによって、九州北部の人たちは、いきなり人口が増えた。
こうなると食料が足りません。
彼らは、食糧事情のため、近海漁業から、徐々に遠洋漁業に向かいます。
そして、遠く朝鮮半島東部(日本海側)にまで進出し、一部の人はそこに住みつくようになります。
なにせ、この時代に、同じ作りの大型の釣り針や同じ製法の土器が、九州と朝鮮半島東側(日本海側)で発掘されているのです。そして日本側の出土品の方が、すこし時代が古い。
朝鮮半島東側(日本海側)に住みついた人々は、やはりそこでも、日本の縄文文化の伝統に従い、武器を持たず、平和な暮らしを続けます。
平和は、人口の増加をもたらします。
朝鮮半島の東海岸(日本海側)に住みだした人々は、人口の増加とともに、一部が半島の西側(東シナ海側)に住み始めます。
そうして朝鮮半島では、半島の日本海側の人々が新羅族、東シナ海側の人々が百済族を名乗った。
ちょうとこの頃、支那は、春秋戦国時代を迎えています。
世が乱れ、戦乱が相次いだのは、史書に明らかなとおりです。
戦乱は、対人用武器を育てます。
東シナ海を漁場にする百済は、支那に近かった分、支那の武具を比較的早期に取り入れます。
武器を持つと、強くなった気になれる。
働かなくても、人から食い物を奪うことができる・・・ろくでもないことを覚えたものです。
朝鮮半島西側の百済の人は、東海岸の新羅の人々を度々襲います。
新羅の人は、もともとの日本人(縄文人)ですから、対人武器を持たない。
ニコニコしているところを襲われ、食い物や女を奪われます。
対抗するために新羅族も武装します。
百済と新羅は、この後、ずっと争いが続きますが、ついには新羅族が百済族を滅ぼしています。(しかしそれは7世紀になってからのできごとです)。
五千年近く続いた新羅族と百済族の争い。このことは、新羅の百済の、現代にいまなお続く仲の悪さとなって表れています。
武器を持った百済人は、海を経て日本にもやってきます。
ただ、当時の船ですから、人数が乗れない。
新羅は陸続きだから襲うことができたけれど、日本には船で行くから少人数です。
これでは戦いにならない。
少人数でやってきたから、せいぜい武器を自慢するくらいしか能がない。
縄文人は、新しいモノ好きです。
なんにでもすぐに興味を持つ。
縄文人は、もたらされた武器をみて、大喜びします。
そしてさらに工夫を凝らして、より使いやすいモノに改良する。
鉄砲が伝来して40年で、日本が世界最多の鉄砲所持国になったようなものです。
中にはこれに対抗するために、武術を鍛えた人々もいました。薩摩のクマソ一族などはその典型であったかもしれません。
自衛、防衛のために工夫を凝らし、絶対に負けない腕力を、みんなで協力して作り上げた。
人々が武器を持つようになったことで、縄文人の文化は一変します。
とりわけ渡来人たちは、衣装も軽衣装で、装飾品も少ない。
要するに、戦いに明け暮れる文化、社会構造のもとでは、凝りに凝った土器や装飾品を作る余裕がなくなり、衣類も逃げやすく動きやすい簡素なものが喜ばれたのです。
簡単に言ったら、武器を持ってる→強そう!→かっこいい→真似したい・・・で、服装がシンプルになり、土器もシンプルで合理的なものになった。
弥生時代の始まりです。
ちなみに、未婚の女性は、自分とすこしでも遠い遺伝子を持った男性を好むという傾向があるのだそうです。
これは遺伝子の遠い人との間で子を作った方が、優秀な子孫を残せる可能性が高い(反対に近い遺伝子を持った人が相手だと近親婚となり奇形が生まれやすい)からなのだそうです。
つまり、渡来人たちは、けっこうモテた。
いまでも、少女マンガの主人公たちは、男も女も白人顔です。
いがいと韓流ブームなどというものも、より遺伝子の遠い男性を選ぼうとする女性の本能からきているのかもしれません。
で、古代日本では、引き目かぎ鼻・・・つまり渡来人型の容姿が、高貴な美の象徴とされた。
すくなくとも絵に描かれた高貴な人は、みんな引き目かぎ鼻のキツネ顔に描かれています。
実際に美人だったかどうかは別として、要するに洋モノ(当時で言ったら渡来モノ)が、高貴とされた。
それが絵画におけるキツネ顔や、土器における弥生顔となって普及します。
時代がずっとさがって、足利時代の応仁の乱あたりになっても、高貴な武士や貴族は、引き目かぎ鼻でキツネ顔に描かれています。
反対に、火事場泥棒をしている連中は、どんぐりまなこに、四角い顔、つまり縄文顔に描かれている。
