平沼先生からの返信です

テーマ:政治・経済 2010-02-05 22:30:00

先の「日本TV の参政権賛否投票」の件で平沼先生から返信を頂きました。

何故在日が今日本に居るのかに付いて色々と載っています。

最後に「歴史さん」の投稿も引用されています。是非ご覧下さい。(文字着色は管理人)

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ご連絡ありがとうございました。外国人地方参政権阻止へのご協力を賜り、早速行動していただきましたことに、心より感謝と敬意を申し上げます。ありがとうございました。自分の国に誇りを持たないものが、他国の人びとがそれぞれの母国に対して持っている誇りや愛国心を理解できるわけがありません。自分の国の国旗に敬意を払う礼儀を知らぬ者は他国の国旗に接する際の礼儀がわかりません (日本の
国旗にだけ敬意を払わぬ輩など言語道断)。自国を貶めることしか知らぬものは、他国の尊厳をも蔑ろにしていることにも気がつきません。それでは真の国際交流など出来るはずもなく、他国の人々から侮られ信頼を失うだけです。その場しのぎの軽薄な言動をもって、日本国民と他国(除く中国共産党)の信頼を裏切り続ける真似が平気で出来る総理大臣はまさに害悪以外の何ものでもありません。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

衆議院議員 平沼赳夫 事務所 拝

平沼赳夫HP動画配信 2月1日配信 「民主党の金銭問題について」 
http://www.hiranuma.org/new/message/message20100201.html

ご参考
※以下の内容は、Nさんから頂戴したものをご本人のご承諾を得てお送りさせていただいおります

NさんはGHQ占領政策を研究しておられる方です。戦後日本の現状にGHQが及ぼしている影響はまさしく「病理」といってよいほどだと痛感いたします。東京裁判史観、自虐史観に見られるような先入観にとらわれることなく当時の「一次資料」を検証した近現代史の再構築が必要であるとあらためて痛感いたします。

(Nさん資料)
62年前の昭和21年の朝日新聞社説と共に半世紀前の新聞報道をお知らせ致します。
理由は、戦後の日本の歴史教科書が教えない真実・史実が新聞報道にあるからです。
それは何か?半世紀前に朝鮮半島から膨大な密入国・不法入国があった事実・史実です。この史実は今日完全に忘れられています。この内容が事実かどうかは、国会図書館で確認する事が出来るでしょう。

■1950年3月23日=時事新報社説
《 治安に対する常習的挑戦。 ・・・終戦後わが国の世相を不安にした原因の中に、不良朝鮮人の不法行動は見逃すべからざる一大要素である。・・・ 》

■1950年6月28日=産業経済新聞
《 密航四ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶の子 捕まる者僅か二割 》
(不法入国した捕まらない8割の韓国人は、そのまま日本に不法滞在したのではありませんか? )

■1950年12月5日=東京新聞
《 暴動企図に強攻策 密入国の朝鮮人送還を 》

■1950年11月29日=毎日新聞
《 結束固めた中堅分子 日共の“別働隊”に 赤い朝鮮人の正体 》

■1951年3月28日=大阪朝日新聞
《 密入国者にライ患者 出入国管理庁第一部長 衆院委で証言 》

■1952年5月17日=東京新聞社説
《 朝鮮人問題をどうする。 ・・・独立後最初の対韓送還船山澄丸は410名の送還韓国人をのせたまま、韓国当局から上陸を拒否されて内地に引き返した。・・・ 》
(410名の韓国入国を拒否された韓国人は、その後どうなったのでしょうか?)

■1952年10月15日=時事新報
《 朝鮮人不正登録と闘う女性 アイクチと10万円 自宅まで狙われ拒みとおす 荒川区役所の小松さん 》

■1951年11月18日=時事新報
《 政府を悩ます不法入国者 韓国人の対策が焦点、不法入国毎日100人 》

■1952年10月12日=時事新報
《 在日朝鮮人65万人 殆ど登録拒否 共産党の応援も拍車 》

以上の報道から解る様に、約50年前には朝鮮半島から多数の不法入国者がおりました。

日本政府は、その不法入国韓国人らがキチンと逮捕され、朝鮮半島へ帰還させたかどうか調査した事があるのでしょうか?

本来、第二次世界大戦終了後の日本には、朝鮮の人々は居ないはずでした。

何故なら日本を占領した米軍と協力して日本政府は、無料で朝鮮半島へ帰国させる措置を取ったらからです。

今日、在日の方達が日本に居るのは、強制連行で連れて来られたからだと申されるのであれば、何故無料で帰国出来たのに拒んだのでしょうか?

今日、北朝鮮に拉致された日本人家族の悲痛な叫びで解る様に、朝鮮半島の人々は一刻も早く、日本から帰ってきなさいとの要求が出るはずではないのでしょうか?

戦後の国会議員は、その不法・密入国問題を調査した事があるのでしょうか?

