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[ICON]永田町異聞

永田町異聞

新恭

某全国紙の社会部記者として13年活動した後、ファッション業界に転じ、アクセサリーショップ8店舗を運営。

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内弁慶記者に読売の大先輩が苦言

読売新聞の元編集幹部、永井芳和氏は筆者の駆け出し記者時代、同じ記者クラブで机を並べた他社の先輩である。

筆者は自社の先輩から何も教わった記憶がないが、この方からは学ぶことが多かった。ブンヤとしては変わり者どうし、気も合った。

今は大学で教鞭をとる永井氏が最近送ってくれた「coto」という同人誌に、「なぜ記者会見か」と題するご本人の一文が掲載されている。

そのなかで筆者が興味を引かれた内容を紹介したい。「読売新聞社説」を批判しているくだりである。

脱官僚依存を掲げる鳩山政権が事務次官の記者会見を禁止したことについて昨年10月15日の読売社説は以下のように書いた。

「国民に政策を理解してもらおうという姿勢とは逆行しており、再考を促したい」

この記事を読んで永井氏は驚いたという。事務次官会見廃止は「記者の腕のみせどころとなる好機であるはずだ」と思っていたからだ。

中央官庁の記者が官僚の記者会見に頼り切っている。「ただ役所の説明を垂れ流している」記事が多くなっている。そんな現状から脱却するチャンスではないか。

永井氏は読売社説にこう苦言を呈した。

「事務次官は役所の利害代弁者のトップだ。間違っても不利益になることは言わないだろう。(中略)社論という看板を掲げている社説ですら、省庁の幹部が新聞社の論説委員を集めて行った説明をもとに書いているケースがある。(中略)官僚は思いのまま世論をつくりあげたといえる」

「読売の社説は『一方的な宣伝にならないよう、隠された意図や本音を様々な質問で引き出し、情報の確度を上げるべく努力している。原則として、会見を記者クラブが主催するのは、そのためだ』という。しかし、ジャーナリストなら、どのような場でも隠された意図や本音を様々な質問で引き出せるはずだ。いまの記者たちは記者クラブという身内だけの枠に守られていないと、官僚の嫌がる質問もできないほど、ナイーブな内弁慶になってしまったのか」

同感である。「ナイーブな内弁慶」という言葉で、12月22日に当ブログに書いた記事を思い出した。

その前日の21日に開かれた小沢幹事長の定例記者会見。ちょうど、ガソリン暫定税率の維持など、マニフェストに反する内容を含む、党から内閣への予算要望書が出された直後だった。

インターネット中継を見ていた筆者は、TBSの記者の質問に唖然とした。

「マニフェストの変更を盛り込んだ政府への要請について、幹事長が説明する機会を設けられなかった理由をお願いします」

現在進行形で記者会見が行われているというのに、政策変更について説明の場が設定されないことを問題視し、なぜか肝心の要望の中身には斬り込まないのである。

そこで、筆者は以下のように書いた。

「その場で聞けばいいではないか。短時間でも、ズバリと核心をつくのが記者の腕ではないか。」

おそらく、幹事社が民主党の広報担当者に「予算要望書についての説明会見」を求めたが、断られたのだろう。週一回、定例会見が開かれるのだから、断るほうにも理屈はある。

小沢氏の定例会見はフリーランス、雑誌、外国人ジャーナリストにも開放され、ネットで公開されている。岡田外相もフルオープン会見を実行しており、今後もその流れは強まるだろう。

ネット中継などを通じ、記者がどんな質問をしているかが注視されるべき時代だ。質問によって、答えは変わる。

どんな質問にどう答えたかが重要なのに、テレビでは「答え」の場面しか放映されない。だから誤解が生まれ、世の中が歪む。

記者クラブという密室の取材特権を失いつつあるなか、「ナイーブな内弁慶」の大手メディアのままでは、多様化著しいメディア界で、図体だけでかい時代遅れの存在となり果てるだろう。

官庁の資料はインターネットでも公開されている。それこそ世界中の様々な資料がネット検索で拾い出せるのだ。

ナマの取材対象にジカに接触できるのが記者の強みだが、質問力を鍛えなければ、どんな場面、状況でも、実りある取材はできないのではないか。

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