現代の漫画では、かっこいい役は、西洋顔、悪役は東洋顔に描かれる傾向がありますが、ようするに、大昔の絵画でも、実際に美人であったかどうかは別として、渡来顔が高貴、地元顔が、下品顔とし描かれた。
ただ、だからといって、キツネ顔の渡来人が政権を取ったようにいうのは間違いです。
現代社会の漫画で、かっこいい主役たちが西洋顔をしているからといって、日本の内閣が西洋人というわけではない。
弥生期にはいった日本には、支那の春秋戦国の血なまぐさいウワサ話や、朝鮮半島における新羅と百済の諍(いさか)いについての情報ももたらされたことでしょう。
日本人は、日本人々の生活を守るため、国を統一する必要にせまられた。
みんなで武器を持ち、みんなで国を守るという思考が生まれた。
そう考えてみると、古代の「東征」も、日本が海外からの軍圧に対抗するため、一緒に戦おうよ、一緒に武装していこうよ、という、戦いというより、一種の啓蒙活動であったようにすら思えてきます。
実際、戦いなら、相手を何人殺したとか、全滅させたとかいう話が、記紀にでてきてもよさそうなものですが、そうした話がまったくない。
おそらく、東征というのは、かっこよく完全武装した団体で隣村に行き、外国が攻めてきたらやばいから、あんたらも、仲間になって、俺たちと一緒にブソウしようぜ、みたいなかなり牧歌的なものだった可能性がある。
いろいろ書いていますが、要するになにが言いたいのかというと、約二万年にわたって、武器すら持たず、牧歌的で平和な暮らしを築いてきた日本(このことは間違いのない事実です)に、支那から朝鮮半島を経由してやってきたのは、実は「武器文化=人殺し文化」、すなわち「恐怖の文化」だった。
クチ裂け女の噂話じゃないけれど、恐怖というのは、それなりに強い文化的伝播力を持ちます。
女たちや生活を守らなければならないと考えた縄文人たちは、新たに武装し、弥生文化を開いた。
つまり、古来、支那からはいってくる文化には、ロクなものがなかったといえないか、ということです。
儒学や朱子学、陽明学、漢詩のようなものは、それなりに価値を持ったけれど、支那かぶれが日本に招いたのは、武器にかぶれて働かない傾き者に、盗っ人、強姦、権勢欲。
仏教はよかったけれど、乱暴者の僧兵を招いて都を移さなければならなくなったし、支那事変や、満洲では、日本人がさんざひどい目に遭わされている。
朝鮮半島について言えば、支那から武器を輸入して、男が武器をもてあそぶようになった百済族と、古代のまま男が武器を持たないで働くことを重視して平穏な生活を望む新羅族とでは、その生き方に根本的な違いが生まれた。
最初のうちは、支那にかぶれて武器を持った百済が半島で勢力を持ちます。
しかし、あまりの乱暴狼藉についに怒った新羅族は、百済に戦いを挑むようになる。
一方、武器を持った百済族の一部は、日本にもやってきます。
男が鋤(すき)や鍬(くわ)よりも武器を選ぶ百済族と、やはり武器を持たない大和の縄文族。
やむなく大和縄文族も、武器をもって立ち上がった。
そして国力を増すために、全国を統一し、朝廷を建てた。
もともと働き者の大和族です。
輸入した青銅武器に工夫を凝らし、また戦い方にも工夫を凝らした。
気がつくと、熊襲族など、むちゃくちゃ強い部族が誕生した。
その後、新羅族は、支那かぶれの百済族を滅ぼします。
滅ぼされた百済からは、たくさんの渡来人が日本にやってきた。
まぁ、大昔のことなので、実際のところはわかりません。
ただ、思うに、「和をもって尊しとなす」という聖徳太子の教えは、そのまま古代の縄文日本から延々と伝わる日本の伝統の根幹だったのではないかと思うのです。
男が武器より労働に生き甲斐を見出すという日本的性格も、やはり日本人の縄文時代から長く続いてすでにDNAに刻まれた伝統なのかもしれません。
そして日本という国の乱れは、常に「支那かぶれ」があらわれることから起こる。
文化は、支那に始まり朝鮮半島を経由して日本に流れてきたという説があります。
トインビーの説など、その典型です。
しかし、なるほど武器や仏教伝来に関しては、そういうことがいえるかもしれないけれど、すくなくとも遺跡を見る限り、支那よりも日本の文明開化の方がはるかに速い。
朝鮮半島など、約五千年の空白時代すらあるのです。
