南米チリの大地震により、太平洋沿岸部に大津波警報が発令された青森、岩手、宮城県では28日、計12万7064世帯に避難勧告・指示が出された。東北地方を中心に142人の死者・行方不明者が出た1960年のチリ地震津波の悪夢がよぎり、住民は緊迫した様子で公民館や小学校などに急いだ。宮城県気仙沼市や北海道根室市などでは道路が冠水。交通網も寸断されるなど、地球のほぼ反対側で起きた地震は発生から約24時間後、各地に混乱をもたらした。
■宮城
気仙沼市災害対策本部によると、同市魚浜町で午後4時10分ごろ、海水が岸壁を越えて流れ込み、道路などが冠水した。気仙沼港に近い商店などが浸水するなどし、住民は心配そうな表情で被害状況を確認。近くに住む小松登さん(72)は「海水が3~4分の間にどっと押し寄せ、ひざ上ぐらいの高さまでになった」と驚いていた。
避難所の気仙沼小学校には住民が続々と集まった。同市魚町の宮崎典子(みちこ)さん(78)は「ガスの元栓を閉めて、慌てて避難してきた。(1960年の)チリ地震で津波を体験しており、怖さは十分分かっている」と話した。
また、50年前のチリ地震津波で41人の犠牲者を出した南三陸町(旧志津川町)では、防災放送を通じて沿岸部の約3500世帯に避難指示を出し、91カ所の水門や防潮扉を閉鎖した。沿岸部の石巻市でも約2280人が避難したが、仙台湾を一望できる同市の日和山(ひよりやま)公園には見物人が押しかけ、周辺道路が大渋滞した。【石川忠雄、須藤唯哉】
■岩手
午後2時過ぎに津波の第1波が届き、久慈市で最大波1・2メートルを観測した。沿岸12市町村は計3万1391世帯8万2291人に避難指示を発令。大船渡湾防波堤付近では多数のワカメ養殖いかだが漂流し、釜石線や山田線などJR5線で計60本が運休した。
50年前のチリ地震で津波により53人の死者・行方不明者が出た大船渡市では、住民たちは第1波が届く前に漁船を係留し直すなどした。午後7時ごろ、大津波警報から津波警報に切り替わったものの、避難所となった市立大船渡小学校では疲れた表情で横になる住民の姿も。公務員の佐藤美香さん(37)は「子供も疲れてきたので家に戻りたい」と不安な様子をみせた。【宮崎隆、岸本桂司】
■青森
50年前のチリ地震で多くの家財道具を失った八戸市の男性(84)は、家族と貴重品を風呂敷にまとめて避難所に向かった。同市の女性(57)は、パソコンや掃除機など電化製品を自宅2階に上げて避難。「朝から荷物を持ち上げてばかりで腕が痛い。何もなく帰れたらいいのですが」と話した。むつ市では319人が避難。陸奥湾を望む高台で海を眺めていた主婦(54)は「中学1年の時の(1968年)十勝沖地震を思い出す。あの時は、いつもは見えない所まで海が引き、ザッザッと波が近づいてきた」と、当時の恐怖を重ねていた。【喜浦遊、松沢康】
■北海道
午後3時48分に90センチの津波を観測した根室市花咲港。海水がじわじわと盛り上がって岸壁を越え、約80メートルにわたって道路が冠水した。
防潮堤の上で警戒していた市港湾課の佐藤敬二主査(52)は「潮位は岸壁から下に60センチくらいあったが、一時130~140センチまで引いた。しばらくして防波堤の入り口あたりを見ると、波打って水が押し寄せてきた」と話した。
津波が最も押し寄せてきた時は、岸壁が海水で覆われ、近くに止めてあった乗用車のタイヤの下から3分の2が水につかった。【本間浩昭】
全国の太平洋側を中心に出された「警報」は交通を混乱させ、休日の観光施設などにもダメージを与えた。
茨城県大洗町の県大洗水族館は、町からの避難勧告を受けて午前11時半にチケット販売をストップ、1時間後に閉館した。入館者は2326人で、閉館時の館内は「込んでいる状態」。28日付のチケットがあれば3月中は再入館できるという対応を初めてとった。職員は「お客さんも自然災害なので理解があった」と話した。
横浜市の八景島シーパラダイスでは、津波到達予想時刻に合わせ午後2時から1時間、屋外施設のある水族館の一部と、すべてのアトラクションを休止。営業時間は通常通りでトラブルはなかった。
青森県八戸市と北海道苫小牧市を結ぶ川崎近海汽船(東京都千代田区)のフェリー4隻は一時、計約220人の乗客を乗せたまま海上に足止めされた。1日午前0時現在、3隻は依然下船できていない。
さいたま市の実家から家族3人で帰宅する途中だった千葉県市川市の会社員、奥田彰人さん(36)は、京葉線が運休しJR東京駅で約2時間足止めされ、「仕方ないけど疲れた」とぐったりした様子で話した。【立上修、矢澤秀範、伊澤拓也】
毎日新聞 2010年3月1日 東京朝刊