GHQの傀儡・日本政府が無料で帰国の措置を取った動かぬ資料は



1946年7月13日の朝日新聞社説です。

以下引用□■□■□■□■□
朝鮮人の取扱について         朝日新聞1946年7月13日社説
 
 去る3月18日を以って登録を終えた非日本人在籍数は、外務省の集計によると、
87万8千余名となっている。

ここに非日本人というのは朝鮮人、琉球人、中国人(台湾省民を含む)である。このうち登録した朝鮮人の数は約64万7千名であり、うち朝鮮に引揚を希望したものは約51万4千名となっている。

引揚を希望する中国人、琉球人の送還はすでに完了し、朝鮮人の引揚も、連合軍の好意によって順調に進み、大体9月中には終わる見込みである。残留する朝鮮人の数はどの位であろうか。

登録漏れの朝鮮人も相当数に上ることが想像されるし、また引揚希望者でありながら、指定の船に乗らぬため、無賃帰国の権利を失うものもあるので、残留者は統計面に現れた数字の数倍に上るものとみてよかろう。

 日本の統治下にあった朝鮮が、戦争中の戦力増強のため、いくたの犠牲を払ったことや、内地在留の彼らが、軍需生産部門に膨大な労働力を提供したことについて、われらは感謝するものである。

 しかし、終戦後の生活振りについては、率直にいって日本人の感情を刺激したものも少なくなかった。たとえば一部のものが闇市場に根を張り、物資の出廻りや、物価をかき乱したことなど、それである。

 朝鮮人が政府の統制の圏外にあるものとして、自らの生活擁護のみ急な余り、政府の食料・物価政策などに悪い影響を及ぼしていることのあるのは否定できない。今後数は減っても、なお残留朝鮮人の生活が、同様に政府の政策遂行に影響を持つであろうことは否定しがたい。

 マッカーサー司令部の意向としては、残留する朝鮮人はわが警察権の行使を拒否することが出来ないことになっている。

しかしながら、日本の警察当局が、個々の事件の場合において、朝鮮人に対して、力を十分に発揮できないのが現状である。その結果、時にはその朝鮮人の行動が、戦争中融和していた日鮮人間の感情を疎遠することの生ずるのを悲しむものである。

われらは残留朝鮮人が日本の再建途上の困難を理解し、これに協力することを期待してやまない。』
□■□■□■□■□引用終わり

なお、この社説で、琉球人を外国人扱いにしているのは、今日から見れば不思議に思いますが、当時のGHQの工作により、「琉球人は日本人ではなく、沖縄は日本ではない」との宣伝によりこの様に書かされたと思います。

マッカーサーが、その様な主張をしていた事は、大江健三郎著『沖縄ノート』に掲載されています。

この昭和21年(1946)7月13日の朝日新聞社説にある様に、日本政府は占領軍と協力して無料で朝鮮半島に帰国させたのですが、帰国せず相当数の方が自主的に日本に残りその正確な数も判りません

その社説書かれている様に日本に残留した朝鮮人の方たちは、日本社会で何をしたのでしょうか? その一つの資料をご紹介しましょう。

(資料:『韓国・朝鮮と日本人』若槻泰雄 89年 原書房)



●『戦前から強かった日本人の在日朝鮮人への悪感情は、第二次大戦直後の経験によって更に強まった。
それは、日本人が敗戦の苦悩と屈辱に打ちしおれていたとき、在日朝鮮人による犯罪、不法行為が続発したことであった。もともと戦前から在日朝鮮人の犯罪率は日本人の平均の10倍前後に達し、朝鮮人の住む貧民窟が犯罪の巣であるかのように見なされていた。(中略)

続発した不法行為

総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%(1949年)、騒擾のごときは83%(1948年)、そして密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、ことに覚醒剤の販売量では全量の60~70%を占めるという有様であった。(1953,54年)

公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の犯罪状況について『法務研究』に次のように書いてある。

『本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく報復的詐欺、脅迫、暴行などの一般犯罪のほか、いわゆる親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・

帰国問題に起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、主食の集団要求や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・

またそれらの中の主な事件は、各地における集団強窃盗、官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の不法占拠、汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判などであった・・・・・。

彼らの不法行為は、敗戦による日本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・

敗戦の混乱におびえるに日本の一般社会人心は極度に不安な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出された。

彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留外国人の間にまでも、彼らの性格が事大主義で、遵法精神が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象を植え付けたことだけは、まぎれもない事実のようである。

この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青などによっても数々の不法行為が敢行されていた・・・』 

永住外国人参政権問題が取りざたされていますが、何故かくも多くの在日韓国・朝鮮人が居るのか。そして日本社会で様々な在日特権を享受しているのか。不思議に思っておられる日本国民が多いのではないでしょうか?

その結果、約50~60年前の闇に葬られ、戦後の日本の歴史学者達が教えようとしなかった在日朝鮮人達の歴史があるのだと思います。

不法入国・密入国であったのなら日本は法治国家ですから、本国へキチンと帰国させる。それは、民族差別でも何でもない

民族差別と言われて日本人が黙り込んでしまうのは、正しい歴史や史実を知らないから反論出来ないのではないでしょうか。

その意味で、近代史や半世紀前の戦後の日本の歴史学者や戦後のマスコミが隠蔽した史実を全国民あげて掘り起こす事が喫緊の課題であろうと思います。


ご参考(「朝鮮進駐軍」とは何でしょうか?)
 明治43年(1910年)8月22日に正式に調印された条約締結による「日韓併合」から今年は100周年にあたります。政府与党においてはこの「100年の悪行」を反省するためにも永住外国人参政権を実現するとしています。
しかし、大東亜戦争を日本人として共に戦った朝鮮人が、日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において騒乱を起こしたという事実があります。彼らはGHQ駐留軍とも衝突し、日本国内で銃撃戦まで行っています。 「第三国人」という名称は、日本人・GHQ(連合国関係者)以外の在日外国人(朝鮮人)を呼称する名称としてGHQによって創られた用語です。史実は史実として知っておく必要があるのではないでしょうか。
 
「朝鮮進駐軍とは」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html
http://www.youtube.com/watch?v=uyMLaVq4ez0
「アジアの真実」戦後日本
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/14099974.html
http://ameblo.jp/create21/entry-10317901535.html


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