日本には、男性が武器を持たず、女性たちが美しく着飾り、和をもって尊しとする人々の和の文化がもともとあり、そうした大和人のDNAは、現代にまでしっかりと受け継がれている。
支那や朝鮮から伝播したのは、人殺しのための武器と、争いごと、盗っ人や強姦魔など、これまた、いまも昔もなんらかわらない。
以上の日本文化発祥説ともいうべきものは、ねずきちの勝手な想像です。ただし根拠はあります。
文明東進説(支那に起こった文明が半島を経由して日本にもたらされたとする説)を、いったん白紙にしてみると、むしろ文明西進説(日本に起こった文明が、半島や支那に伝播して古代文明が花開いた)で説明した方が、はるかに合理的な説明がつく。
ただ、いいたいのは、日本は、一国一文明の国であり、縄文の昔(ヨーロッパでいったら旧石器時代の昔)から、男が武器より、もっぱら加工や工作、あるいは労働を重視し、女性たちが美しく着飾り、のびのびと安心して生きれる文化と生活があった、といえようかと思います。
古代も、中世も、昔も、現在も、日本は平和で高い文化意識を持った民なのです。
そんな日本を、私たちの世代で壊してしまうということだけは、絶対にしてはならないことだと、ねずきちは強く思うのです。
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姫神: 縄文海流〜風の縄文
三内丸山遺跡 (青森県)、 積丹半島 (北海道)。縄文語とは縄文時代に使われていたであろう言葉を指します。文字を持たなかったため確定ではありませんが、崎山教授の学説によると縄文人の言葉は北方と南方から伝わった言語が混合して形づくら れ、詳細な検証と現存する古語の記録を参考に推測されています。縄文人は自然と一体になって生活していたと思われます。
日本の心を伝える会では、いま会員の募集をしています。
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教科書は日本人が誇れるものであるほうが望ましいに決まっている。何処の国が自国を非難したり貶めるような教育をするでしょうか。自虐史観はこの点でも明らかに間違っています。仮に自国があまり褒められない過去を持っていたとしても、それを殊更に仰々しく取り上げる国などありません。
戦後の日本は明らかに異常な教育をしています。これは日本の敗戦から始まっています。戦勝国史観なのです。
みなさん、日教組撲滅のために立ち上がりましょう。
※合わせて、「リチャード・コシミズ・ブログ・コメント欄」「小沢一郎」へこのエントリーを紹介しましょう。ご協力ください。
ねずきちさんの説がいいですね。
日本が平和で安全で美しくという伝統は、しっかりと守らないといけません。
素晴らしいお話しありがとうございました。
理不尽な事が多い昨今、又怒りのエネルギー渦巻くw
政治ブログの中、心洗われる思いがします。
縄文人の衣装、本当にアニメのコスプレみたいです。
素朴でも美しい装飾品。。。当時の男達は大切な女性を思い、その着飾った姿を想像しながら、心を込めて作っていたのでしょうネ。
職場の近くに、「埋蔵文化センター」なる地元の遺跡からの出土品が展示されている施設がある事を思い出しました。今まで素通りしていたのですが、今度覗いてこようと思います。
歴史を含めた社会科学は非常に面白く、知識武装になります。
ねずきちさんの話を単行本で、発行出来ませんかね。
驚いたのでしょうな・・・韓国戦後教育が全廃の危機ですから、彼等はそんなことを平気でやらかします。
働かなくても、人から食い物を奪うことができる・・・ろくでもないことを覚えたものです。
簡単に言ったら、武器を持ってる→強そう!→かっこいい→真似したい・・・で、服装がシンプルになり、土器もシンプルで合理的なものになった。
弥生時代の始まりです。<
新しい切り口の記事で、一気に読んでしまいました。
此の記事も要保存ですネ。
恥知らずで ルール無視。
真央ちゃんの点数と、韓国の妹さんの点差は納得出来ません。
彼らの嘘をついても勝ったが大事の気性は、ここからきたのですね。
http://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/76b80f49c0d20189de4407f9c9985e41
に、不寛容で戦好きの民族について、ちょっと書いてみました。
よろしかったら、覗いてみて下さい。
問1 縄文時代の「縄文」とは何でしょう?
これは、皆さんご存知ですよね。
そう、縄文式土器の縄の模様の事ですね。
問2 弥生時代の「弥生」とは何でしょう?
これは、東京の弥生町のことです。
弥生時代の遺跡が、現代の東京の弥生町から発見されたので、この時代を「弥生時代」と名付けました。
その後に続く「古墳時代」には、世界最大級の古墳が、何百個も作られた時代で、間違いなく、巨大な国家や文化があったのに、そこには触れずに、ただ古墳が造られた時代だとしています。
日本の歴史学者によって、いかに日本には大した歴史がないかと思わせる工夫がされています。
日本人が、日本の歴史に誇りを持たないようにする工夫がされています。
大阪人の私にすれば、「安土桃山時代」の名称も不満です。
信長の安土城は分かります。しかし、桃山というのは、秀吉のお墓があるところで、後に、桃の木が植えられたので、桃山と呼ばれるようになり、そこから名付けられています。
この時代は、秀吉が、天下を統一して、大阪城を築いたので、「大阪時代」にするべきであると思います。
歴史認識がおかしいのは戦後だけなのかと思ったら、違うんですね。根本的に誤った実際とは異なった無理のある立場から語られているのですね。全く腹立たしいというか情けないというか・・・・・。
でもこうして、次第に真実が明らかになってきつつある。本当にワクワクし興味が尽きません。
>「文明文化は支那から朝鮮半島を経由して日本に渡ってきた」のだから、「日本文明は大化の改新(645年)以降に始まった」のであり、「それ以前には日本には文明はなかった」・・・すなわり支那が親、朝鮮が兄、日本はおとんぼ、という歴史認識
はやく、こんなアホな教育が消えてなくなってしまう日が来るように願ってやみません。
ゴールデンウイークには、三内丸山遺跡へ行ってみようかな!
このあかい漆のくし すばらしいですね。これ一つとっても
縄文時代(祖先)の計り知れない豊かさが伝わってきます。
そのころの言葉 あかは あか と考えていいのでしょうか。日の丸のあか 太陽のあか 日心会バッジのあか
赤心(まごころ) というのもありました。
悠久の我が祖国 はるかなる さやけき風がこんにちまで届いてまいりました。
すべてはだで信じられます、納得です、疑問解決です。
感謝。
例えば、従来あっさりした顔立ちが主流と見られている皇室ですが、100年前の写真を拝見すると、男性は皆、彫りが深く、ベトナム人かポリネシア人か、アラブ人の様なお顔をされています。
平安絵巻の下膨れの顔は、当時の一種の「美意識」の表れであって、実際には、現実離れしていた可能性があります。
過去においては、色黒で彫りの深い顔を「野暮な顔」と看做して蔑んでいた可能性がありますが、今100年前のお写真を拝見すると、なかなかのイケメン揃いに見えますね。
と言うわけで、日本人は、縄文系の血が濃いようです。
100年前の肖像写真が語りかけるセピア色の世界
http://yushodo.co.jp/pinus/61/meijiphoto/photom2.html
記紀をよく読んでください
新羅と百済は言語が違う
おそらく民族も違う
そして百済と当時の大和朝廷の人々とは通詞(通訳)無しで意志が通じた
百済の王は日本から来たとの伝承があり、王族も皇族と婚姻関係を多く結んだ
古墳からも日本しか無い木材で作られた棺や副葬品が出土している
墳墓も日本独自と言われた前方後円墳
日本の影響下にあった(あるいは同じ民族だった可能性も)と考えてもおかしく無い
対して新羅は日本とは敵対関係に長くあった
越の国を中心とする白木人(ないし白人)は新羅の事とも言われ朝廷に討伐されては反乱を繰り返してきた
継体天皇は彼らの後押しで即位したとも言われるが、事実上のクーデターのようなものであったことからも昔からの主流派とのつながりは薄い
どっちが日本とつながりが深かったかはわかりませんか?
そういった基本的な事実誤認はねずきちさんの他の論証の根拠をあやふやなモノにしてしまいますよ
24日付の国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは、オーストラリアのラッド首相が、調査捕鯨をやめなければ日本を国際司法裁判所に提訴すると発言したことを、反捕鯨諸国の偽善性を指摘しながら異例の厳しさで非難したフィリップ・バウリング氏のコラムを掲載した。
氏は、道徳的優位性をにじませたラッド発言の調子が、アジアの近隣諸国に今もくすぶる西欧植民地主義への嫌悪を呼び覚まし、日本よりも豪州のイメージを傷つけるだろうと分析。
豪州の反捕鯨運動を、科学的ではなく感情的な「十字軍」だとし、「日本の捕鯨船を悩ましている豪州、ニュージーランド人活動家らに与えられた英雄的地位にも、それがみられる」との表現でシー・シェパードの活動も切って捨てた。
その上で、ノルウェーが国際捕鯨委員会(IWC)の規制を拒否、アイスランドがいったんは脱退し、カナダは脱退後、復帰していないのに対し、日本は少なくともIWCに属していると日本にも理解を示し、ラッド発言は捕鯨諸国にIWCに協力する気をなくさせるものだとやり込めた。
さらに、「鯨に銛(もり)を打ち込むことは、牛や羊の肉を常食としている者の間にさえ感情をかき立てるのかもしれないが、豪州は、作物や牧草を守るため年間300万頭余の野生のカンガルーを撃っているときに、苦情を言える立場にはほとんどない」と、反捕鯨国の偽善性にまで踏み込んだ。
西洋人が東洋での犬肉消費にゾッとするのは感情からで理性ゆえではなく、鯨肉を、一部欧州国の食卓に乗る馬肉と違う扱いにする道理はないとも断じた。
そして、「豪州が選別的感情の問題をアジアの主要同盟国との外交対立にまでしたのは愚劣以外の何物でもない」と結んでいる。
ttp://sankei.jp.msn.com/world/asia/100224/asi1002241719003-n1.htm
クジラの次はマグロ、マグロの次もまたなにか考えているだろう..
オーストラリアは牛.豚.鶏.犬.カンガルーの虐殺には沈黙 ?
アボリジニを虐殺し,カンガルーを虐殺し,でも反捕鯨のオーストラリア(黒幕は中国か?)
本文読めばわかるけど、ねずさんの言ってるのは4〜7千年前の話でしょ?
それにたいしてかちぢさんのいう新羅と百済の対立の時代は2〜3千年前。
同列に論じるには無理があると思うけど?
日本人の精神性が形作られた初期縄文時代からふさわしいのかな。
糸魚川周辺から、翡翠が出土しているがすでに原始貨幣経済が成立していたのかもしれないね。
世界最古の丸木舟制作工具が発掘されています。約1万2000年前のものです。
最終氷期が終わり紀元前12000年頃から紀元前4000年にかけて海水面の上昇にともなって水没したスンダランド(タイ湾〜南シナ海)あたりから、丸木舟で黒潮に乗って北上してきた人々が、沖縄のみならず九州南部にも到達していたと考えられます。
アカホヤ火山灰の土地被害による、漁労の遠洋化ももちろん考えられますが、外洋漁労の技術をもたらしたのは、スンダランドから黒潮で押し寄せた海洋民の影響があるはずです。
大陸の北方由来の遺伝子を持ち縄文文化を担った人々と、南洋からの海洋文化をもらたした人々がこの時期に日本列島で出合ったのであろうと思います。
日向に降臨したとされる天孫の血筋である神武天皇は、海洋民の血を引いていたと考えられます。
宇佐を本拠として大和へ向った際の守護神である八幡神は海の神でもあります。
今日の”世界に誇る縄文文化”について残念なのは「縄文文字」に触れられていないので書き込み致します。
びーちぇの「ヲシテのクニ」http://julian.way-nifty.com/woshite/
と言うサイトに最近偶然にたどり着き縄文文字の美しさ不思議さにひかれているところです。
縄文文字手習い長 http://julian.way-nifty.com/nwk_woshite/2006/04/post_2fcb.html
ねずきち様に「そんな事は百も承知」と言われそうですが、僭越ながら書き込みしてしまいました。
頑張っている人に「頑張れ!」とは言い難いですが、これからも良いお話をお伝え下さい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100224/plc1002242320017-n1.htm
また、夫婦別姓の背景には、連合国軍総司令部(GHQ)が日本
弱体化を狙って進めた「家制度」破壊の残滓(ざんし)が見てとれ
る。「フェミニストたちが、結婚制度を破壊するために始めた運動だ」
(米ヘリテージ財団研究員)との指摘もある。
【人権擁護法案反対の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj5.cgi
【人権擁護法案反対タイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
なぜなら、この「東征」の成功の結果をみますと、全瀬戸内地方における大きな経済圏を築いただけではなく、明らかに外敵の侵入を警戒した高地性集落が、瀬戸内から大阪湾岸に多く発掘されています。
この集落は九州北部には無い。
ということは、九州北部には別の敵対勢力があって、その勢力とは別の経済圏を作って対抗しつつ、その勢力が瀬戸内にまで攻めてくることを防ごうとした形跡の可能性が高いと想像できます。
縄文〜弥生の発掘遺跡は、まだ最近でもどんどん出てていますから、もっと明らかになることもあると思います。
遺伝子についてもGm遺伝子だけではなく、他の遺伝子についての研究も期待しています。
いろいろ面白いですね。
中国合弁会社幹部が体験した出国停止事件
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9808855
平成22年2月22日
チャンネル桜
ゲスト
三橋貴明(経済評論家/作家)
中国合弁会社取締役
中国合弁会社元取締役
政府・与党は24日、永住外国人に地方選挙権を付与する法案に
ついて、今国会への提出を見送る方向で調整に入った。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/217417.html
マスコミ隠蔽の壁を突き破る、この国を思う人々の心の叫びが
届きました。
祝!大勝利。
【マスコミ隠蔽の掲示板】
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】はこちらをクリックして下さい。
秀真伝、古史古伝は偽書だそうです。
日本人の精神の核は縄文時代にありそうですね。
中国、朝鮮は反日感情歴史教育が中心ですし、歴史も、争いが多すぎてか途切れ途切れで日本と比べれば壊れていると思います。
外国かぶれは日本にとっては歴史が長いのかな?
不安に思うのは、知らぬ間に全ての時代に反日日本史が埋め込まれてはいないか、という点です。
縄文文化の素晴らしさがよくわかりました。
平和を愛し労働を尊ぶ日本人に生まれたことを
誇りに思います。
ありがとうございました。
ねずきちのブログ読んでて思うんだけど、ねずきちって売国奴じゃね?
パチンコ警察官 パチンコ議員 パチンコマスコミ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9819448
パチンコ換金禁止法が必要です !!
>ねずきちって売国奴じゃね?
皆様に「そんな事は百も承知」と言われそうですが..
ねずきちさんは愛国者だと思います
正確な日本史を伝えたから、述べたからと言って愛国者だとは限らないのです。
シミズケイハチロウなんて典型的な例です。分かりやすい位です。
ねずきちもだけど・・・
収入源も含め統一協会関係者です。
騙され無いで下さい。
びーちぇの「ヲシテのクニ」に皇統をつなげた人「トヨケカミ」その2改訂版によると第6代アマカミ「オモタル」さんの時代(稲作が日本に普及した頃)、気候変動による農作物の減収や貧富の差等により国内に初めて不穏な空気が流れ、盗み、略奪などが横行し世の中が乱れたと記されている。
それを取り締まるために「ホコ」後に「ツルギ」が作られ、罪人の刑の執行も行われました、と書いてあります。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2009/08/post-f23b.html
つまり、それまでは人々は争いもなく平和に暮らしていたことが文献からも証明されていると言うことです。
そして、伝統 その1 「古代の治世」 改訂版では、2世代目アマカミ「クニサツチ」の時代は世界の各方面にまでも、文化を伝え技術指導をするため皇子たちが派遣されたと。その中に、大陸に渡っていったとされる「カのミコト・カのクニサッチ」がいるのですが、考古学・地理学からの仮説も成り立つように思いますので、そのうちにご紹介したいと思っています、と書いています。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2009/08/post-0687.html
日本文明は固有に育った文明であり、大陸よりも古くからあった可能性が示されています。
知れば知るほど、日本という国は良い国なのだと実感します。
祖先に感謝です。
そして、この国を守り続けてゆくことが祖先に対する恩返しであり、子孫に対する責任だと思います。
まったくそうだと思います。しかし、戦国武将は、必ずしもそうでなかったし、幕末の維新、戊辰戦争で戦った人々、大東亜戦争で命を絶たれた人々は、その思いがあったにも係わらず、その通りの崇高な武士道とも言うべき価値観が世界に全面的に通用したかどうかの現実面も考える必要があります。また、明治天皇が発布された軍人勅諭の内容にも、そのようなことは書かれていません。「武」を軽んじ、「文」を重んじるは、烏合の衆と書かれています。
戦後、日本の腰ぬけとも言うべき平和ボケは、日本国の滅亡を招く可能性があることも考慮すべきことです。事象は、すべて相手あっての現象です。田母神前航空幕僚長のお考えも、決して、座して死を待つような国防のあり方ではないはずです。シナ、朝鮮、あるいは米国に、日本の伝統的価値観が通用すると言う前提を取り下げるべきです。さもないと本当に、日本国の滅亡です。
敗戦国になると、いかなる崇高なことを言っても、無駄で」空しいのです。それを本当に感じたのは、白洲次郎かも知れません。
お前は不逞鮮人のようだ。
2万年前に発生した縄文文化を紹介していることに不満が有るようだが。
世界最古の縄文文化を妬むのは不逞鮮人しかいない。
あえて統一協会を持ち出すところなんぞ、コシミズそっくりだな。
という事は、不逞支那人かもな。
質問 1
リチャード・コシミズは、何番ですか ?
1. 愛国者 2.売国奴 3.工作員
質問 2
その理由は、何ですか
( )
遺伝子、気象、火山の噴火、そして遺跡と、科学的な証拠から考えれば明らかに「文化西進説」の方が説得力があります。
いいお話です
勉強になりました
私は縄文人ですね〜四角い顔だし…
そして髪型も
美しく着飾った女性達、武器でなく芸術品を作る職人の男性達、季節は麗しく、食物は豊富で、平和な国・・・、そしてその平和な国を“侵略者”から守るには、皆さんは、『具体的』にどうすれば良いと思ってらっしゃる?
神に祈っていれば宜しいのでしょうか?侵略者と対話すれば宜しいのでしょうか?お金を渡せばいいのでしょうか?
はて???具体案が無いのが、とても残念に思いますが・・・。
オマエラも馬鹿丸出しジャーン!
ここに居る朝鮮人共も[統一協会]の文字を出されると本性現しますね!瀬戸のトコと同じ連中?。
真面目にコメントされてる方もいるのに何とも思わないだよねー?朝鮮人だから・・・
なんでリチャード・コシミズなん?どっから出てくんの?
奴がオマエラの天敵なんは理解してあげるけど、気に入らないんなら無視するか毎日のように朝鮮人共と一緒に街宣掛けときゃイイじゃん?
統一協会の名前を出すと何でオイラを攻撃し始めるんですかーーーーーーーー?
オマエラまんま統一か創価じゃんっ!
変態宗教野郎共っ!!
ねずきちと一緒に日本から出てけよ!気色悪いッツーの!!!!
売国奴達へ
アノねー、売国奴ってのは最初は特に必ず日本史を振りかざして高飛車に言って来るつーのっ!
こん位分かれよっ!
ここの糞馬鹿どもっ!!!!!
縄文人は北方系ではなく南方系です。
以下引用文のC3は北方系のY遺伝子のことね。
日本語の文献では、C3が、日本列島一番乗り!でも、英語の国際文献では違うよ。
インドネシアから来た貝紋人と縄文人が北方勢力を押さえて、日本列島一番乗り!
しかも日本の貝紋人は、日本列島〜ベーリング棚〜北米〜南米、一番乗りの偉業!
シベリアC3は、日本の貝紋人の後から北米に入ったものの、南米まで、よう行かなんだショボ。
縄文人は、大陸から来たのではなく、インドネシアのスマトラから北上、
日本列島〜沿海州〜モンゴル〜チベットへ移動。途中、混血しながら通過したので
いわゆるSOV文法の、昔「アルタイ語圏」と言われた言語を北方アジアに残した。
これが国際学会での最新見解。以下は、National Geographic のサイト。
ページが出たら、スクロールバーを真ん中へんまで下げてみ。脱アフリカ後の
貝紋人と縄文人の、日本への到達マップが図にして有る。
http://www.crystalinks.com/migrationhuman.html
引用終わり。
以下の文章を見ると疑問がすっきりすると思う。
異父兄弟である日本人と韓国人
http://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/Japan-Koria.htm
日本人どこから来たんだ?7(前編)
http://taatanniji.blog99.fc2.com/blog-entry-13.html
『いくつかの主張』
(2010/02/15)
《コメント》
[「リチャード・スルー・ブログ」について]
(02/15 22:53 By 真正保守=PPG)
ここで紹介した書籍
『日本人に謝りたい』
(モルデカイ・モーゼ著/久保田政男訳、日新報道/1979年出版、1999年復刊)
は、戦後日本の病理を理解するための必読書である。
また、ユダヤのニューディール派が何故マルキズムを考え出し、君主制倒壊(日本で言えば天皇制)や階級闘争、家族制度破壊を推進したのか?
さらにまた、日本にいる反日左翼を誰が醸成したのか?
を知る上でも読んでおいて損はない。
この本では触れていないが、ニューディーラー(ユダヤ勢力)がしてきたことは、日本にいる「マイノリティや敵対的民族で構成される反日左翼」を理解する上でも非常に参考になるかと思う。
以下に非常に興味深い一文を紹介しよう。
【ゲッペルスは戦後日本の予言者だったのか】
ドイツのゲッペルス宣伝相は、ドイツ国民に与える警告として次のような内容の文書を一九三四年に公布している。
それは、非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。これに対してドイツ国民は十分警戒しなければならない。この心理戦、神経戦の目的とするところは、人間の純度を落とすことにより現存する国家を内部からむしばんで行こうとするものである。
ゲッペルス宣伝相が挙げたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは次の如き大要である。
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗史属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋主義、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
以上の十九項目をつぶさに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。否、何一つないのを発見されて驚かれるであろう。ゲッペルス宣伝相は、戦後の日本に対する予言者だったのであろうか。
(以上)
このあとに、非常に重大な指摘が書かれているのだが、今回は紹介がメインなので割愛する。
最後に、この引用部分を読んで、民主党政権の政策が思い浮かばない人はいないだろう。
新しい発見が、さらに日本の豊かさを証明し続けることと確信させてくれました。ありがとうございました。
日本列島にも悪事が発生し内乱も起きたことが示されており、決して日本を持ち上げるだけの記事で無いことは明らかです。
物事の本質・根幹から視線を逸らそうとして、根拠も示さず必死でネガティブなイメージを植え付けようとするコメント者は哀れです。半島と列島とのつながりから日本の歴史をスタートさせたい心性は、正しい歴史認識からほど遠く、醜いものにしかなりません。
しかし、「文字」の前から「言葉」で生活をしていたはずですし、「言葉」の前から「行為」はあったはず。
『歴史はその背後にあるものの影でしかない、ということを意識する必要のために、いっそうの探求を求められているのが縄文時代だといってよいであろう』
これはTEXASさんご指摘の、西尾幹二氏の言葉です。
これを解りやすく後世に伝える役割が、この「ねずきちのひとりごと」だと、私は思います。
雑音には一切反応厳禁!
>雑音には一切反応厳禁!<
↑
あなた、独裁者ですか?どうして色んな意見があってはいけないのですか?ちょっと理解できません!!
それに、初めてみる投稿者の方だと思いますが・・・。それとも、誰かが、成り済ましているんですか?
『白旗の少女』
(2010/02/18 00:40)
《コメント》
[一億総アナーキスト(1)]
(02/18 19:28 By:真正保守)
上記コメントの内容は先のコメントを補って余りある。
確かなことは、シャコ貝や椰子殻の調理器を除けば、世界で一番早く家族鍋を楽しんだ社会ではないかということです。
土器という人口物で煮沸した産湯を使い、夏は水瓶の冷たい水で涼をとり、保存性とげっ歯類から食物を守れる万能アイテム土器製造は、人類の生存率を劇的に高めたことは間違いありません。
土器を作るというソリューションは以前も書いたように、複数の文化伝播者の力により日本から世界中に拡散したことも、いずれ世界のアカデミズムが認めることになるでしょう。
おそらく最初は、小さな火山口に子供たちが度胸試しで色々なものを投げ入れ、翌日冷えた火口から取り出した粘土が別物に変性したことの「気づき」が発端だと考えられますが。(はじめから野焼きでは土器は出来ません。)
縄文土器は現在、我々の身近な生活用品、鋳物、焼物、塑性物、セラミックスの起源といっても過言ではありません。
土器製造技術の伝播が無ければ金属器を作ることが、可能かどうかを想像してみてください。(おそらく無理でしょう。)
中国でも古い土器の出土は報告されますが、発掘量、バリエーションともに日本の足元にも及びません。
オーパーツもどきの単品出土は技術が断絶したことを意味し、後世になんら影響を及ぼしていないことを証明しています。
【誤】
マルキズム
【正】
マルキシズム
出版本なりますこと願う一人です。
学生の頃に混ぜ合わせることができず疑問に思っていた箇所です。
縄文土器が世界的にも古く芸術的にも優れていることも伺いました。
勉強になりました。
ただ、環境的なことや食料的なことを考えて日本からバイカルに
北上して行ったほうが考えやすいと思えます。
北が山幸彦、南が海幸彦でしょうか?
神話、今だ終わらずですね。
陛下の国の人達だもの。
当然と言えば当然。